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第十九話  苦難

それで、ブラックジャックはミナを治療すると約束したのか」

「した」

頷いた佐々木に、王は驚きと戸惑いが混ざったような

複雑な表情を向けた。

昨日と同じカウンセリングールームに、

二人はやはり昨日と同じように向かい合って座っている。

時刻は日付が変わるまで、あと二時間ほどといったところだ。

「思ったより無茶をする奴だな。

自分だって問題を抱えているのに、よほど

上手くやらないと共依存になるぞ」

「判っているさ、俺だって素人じゃない。だから

彼女と幾つか約束をした」

かけたパズル同士が組み合わさるように、異なった嗜癖を持つもの同士が

お互いの依存を補い合うと、事態はさらに悪化する。

佐々木がミナの暴言を黙って受け入れていたということは、

すでにその下地は出来上がってしまっているのだ。

「俺に暴言を吐いたら理由はどうであれ、その時点で治療は打ち切る。

それを防ぐために、治療時以外は院内での接触は必要最低限にする。

さらに、飲酒やリストカットも禁止した。

もちろんやった時点で治療は終わりだ」

「……訂正する。無茶じゃなくて無茶苦茶な奴だな、

そこまで一気に追い込むか、普通」

「ハーカー先生のような自覚がない患者には、まず自分が

嗜癖に依存している現実を突き付ける必要がある。だから

あえて一気に依存している物を禁止した」

「判らない話じゃないが」

顎に手を当てて考え込んだ王に、佐々木は続ける。

「ハーカー先生は精神病院に勤めている医師で、

しかも王が散々説得しても自分の病を認めなかったんだろう

一筋縄じゃいかないさ。王、申し訳ないけれどしばらく

ハーカー先生から目を離さないでほしい。依存を強引に断ち切ったせいで

かなり不安定になると思うんだ。何かあったら困る」

「言われなくても判ってるよ。俺だって精神科医だからな。

で、治療法は? 自助グループにでもかよわせるのか」

佐々木は首を振った。

「それはもう少し先の話だよ、当分はこれで怒りのコントロールを

してもらおうと思う」

と取り出したのは、細長い棒状のものがぎっしりとつまった

ビニル袋だ。

「チョップスティックか? 使い捨ての」

「ああ、日本じゃ割り箸って呼んでいる。暴言を吐きたくなったら

これをへし折って気分を鎮めてもらうんだ」

割り箸は軽くて細くて、持ち運びが容易な割にはへし折るには

力が要る。そして派手な音を立ててわれるので、日本ではDVの

怒りをコントロールする方法として多く用いられている

「気が静まるまで何本へし折っても構わない、

ただし、へし折った本数は記録してもらう。

アルコールは暴言を放ってしまった自己嫌悪から目をそらすための

物だろうから、暴言が減れば必要ないはずだろう」

「判った。ミナのサポートは責任を持って引き受ける」

「ありがとう」

「礼は言わなくていいぞ、これを引き取ってもらえるだけでいい」

油染みの浮いた紙袋を差し出され、佐々木は苦笑しながら

それを受け取る。

「……ごめん」

「何を謝るんだ? 」

不思議そうに問い返した王に、佐々木は気まり悪そうに視線をそらす。

「その、君とハーカー先生の間に割って入ったみたいで」

「馬鹿だな」

間髪いれずに言い返し、大きな手が佐々木の髪をいつものように

ぐしゃぐしゃとかきまわす。

「ミナの心の健康を取り戻してくれるなら、俺は誰であろうと

全身全霊で感謝するよ……俺には、出来なかったからな」

そう言って王は僅かに顔を歪ませる。

「全力を尽くすよ」

「……頼む。さて、こっちも一筋縄ではいかない患者さんの治療を

はじめますか」

「え?」

戸惑う佐々木に、王は苦笑した。

「おいおい、ブラックジャックも厄介な症状を抱えた患者だと

言う事を忘れるなよ。こっちは俺が全力を尽くしてやる」

「そうだったね」

夜更けのカウンセリングルームに笑い声が響く。

「あら、遅くまで頑張っているのね。疲れた時には

甘い物が一番よ」

ひょいと、顔を出した院長が机の上にドーナツの袋を積み上げたのは

その数分後の事である。



                ※


「まいったな」

椅子の背もたれに限界まで身体を預け、王と佐々木はほぼ同時に

同じ言葉を呟いた。

「なにがですか、王先生」

「お先にどうぞ、患者さん」

気まずそうに顔を見合わせ、わざとらしいやり取りの後、

二人はまた揃って深いため息をついた。

ミナの治療を引き受けたと王に告げた日から、二週間後。

やはり深夜に近い時刻のカウンセリングルーム。

治療中だからと仕事をおろそかにするわけにもいかず、

二人がこの部屋にいるのは大概こんな時間だ。

そして、治療の為のカウンセリングをしているといつのまにか

日付が変わっている。帰るのが面倒だと

そのまま当直室で短い睡眠をとって

再び勤務につく日も多くなり、二人のロッカーは洗濯ものと

院長から押しつけられたドーナツが山になってきている。

王が白衣のポケットからコインを取り出して空中に放り投げた。

落ちてきたところを左手の甲で受け止め、右手を重ねる。

「表か裏か」

「裏」

「表だ、先に話せ」

王の言葉に、佐々木はやや躊躇った後に口を開いた。

「専門外とはいえ、嗜癖の治療がこれほど難しいと思わなかった」

「……一筋縄ではいかないと言っていたじゃないか。まあ、

ミナは特別だと思うけどな。本人も医者だから知識も豊富だし、

頭の回転も人並み以上だからな。認めないんだろう、おばさんとの

歪んだ関係を」

「ああ」

佐々木は頷く。

「どんなに言葉を変えても、母親は最初の父親の被害者で

私を支えてくれた立派な人だ、と繰り返すばかりなんだ」

「二〇年以上叔母もミナに依存してきたからな、子供が

離れていかないように出来る限りの事を吹き込んだんだろう」

「アメリカの女性にしては珍しいな、子供に

叶えられなかった自分の夢を託すタイプ、か」

腕を組んでもう一度ため息をついた佐々木に、王は

そうでもないさ、と再び口を開く。

「夢、というか理想の自己だな。俺の話で判っていると思うけど

叔母は理想が高い。医者や弁護士といった社会的地位が高い職業に

つきたかったのは自分なんだ。

叔母はミナでもう一度人生をやり直したつもりになっているんじゃないかな。

そしてミナは実の親を知らずに、家庭の崩壊を

経験している。アイディティが酷く脆弱なんだ。

そこに叔母から離れられない原因の一因があると思う」

「そうか、異様に我慢強いのもそのせいかな。

見事に俺への暴言が消えた」

王は頷く。

「一度属したモノから捨てられる恐怖は人一倍強いと思うぞ。

だから、お前との絆も断ち切りたくないんだろう。あこがれのA君だからな。

まあ、お前の教えた怒りのコントロール方も有効なんだろうけど」

だが、佐々木は礼儀正しく丁寧な言葉遣いになったミナが、逆に

生気をなくし、暴言を吐いている時は生き生きと輝いていた

アーモンド形の瞳に薄い紗幕がはったように曇っている様を見る度に

彼女ではなく、ミナそっくりの人形を相手にしているような

気分になるのだった。


続く

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