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第十七話 決心

「王、ちょっと」

しばらくして王の胸の中から抜け出した佐々木は、

立ちあがって指で王に頭を下げるように促す。

大人しくそれに従った彼の髪を、酷い傷痕の残る子供のように小さい手が

先ほど自分がされたように、激しくかきまわした。

「さ、佐々木、な、なにを」

「よくもいつも一方的に人の髪をかきまわしてくれたな。

たまにはやらせろ、無駄にでかくて手が届かなかったんだ」

言いながらひとしきり髪をかきまわした後、佐々木はポツリと続けた。

「ハーカー先生がやったことは、王のせいじゃない」

「だが、しかし」

「それに、王はずるいよ」

と佐々木は苦笑した。

「君が皆の前では親切でも、陰ではよそ者をいじめるのが大好きな

最低の野郎なら、俺は遠慮なく張り倒して軽蔑させてもらったよ

でも、ノートを貸してくれたり、おかしくなった同僚をわざわざ

自分の家で看病したり、その上二度と戻ってこないと思った

妻の形身を探し出してくれた君を、どうやって俺は軽蔑すればいいんだ」

「……佐々木」

「あ、でも一つだけわがままを聞いてもらおうかな」

「あ、ああ」

頷いた王に、佐々木は今度は少し照れくさそうな笑みをむける。

「君のお母さんが作った水餃子、あれがまた食べたい」

「お前って奴は」

耐え切れずに王が吹き出し、佐々木もそれにつられる。

張りつめた糸が切れたように、二人は長い間笑い続けた


           ※


「遅くまで引き留めて悪かったな」

「いいや、こちらこそ送ってくれてありがとう

その、これからハーカー先生の家に行くのか」

車の中で王は頷いた。今まで佐々木が座っていた助手席には

食べ物や飲み物がはちきれんばかりに詰められたビニル袋が

おかれている。

「いい加減、ミナをベットから引っ張り出して

何か食べさせないとな。

ああ、そんな顔するなよ、お前のせいじゃないんだから。

大丈夫こういう事は初めてじゃない、慣れたことさ」

そう言って王は軽く肩をすくめた。

「そうか、じゃあまた明日病院で」

「はいよ、ブラックジャックもちゃんと寝ろよ。

病みあがりなんだから」

軽く片手を上げて、王はアクセルを踏んだ。

遠ざかる車のテールランプが街の明かりにまぎれるまでそれを見送って

佐々木はアパートの軋む階段をのぼり、部屋に戻ると、

そのままベッドに倒れ込んだ。

色々な事を一度に聞きすぎて、頭の芯がジン、としびれている。

そのままどのくらいの時間がたっただろう。

視界の端にきらりと光る物が映った。

重い身体を引き起こしてそこに近付くと、

シルバーの地サンゴらしいピンク色の宝石がはめ込まれた

女性用の装身具の一部だと判る。

多分、ミナの物だろう。

身につけたアクセサリーが千切れるほどの力で

自分は女性を殴ったのかと思うと、

じんわりとした後味の悪さが胸にこみ上がってきた。

「ミナはお前のペンダントを本当に外に投げ捨てた訳じゃない。

ちょっと脅かそうと思って投げるふりをしただけだったって。

ブラックジャックのあまりの剣幕に言いだせなかったそうだ」

車の中で聞いた王の話が思い出される。

「まあ、ミナがやったことは嫉妬も混じっていたとはいえ、

『冗談』で済まされるレベルじゃなかったよ。

彼女もブラックジャックにひっぱたかれて、

やっと自分がやった事の重大さが判ったと思う、

まあ、その後がちょっと厄介だけどな」

実はミナは風邪などではなく、自己嫌悪から酒びたりになっているという。

「気を紛らわすには最悪の方法だよな、

でもアルコールを覚える前はリストカットだったんだ。

長い目で見れば命の危険はアルコールの方が高いが、

俺はもうミナが血を流す姿を見たくないんだよ」

「辛い、だろうな」

手の中のアクセサリーの欠片に、佐々木は呟く。

育てたように子は育つ。子は親の鏡。

ミナは母親の彼女や他人とのやりとりをコミュニケーションの手段として学習し、

母親の要求に完璧に答えたご褒美として

愛情を受け取っていたのだろう。

だから、他人にも同じ事を要求する。

『私が愛情を与えられるように、私の要求に答えて」

と自ら作り上げた理想像に及ばない個所を容赦なく攻め立てる。

例えるならば、棘だらけの手袋。

それをつけた母親に抱きしめられて、嫌と言うほど傷つけられたのに

気がつけばミナも同じものをはめて他人を傷つけている。

悲しい、愚かしい負の連鎖。

大きなため息をついた時、金属的な単音が奏でる古い流行歌はやりうた

部屋に響いた。もう、二度と聞く事はないと思った音色に、

慌ててシワの寄ってしまった古い写真が収められているフォトスタンドの前の

ハンドタオルを開く。白いビニルテープを包帯のように巻いた、

解約済みの携帯の液晶にしっかりと「木之口繭」の名前が表示されていた。

「もしもし、風邪は大丈夫? 」

「う、うん。心配してくれてありがとう」

何ら変わりなく聞こえる妻の声に、目頭が熱くなる。

「兵衛さんごめんね」

「どうして謝るんだよ」

「もう、何もしてあげられない私にいつまでも付き合ってくれて」

「そんなことないよ」

目の前に相手がいるように、佐々木は何度も首を振る。

「君の声が聞けるだけで、俺は満足なんだ」

「兵衛さんは本当に優しい。それが私を救ってくれた」

「……」

それは違う。本当に彼女を救えたなら、

今も隣で笑っていてくれていたかもしれない。

「だから、その優しさを必要としている人に向けてあげて」

「え?」

「兵衛さんなら、できるよ」

その言葉が終わると同時に、電話は切れた。

「繭」

沈黙した携帯電話と、手の中のアクセサリの破片を交互に見つめ

佐々木は考え込む。『優しさを必要としている人』が誰であるかは判る。

だが、彼女にはすでに王がいる。

バタードウーマンの役割をしてきた自分がそこに首を突っ込んで

いい結果が出るとはとても思えなかった。

「ごめん、繭の頼みでもそれは、できないよ」

虚空に向かってつぶやくと、佐々木はのろのろと立ちあがった。

そろそろ寝ないと明日の仕事に支障が出る。

着替えようとクローゼットを開けて、驚いた。

院長に休養を命じられた日に着ていたYシャツとズボンが

きちんと洗濯され、畳まれて置いてある。

汚水のたまった側溝に飛び込んだせいで

ひどく汚れ、匂いもついていたはずなのに

広げてみたそれは、染み一つなく洗剤の仄かな芳香しか感じられない。

「ミナは、本当にブラックジャックに恋してるんだ。

信じられないかもしれないけれど

部屋にぶっ倒れていたお前を見つけた時、

パニック状態で俺に何度も電話をかけてきた。

留守電に声が残されてるけど、聞くか?」

再び脳裏に蘇る、車の中の王の言葉。

差し出された携帯電話を恐る恐る耳に当てると

「もしもし、王。すぐに電話に出て、

倒れてるの、びしょぬれで、泥まみれで

え、ええと佐々木先生がよ。す、すぐに手当てしなきゃ。

熱が高い時って同するんだったっけ。

ああ、暖かくして、寝かせて、頭を冷やして。

その前に着替えさせなきゃ。パジャマ、いるわよね

後は飲み物と、食べ物と、ああ、泥を落とさなきゃ、何もできなかった……」

いつものミナとは想像もつかない、慌てふためいた声が聞こえてきた。

多分、この服もミナが洗濯してくれたのだろう。

佐々木の中に僅かに残っていたミナに対する怒りがすっと消えていく。

彼女も、妻と同じだ。誰にも気付かれることなく

たった一人で孤独と絶望を抱えて苦しんでいる。

「やれるだけやってみるよ、繭」

数分前とは真逆な事を呟いて、

佐々木は脱ぎかけたジャケットに再びそでを通す。

ミナの家までは十分とかからないはずだった。


               ※


記憶を頼りにミナの部屋の玄関前に立ったものの、

佐々木は呼び鈴に指を当てては離す、

動作をしばらく繰り返していた。

時刻は深夜1時。一応の口実としてアクセサリの欠片をポケットに突っ込んできたが

人を尋ねるには非常識すぎる時間だ。

だが、病院でこんな話などできっこない。

呼び鈴に指を当てる事数十度目、ついに佐々木はそれを押した。

家の中から微かにチャイムの音が聞こえてくるが、

しばらく待って見ても何の応答もなかった。

考えたら、大人でもとっくに夢の中の時間だ。

きっと寝ているに違いない。

自分の早急さに苦笑しながら踵を返そうとして、ふとドアノブを回してみると

それはあっさりと手の中で回転して、細く扉が開いた。

どうしようかと迷ったが、自分もやられた事だと言いわけをして

静かに部屋の中に入り、その様子に驚いた。

ミナを担いで入った前回はインテリアなどに

目を向ける余裕がなかったのだが、

佐々木の部屋とさしてかわらない広さのそこには、

ぬいぐるみや人形などかわいらしい物で溢れていた。

最近はキティに代表されるように

大人の女性向けのファンシーグッズも多数発売されているが、

この部屋にあるのはどうみても子供向けのものばかりだ。

何も知らない人間が見たら、

この部屋の主をまだ幼い子供だと思うだろう。

つけっぱなしの照明に鈍く光るテーブルの上に乱立した酒の瓶が

酷くちぐはぐだ。

「陰月、また戻ってきたの」

酷く不機嫌そうな声は、ベッドの上の毛布のふくらみの中から聞こえた。

サイドテーブルの上にも、

酒瓶と琥珀色の液体が半ば入ったコップが置かれている。

「何度言ったらわかるの、私の事は放っておいてよ。

今度という今度は自分自身に愛想がつきたわ。

もう嫌なの、疲れたのよ生きている事が。

何も聞きたくないし、聞くつもりもないわ。ぐしゃぐしゃ言わないで帰って」

ああ、毛布の下にいるのは小さな女の子だ。と佐々木は思う。

親に愛されるために、理想の子供を精一杯演じて疲れ果てて、

それでも演じる事をやめることが出来ない。

「ハーカー先生。そのままでいいから聞いてよ」

佐々木の言葉に、びくりと毛布の山が震えた。


続く



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