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アディンゼル大公閣下の暮らす領主館は、館と言われてはいるものの私の感覚では立派なお城。
中央に大きな本館と呼ばれる四階建ての建物があって、その左右に左右対称の二階建ての建物が繋がっている。ドローンで空から見たらきっとコの字型になっているだろう。
私は東側にある二階建てのお屋敷へ案内された。
本館には大公閣下のご家族が暮らしていて、食堂やダンスホール、遊戯室、図書室などもそちらにあるそうだ。
「なにかご入り用の品がございましたら、遠慮なくコニーにお申し付け下さい」
執事だという老年のトラ獣人さんはそう言って、引き続きコニーさんを私のお世話係につけた。コニーさんの本職は大公閣下の奥様に付きの侍女さんなんだと聞いた。奥様の方に行って貰って構わない、と言ったら「お風呂も沸かせないお嬢様をひとり放っておくことなど出来ません」と拒否された。
まあ、私がこの大公館でお世話になる時間はそう長くはないだろうから、ありがたく甘えることにした。
部屋で夕食を貰い、部屋付きのお風呂に入って天蓋付きのベッドに横になると、さすがに疲れていたのかあっという間に眠ってしまった。
宿屋の少し硬いベッドに薄いお布団でも平気だし、気持ち良く眠れる方だけれど、やっぱり厚みのあるベッドにふわふわのお布団は格別だと思う。
夜の冷え込みも手伝って、私はふわっふわなお布団に包まれて眠って、大公閣下と会う日の朝を迎えていた。
***
翌朝、部屋でお手本のようなヨーロッパ風の朝ご飯を頂いた。その後コニーさんによってお風呂に放り込まれ、頭から足先まで磨かれて、まだこちらの世界の女性としては短い髪も、美しく編み込まれリアムさんに贈られた髪留めで飾られる。服は綺麗めな紺色のワンピースと白いボレロ風カーディガンを着せられた。
着替えが終われば、キムに応接室でも客室でもなく本館にある執務室に案内されて、室内に入った。
黒に近い色をした重厚なデザインの執務机、机上には上等な文房具と書類だけが置いてある。
毛足の長い絨毯と窓に掛かるカーテンは深い藍色、壁紙はオフホワイトと落ち着いている。部屋の主人の人となりを現している感じがした。
その部屋の主人は濃いオレンジ色と黄色と黒の混じった毛色と黒くて先っぽの丸い耳、しましま模様の太くて長い尻尾を持ったトラ獣人。彼はゆったりと執務机に座っていた。
入室してすぐに頭を下げる。
「堅苦しくしないでくれ。キミを呼びつけたのは私だし、かなり強引に連れて来られただろう。すまなかったな」
「……レイと申します。大公閣下にお目にかかれて光栄です」
「私はクリスティアン・アディンゼルという。キミには幾つか確認したいこと、質問したいことがある。そこに座って、気楽に答えて欲しい」
「承知しました」
執務机の前に用意されている革張りのソファに座ると、執事さんが綺麗なティーカップに紅茶を煎れて、お茶請けにドライフルーツの混ぜ込んであるクッキーを出してくれた。
アディンゼル大公は私の向かいに座り、キムは大公閣下の斜め後ろに立つ。執事さんは茶器の乗ったワゴンを廊下に出すと、扉の横に控えた。
「さて、改めて名前をお聞きしようかな。異世界からやって来た番さん」
「私はレイです。レイ・コマキ」
キムが机の上にあった紙を手にした。その紙は薄緑色に光ると折り紙のように複雑に折れ、小鳥の姿になる。もしかして、魔法で手紙を送るというものだろうか。
薄緑色の光る紙の小鳥は空中に浮かび上がるけれど、行き先が分からないようでキムを頭の上をぐるぐると飛び回って、床に落ちて一枚の紙に戻った。
「……どうして?」
「それはキミの名前が正しくないからだ。この手紙を送る魔法は、相手の名前が正しくなければ届かない。本当にキミがレイ・コマキならば、この紙切れはキミの手元にまで移動していた。だが、実際はここだ」
大公閣下は床に落ちた紙を拾い上げると、それを後ろにいるキムに手渡した。
「……」
「つまり、キミの名前はレイ・コマキではないことになる。この世界に召喚されたとき、キミたちには名前や年齢あちらでの立場などを聞いた。そのときに提出されたキミの資料にもレイ・コマキと書かれていたが……まあ、まずは正しい名前を教えて貰いたいな」
「…………レイナ・コマキ、です」
キムは先程と同じように紙を手にし、紙は薄緑色に輝いて小さな小鳥の姿になった。そして、今度は迷うことなく私の手元に飛んできてから一枚の紙に姿を戻した。
「フム、キミの本当の名前はレイナというのだね。レイナ嬢、どうして名前を偽ったのだ?」
「……この世界には魔法がある、と聞きましたので」
「うん?」
大公閣下とキムは分からない、と首を傾げる。
「ご存じとは思いますが、私のいた世界には魔法というものは存在しておりません」
「ああ、そうだったね。異世界では魔法がなく、代わりにカガクというものが発達していると聞いたよ」
魔法が心というか精神に作用する可能性を想像し、その作用する軸に真名が関係している……となにかの本で読んで覚えており、それが事実かどうかは分からないけれど、そのため恐怖に駆られてレイナという名をレイとしたことを説明した。
「なるほど……単純に自衛のためだったわけだ。従姉妹殿にはその話しを何故しなかったのだ? キミの従姉妹殿は正直に名前を記入していたようだが」
「名前のことをあの子に伝えようとしました。ですが、あの子はそのときにはもう調書に記入をし終えておりまして、勢いよく提出していました」
杏奈は素直な女の子なので、記入しろと言われてそのままを記入して、書き終わったから提出したのだ。
「そうかそうか。ちなみに、キミが不安に思った精神作用系の魔法は確かに存在している。だが、名前など分からなくても魔法はかけられる。だから本当の名前を知られないことは、残念ながらあまり自衛にはなっていないな」
そんなこと言われたって、知らないのだから仕方がないじゃないか! と心の中で訴えておく。実際に口に出すなんて、恐ろしくて出来ないから。
「では次の質問だ、どうしてフェスタ王国から無断で出国した? 無断での出入国は重罪だぞ」
「無断ではありません、出国手続きをしてこの国を出ただけです」
「それはこちらの世界の者、の手続きだろう。異世界からの番たちは、伴侶となった番との同伴、もしくはそれに準ずる保護官の許可証と同伴がなくては出国出来ない決まりだ。基本的にキミは単独での出国が出来ない立場にある」
「……え」
「異世界から召喚された番たちを守るための法だ。それを無視して出国するとは、前代未聞だ」
嘘……異世界から来た人は召喚された国からひとりで出たらいけなかったの? 出国するには条件があったの?
無断入出国は重罪だ、その言葉が耳の中で何度も繰り返されて、私は息をするのも忘れた。
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