閑話02 トマス・マッケンジーの憂鬱
私の言葉の意味を理解しているのかいないのか、ポカン顔をさらした兄弟に私の胃は更にキリキリと痛む。
「まず、異世界の方がどなたかの番であることは承知しておられますよね? アンナ様がウィリス殿の番であるように、あの方もどなたかの番でいらっしゃる。その方を傷付けたのですよ」
そう説明するも、兄弟はまだ分かっていないらしい。ポカンとした顔が憎たらしい。
「想像して下さい、アンナ様と出会う前にアンナ様には全く否がないのに、勘違いで衝動的に大怪我を負わされていたとしたら……」
「許せるわけがないだろう! アンナには否がないのなら、尚のこと傷付けられて……あ……」
ようやく自分のしたことに気が付いたらしい兄クマはシュンと項垂れた。
「あの方はまだ番と出会われていませんが、当然番の方には報告することになります。どのようなお咎めがあるかは不明ですが、ある程度は覚悟しておいて下さい」
「…………はい」
「それから」
「ま、まだあるのか!?」
ここからは本番なのに、という言葉を飲み込んで代わりに残った白湯を全部飲み干す。胃がじんわりと温かくなって、ほんの少しだけ胃痛がやわらいだような、気がした。
「……異世界からの方々には魔法が掛けられています。あちらからこちらへ抜けてくる際、かけられる魔法で端的に申し上げれば〝向こうの世界のことを深く考えなくする〟魔法と言えばよいでしょうか」
「それは、どうして?」
「だから、また想像して下さい。自分が突然知らない世界に己の意思など関係なく呼び出されて、二度と戻れない状況になったとします。残してきた自分の親兄弟、友人、恋人とは二度と会えない。今まで築いてきた友人関係や学歴や資産もなかったことになる……こんなことが許せますか?」
先程まで青くなっていた兄弟の顔色は、青を通り越して白くなっている。ようやく理解が追いついてきたのだろう。
「私たちにとっては愛おしい番を迎えただけですが、あちらにとってはそうではない。失ったものが多すぎるわけです。そこへ見知らぬ輩が突然愛を囁いても、そう受け入れられるわけがないのです」
その為の魔法。残してきたものについて深く考えず、今がこれからが大事だという気持ちを全面的に押し出して、番から捧げられる愛を受け入れて貰う。
魔法によって元の世界への気持ちが有耶無耶になっているうちに、番の元へ引き取られ、婚姻を結び幸せな生活を送ってもらう……というのがいつものお披露目会での流れ。
「ですけれど、あの方とアンナ様については女神様からの魔法が薄れている、もしくは解けている、と判断してよいでしょう」
「そんなっ!」
「仕方がないでしょう。即死してもおかしくない程の怪我を負わせた、仲の良い従姉妹が突然襲われた、そんなお二人の精神状態を考えれば当然のことと思われます」
事実、アンナ様は番であるウィリス殿に対して全く心を開いていないし、受け入れる気も今はなさそうだ。
「ウィリス殿、アンナ様と一緒に過ごせていますか? 食事を一緒にしたとか、庭園を一緒に散策したとか、しましたか?」
そんなことは聞かなくても分かっている。
少し考えれば分かることだ、幼い頃から仲が良く姉妹同然に育った従姉妹が、突然見ず知らずの野蛮な熊男に大怪我を負わされた。その理由が嫉妬してカッとなったから、という彼女にとっては理解し得ないもの。
そんな相手に愛を囁かれても「ふざけてる」としか思わないだろう。私ならそうだ、兄弟を突然傷付けられて怒らないわけがない。
「それは……でも、彼女は番なのだし、そのうちに打ち解けてくれると……」
「分かりました、そこはご自分の番なのですから努力して貰いましょう」
「はい」
「では、怪我を負った彼女の解けてしまった魔法に関する責任はどう取られるのですか? それと、この暴力事件に関してはお披露目会の参加者全員に当然広がっています。番だと言って現れた獣人に対して、異世界の方々の中で不安が広がっているそうです」
兄弟の顔色は白を通り越して色を失おうとしている。だが、それは事実として受け止めて貰わなくてはならない。
「番だという獣人が、自分に対して突然暴力を振るうのではないか? 周囲にいる獣人が突然殴りかかって来るのではないか? そんな風に不安に駆られている人が出て来ています」
「そんな……」
「番と既に出会っている異世界の方でも、不安になって交流することに戸惑ったりしているそうですよ。全く、この責任をどう取るつもりでおられるのか」
私にもどう責任をとるのが正しいのか分からない。ウィリス殿を処刑しても何も変わらないし、謝罪や見舞金、お詫びの品を贈って済む問題なのだろうか?
過去五十年の番召喚の歴史の中で、こんなことは初めてだ。
私が先代のお披露目会担当者から引き継ぎをして、最初のお披露目会でやらかしてくれるなんて……私の胃は無事で済むのだろうか? そろそろ胃薬が効いてきてもよいはずなのに、一向に痛みが引かないのは何故だろう。
お読み下さりありがとうございます。