第五話 勇者は魔王に剣を向けた
炎に飲まれた村の中から、誰かが歩いて来る。酷く不安定な歩き方。爬行するように此方へ近付いてするその影がはっきりと見えた時、シュバルは僅かに安堵した。
だが、それが自分の思い描いた姿とは異なっていることに気付いた時、シュバルはより深い失意の底へと叩き落された。
「ラ、ラトラ……」
其処に居るのは、ラトラナンジェだ。月光のように白い髪、紅玉の瞳、天使の彫像の如き顔立ち――見紛う筈も無い。
けれど、だからこそ。シュバルはそれがラトラナンジェであることを受け入れられなかった。
「継ぎ目は雑だが防腐処理はしっかりしてある。腐ることは無いから、安心してくれ。この術式は、屍霊術師のお墨付きだ」
ラトラナンジェの体は、無数の継ぎ目があった。裁縫を始めたばかりの彼女が作ったハンカチのような、ざっくばらんとした縫い目。それが彼女の首に、腕に、脚に、胴に、頭に。
それで、理解させられた。ラトラナンジェが如何にして命を落としたのか。
「ああぁ……ああああああ!!」
全身をバラバラに切り裂かれた後、ラトラナンジェの遺骸はヒルシュヘルムの魔術によって縫合された。
死者の肉体を操る、屍霊術――かつて打ち倒した魔王軍の中に、そんな術の使い手が居た。若い娘に成り済まし、罠にかけようとしてきた卑劣な術士だった。
あの術を、ヒルシュヘルムも習得していたのか。
ふらふらと此方に歩み寄って来るラトラナンジェだったものの腹に刻まれた魔法陣を睨みながら、シュバルは歯を食い縛る。何処まで死者を冒涜すれば気が済むのか、何処まで己を嘲弄すれば満足するのかと。そんなシュバルの顔を見据え、ヒルシュヘルムは悲愴に眉を顰めた。
村人達を串刺しにして門前に並べたのも、ラトラナンジェの骸を屍霊人形にしたのも、ヒルシュヘルムにとっては善意だった。死体を分かり易く並べておけば、オロバスの人間が悉く死んでいる事を確認出来る。これで、誰か生きているかもという希望を抱かずに済む。
ラトラナンジェも絶命してしまったが、形だけでも彼女が残されていれば、シュバルの心も癒されるだろう。かつての己は、愛する人の体を抱き締めることすら叶わなかった。シュバルがその悲しみに拉がれることがないようにと、ヒルシュヘルムはラトラナンジェの屍を紡ぎ、肉が腐らぬよう魔法で防腐処理を施した。断じて、彼等の死と骸を弄んでいる訳ではないのだが、シュバルに言っても聞き入れてはもらえないのだろう。ヒルシュヘルムは憂いに眼を伏せると、依然轟々と燃え立つ村の方へと踵を返した。
「さらばだ、シュバル……。願わくば……私達が再び相見えることのないよう、祈っているよ」
「ま……待て!!」
酷く乾いた土を握り締めながら、シュバルは立ち上がり、背中の剣を抜いた。
かつて、魔王ヒルシュヘルムを斬り伏せることなく役目を終えた筈の聖剣――≪不退のヴィットーリア≫。その剣を彼が再び抜くことの意味を噛み締めながら、ヒルシュヘルムは振り向く。
白い光を湛え、皓々と煌めく剣は微かに震えている。それは躊躇でも恐怖でもなく、憤怒に因るものなのだろう。羽化する蝶の如く、体を内側から食い破って翅を広げんとする激しい怒り。自分にも、覚えがある。
嗚呼。今のシュバルはまるで、過去の己の生き写しのようだと、ヒルシュヘルムが悲嘆に暮れる中、シュバルは血が滲むほど強く握った剣の切っ先を、彼に向ける。
「何処へ行く気だ……ヒルシュヘルム……ッ!」
「次の村へ行く。此処の人間はもう、殺し尽くしてしまったからな」
「行かせる訳……ないだろうが!!」
これ以上、誰も死なせてなるものか。そんな勇者らしい言葉は、シュバルの何処にも転がっていなかった。今のシュバルの中にあるのは、ヒルシュヘルムへの殺意だけだ。
こいつは、こいつだけは生かしておけない。
心優しいオロバスの村人達を鏖殺し、愛するラトラナンジェを屠った、この魔物だけは!!
渾身の力を込めて、翳した剣を振り下ろす。数多の魔族の肉を裂き、骨を断ってきた聖剣は、未だかつてない程に強く輝き、眼前の邪を討たんと閃く――。
「やめてくれ、シュバル。私は……お前を殺したくはないんだ」




