第九話 そして、勇者は鏖した
巫女や僧侶は後方支援を主としている。ラトラナンジェも例に漏れず、一行の中では後衛で仲間の回復やアシストを担っていたが、彼女が使う聖魔法には強力なものが多かった。
女神レナトゥスの加護を大きく受けている事に加え、彼女自身、強い魔法の素質を生まれながらに有していた。それは、優れた才覚を持つ魔法使いが集う賢者の塔でも上位階を取れるだろうと、メルクリウスに言わしめる程のものだったが、ラトラナンジェは強い魔法を使いたがらなかった。
魔王軍との戦いでも、女神の白火のように命を奪う力の強い魔法を、彼女は厭い、出来る限り使わないようにしていた。
その手で、他者の命を奪った事が無い訳ではない。魔王軍と戦うと決めた時から、覚悟も決めている。それでもラトラナンジェは、必要以上に強い力を揮う事を厭んでいた。
それを己の弱さだと嘆きながら、女神に仕える者として忘れてはならない感情だと言ったラトラナンジェを、シュバルは心から貴いと、そう思っていた。
国を滅ぼされて尚、怒りや憎悪からではなく、神聖王国の姫として、力を持つ者として、人々を救う為に戦う。ラトラナンジェのその高潔さが、シュバルは好きだった。――だのに。
「村人達は、女神の子守唄で眠らせておきましょう」
女神の子守唄は、ラトラナンジェが好んで使っていた魔法の一つだった。
この魔法は、聲に女神の加護を乗せ、魔力が届く範囲の対象を眠りに就かせるものだ。
本来の用途は、夜泣きの激しい赤子や痛みに魘される怪我人を眠らせる魔法だが、旅の中でラトラナンジェは、これを暴れる獣や、呪術や幻術で操られた人々を鎮圧する為に用いていた。
魔力消費が大きく、また、強大な魔力や魔法耐性、魔法返しの天与を持つ相手には効きが薄いのが難点で、魔王軍との戦いに於いて使われる事は殆ど無かったが、トラオベ村の住民達であれば難なく昏倒させられるだろう。
フェニチアを捕らえてしまえば、デュランハルトは無力化出来る。戦闘にならないのだから、魔力を消費しても問題は無いだろう。仮にデュランハルトが抵抗するとしても、今のラトラナンジェでは相手にならないので、同じ事だ。村全体に行き渡るだけの魔力を使って、全員眠らせてしまおうというレナトゥスの提案を、シュバルは無言で聞き入れていた。
「デュランハルトの手助けをされては厄介です。先に村へ向かい、村人達を眠らせ、フェニチアを捕らえてからデュランハルトの元へ向かいましょう」
デュランハルトを眠らせられたら一番楽だが、魔法が発動する直前に勘付かれて回避されるか、一瞬昏睡させられてそれで終いだ。その間隙を縫えるなら、人質を取るまでもなく勝てる。デュランハルトとシュバルには、それ程までに力の差があるのだ。
彼と共に旅をしてきたシュバルだからこそ、それを痛感している。だから、人質を取る事に抵抗を抱けど反対はしていないのだろうと思いながら、レナトゥスがラトラナンジェを迂回させ、トラオベ村に向かわせようとした、その時。
「……デュランハルトを殺した後、」
シュバルの声色が、いつもと違う事はすぐに分かった。
卑劣な術を用いる事に憤っているのでも、惑っているのでもない。自責の念に押し潰されているのとも違う。その声は、大義の在り処を確かめるように揺らぎ、震えていた。
「フェニチアやトラオベ村の住民は……どうすればいい」
「どう、と言うのは」
「デュランハルトを殺せば、フェニチアは当然、俺を恨むだろう……。生かしていたら……何かしらの形で復讐しようとする筈だ。そのフェニチアを殺せば、トラオベ村の奴らが俺を恨む。魔法を使ったら、秘匿の加護が薄れるから……村人達にも、俺達の正体が分かってしまう、だろ。だから……」
彼はまるで、それが正しい事なのだという免罪符を欲しているようだった。
其処には真っ当な理由と理屈がある。だから、仕方のない事なのだと言うような顔をして、シュバルは、笑った。
「…………殺さなきゃ、いけない、よな。眠ってる間に……全員……」
それは、必要な犠牲なのだ。再びヒルシュヘルムの元へ辿り着くまでの道行きの、妨げとなるやもしれぬのだから。
禍根の芽は、摘んでおくべきだ。
そうしなければならないのだろうと問うシュバルに、レナトゥスは言った。
「素晴らしい判断です、シュバル」
彼がただ、魔族を殺したいだけだと分かっていながら。




