第二話 女神は勇者に二つ目の贈り物を授けた
時は遡り、三日前。トラオベ村のある山の程近くにある森で、レナトゥスが呟いた。
「一番近くにいるのがデュランハルトというのは僥倖でした」
それが、シュバルの神経を逆撫でると思っていないのか。
己の失言にも、シュバルの形相にも気付いていないらしいレナトゥスは、淡々と語る。
「彼は戦士の村に伝わる戦具≪必殺の槍≫を持っています。目に映るものを必ず貫くあの槍ならば、魔道士のメルクリウス、召喚士のアステリオとも渡り合う事が出来るでしょう」
「……あれは、戦士の村の誇りだ」
堪え兼ねて、シュバルが血声を絞り出す。その悲痛を極めた声を耳にして、流石のレナトゥスも自らの発言がシュバルを憤らせている事を察した。
「それを……仲間殺しの為の道具にしろって言うのか」
「……偽剣≪不堪のハミエ≫では、魔法や召喚獣には太刀打ち出来ません。あの剣に込められた程度の加護では、彼等に届かない……あの二人と戦うには≪必殺の槍≫が必要不可欠と言えるでしょう」
だがこれも、ヒルシュヘルムを斃すという悲願成就の為に必要な事なのだと、レナトゥスは言う。
分かっている。仲間の武器で仲間を殺せと言う女神の言葉の意図など、理解出来ている。それでも、これを僥倖と呼ぶのは余りに度し難いと切歯するシュバルに、レナトゥスは致し方ない事なのだと声に憂いを滲ませる。
「今の貴方ではデュランハルトと真正面から戦って勝つ事は非常に難しい……。デュランハルトが神具製造の件、及び指名手配の件を知らない今が絶好の機会なのです」
「…………」
「……教会が見えてきましたね」
泥濘む道を行くように足取りの重いシュバルの横で、ラトラナンジェが片腕を上げる。その指先は、森の中に建てられた小さな教会を示していた。
オロバスを発つ時、レナトゥスは言った。此処では祈りの力が足りない為、もう一つの贈り物はトラオベ近くの教会で渡す、と。これがその教会だ。
陽も傾き出した。今日はこのまま此処で夜を明かし、其処からトラオベ村への道を真っ直ぐ辿る事になる。
引き返すなら今だと言うように、木々がざわめく。此処で背を向けて、逃げ出す事が出来たら――そんな事を頭の端で考えながら、シュバルの足は前へ前へと進み続けた。
「まぁ、その意匠……貴方もまたレナトゥスの信徒なのですね」
「あぁ……彼女が女神に祈りを捧げる為、礼拝堂を貸りたいと言っているんだが……」
「構いません。どうか旅人様に、我等がレナトゥスの加護があらん事を……」
教会の扉を叩くと、初老の修道女に迎えられた。ラトラナンジェの衣服に施されたレナトゥスの紋章に気を良くしたのか、レナトゥス信徒が重んじる慈愛の心からか。修道女は二人を旅人用の客間まで案内した後、快く礼拝堂を開け放ってくれた。以前、此処に立ち寄った時のように……と、思い出して気が重くなったシュバルは、思わず外套の端を握り締めた。
そんな彼の心境も、彼が勇者シュバルである事も知る由の無い修道女は、祈りが終わったら呼んでくれと言って、夕飯の仕度に向かった。その真っ直ぐに伸びた背中を見送ると、ラトラナンジェはオロバスの時と同じように膝を突き、祈りの姿勢を取った。
間も無く、光の柱が現れる。天界の路を通して、レナトゥスは何を寄越して来るのかと扉に凭れるようにして佇んでいたシュバルに、ラトラナンジェは手の平ほどの大きさをした何かを持って来た。
「シュバル。此方が、私から貴方に授けるもう一つの贈り物です」
「…………これは?」
「≪金の匣≫です」
レナトゥスの聲に合わせ、ラトラナンジェが手渡して来たのは、金で出来た小さな匣だった。
匣の面には麦の冠で出来た意匠が施され、赤と緑の宝石が嵌め込まれている。この意匠は、蔵庫神ホレウムの紋章だ。
蔵庫神ホレウムは、蔵の守護と豊穣を司る古き神の一柱だ。その加護が失われてから長く、信仰もとうに廃れているが、未だ蔵の扉にホレウムの紋章を刻む風習が根付いたままの地域は多い。オロバスも、そうだった。
しかし、蔵と豊穣の神の意匠が施された物を、レナトゥスは一体何に使わせようと言うのか。訝るように≪金の匣≫を見遣るシュバルに、レナトゥスはその用途を口伝する。
「≪金の匣≫は言うなれば、携帯出来る蔵です。中に大きな物を収納し、持ち歩く事が出来ます。また、この中に入れた物は時間の干渉を受けない為、腐敗も劣化も心配無用です」
「…………」
「ラトラナンジェの故郷……神聖王国に着くまでの間、仲間達の遺体はこの中に入れてください。勿論、他の荷物も入れて構いませんが……」
腐敗という言葉が出た時から、そんな予感がしていた。シュバルはラトラナンジェの手から忌々しい物を取り上げるように≪金の匣≫を掴み取り、眉を顰めた。
「…………これが、あいつらの棺桶になるのか」
匣は金で出来ているとは思えない程に軽いのに、これが彼等の棺になると思った途端、酷く重く感じられた。
こんな物の中に彼等の骸を入れて、持ち歩いて、最後は魔王討伐の贄に捧げるなど。これが勇者の――いや、人の所業かとシュバルは自嘲するように小さく口角を上げ、すぐさま萎びた花のように項垂れた。
天窓から射し込む夕陽が、その惨め極まれる姿を照らす。燃え立つ炎に似たその色は、この最悪の旅の始まりを回顧させるようで、シュバルは踵を返し、礼拝堂を出た。
――あの日も、こんな風に逃げてしまえば良かった。
また、誰かにそう囁かれたような気がした。




