第六話 勇者は偽剣を手に取った
力づくで取り外した扉を軽々放り投げ、猪鼻族の男が嗤う。草葉の陰に潜む獲物を見付けた如き、その獰猛な眼と視線がかち合った瞬間。赤毛に覆われた太い腕が、シュバル目掛けて振り下ろされた。
「ッ!」
「おっとぉ! 素早い奴だなぁ!!」
反射的に体を前に転がし、猪鼻族の股下を潜り抜けたシュバルは、雑貨屋で購入した二束三文の剣に手を掛けながら、混迷する頭で思考した。
――見付かってしまった。
――小屋の中には未だ、ラトラナンジェも居る。
――最早、戦うしかない。
――今からでも、村人達を。
シュバルは柄を強く握り締め、鞘から剣を引き抜いた。否、引き抜こうとした。
「…………え」
剣は、其処から微動だにしなかった。まるで、鞘と一体化してしまったかのように。
体も思考も凍り付いたシュバルに、猪鼻族の男が再度襲い掛かる。叩き付けられる棍棒の一撃を、横に飛び退いて躱しながら、シュバルは再び剣を抜こうと試みるが、その刀身が姿を現す事は無かった。
剣は安物ではあったが、粗悪品では無かった。酷く錆付いている訳でも、呪われた物でもなかった。だのに何故――と、焦燥に眉を顰めた瞬間。シュバルの眼は小屋から出て裏手の林へ向かっていくラトラナンジェの姿を捉え、耳は無慈悲な女神の聲を拾った。
「……どうか恨んでください、シュバル」
「アン、タ……」
シュバルは悟った。剣が抜けなくなったのは、レナトゥスの仕業だ。
村人達を助けなければという想いがシュバルをこの場に止めているのなら、助ける術を取り上げてしまえばいい。剣が抜けなければ、戦えない。戦えなければ、逃げるしかない。誰の眼も届かない場所まで、逃げて、逃げて、逃げ続けるしかない。シュバルが選べる道を潰した上で、レナトゥスは追い討ちをかけるように、ラトラナンジェを森に向かって走らせた。
彼女の躯は、神具製造の為に必要だ。万が一の事があれば、取り返しの付かない事になる。それに、何より――シュバルは、ラトラナンジェを再び失いたくなかった。屍霊人形と化したその身を、何れ女神に捧げるとしても。今は、未だ。
(……愛する者が傍にいない悲しみは、とても堪え難いものだからな)
彼女を死に至らしめた男の言葉が胸に響いた瞬間。あの日オロバスを焼いた焔の如く赫々と燃え立つ憎悪に、シュバルは身を投じた。
自分は、殺さなければならないのだ。あの男を――魔王ヒルシュヘルムを、今度こそ。
「…………クソぉおおおおおッッ!!」
塗炭の苦しみに叫びながら、シュバルはラトラナンジェを追うように走り出した。背中にしがみ付く悔恨と罪咎を振り払うように、シュバルは駆ける。ひた駆ける。
「逃げたぞ!!」
「追え!! アイツも、ヒルシュヘルム様の貢物にするんだ!!」
吹き抜ける風の如く疾駆するその身を追って、猪鼻族の戦士達が数名、林の奥へと突き進む。
その巨躯から鈍重な印象を受けるが、猪鼻族は脚が速い。行く手を阻む物は屈強な体躯と堅固な牙で蹴散らし、真っ直ぐに猛進し、相手との距離を詰める。
先行していたラトラナンジェに追い付いたシュバルは、背後から迫り来る地響きめいた足音を聴きながら、レナトゥスに問い掛けた。
「どのくらい……どのくらい距離が開けば良い」
「……村人の中に、魔力感知に長けた者は見受けられませんでした。この辺りであれば、問題ありません」
「そうか……」
グラニ村はもう見えなくなっている。この程度距離があれば、村人達にシュバルの魔力は感じ取れない。猪鼻族も、魔力の扱いに長けた種族ではない。此処からシュバルの正体を察知出来る者は、あの中には居ないだろう。
「よぉやく諦めたかぁ」
「ひっひ。隠れんぼも下手なら、鬼ごっこも下手クソだなぁ」
踵を返し、ラトラナンジェを背に、再び剣を取る。
柄を握った瞬間から感じる、明確な手応え。今度こそ抜けるという実感と共に、シュバルは剣から、ただの店売り品には有り得ない力を感じた。
「シュバル……この剣には私の加護が授けてあります。微力ながら……貴方の助けになるでしょう」
「…………そうかよ」
誹るように吐き捨て、構える。
相手は、前方から二人。両脇から二人。まるで、新しい剣の試し斬りに使えと言うような布陣だと、シュバルは使い古された刃のような眼で、襲い来る猪鼻族達を見据えた。
「偽剣≪不堪のハミエ≫――抜刀」
レナトゥスの令達と共に、剣が解き放たれる。月光に似た白い光を帯びるその刃が、夜闇に閃いた刹那。シュバルに向かって斧を振り翳した猪鼻族の上半身が、ずる、と音を立てて崩れた。
「…………あぇ?」
べしゃっと地面に落ちた猪鼻族の頭を踏み締めて、シュバルが跳躍する。そして、瞬きの間に訪れた同胞の死を未だ理解出来ずにいる猪鼻族目掛け、シュバルは二撃目を振るう。口を開け、瞠目する猪鼻族の体が、縦に割れた。
「ああ……あ……うあああああ!!」
たった数秒で、二人殺された。小屋の中に隠れて、見付かるや否や林の中へと逃げ出した人間に、猪鼻族の戦士が一瞬で。
悪い夢でも見ているようだった。だが、鼻を衝く血の匂いが、脳に食い込むような恐怖が、これは紛れもなく現実であると告げる。眼前に迫り来る死の気配に慄きながら、それでも残る二人の猪鼻族は武器を構え、シュバルを見据え――そして、死んだ。
「ぎゃあああああああ!!」




