第五話 猪鼻族の戦士は村人に語った
すっと、人々の声が聴こえなくなった。まさか全員殺されてしまったのかと、シュバルは扉をほんの少し開けて、外の様子を窺った。
見れば、村の広場に縛り上げられた村人達が集められ、それを大柄な魔族の男達が取り囲んでいた。
「御機嫌よう、クソ人間共!! 俺は魔王軍猪鼻族戦士隊隊長、ハバリオ!! 此処から魔王城までの道中、一緒に旅をする仲だ。よろしく頼むぜ!!」
猪鼻族は、猪めいた鼻と大きな牙、毛皮のような赤毛が特徴の魔族だ。膂力に優れ、極太の脚と巨体から繰り出される突進は岩をも破壊する凄まじさを持ち、白兵戦に特化した魔族の一つである。グルニ村を襲ったのは、その猪鼻族で構成された戦士隊のようだ。
声高々に名乗った、ハバリオという一際大きな男がこの隊を率いているらしい。巨大な斧を肩に担ぎ、呵々と笑うその姿に、村人達は慄いていた。
「ま、魔王城……?」
「誉れ高くも、てめぇらは魔王ヒルシュヘルム様の城に招待される事になった! 大人しくしてれば、命は獲らねぇ。だが、一人でも抵抗すれば全員殺す!! 一人一人、丁寧にじっくりとな!!」
ハバリオ達が村を襲ったのは、殺戮ではなく乱獲が目的のようだった。
ヒルシュヘルムは予てより、各地で配下に人間を攫わせ、魔王城に運び込ませていた。目的は、虐殺だ。それ以上もそれ以下も無い。彼はただ、人間を殺したいから殺すのだ。より残酷に、より惨絶に、より凄烈に、その肉の一片までも殺し尽くす。その為だけに、彼は人間を城に集め、気の向くままに嬲り殺している。
ヒルシュヘルムが心を改めるまで、それは人間が憎いが故の行いであるとシュバルは思っていた。
だが、そうではなかった。ヒルシュヘルムにとって、人間を惨たらしく殺す事は、最早本能の一部にも等しかったのだ。物を喰らうように、肌を求めるように、人間を殺したい。だから殺すのだと、あの日ヒルシュヘルムが口にした言葉を思い出す。
そうこうしている間に、グルニの村人達は移送用の馬車へと押し込まれようとしていた。
「さぁ馬車に乗り込め!! もたもたする奴ぁ、腕もぎ取るぞ!!」
「そ、そんな……」
「俺達が一体、何したって言うんだ……」
「何をした、だぁ?」
「ひぃっ!」
絶望に拉がれ、嘆きの声を漏らした村人に、ハバリオが詰め寄る。その気迫に慄き縮こまった村人の体を、ハバリオは巨木のように太い脚で蹴り付けた。
「同じ事を言った俺達に、てめぇらはこう言ったよ!! お前らみたいな醜い化け物は、存在すること自体が罪だってなぁ!!」
「ひぐぅっ!!」
「ヒルシュヘルム様に助けていただくまで、俺達は家畜以下の扱いを受けてきた!! 死ぬまで働かされ!! 泥を喰わされ!! 徒に石と罵声を投げられた!! 醜い豚っ鼻の化け物には、それがお似合いだってなぁ!!」
かつて自分がそうされたように、ハバリオは村人の体を執拗に踏み付ける。
猪鼻族はその頑健さから、一部地方では奴隷として用いられていた。
人間は魔法仕掛けの首輪で彼等を支配し、農場や炭鉱、輸送船や戦場で、過酷な肉体労働を強いた。中には、剣奴として同胞と殺し合う事を強要される者や、悪趣味な金持ちの虐待用奴隷として飼われる者もいた。
何故、自分達が虐げられなければならないのか。嘆く猪鼻族達に、人間はこう言った。
お前達のような醜い化け物は、存在すること自体が罪なのだ。だからお前達は、虐げられて当然なのだ――と。
そう言って鞭を振るってきた買い主は、ヒルシュヘルムによって領地諸共焼かれて死んだ。
生きたまま身を焼かれ、死に至る寸前で治療魔法を掛けられ、また焼かれる。それを所持する魔族奴隷の数だけ繰り返された買い主の事を回顧しながら、ハバリオは村人の腹に足を振り下ろす。
「奴隷として虐げられていた俺達を救ってくださったヒルシュヘルム様は仰った……。真に醜い化け物とは、てめぇら人間の事だってなぁ!! あぁ、そうさ!! 存在すること自体が罪なのは!! 虐げられるべきは!! てめぇら人間なんだよォ!!」
「へぶっ」
「……っと、いけねぇ。ヒルシュヘルム様への貢物が減っちまった」
思わず足に力を込め過ぎたが為に、村人の骨と内臓が潰れてしまった。大量の血を吐いて、ぴくりとも動かなくなった男の骸を前に、ついやってしまったとハバリオが額を掻くと、猪鼻族の戦士達が溌剌とした笑顔で励ましてきた。
「なぁに、まだ村はありますよ隊長!!」
「そうそう! 魔王城に戻るまでに、たぁんと捕まえていきましょうぜ!」
「あ、そうだ! 馬車によりたくさん積み込めるよう、腕と脚をもいでいくのはどうでさぁ?!」
「そりゃあ名案だ!! ヒルシュヘルム様もきっとお喜びになられるぞ!!」
ハバリオ達にとって、ヒルシュヘルムは救世主だった。忌まわしき人間に血の報復を、魔族に自由と尊厳を与えた彼を、猪鼻族を始め多くの魔族が崇め、心酔している。彼こそが魔族の王。魔王、ヒルシュヘルムだと。
魔王軍の大半は、そういう魔族達で構成されている。故に彼等は、全てはヒルシュヘルムの為にと嬉々として人間を蹂躙するのだ。
「よし! そうと決まりゃぁ、早速やるぞーー!!」
「「おーーーーう!!」」
「いやあああああああ!!」
「やめてくれぇえ!!」
「あ゛ああああああああ!!」
「…………これでもまだ……俺に逃げろって言うのか……」
聞くに堪えない、痛ましい悲鳴が鼓膜を震わせる。
扉一枚隔てた向こうでは、グルニの村人達が四肢をもがれ、魔王城へ運ばれようとしている。このまま猪鼻族達の行いを無視する事が、本当に正しい事なのか。血が滲むほど拳を握り締め、深く項垂れるシュバルを心底哀れみながら、それでもレナトゥスは彼に逃げろと言った。
「……今は堪えるのです、シュバル」
レナトゥスとて、この惨劇には胸を痛めている。止められるものなら、即座に止めさせた。だが、一刻を争うのは神具製造だ。メルクリウス達が罪人として処され、骨も残さず焼かれてしまったら、シュバルはヒルシュヘルムと戦う術を失う。そうなる前に、シュバルは疾くかつての仲間達の元へ辿り着く必要がある。その為に、彼の居場所が人々に知られる事があってはならないのだ。
人として、勇者として戦いたい所だろうが、大局を見失ってはならないとレナトゥスはシュバルを制する。
「貴方が一刻も早く神具を揃え、ヒルシュヘルムを討つ事……それが、より多くの人々を救う事になるのです」
「だからって、見殺しにしていい筈がないだろ!!」
数の問題ではない。結果論で話していい事でもない。今此処に居るのは、生きた人間だ。彼等の命を、叫びを、痛みを必要な犠牲で済ませて、それで世界が救われるのだからと割り切る事が、どうして出来よう。
復讐の為にかつての仲間達をその手で屠ると決めて尚、シュバルは踏み切れなかった。
助けを求める人々の声に耳を塞ぎ、自分がいれば防げた筈の惨劇に眼を瞑る。善心の中で育まれ、正義の道で生きてきたシュバルにとって、それをヒルシュヘルム誅殺の為と正当化するには多くの葛藤と苦痛を伴った。
――あの男を殺す為に、あとどれだけ犠牲を強いればいいのか。
膝から崩れた体を震わせながら、シュバルが許しを乞う咎人のように頭を垂れたその時。小屋の扉がバキリと音を立てて外された。
「なんだぁ。まだ人間が残ってたのか」
「!!」




