第二話 勇者は故郷の村を出た
「これは……」
「私の髪を編んで造った衣服です」
レナトゥスの贈り物というのは、二人分の衣服だった。一つはシュバルの物。もう一つは、ラトラナンジェの物だ。
「この服を身に着けている間……人々は、貴方達が勇者シュバルとラトラナンジェ姫であると認識出来なくなる『秘匿の加護』を施しています。但し、貴方達と深い関わりを持つ者や、強い魔力を持つ者には効果が薄く、眼を合わせれば気付かれてしまう事があります。また、貴方の魔力が放出された時も加護の効果が薄くなりますので、戦闘になれば正体が明らかになってしまいます。此方も注意してください」
「……あぁ」
女神の髪で造られた服。即ちこれも神具であるが、加護の効果は然程大したものではないようだ。
便利な物には、違いない。身を隠して行動する際や、奇襲を仕掛けたい時にはもってこいだし、ラトラナンジェの服を買う必要も無くなった。近くの村に着くまで裸に外套姿で歩かせるというのは余りに不憫であったし、その点では非常に助かった。しかし、どうせ送るなら――いや、贅沢は言っていられない。間違いなく役に立つ代物ではあるのだし、女神の髪で造られているからには普通の衣服よりずっと頑丈に出来ているだろうと、シュバルは自分用の服を受け取った。
「もう一つ、貴方に渡したい物があるのですが……此処では祈りの力が足りません。トラオベの近くにも教会がありますので、其処でお渡しします。此方は、急を要する物でありませんので」
「…………分かった」
身に着けろと言われたからには、疾く着替えておくのが礼儀だろう。シュバルはラトラナンジェを茂みの向こうへ歩かせ、彼女の姿が見えなくなった所でレナトゥスから与えられた服に着替えた。
着替えを終えると、生前身に纏っていたそれと同じ服を着たラトラナンジェが戻って来た。白い布に金の装飾が施された修道服。同様の意匠で作られたミトラ帽。刺繍されたレナトゥスの紋章も、彼女が着ていた物と同じだ。
女神レナトゥスの紋章は、彼女の権能たる再生と創造を司る蛇と百合十字、天から地上を見通す「レナトゥスの眼」から成り立っている。ラトラナンジェの服にはレナトゥスを象徴するこれらの紋章が施されており、在りし日の彼女曰く、これらの紋章には女神の加護を増強する効果があるとの事だ。
この紋章は≪不退のヴィットーリア≫の刀身にも刻まれているのだが――そういえば、≪不跪のローデリカ≫にはレナトゥスの紋章が見られなかった。ヒルシュヘルムの手に渡った時点で、レナトゥスが加護を打ち切ったのか。見えない所に刻まれていたのか。はたまた、最初から存在していなかったのか。どうでもいい事か、とシュバルは忌々しい記憶を擂り潰すように切歯しながら、地面に降ろしていた鞄を担ぎ上げた。
いよいよ、出立の時だ。心から愛した故郷で過ごす時間も、これで最後になる。ヒルシュヘルムを討とうと、彼に敗れようと、もう二度とこの地に戻る事はないだろう。シュバルは、そう思っていた。
最早この世界の何処にも、自分が帰る場所は無い。平穏も安らぎも、それらを享受する権利も、この村と共に焼失したのだ。だから、オロバスの景色もこれで見納めだ。
何もかも焼けてしまったが、こうして村を一望していると、ありありと眼に浮かぶ。長閑なオロバスの風景も、農作業に勤しむ村人達の姿も、呑気に草を食む牧畜の声までも、今此処に在るかのように感じられる。煤けた風を浴びながら、暫しその場に佇んでいたシュバルは、やがて踵を返すと、オロバスに背を向けて歩き出した。
(いってらっしゃい、シュバル!)
(お前なら必ず、魔王を倒せる! 俺達は信じて待ってるからな!!)
いつか掛けられたその声援は、教会の柱が瓦解する音に飲まれて、消えた。




