第7話 一ノ瀬の担当教師たち
職員室。
一ノ瀬の担任である鈴木は考え事をしていた。いきなり転校が決まった一ノ瀬の事だった。
彼の家がかなり貧しいということは知っていた。今回の転校も何か訳があるのではないかと心配してしまったほどだ。
今ではある程度理由を聞かされた状態なので落ち着きを取り戻している。
そんな鈴木の元に一人の教師が近づいて来る。
「鈴木先生、一ノ瀬君の話聞きましたよ。転校するんですって?」
そう問いかけてきたのは数学の担当教師の渡邊だ。
「はい、いきなりのことで私も驚いているんですよ」
「私も驚いちゃいましたよ」
鈴木と渡邊の会話に一人の女性教師も加わる。国語の担当教師の斎藤だ。
「大丈夫なんですか?」
渡邊の問いかけは鈴木と同様、一ノ瀬の家が貧乏であることから来る心配だろう。
「はい、大丈夫みたいです」
「それならいいのですが……」
三人で会話をしているとさらに二人の教師が集まって来る。
「もしかして、一ノ瀬君の話ですか?」
英語の担当教師の篠原が問いかける。
「よく分りましたね。ちょうど一ノ瀬の話をしていたところです」
「私も一ノ瀬君の話をしようと思っていたところなんですよ」
隣では化学の担当教師の今村も頷いている。
鈴木は物理を担当していた。そのことを踏まえると、ここには一ノ瀬の授業を受け持っていた、すべての科目の教師たちが勢揃いしていることになる。
職員室でも、会議でもなんでもない状況でこれだけの教師が集まり、話をするのは珍しい。しかも、たった一人の生徒の事で集まっている。
一ノ瀬はかなり恵まれていたことがわかる。
「いきなり転校なんて聞いて驚いちゃいましたよ」
「本当ですよね」
どの教師も心配して集まってた。一ノ瀬の心配はいらないことがわかると、皆ホッとしたような表情になる。
話は続いて行く。
「それにしても転校先が桜聖学園だなんて……」
「こう言ってはあれなんですけど、彼とは無縁の学校だと思っていました」
「ははっ、私もですよ」
「まぁ、彼だけではなくこの学校にいるほとんどの生徒が無縁でしょうけど」
桜聖学園は学力だけではなく、家柄も必要となって来る。学力もかなりレベルが高い。日本を引っ張って行くような子供たちまでもが通っているのだから当然と言えるだろう。
「あそこの編入試験はかなり難しいと聞いたことがあるのですけど、一ノ瀬君はもう受けたんですか?」
「今週末に受けるようです」
「そうなのですか? てっきり私は、転校が決まっているから合格したのだと思っていました」
「どうせあいつなら受かりますよ」
担任の鈴木の言葉を聞いても誰も否定しない。それどころか一ノ瀬なら受かるだろうと確信めいたものまで感じる。
「たしかに彼なら問題ないでしょうね。もし落ちたのなら誰も受からないですよ」
大袈裟に言っているように聞こえるが、全く冗談ではない。
一ノ瀬は特進クラスの中でも頭ひとつ分――いや、二つ分は飛び抜けている。もしかしたらそれ以上かもしれない。
「彼の学力はかなりレベルが高いですものね。本人はあまり自覚していないようですけど」
一ノ瀬 雪哉は天才だ。努力型の天才だ。
もともと持って生まれた地頭の良さも勿論ある。だが、それ以上に彼の厳しい生活状況から、並の高校生以上の努力をしていることは明らかだった。
貧乏だったことの数少ない利点かもしれない。
「いやぁ、彼が転校してしまうのは、教師的にショックですね」
「どういう意味ですか?」
「彼に勉強を教えるのがすごく楽しいんですよ。びっくりするくらい吸収してくれますから」
他の教師たちも納得したような顔だ。
「かなりレベルが高い事でもどんどん吸収してくれるもんだから、楽しくなっちゃうんですよね」
教えることが嫌いな者は教師にならないだろう。
そんな彼らの前に、教えがいのある生徒がいたら面白くて仕方がないに決まっている。
「どこまで理解してくれるのか好奇心を刺激されて、ついつい教え過ぎてしまうんですよね」
「私もですよ」
「僕なんて、自腹で彼専用に教材を購入したりしちゃいましたよ」
「考えることは同じみたいですね」
全ての教師が同じようなことをしていた。これだけ手を尽くしてくれるのは一重に一ノ瀬の人柄だろう。
彼が努力をしていたのはここにいる教師全ての共通の認識だ。
しかも並の努力ではない。おまけにバイトまでしている。
少しでも力になりたいと思うのは自然なことだった。
家が貧乏であることを知っていたから、教材くらいなら買ってやる! という教師がほとんどだった。
一ノ瀬は教師に恵まれた生徒だった。
「少しやり過ぎてしまったかもしれないと、少し反省しているんです」
「と、言いますと?」
「実はすでに高校三年間の勉強を教えてしまったんですよね。ものによっては大学の知識なんかを混ぜたりして……」
「はは、自分もですよ。一ノ瀬君の頭の回転の速さは凄まじいですよね」
担当外の科目の進捗状況は、それぞれ知らなかったが、自分だけではなく他の教師も自分と同じことをやっていたみたいなのだと知って驚く反面、納得をしている。
「あれだけ勉強が出来ても、鼻にかけないですよね。そう言った彼の性格の良さが人望に繋がっているんでしょうね」
「そうですね……」
担任の鈴木は、この中で一番一ノ瀬のことを見てきたからこそ、しみじみ思う。
「彼には転校先でも頑張って貰いたいですね……おっと、話し過ぎてしまいました。これから部活の方に顔を出さないといけないので、私はこれで」
他の教師たちもそれぞれやるべきことへと動き出す。
残された鈴木は一ノ瀬のことを想いながら、転校手続きを始めた。