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後編 怪異

 明斗の見つめる先に視線を向けると、僕は言葉を失ってしまった。


 理科準備室の扉が勝手に開いていくのだ。


教室内に風の流れは感じられず、風によるものだとは考えられなかった。


 僕はその光景に柵のない高所から、遥か下界を見下ろしたような恐怖を覚え、懐中電灯を持つ手や足が震える。


 三人が手に持っていた懐中電灯が点滅し、やがて消えてしまう。すると、張り詰めた無音の空間にコツ、コツという足音だけが聞こえて来た。

 それは理科準備室から近づいて来ているようでーー。


「逃げるぞ!」


 突然、明斗が僕と雪の腕を掴むと、出口の方に引っ張っていく。僕は出口の扉を勢いよく開け放ち、明斗の手が離れた腕を全力で振って廊下を駆ける。

 走っている内に懐中電灯がパチパチと点滅してから点灯した。


「走れ! 絶対に捕まるなよ!」


 明斗がよく通る声で背後から叫ぶ。

 僕は振り返らず、額の汗を拭いながら必死に廊下を駆け抜けていく。


 廊下に三つの足音が鳴る。

 コツ、コツ、コツコツコツ……。

 次第にヒールの足音はテンポを上げ、どんどん迫って来ているようだった。


 やばいやばい、このままじゃ追いつかれる!


「ねぇ、あれ見て!」


 横を走る雪が前方を指さす。そこに目をやると、教室名の書かれた木の札が下がっていた。


「ーーっ⁉︎」


 それを見た瞬間、一瞬喉が詰まる。

 そこには理科室という文字が書かれていたのだ。


 だが、そんな事にはかまってはいられない。理科室のある角を曲がると、その先は渡り廊下だった。


 月明かりの差し込む渡り廊下を駆け抜けると、事務室のある曲がり角が見えてくる。

 その曲がり角を通過すると、廊下の先にある昇降口を視界に捉える。


 よし、もう少しで出られる……!


 昇降口まで最後の直線を突っ走ろうとした刹那、昇降口の方から謎の音が響いてきた。


 ーーカランコロンカランコロン……。


 これは……下駄の音?


 その足音の主は駆け足でこちらに向かってきているようで。

 音の正体を理解した途端、体が強張り、その場から動けなくなってしまった。


 前からも後ろからも足音がみるみる近づいて来る。


 思考が真っ白になり、何の音も聞こえなくなる。

 しかし、すぐに僕はハッと気がつくと、周囲を見渡して事務室を見つける。


 カッと目を見開き微動だにしない雪の手首を掴むと、事務室の扉を開けて中に飛び込む。

 扉をきちっと閉めると、息を整えながら廊下からは見えない位置に座り込んだ。


 足音が近づいて来るにつれて、心臓の鼓動が大きくなっていく。


 ーー来るな来るな。


 そう心の中で何度も唱える。呼吸をするのさえ忘れて足音に耳を傾けていた。


 ヒールと下駄の足音は事務室の前で交差すると、少しずつ音が小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。


「ふぅーー」


 僕は大きく溜息を吐くと雪の方を見る。雪もほっとしたような表情を浮かべた。


「なんとか助かったみたいだな」

「そうみたい」


 雪は窓に近づくと、頭だけを出して廊下を見澄ます。

 僕は緊張の抜けた状態で廊下とは反対の窓をぼうっと見つめる。

 いつの間にか月が顔を出していた。


 室内を見渡すと幾つかの机と椅子、それと、花瓶が一つ机の上置かれているだけだった。

 僕は閑散とした室内をボーと見ていると、とんでもない事に気が付いた。


 ……あれ、明斗は?


 周りを見回すが、明斗の姿がない。


 さっきまで確かにいたはず……。


 先程までの事を順々に思い出してみるが、一体どこではぐれたのか見当がつかない。


 次第に焦燥感が心を埋め尽くしていく。

 とりあえず、冷静にならないと。

 一度大きく深呼吸をすると、雪と向かい合い。


「雪、明斗見なかった?」


 と、訊いてみた。すると雪は。

 


「えっ、えっと……誰?」



 雪はキョトンとした表情で首を傾げる。


「え……?」


 僕は思わず間の抜けた声を出してしまった。


「明斗見なかった?」


 もう一度、ゆっくりと丁寧に声に出して訊いてみる。


「私、あきと君のこと知らない」


 雪がサラッとそんな事を言い切る。

 僕は雪の目を見たまま一瞬思考が停止した。やがて、僕は絞り出すように。


「本当に知らないの?」


 雪は訝しげな表情を浮かべて。


「うん、そんな人クラスにもいないよ」


 それはまるで明斗が最初から存在していなかったかのような口ぶりだった。でも、その言葉は嘘とは思えなくて。


「……一体、どうなっているんだ?」


 ガッシャーン!


 熟考しようと頭を両手で抱えた瞬間、大きな音が鳴り響く。


「「っ!」」


 心臓が跳ね上がり、全身に鳥肌が広がる。

 突然、机の上に置かれた花瓶が砕け散ったのだ。


「なっ何?」


「花瓶が、勝手に割れた……?」


 僕は先程よりもひどく不穏な空気を感じてバラバラになった花瓶をじっと凝視する。


「何あれ……」


 雪が小さく震えた声を漏らす。

 黒いもやのようなものが割れた花瓶から滲み出てきて大蛇のようになり、机の合間を縫うように少しずつ少しずつこちらに迫ってくる。


 僕の体は金縛にあったように硬直し、目線すらも黒いもやから外すことができなくなってしまった。


 月明かりに浮かび上がる黒いもやはもうすぐそばまで接近して来ている。


 ああ、早く逃げないと。そう思っていても、体を全く動かす事ができない。


 黒いモヤは僕たちとの距離をどんどん詰めていく。


「!」


 卒然、雪が僕の手首を掴むと出口の方へと引っ張る。いつの間にか金縛は解けていた。

 僕が立ち上がると雪は掴んでいた手の力を緩め、そして離した。


「大丈夫なの?」


「……ああ、もう大丈夫」


 心配そうに見つめる雪にそう答えると、事務室の扉を開けて廊下に出る。


「さっさと外に出よう」


 僕と雪は廊下を進んでいく。


 走りながら明斗の事を考えたが、どこではぐれたのかも分からず、ここは心霊マニアの彼を信じる事にした。雪の言葉は気がかりだが……多分、怪現象に遭遇したショックか何かだろう。きっとすぐに治ると思う。


 廊下にテンポの良い澄んだ足音が鳴る。


「あと少しっ!」


 僕は昇降口を目に捉えると、足を速くする。

 昇降口をすり抜け、僕は魔界の外へと脱出した。


 空には星が煌めいていた。

 僕はそのままロータリーを突っ切って校門までやって来ると、立ち入り禁止の札がさがったロープを飛び越え、敷地外に出た。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 た、助かった……。


 僕は近くの塀に寄りかかると、息を整える。


「雪、大丈夫か?」


 その声に返事はない。


「雪……?」


 周りを見回すが、雪の姿がない。


「雪ー!」


 大声で呼び掛けるが、雪は姿を見せなかった。


 僕はスマホを持って来ている事に今さら気がついて、ポケットからスマホを取り出すと電話帳を開く。が。


「どう、して……?」


 電話帳から雪の番号も明斗の番号も綺麗さっぱり消えていた。確かに登録しておいたはずなのに。


 まずいな、二人の番号覚えて無い。


 二人の電話番号を知っていそうな人は……涼介がいたな。

 涼介は同級生で昔からの友人だ。雪や明斗とも仲がいいし、もしかしたら知っているかもしれない。


 僕は早速涼介に電話をかけ、状況を説明する。すると、電話の向こうから訳が分からないと言った声が返って来た。


「明斗と雪? そんな人知らないなあ、俺は」


 背筋がサーと冷たくなって、心臓が大きく波打つ。

 そんなはずはない。確かに明斗と雪はさっきまでいたのだ。今だって涼介と楽しそうに話す二人の姿が鮮明に思い出せる。


 しばらくすると、涼介が口を開いた。


「……ひょっとして、『廃校』に行ったのか?」


 僕は一拍置くと、「ああ、そうだけど……」と返答した。


「どうしてそんな所に行ったんだ!」


 突然、涼介の大きな声が耳をつんざく。


「ご、ごめん……」


 そう謝罪すると、涼介は一つため息を吐き、『廃校』の噂の詳細を教えてくれた。


 涼介によると、『廃校』に伝わる「物を動かしてはいけない」という噂は本当らしく、物を動かすとパラレルワールドに飛ばされてしまうらしい。


「という事は、誰かが物を動かしたという事?」


「そういう事になるな」


 涼介は続けて。


「動かした物が判れば元の世界に戻れる。何か思い出せるか?」


 僕は『廃校』で肝試しを始めてから今に至るまでの記憶を想起する。


「ーーああ、あれか」


 肝試しで動かした物は二つ。

 理科室の扉と事務室の扉。二つとも僕が開けっ放しにしたままだ。


「ありがとう、戻してくる」


 僕は通話終了ボタンを押してスマホをポケットにしまうと、再び魔界へと足を踏み入れた。


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