涙雨
真っ白な建物の中庭で「明日雨になあれ!」という少年の元気な声が響く。人間の子供がやる天気占いの儀式の一種だと聞いたことがあるが、あれは【雨】ではなく【天気】ではなかっただろうか?
うーむ、考えてもわからないから直接聞くか。
「少年よ」
「わぁ!ど、どうしたの?お姉さん」
「さっき少年がやっていた儀式、呪文を間違えていないか?」
「儀式っていうほどたいしたものじゃないよ?それに、僕は雨が降ってほしいんだ」
「ほう?ということは、君は雨が好きなのかな?」
「違うよ。だって雨はジメジメするから嫌い」
「ふむ、では明日雨が降るとなにかいいことがあるのか?」
「うーん。半分正解かな。あのね、飛行機雲が長く残ると次の日は雨が降るんだよ」
いったいどういう意味だ?まったく意味が分からない。
「僕ね、好きな子がいるんだ。でも、いじわるな悪魔がそのこのいのちをいっぱい食べちゃった。それで僕、悲しくて。それで泣いてたらもうひとり白い人が来て、そのこに魔法をかけてくれたの。」
魔法だと?ますます訳が分からない。
「タダで助けてあげるわけにはいかないけどって言って、あの子の命が飛行機雲みたいにすぐ消えちゃうから、あの子のそばに飛行機雲が出ている時間の分だけ、寿命を延ばす魔法をかけてくれたんだ。エンジェルズジョークって言ってた。
それでね、調べてみたら飛行機雲が長く出ると翌日は雨が降るっていうから、じゃあ逆もありなのかな?って」
「それで明日雨になあれ、か。健気なものだな。そんなにその子のことが大切なのかい?」
「うん!今は入院服しか着ちゃいけないんだけど、その入院服が真っ白だからまるで天使みたいで、それにとっても優しいんだ。自分が一番苦しいはずなのに毎日お見舞いに来る僕のことを心配してくれるんだ、勉強のこととか、友達のこととかいろいろね。それにそれに、笑った顔がとーってもかわいくてね、でも、入院してからあんまり笑ってくれなくなっちゃった。ぼく、あの子が笑ってくれるならなんだってするのになあ・・・」
「なんだって、か。その言葉に嘘はないか?その娘が幸せに暮らせるんだったらどんな犠牲も厭わないか?」
「うん。あの子は幸せであるべきなんだ。それを悪魔なんかにじゃまされちゃだめだもん」
「相分かった。では、其方の命を引き換えに彼女の寿命を本来のものへ戻そう。」
「僕の命を、ひきかえに。」
私の言葉をそのまま返す少年。やはり幼い少年には酷な話だったか。
「・・・うん。わかったよ。あの子が、笑顔になってくれるなら。」
驚いた。まだ十にも満たないような少年が、好いた者のためにここまでするのか。
『少年の命を引き換えに、少年の愛する娘の命を戻し給へ』
少女は少年の犠牲のもとに生き返り、少年が願った通りいつまでも笑顔で幸せに暮らしました。めでたしめでたし。これが物語ならばこんな風に締めくくられ、自己犠牲の尊さを教えるために使われていただろうな。
だが、私は神だぞ?誰かの犠牲のもとに成り立つ幸せなんて、本来幸せに暮らしていたはずの誰かが悲しむ『ハッピーエンド』なんてものは認めない。不幸になるのは悪役だけで十分だ。
さて、物思いにふけるのはやめてこんな苦い『ハッピーエンド』はさっさと終わらせてしまおう。…む?少年の魂の輝きはまだ失われていない。少女に命を分け与えてもなお命をつないでいられるほどの生命力が残っているのか。しかし人として生きるにはいささか少ないな。少女が笑顔で暮らせるようにするという約束なのだし、この若さで好いた相手のためにここまでの覚悟ができる少年をこのまま死なせては大きな損失だろう。
『勇敢な命に酬いを。魂に依り代を与え給へ』
これでよし。さあ、最後の仕上げだ。__神に祝福されて奇跡的によみがえるなんて素敵だろう?
消毒液の匂いが漂う無機質な部屋の中、白い服を着た少女が目を覚ます。
「___あれ、なんでこんなに体が軽いんだろ。もしかして、もう」
「言っておくが、そなたは死んでなどいないぞ?お前のことが大好きな少年が、そなたを助けたのだ。」
「嘘っ…その子の特徴とか教えていただけますかっ」
「背丈はそなたと同じくらいで、やさしい目をしておったな。そなたが幸せになれるように少年の命をそなたに移したのだぞ?」
「そん、な。彼がいるから私は幸せなのに。彼がいない世界なんて…」
「まあ早まるな。まったく、こんなことになるだろうと思ってここに残っていてよかったな。ほれ、いつまで眠っているとつもりだ?『目覚めよ』」
《ん…あれ、なんでこんなに視界が低いんだろ。それになんか、変?》
「うむ、ちゃんとできたようだな。では、これ以上いるのも野暮というもの。邪魔者、基邪魔神は退散するか。二人とも、もう面倒な奴らに目を付けられぬようにな」
『美しい魂を持つ人の子に、【 】の名のもとに祝福を』
途端、二人が光に包まれる。これで二人は本当に幸せなハッピーエンドを迎えられる筈。
二人の行く末も見守りたいところだが、私にも仕事があるしな。あの悪魔の阿呆を懲らしめたらいつも通りの日常に戻るとするか。
数年後、難病から奇跡の生還を果たした若い女性の天才医師が現れ、自分と同じ難病の子供たちを次々と救っていったそうだ。ところで、なぜ彼女はいつもぬいぐるみを大切そうに持ち歩いているのだろうか?