第83話 八極拳の一日体験
それは、シャオランの突然の一言から始まった。
「八極拳部作りたいなーって」
「待って待って待って」
1月が終わり、時期は2月初頭。
ここは日向たちが通う十字高等学校。昼休みの教室にて。
珍しく積極的な様子のシャオランを、日下部日向が諫める。
「いきなりどうしたのシャオラン。八極拳部って。つまり部活?」
「うん。日本の高校と言えば部活だから……」
「そりゃ日本の高校は部活動が盛んだけど……」
「中国では、部活ってほとんどないんだ。放課後にやるものと言えば勉強だけ。だから、せっかく日本に来たんだし、一度は部活を体験してみたいんだ。それで、ボクの得意な八極拳で部活が出来たらなって……」
「理由は分かったけど……うーん……」
日向は頭を抱える。
シャオランの気持ちも汲んであげたいところだが、自分たちにはマモノ討伐という使命がある。それを放って部活動に勤しむなど許されるのだろうか。
それに、よしんば許されたとして、八極拳に興味を示してくれる生徒がこの高校に何人いるのか。人数が集まらないことには、部活も同好会も作れない。
そのことを伝える勇気が日向には無い。
と、そこへ……。
「こーら、シャオシャオ。無理言って日向を困らせないの。部活なんか始めちゃったら、マモノ討伐できないじゃないの。それに、日本は中国と違うわ。八極拳なんて、興味を持つ生徒の方が圧倒的に少ないわよ」
シャオランの友人、リンファがやって来て、日向が言えなかったことを全て言ってのけた。
(よっしゃ、ナイスだリンファさん。シャオランには悪いけど……)
日向、心の中でリンファに頭を下げる。
「うーん、やっぱりダメかなぁ……」
「ダメよ。だから、八極拳部よりも八卦掌部を作るべきだわ。それならみんなの興味もバッチリ掴めるわよ」
(待ってなんでそんな話になってるの八卦掌ってアンタの拳法だろーが)
「む。遠回しに八極拳をディスったね? 外門頂肘いっとく?」
「ふーん! シャオシャオの短い肘なんて、しっかり気を付ければ当たらないもんねー! 避けたところを双掌打で吹っ飛ばしてやるんだから!」
「お、やる気だね? また一撃で沈めてあげるよ?」
(やめて暴れないで俺を巻き込まないで外行って外)
シャオランとリンファ、二人の間で火花が散らされる。
その二人に挟まれながら、日向は事の行く末をソワソワと見守る。
と、そこへ……。
「じゃあさ、私たち四人で八極拳部やってみる? 今日だけでも」
そう言って三人のもとへやって来たのは北園良乃だ。
「あ、北園さん。さっき言ったのって……?」
「やっほー、日向くん。言った通りの意味だよ。毎日はちょっと無理かもだけれど、今日一日くらいならシャオランくんの望み通り、ここにいる私たち四人で八極拳部をやってあげられるんじゃないかなーって」
「あら、それ良いかもね。私もシャオシャオ対策に、一度八極拳を自分で習ってみるのも良さそうだし、四人も集まれば同好会くらいにはなるんじゃない?」
リンファは意外と乗り気である。
先の発言も、いつものようにシャオランを挑発しただけなのだろう。
「でしょでしょ? 日向くんはどう? シャオランくん、せっかく日本に来たんだし、やりたいことはやらせてあげようよ」
「まぁ、その気持ちについては俺も大賛成だけど。……どうかなシャオラン?」
日向がシャオランに尋ねると、シャオランは瞳をキラキラと輝かせている。どうやら聞くまでもなさそうだ。
◆ ◆ ◆
シャオランの望みを叶えるため、きょう一日「八極拳部」として過ごすことになった日向、北園、そしてリンファ。
放課後、四人は校庭の片隅に集まり、さっそく活動を開始する。
現在、シャオランが三人に、八極拳の肘について説明しているところだ。
「えーと、ではまず。八極拳って『肘で相手を打つ拳法』って思われることが多いけど、実際には『肘で体当たりするような拳法』なんだよね。体当たりだから、相手に与える衝撃も大きい」
「ほー、なるほど……」
「確かにそんな感じよねー、シャオランの肘。当たったら意味が分からないくらい吹っ飛ばされるんだもん」
格闘ゲームも嗜む日向と、シャオラン対策に燃えるリンファは、割としっかりシャオランの話を聞いている。
提案者の北園は、もうあまり話についていけていない。
もともと彼女に拳法への関心は無い。
「せっかくだから、実際に見せてみようか。ヒューガ、お願いしていい?」
「あ、俺? 俺はてっきりリンファさんにお願いするものかと」
「い、いや~、私はちょっといいかな……。せっかくだから日向も食らってみなさいよ、シャオシャオの肘。いい経験になるわよ」
そう言うリンファの顔は、やや引きつっているように見える。
多少、嫌な予感を胸に抱きつつ、日向はシャオランの前に立つ。
「さぁて、本場、中国の八極拳の肘、どれほどのものか」
「じゃあ、さっそく裡門頂肘をやってみるね。……と言っても、軽くやるから安心してね。まず右足を踏み出して、震脚を踏んで……」
シャオランが日向の足元へズン、と踏み込む。
傍にいる日向にも、その震動が伝わってくるかのようだ。
「え、ちょっと待って本当に軽くなんだよね?」
「そして、下から肘でアッパーをするように、相手の身体に押し当てる、と……」
宣言通り、シャオランは自身の右肘を軽く日向に押し当てる。
身体を少し傾けて、体重を僅かにかけながら、肘で日向の胸板をトン、と押す。
「どぅはっ!?」
だがそれだけで、日向は後方へ派手に吹っ飛んだ。思いっきり仰け反り、それだけでは止まらず、地面に倒れ込みひっくり返った。倒れた日向はゴホゴホと咳き込んでいる。
「あわわわわ、大丈夫、ヒューガ? ちょっと強かったかな……?」
「し……正直、大丈夫じゃない……。”再生の炎”が働く一歩手前まできてる……」
「ご、ゴメンね? 一割くらいの力で打ったんだけど、まだちょっと強かったみたい……」
「い、一割!? あれが!?」
日向は驚きのあまり声を上げる。
そんな日向に、横からリンファが声をかけてくる。
「しかも何が恐ろしいって、今のシャオシャオは別に『地の練気法』は使ってないのよ」
「中国人やべぇ……」
マモノにも通用するシャオランの八極拳の威力は、伊達ではないようだ。
普段から鍛えている、という言の通り、シャオランは『地の練気法』無しでもかなり強い。
(あれが一割なら、全力の一撃を受けるとどうなってしまうんだ……)
◆ ◆ ◆
その後、三人はシャオランに教えてもらいながら、八極拳の技を習う。
あっという間に日が暮れて、そろそろ帰らなければならない時間となった。
「じゃあ、今日はここまでにしよっか。みんな、ありがとう、お疲れ様!」
「お疲れー。ふー、疲れた」
「お疲れ様! 楽しかったよ! あまりよく分からなかったけど!」
「お疲れ様。んー、八卦掌より単調そうに見えて、意外と動きに細かい工夫がいるのね、八極拳って」
それぞれが思い思いの感想を口にする。
そんな中、日向がシャオランに声をかける。
「それにしてもシャオラン、よくあれだけの技とか動きをしっかり覚えてるよな。ぶっちゃけ、震脚とかやる前に普通に殴った方が早くない?」
「ははは……気持ちは分かるけどそんなことはないんだよ、ヒューガ。武術というのは一つの科学、あるいは数式みたいなもので、その動き一つ一つに意味があるんだ。それらを完璧にこなして、初めて武術は真の威力を発揮するんだよ」
「へぇー、結構奥が深いんだな……」
「あ、良ければもうちょっと教えようか? ヒューガ、中々筋が良さそうだし……」
「んー、気持ちは嬉しいけど、遠慮しておこうかなぁ……。今日はもうゆっくり休みたい。それに、俺が『筋が良い』なんて何かの間違いだよ、シャオラン。あれだよ、ちょっと格闘ゲームで八極拳を見たことあるから、北園さんとかより動きが良さそうに見えるだけだよ」
「そんなことはないと思うけどなぁ……」
「いや、あると思うな俺は。……でも、お世辞でもそう言ってくれるのは嬉しいよシャオラン。ありがとな」
「うん、どういたしまして。ボクこそ改めて、今日は付き合ってくれてありがとう!」
シャオランの爽やかな笑顔を、日向は真っ直ぐ受け止める。
引っ込み思案な彼だが、日向たちともだいぶ打ち解けてきた。
その証拠に、今では時々、こうやって屈託のない笑顔を見せてくれるようになったのだから。
だが、後に日向は後悔することになる。
今日だけでも、もう少しシャオランの八極拳を学んでおけばよかった、と。




