第9話 アイスベアー
突如、日向と北園の目の前に現れた巨大な白熊。
白熊は立ち上がり、二人に向かって牙を剥き、吠えた。
直立した白熊の背丈は驚くほど高い。3メートル近くあるのではないだろうか。その巨体と恐るべき雄たけびを受け、恐怖で身体が震えそうになる。
「日向くん、退いて!」
日向が振り向くと、北園が火球を生み出していた。
それも、今までで一番大きく、パワーのありそうなものを。
「これは、相当離れないとヤバイかも……!」
日向は、北園に向かって走り出す。
火球の爆撃範囲内から逃れるために。
「グオオオッ!!」
白熊も日向を狙って動き出す。
それと同時に、北園が白熊に向かって特大の火球を放った。
火球は日向の横を通り抜け、見事白熊に命中。
大爆炎と共に、周囲の木々よりさらに高い火柱が上がった。
「やった、命中!」
「あれは……骨も残らないんじゃないかな……?」
そう思えるほどの熱量と爆炎だった。
しかし、燃え盛る炎の中、白熊は二足で直立して二人を睨みつけていた。
「グウオオオオ……」
「嘘でしょ!? 今ので死なないなんて……!?」
「だけど、効いていないってわけじゃなさそうだ!」
白熊の身体はあちこちが焼け焦げ、傷ついている。
心なしか、呼吸も荒い。
それでも白熊は、堂々とした様子でこちらに近づいてくる。
「くそ、何とか俺が前に出て、北園さんに近づけさせないよう注意を引かないと……」
日向は白熊に向かって構える。
白熊は腕から爪先にかけて力を滾らせ、日向を睨みつける。
……と、白熊の両腕から白いモヤのようなものが噴き出てきた。
「……あれは、冷気か?」
冷気をまとう白熊の両腕が、パキパキと凍り付いていく。
そしてたちまち、白熊の両腕に巨大な氷の爪が出来上がった!
「なっ!?」
「何あれ!?」
「グオアアアアアッ!!」
白熊が氷の爪を振るう。
恐ろしい風切り音を上げながら、二人目掛けて飛んでくる。
「危ないっ!!」
「ひゃっ……」
北園の頭を右手で下げながら、日向も身をかがめる。
鋭い氷の爪が、音を上げて二人の頭上をかすめる。
後ろに立っていた木が、いとも容易くへし折られた。
「ひ、ひええ!? ひええええ!?」
「あわわ、あわわわわ……!」
氷爪の破壊力を目の当たりにし、二人はすっかりパニックになって、慌てて白熊から逃げ惑う。
白熊はその様子を見て、日向にターゲットを絞った。
再び白熊が氷の爪を振り回す。
「こ、これは、防御なんて考えない方がいいな! こういう時は逆に背を見せるほうが危険だって何かで言ってた気がするし! 全部上手く避けないと……!」
恐怖で吐き気さえ感じるが、勇気をもって、日向は熊と対峙することにした。
「グオオオッ!!」
「うわっと……!?」
白熊が氷の爪を振るう。
腕の下を掻い潜って、それを避ける。
今度は逆の爪を振り上げる。
それに当たらないように、熊の背後に回り込む。
爪が当たらない立ち位置をキープしつつ、日向は白熊の攻撃を避け続ける。
氷の爪は、振るわれるたびにブオン、ブオンと空気ごと切り裂くような音を立てるが、攻撃が非常に大振りであるため、運動神経の悪い日向でも多少は見切ることができる。
「それにしても、こいつ、明らかに普通の熊じゃないな……!」
氷の爪を生み出し振り回すのもそうだし、北園の大火球を受けても平気で動いているのがその証だ。
そう、それこそロールプレイングゲームで出てくる『モンスター』そのものだった。
「安直だけど、コイツの名前は、氷属性の熊だから『アイスベアー』ってところか!」
言いながら、日向は隙を突いてアイスベアーに斬りかかる。
「グギャアアアッ!?」
斬りつけられたアイスベアーは悲鳴を上げて、日向から距離を取った。忌々しそうに日向を睨みつけている。
(お、思ったより良い反応をしたな……意外と効いているのか? この剣が? あの図体にどれだけダメージを与えられるか心配だったけど……)
見ると、アイスベアーの後ろで再び北園が火球を生み出している。
この調子で戦えば、いけるかもしれない。
「グオオッ!」
そう思った矢先に、アイスベアーはいきなり北園の方に振り向き、足元を氷の爪で殴りつけた。瞬間、地面の上をツタのような氷が奔り、北園の足を捕えてしまった。
「え? え!? え!?」
いきなり足を凍らされ、慌てる北園。
その北園に向かって、アイスベアーが駆け出した。
「やばい……!」
日向は慌ててアイスベアーの後を追う。
北園は氷によって足と地面を縫い付けられて動けない。
このままでは北園が攻撃されてしまう。
それにしてもこのアイスベアー、先ほどからやること成すことがまるで異能力者だ。北園の超能力と大差ない芸当をやってのけている。
「こっち来ないで!」
そう叫んで、北園がアイスベアーに火球を放つ。
火球はアイスベアーに命中し、その歩みを止める。
「グウウウ……!?」
(よし、今だ! この隙に後ろから……!)
日向は剣を構え、アイスベアーの背中に剣を突き立てようとする。
その瞬間、アイスベアーが振り向きざまに氷爪を振るってきた!
「グオォ!!」
「うおぉ!?」
日向は慌てて後ろに跳び、蒼い氷爪を避ける。
しかし完全には避けきれず、腹にかすってしまった。
「日向くん! 大丈夫!?」
「あぁ、ちょっとかすっただ……け……あれ……?」
不意に日向の視界がブレる。
脚に力が入らなくなり、気分が悪くなる。
腹がチリチリと痛み出す。
見ると、腹部から大量の血が出ていた。
服が真っ赤に染まっている。
「え、なんだ、これ……」
アイスベアーの爪は、確かに日向の腹をかすめるだけに終わった。
しかし、かすめただけでもこれほどの傷を与える切れ味を、アイスベアーの爪は持っていたのだ。
日向は膝をつき、次いで両手をつき、そして地面に倒れた。
傷の痛みが大きくなり、呼吸が荒れてくる。
「うぐ……げほ……」
「日向くん! しっかりして! 後で治癒能力をかけるから、何とか頑張って!」
北園の声が随分と遠くに聞こえる。
頭がボーっとして、何も考えられなくなる。
(ぐ……冗談じゃない……俺はまだ死ねない……。とはいえ、俺はクソ雑魚ナメクジだから、きっとこれからの戦いの中で死んでしまうかもしれない。けど、この白熊のこととか、この剣のこととか、分からないことはたくさんある)
もう、僅かにでも気を抜いたら、日向の意識は消失するだろう。
死と生の境界線で右往左往しているような感覚だ。
(せめて、コイツらがいったい何なのかを知るまでは、死にたくない。何も知らないまま、巻き込まれた一般人みたいに死ぬのは勘弁だ……!)
だんだんと身体に力が入らなくなってくる。
それでも日向は生きようと、まさしく必死に身体を起こそうとする。
腹の傷が、少しずつ熱くなっていく気がした。
(……いや、熱い、実際熱いぞ……。何だこれ……)
アイスベアーに引き裂かれた傷が、どんどん熱を帯びてくる。
そして遂に、傷は炎を上げて燃え出した。
「う、うわああぁぁぁぁ!? あつ、熱い……!!」
「日向くん!? なに、何が起こってるの!?」
傷から噴き出す炎の熱さに耐え切れず、日向はのたうち回る。
アイスベアーはその隙を見逃さず、トドメを刺すべく爪を振り上げる。
「さ、させないよ!」
北園が両手から稲妻状のビームを放つ。
両手を合わせて放つ分、ビームも太く、強力だった。
「グウウウウウウウ……!」
電撃を受け、アイスベアーは遂に痙攣しながら地面に倒れる。
しかし、まだ息はあり、なおも立ち上がろうと身体を震わせていた。
「ま、まだ倒せないの……!?」
「いや、倒せるよ!」
そのアイスベアーの目の前に、日向が立っていた。
腹の傷などどこ吹く風、といった様子でだ。
「日向くん!? 怪我は!?」
叫ぶ北園に、日向は微笑を浮かべて応える。
剣の柄を両手で握りしめ、刃を下に、頭上へと掲げる。
「これで、終わりだああぁぁ!!」
「グギャアアアアアアア!?」
そしてアイスベアーの脳天に剣を突き刺し、その頭蓋を抉った。
アイスベアーは、遂に動かなくなった。
◆ ◆ ◆
「日向くん! 大丈夫!?」
「あぁ、何とか……」
疲れて倒れ込んでしまう日向に、北園が走り寄ってくる。
彼女も疲れているだろうに、自分のことは二の次という風に。
「とにかく傷を見せて! 治してあげるから!」
「えっと、それが、もう怪我が痛まないんだ……」
「そんなことあるわけないじゃない! ほら、良いから見せて!」
そう言うと、北園は日向の服をまくり上げ、腹の傷の具合を確かめる。
……だが、血こそ付着しているものの、日向の腹に傷は全く無かった。
「え? どういうこと? だって、さっきは確かに……」
「……なぁ、北園さん。俺、さっき見たんんだ……」
「見たって、何を……?」
「あの時、俺の傷が燃え出した時、燃えながら俺の傷が治っていったんだ……」
「な、何、それ……?」
よく見ると、日向が着ている服にも爪で引き裂かれた跡が無い。
血は付着しているが、傷も服もすっかり元通りになっていた。
(まさか、まさかとは思うが……)
日向は、自身の右手の爪で、自分の左腕を思いっきり引っ掻いた。
容赦なく引き裂いた皮膚は、ミミズ腫れになって血が滲む。
「痛って」
「ひ、日向くん? なにしてるの……?」
「まぁ見てて。俺の推測が正しければ、多分……」
すると、今しがたつけた左腕の傷がチリチリと火を噴き始めた。
「ぐ、熱つつつつ!?」
「ま、また燃えてる……」
たとえ小さな怪我だろうと、それを焼かれればひどい痛みを感じるものだ。日向は歯を食いしばって火の熱に耐える。
そして火が消えるころには、日向の左腕の傷は跡形も無く消えていた。
「あ……治ってる……?」
「やっぱり、治るのか……」
ともかく、これで確信が持てた。
どうやら日向の身体は、自動的に傷が治る身体になってしまったようだ。