第7話 雪降る山へ
朝が来た。冬休み一日目の朝だ。
普段の日向なら二度寝の誘惑に負けて再び眠っていただろう。しかし今日は、目が覚めるとすぐに洗面所に行き、鏡を覗いた。
「やっぱり、映ってない……」
目の前の鏡には誰も映っていない。
日向は、その鏡の前に立っているのに。
(昨日の夜、俺は自分が鏡に映らなくなっていることに気づいた。最初に気づいた時、驚きすぎて心臓が止まるかと思った。そして特に根拠も無く、寝れば治るのではないかと思い、昨日は早めに眠った。けど結果はコレだ)
今思えば、それは一種の現実逃避だったのかもしれない。
だが結局、一日眠ったところで状況は何も変わってはいない。
念のため、他の鏡や窓ガラスなどでも確認した。
しかし、やはり日向の姿は映らない。
「何が起こってるんだ? どうしてこうなった? 原因は一体何なんだ……?」
頭がパニックになる。
心臓の高鳴りが止まらない。
気を抜けば、身体中が一気に震え出しそうだ。
(いや、とにかく落ち着いて、一度冷静になって考えよう)
そう思い、日向は深呼吸をした。
(こうなったのは、まず間違いなく昨日の出来事の何かが関係しているはずだ。謎の剣を拾ったこと、自分の影(仮)に襲われたこと、白い狼に襲われたこと、北園さんの超能力を見たこと……怪しいのは、剣と、あの影かな……)
あの白い狼に「人を鏡に映らなくさせる力」とかがあるとは思えないし、北園がこんなことをするとも、日向には思えなかった。
消去法ではあるが、あの謎の剣か、自分の影(仮)か、どちらかが原因だと日向は見当をつけた。一体どういう仕組みで、何の目的があってこんなことをしたのかは皆目見当がつかないが。
その時、自分の部屋でスマホの着信音が鳴っていることに気づく。
「こんな朝から誰だろう? そもそも俺に電話してくる奴が珍しいんだけど……」
部屋に戻り、スマホの画面を確認してみる。
そこには「北園さん」の文字が表示されていた。
「北園さんからか……。昨日の今日で、一体何の用だろう?」
考えていても仕方ない。
日向は北園さんからの通話に出ることにした。
『あ、もしもし? 日向くん? おはよー』
「あぁ、おはよう。こんな朝からどうしたの?」
『えっとね、私、予知夢を見たの!』
なるほど、と日向は思った。
それで居ても立ってもいられなくなり、日向に電話をしてきたというところか。
「お、早速か。で、どんな内容だったの?」
『ええと、昨日、私と日向くんが出会った山の中で、白い狼が集まって、下の街を襲おうと計画している夢だったの』
「……それ、やばくないか? このまま放っておいたら……」
『うん。多分、日向くんのいる住宅街に下りてくると思うよ。だから、私と日向くんで狼を退治しよう!』
「そういう害獣駆除は、役所とかに任せた方がいいんじゃ……?」
『狼が街を襲う夢を見たから退治してくださいって言って、役所の人が信じてくれると思う?』
「俺が間違ってました」
『でしょ? だから私たちがやるしかないの。朝ごはん食べたらそっち行くね』
そう言うと、北園は電話を切った。
(昨日から思っていたけど、北園さんって結構、行動力と押しの強さは尋常じゃないな……。学校じゃここまで積極的な一面は見たことが無かったぞ。……あー、北園さんが家に来たら、俺が鏡に映らない件も一応聞いてみようか……)
もちろん、北園が原因であると疑っているわけではない。だが、状況が状況だ。どこに手がかりが転がっているかさえ予測できない。ならば、総当たりで行くしかない。ロールプレイングゲームの経験が活きたと、日向は満足げに頷く。
そして、ふと気づいた。
「……あれ? 昨日は確か、名字で呼ばれてなかったっけ?」
◆ ◆ ◆
時刻は午前10時。朝食を食べ終えた日向は、狼退治に向けて身支度を始める。
「とりあえず剣は持って行かないと。財布は……いいか。目的地は裏山だし、必要ないだろう。後はスマホとかも一応持っていきたいけど、使えそうな入れ物はあったかな?」
そんなことを考えていると、ピンポーン、と来客のベルが鳴る。恐らく北園だろう。
「はーい」という声と共に、日向の母が玄関に向かっていく足音が聞こえる。日向もそれを追って部屋を出る。
「初めまして! 日向くんの同級生の北園良乃っていいます!」
「あらあらあら、日向にこんな可愛いお友達がいたなんて。日向の母です。息子がいつもお世話になっております」
「いえいえー、日向くんとは昨日仲良くなったばかりで……」
「あら、そうなの?」
日向の母と北園が話をしている。
さっそく打ち解けてくれているようだ。
「あ、日向くん! おはよー!」
「おはよう、じゃあ早速行こうか」
「おぉ、やる気だねー。頼もしいなー」
「言うほど頼りにはならないと思うよ? まぁ、頑張るけども」
そんな調子で日向と北園がやり取りを交わしていると、日向の母が息子である日向に声をかけてきた。やたらとニヤニヤしながら。
「日向、この子は彼女さん?」
「ごっふ」
突然のキラークエスチョンが日向を襲った。
そりゃあ年頃の息子が同い年の女子を家に呼んだら、こう思われるのはむべなるかな。
「違うから。母さんには悪いけど違うから。彼女は昨日知り合ったばかりの、ただの友達だから」
いきなり彼女扱いされて北園さんは怒っていないだろうかと、日向は少し不安になる。しかし北園は特に気にしていない様子だった。日向は内心、ほっと胸を撫で下ろす。
「遊びに行くの? 今日は一日中家でゴロゴロするって言ってなかった?」
「予定が変わったんだよ。どれくらいで帰れるかは分からない」
「そうなの。お昼までに帰ってくるようなら、帰る時に電話ちょうだい。お昼ご飯作っといてあげるわよ」
「ありがと。じゃ、行ってきます」
そう言って、日向は北園を連れて家を出た。
ちなみに例の剣は布で包んで持ち出している。
傍から見ればかなり異質だが、日向の母は特に何も聞かなかった。
詮索は良くない、と思っているのだろう。
裏山の入り口は、家から目と鼻の先だ。
早速日向と北園は裏山を登っていく。
「今更だけど、北園さん、戦えるの? やっぱり超能力で?」
「そうだよー。私の本気の超能力、あんなもんじゃないんだから」
「そりゃ頼もしいことで。メイン火力は任せるよ」
「任されました! ……それにしても日向くんのお母さん、優しそうだったね」
「どうも。実際、本当に優しい母さんだと思うよ。自慢の母さんだよ」
「そっかぁ。……いいなぁ」
何やら向こうには複雑な事情がありそうだ、と日向は感じた。こういう時、日向も母親と同じく、余計な詮索を良しとしない性格だった。
今日の裏山は、そこそこ雪が積もっていた。
自宅周辺は雪など全く降っていなかったことに、日向は言い知れぬ違和感を覚える。
ふと北園を見ると、彼女は暖かそうなマフラーをしている。
顔がうずまるほどぐるぐるにマフラーを巻き、ボブヘアーはマフラーに乗っかりえんぺらとなっている。
着込んでいるコートも、彼女の華奢な体に対して随分と厚めだ。全体的にもこもこもっふりとしており、仮に今の北園を抱きしめたりしたら大層気持ち良いだろう。
(かわいい)
思いもよらずそんなことを考えてしまい、日向は頭を振って余計な思考を追い出した。気を取り直し、北園に話しかける。
「ええと、目的地は、昨日俺たちが出会った場所でいいんだよね?」
「うん。たぶんだけど、そこで合ってると思う」
「それならもうすぐ到着するよ。……ほら、着いた」
二人は山の中のひらけた場所に到着した。
昨日、日向が剣を拾い、謎の影と戦い、白い狼を倒し、北園と出会った場所だ。
周りを見ると、白い狼の死骸が消えている。
どこぞの動物が片付けたのだろうか。
辺りには何もない。どことなく寂しい雪景色が広がっている。
ふと、日向は思い出す。自分が鏡に映らなくなった件についてだ。
今なら聞けるかもしれない。
日向は北園に話しかける。
「なぁ、北園さん」
「……待って、日向くん」
「え?」
「ほら、狼たちが来たよ」
北園が目の前の茂みを指差す。
ガサガサと音を立てて、白い狼たちが現れた。