第53話 二人の師匠
日向たちと一通り話を終えると、狭山誠は仕事へと戻っていった。あとはしばらく自由時間、ということになったのだが。
「あらあら~、二人ともここにいたのね~」
向こうから、誰かがシャオランとリンファに声をかけ、駆け寄って来た。シャオランとリンファの二人は、弾かれたようにその声がした方向へと振り返る。
「あ、ミオンさん!」
「ぎゃあ!? し、師匠!?」
どうやら、声の主はシャオランとリンファの師のようだ。
それを聞いて、日向もピクリと反応する。
(シャオランの師匠……巨大な岩をも砕き、銃弾を弾き返し、手刀の風圧で果実を割るとかいう人外……)
シャオランから前評判を聞いていただけに、日向の中で緊張が高まる。はたして二人の師匠とは、どのような人物なのか。
世紀末覇者が来るか、地上最強のオーガが来るか、はたまた100パーセント中の100パーセント状態みたいな、鎧のような筋肉を纏った御仁が来るか、息を飲みながら日向が振り向くと……。
「あらこんにちわ~。あなたがマモノを退治してくれたっていう日本人さん? お若いのね~」
「……あれ? え? あれ?」
そこにいたのは、見目麗しい女性だった。
見た目の雰囲気は20代後半くらいに見える。身長は日向と同じくらいか。しかし、かなりの童顔であり、下手をすると日向と同年代にさえ見えてくる。
髪は砂色のふわふわロング。服装もまた砂色の布ローブで、紺色のレースを肩にかけている。また、なかなかに豊かな胸を持っているようで、開いた胸元から谷間が見えている。
つまるところ、まとめると、とても前評判に聞いた超人のようには見えない、柔らかな雰囲気の女性だった。
「遅いよ師匠! またバスの乗り換えに手こずってたんでしょ!?」
「そ、そんなことはぁ、ないわよぉ~?」
「目が泳いでますよミオンさん……」
「もうちょっと早く来てくれたら、ボクが頑張ることもなかったのに!」
「シャオランくん、頑張ってくれたのね~。えらいえらい」
「むー。頭を撫でないでよー。そんな子供っぽく扱われるから、リンファにシャオシャオって呼ばれちゃうんだよー」
「だってかわいいんだもん~」
リンファから『ミオン』と呼ばれた女性は、シャオランとリンファの二人と親しげに話している。やはり彼女がシャオランの師で間違いないようだ。
「あのー、シャオランのお師匠さんですか?」
「ええそうよ~。私のことは魅音って呼んでね~。あなたたちの活躍は、マモノ討伐チームの人たちから聞いたわよ~」
「……なぁシャオラン。本当にこの人がお前の師匠なの……?」
「間違いないよ……。ボクに地獄のような特訓を施した、諸悪の根源だよ……」
「あらら~。もしかして、信じてもらえてないのかしら」
「まぁその。もっととんでもない化け物みたいな人が来ると思ってたので」
「……うふふ。じゃあ、ちょっと証明しちゃおうかしら。シャオランくん、『地の練気法』を使って、思いっきり私を殴っちゃって~」
「え、いやちょっと、そこまでしなくても……」
「そ、そうだよ師匠。それに、そんなことしたら後が怖くて……」
「師匠命令よ~。さ、早く~」
「……ええーい、当たって砕けろーっ!」
「ちょ、シャオラン!?」
あのシャオランの一撃を生身で受けるなど、正気の沙汰ではない。ともかく日向は、シャオランを制止しようとする。
……しかし、日向が制止するより前に、シャオランはミオンの腹に、強烈な肘を打ち込んだ。ドスン、と肘が突き刺さる音が辺りに響く。
……だが、ミオンは直立不動のまま、シャオランの肘を腹で受け止めていた。
「……はぁ!?」
「くぅ……師匠の”地の気質”、堅すぎる……」
ミオンが使ったのは、どうやらシャオランと同じ『地の練気法』らしい。だが、ミオンに肘を打ち込んだシャオランの方が、逆にダメージを受けている。
「どう? 信じてもらえたかしら~?」
「あ、はい。間違いなくシャオランのお師匠さんです」
にこやかに問いかけてくるミオンに、日向は首を縦に振るしかなかった。
ちなみに、ミオンは武功寺にて門下生たちに様々な武術を教えているが、中でも『練気法』を教えているのはシャオランだけらしい。
これは、少し前にシャオランが言った通り、『練気法』という技術が非常に特殊で、習得には生まれ持った才能が必要だとされているためである。
そのため彼女の直弟子と呼べる存在はシャオランだけで、リンファにとってミオンは、八卦掌のさわりを教わった「師範」に当たる。
「……そうだ師匠! 師匠も何か言ってやってよぉ!」
「あらら? 何かあったのかしら~?」
「このままじゃボク、ニホンに連れて行かれちゃうんだよぉ!」
シャオランは、北園の予知夢によって日本に連れて行かれそうになっていることを話した。それを聞いたミオンは……。
「……あら、良いじゃな~い、日本留学! 楽しんできなさいな~」
「ちょっとおおおおおおおお!?」
大賛成だった。
シャオランは、ミオンに掴みかかる勢いで抗議する。
「あなたのご両親にも、私から説明してあげるから、行ってきなさいよ~」
「いやいやいや! なんで止めてくれないんだよぉぉ! ほら、このままだと師匠、ボクに会えなくなっちゃうよ!? いつもかわいいかわいいって言ってくれてるのに、それでも良いの!?」
「う~ん、それはちょっと寂しいけど、可愛い子には旅をさせよ、って言葉もあるものね~」
「それはニホンのコトワザでしょおお!? よそはよそ! ウチはウチ!」
「それに、武術というのはやはり、実戦でこそ鍛えられるものだからぁ、シャオランくんにとっては新しい練気法を身に付ける絶好の機会かもしれないわよ~」
「う、うぐぐ……でも……でもぉ……!」
「じゃあ最後の手段! 師匠命令よ~。ニホンに行って、彼らに協力してあげなさい~」
「ああああああああああ!? すぐそうやって師匠命令とか言ってー!! この鬼! 悪魔! 師匠!」
「うふふ~。誉めてくれて嬉しいわ~」
「誉めてなーい!!」
どうやらミオンは、シャオランを我が子のように溺愛しているようだ。
……その一方で。
本堂がミオンを、遠巻きにジーッと見つめていた。
ミオンの顔……というより、そのちょっと下を凝視しているように見える。
「……ふむ、なかなかに素晴らしいモノをお持ちで……」
「どうしたの? 本堂さん? あの人が気になるの?」
そんな本堂の様子を見て、北園が話しかけた。
「北園か。いや、気にしないでもらって構わない」
「うーん、気になるけど、本堂さんがそう言うなら」
結局、深くは追及せずに立ち去る北園。
しかし、北園が立ち去った後も、本堂はミオンを見つめていた。
「……シャオラン、羨ましいぞ」
そして、誰に聞かせるでもなく、本堂はそう呟いたのであった。
◆ ◆ ◆
――ボスマニッシュを倒して。
日影と出会って。
予知夢の五人が揃って。
狭山さんと出会って……。
――今日は、本当に色々なことがあった。
だが、とても大きな一歩になったと思う。
もはや一歩というか、十歩くらい行ったかもしれない。
大収穫だ。中国まで来た甲斐があったというものだ。
――しかし、新たな問題も浮上した。俺の余命についてだ。
あと一年余り。
それまでに日影を倒さなければ、俺は消滅する。
だが、日影との決着は後回しにしなければならない。
戦力的な意味でも、北園さんの予知夢の為にも。
現状、どうにもできないという事実が、重くのしかかる。
――だが、それはそれとして。
「うまぁい! これが本場の中華料理かぁ! 死ぬまで食えるぞこれ!」
「うわぁ、日向くんもうそんなに食べたの……?」
「日向お前、それほど食うのか。人は見かけによらんな」
日向たちは、武功寺ふもとの町を挙げての宴会に参加していた。
日向とシャオランがボスマニッシュを倒したことで皆のキノコ病が完治した、そのお祝いだ。
ちなみに、この町の人々は日向たちがボスマニッシュを倒したことを知っていた。狭山が言いふらしたらしい。
「どうせ公表するんだ。一般人に隠す必要は無い。今日くらい英雄気分を味わったらどうだい?」
……とのことだ。
もはや、彼はマモノの存在を公表することに開き直っている節がある。
で、一躍英雄となった日向たちは、こうして町の人たちからもてなされているというワケだ。町人たちは驚くほど気前よく、次々と料理を持ち寄ってくる。その結果、満漢全席もかくやというほどの料理が日向たちの前に積み上げられていた。
「むっしゃむっしゃ。お代わり!」
「ヒューガ、まだ食べるの……? ボクも一応鍛えてるし、結構食べるほうだと思ってたけど、これは負けるよ……。それだけ食べればボクも身長が伸びるかなぁ?」
「シャオシャオはどうせどれだけ食べてもシャオシャオよ」
「よし。リンファは後でボクと組み手ね」
シャオランとリンファのやり取りを後目に、日向はひたすら食べまくる。炒飯、回鍋肉、麻婆豆腐、肉まん、北京ダック、フカヒレ、おかゆ。変わったところではカエル料理などもある。その全てを手当たり次第に腹に詰め込む。
(ああ、おかげ様ですっかり腹十分目だ)
他を圧倒する食欲を見せる日向。
しかし、そんな彼に追従する人物が一人。
「うめぇ! 何だこれ! 知識としては持ってたけど、ちゃんとした料理ってこんなに美味いのか! クソ、今までの人生損してたぜ!」
彼は肉まんを手当たり次第に頬張り、麻婆豆腐を丸ごと口に流し込み、担々麺を束にして啜る。日向とほぼ遜色ないペースで、次々と料理を平らげていく。
日向に負けず劣らずの勢いで食べ続けているのは日影だ。日向の影であり、もう一人の日向でもある彼は、胃袋の大きさも日向と同じらしい。
「おう、美味いなこの麻婆豆腐! しばらくこいつを集中的にいただくか!」
「ヒカゲもすごい食べるね……。この町から食材が無くなっちゃうかもだよ」
「そいつはちょいと悪いな。少し抑えた方がいいか?」
「周りのみんなは『遠慮なんかするな』だって」
「そうかい! じゃあお言葉に甘えるぜ!」
シャオランの言葉を受け、日影がさらにペースをアップする。
まるで、胃の中が焼却炉にでもなっているかのように、次々と料理を口の中に放り込む。
そんな日影の様子を見ながら、本堂が質問を投げかけた。
「……しかし日影。今まで食事はどうしていた? それとも日向の影であるお前は、食事を必要としないのか?」
「うんにゃ。ちゃんと食ってたぜ。仕留めたマモノを剣で焼いてな」
「マモノを食ったのか。美味かったか?」
「いや全然。オレが食べた連中が特別ダメだったのか、マズイ奴らばかりだったよ」
答える日影。
そこに、狭山が横から入り込む。
「いや、自分が知る限り、マモノのほとんどは味がイマイチだったよ」
「アンタも食ったのかよ」
「まぁね。どうせなら倒したマモノを食用として利用することはできないか、という取り組みがあったのだけど、上手くいかなかったね。……ところで日影くん。素朴な疑問なんだけど、君はどうやって中国に?」
そこは確かに謎である。見たところ、日影は旅費もパスポートも持っているようには見えない。法の目を掻い潜って不法入国できるほど器用にも見えない。そもそも元が日向だ。裏にコネクションがあるワケもない。彼は、いったいどうやって中国までやって来たのか。
「あー、それな。結論から言うと、デカい鳥に連れ去られてきた」
「デカい鳥? マモノかい?」
「まぁ間違いなく。青い、大鷲みたいな鳥でな。オレが休んで眠っている時に、ヤツがオレを連れ去っちまったんだ。……この際だ。オレが辿ってきた道のりを教えておこうか」
日影の話をまとめると、こうだ。
まず日向と戦っている途中、白い狼のマモノ、「ユキオオカミ」を見つけた日影は、日向との戦いを邪魔されたことに怒り、標的をユキオオカミに変更。日向を置いてユキオオカミに襲い掛かったのはそういうワケだ。
ユキオオカミを退けた後、真っ黒だった日影は現在の、日向と瓜二つの外見になった。その時に言葉も喋れるようになったのだとか。
だがその後も、あの裏山に生息するマモノたちから街を守るため、裏山で人知れず戦ってきたらしい。
そして先の話のとおり、鳥のマモノに連れ去られたのが四日前、つまり12月30日だ。
「いやぁ、あの時は大変だったぜ。大規模なマモノの巣があってな。燃やして破壊しようと思ったら周りの木にも燃え移っちまった。おかげで山火事だ」
「ん? 山火事?」
日向が一瞬、固まった。
最近そんなワードを聞いたような気がする。
しばし考えて、そして……。
(……まぁいっか。こちらにはあまり関係ない話だったと思うし)
スルーすることを決めた。
と、ここで狭山のスマホが鳴る。着信のようだ。
「おっと、失礼。ちょっと出てくるよ」
そう言って席を立ち、電話に出る狭山。
他のみんなもあらかた食事を終え、思い思いに過ごしている。
一方、日向と日影は未だに料理に手を伸ばしている。
(こいつ、張り合ってるんじゃないだろうな?)
そう思う日向に、日影が声をかけてくる。
「おい日向。お前、オレと張り合ってんじゃないか? そんなに食ってると腹壊すぞ」
どうやらあっちも同じことを思ってたらしい。
「ご心配なく。胃袋の容量はお前と同じだ」
「へぇそうかい。せいぜい食い過ぎて豚にならないようにな?」
「言ってろこのヤロ」
「こらこら。二人ともケンカしーなーいーのー」
「うぐ……」
「む……」
北園の声を受け、ぴたりと言い争いを止める二人。
その時、電話に出ていた狭山が戻ってきた。
何やら神妙な面持ちだ。何かあったのだろうか。
狭山が口を開く。
「はは、どうやら自分たちは残業コースのようだ。……中国、峨眉山にて、『星の牙』の出現が確認された」




