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第462話 壁にぶち当たる

 十月半ば、金曜日。


 サンドバッグを叩く音が響く。三度、四度と断続的に。

 たとえ格闘技の素人であっても、この音を聞けば本気で攻撃を打ち込んでいることが分かるくらいに、打撃音が重々しい。


 ここはマモノ対策室十字市支部のトレーニングルーム。

 その片隅に設置されたサンドバッグを、日影が叩いている。

 現在の日影の表情は、まさしく「鬼気迫る」としか表現できない。

 額には相当な量の汗をかいており、彼の周りの床も汗で水浸しだ。


「は……っ! は……っ!」


 左右の拳のワンツーから、右のミドルキック。

 左ジャブ、右ストレート、左フックのコンビネーション。

 両拳を連続で打ち込んだ後、右脚の逆回し蹴り。

 日影の攻撃が打ち込まれるごとに、サンドバッグは痛烈な音を鳴らす。


「く……おあぁぁぁぁああッ!!」


 日影の攻撃のスピードが、さらに速くなる。

 とにかくがむしゃらに拳を振るい、蹴りを繰り出している様子だ。

 まるで、何かを振り払うかのように、ただ必死に。

 サンドバッグを鳴らす打撃音が止まらない。


「く……! はぁっ、はぁっ……」


 しばらくすると、日影の打撃が止まった。

 疲労困憊といった様子で、膝を曲げて項垂れている。

 無理もない。このサンドバッグ打ちの前にも、尋常ではない量のトレーニングをこなしている。


 サンドバッグには、少なくない量の血が付着している。日影が素手でこのサンドバッグを長時間殴り続けたため、拳が耐え切れなくなり、拳の皮が裂けて出血してしまったのだ。しかし、日影自身は”再生の炎”によって、既に拳は修復されてしまっている。


 ゼムリアに敗北してから数日、日影はずっとこんな調子だ。あれから三日ほど経つが、彼がまだあの日の敗北から立ち直ることができていないのは明らかである。


「はぁ……、はぁ……っ、るぁぁッ!!」


 しばらくすると、日影は再びサンドバッグを叩き始めた。

 身体は今にも倒れそうなくらい疲れているが、止まらない。

 震える身体に鞭を打って。

 歯を食いしばって疲労をごまかし。

 日影はサンドバッグを叩き続ける。


 と、その時だ。トレーニングルームのドアが開いた。

 次いで、コツ、コツ、と足音を立てて、誰かが日影に近づいてくる。


「……精が出るね、日影くん」


「…………狭山」


 やって来たのは、マモノ対策室の室長および、日影の保護者を務める狭山だった。その顔には微笑みを浮かべているが、どこか心配そうに日影を見つめている。


「朝起きてから、食事の時間以外はぶっ通し。もう8時間くらいになるかな。そんなオーバーワークを、あの日以来ずっと続けている。トレーニングに熱心なのは良いことだけど、過度な鍛錬は身体を壊してしまう。何事もほどほどが一番だよ」


「……問題ねぇよ。この身体は壊れたって再生するんだからな」


「しかしだね、それほど疲弊した身体でトレーニングを続けても、効果は半減するだけだよ。君の炎は、消耗した体力までは回復させてくれない」


「……だったら、どうしろってんだよッ!!」


 日影は狭山の方を見ずに、俯きながら叫んだ。

 その声は、怒号というより、もっと悲痛な感情が込められている。


「アイツの……ゼムリアの能力は、テメェにも話しただろ! 絶対零度の支配……あの能力がある限り、他の仲間たちと一緒に挑んだところで、挑む前に氷漬けだ! アイツとマトモに戦えるのは、『太陽の牙』の耐冷能力を持つオレか日向の野郎しかいねぇ!」


「……うん。そうだね」


「だが、日向の野郎にどれだけの戦力が期待できる? オレの攻撃だってほとんど避けられたんだ、日向の”紅炎奔流ヒートウェイブ”なんか、かすりもしねぇよ。ゼムリアは、オレがなんとかしねぇといけねぇんだ……!」


「うん……うん……」


「……オレは、今まで自分なりに頑張ってきたつもりだった。だがゼムリアには、手も足も出なかった。これじゃまだ足りねぇんだ……もっと強くならねぇと! だから、一分一秒だって無駄にしているヒマはねぇんだ!」


「その通りだ。でも、だからこそ、君は休むべきだ。一分一秒だって無駄にはできないのに、非効率的なトレーニングで時間を浪費する気かい?」


「く……それは……」


「休憩だって、大切なトレーニングの一つだと思うんだ。ほら、休憩もトレーニングなら、何の気兼ねも無く休めるだろう?」


「……分かったよ…………」


 そう言うと、日影はふらふらと壁の方に歩いていき、その壁に背中を預けながら座り込んでしまった。やはり相当疲れていたようで、口で大きく呼吸し、そのたびに肩を上下させている。


 そんな日影の隣に、狭山も座った。

 顔は合わせず、天井を見上げながら日影に語りかける。


「……君の焦りはもっともだ。特に君と日向くんにはタイムリミットがある。君たちが決戦の時までに使えるトレーニングの時間は、無限ではない」


「……そうなんだよ。オレと日向アイツの『太陽の牙』は、この星の力に対抗できる強力な武器だ。だが、オレと日向が決着を付けて、どちらかがどちらかを消せば、その『太陽の牙』の使い手が一人減ることになる……」


「エヴァ・アンダーソンの側近に過ぎないゼムリアが、あれほど恐るべき強さを持っていると判明した。そのゼムリアを従え、この星の力全てを取り込んでいるというエヴァは、理論上ならゼムリアを遥かに超える強敵ということになる」


「ああ……その通りだ……。アイツらを倒すために、何か対抗策はあるのかよ、狭山?」


「いや……今のところは何とも」


「そうかよ……。じゃあ今は、やっぱりオレが強くなるしかねぇか……。なぁ狭山、オレはどうすれば良いと思う? どうすれば、オレはもっと強くなれる?」


「それも併せて、考えておくよ。……おっと、そうだ。自分がここに来たのは、君に用事を伝えるためだった」


「用事?」


「うん。実は先ほど、十字市北部の沖合……つまり海にて、マモノの出現報告があった」


 狭山が説明を続ける。


 今回のマモノは、沖合に停泊していた漁船を襲撃。何らかの方法で漁船を撃沈してしまったのだという。その撃沈手段が、攻撃の形跡から察するに、恐らくは砲撃だと思われる。命からがら逃げ帰って来た漁船を調べてみると、船底に焦げ目がついた穴が開いていたのだ。


 マモノは常に海の中に潜んでおり、今のところ詳しい姿カタチは判明していない。先ほどの砲撃による攻撃も併せて、最初は日本と関係のよろしくない別国家による攻撃とも思われたが、衛星レーダーがマモノの反応を捉えたため、マモノの仕業だろうということになった。


 このマモノが出現している海域では、一週間ほど前から漁船の不審な襲撃事故が相次いでいた。五日前には行方不明者まで出てしまっている。マモノは巧妙に姿を隠していたが、このたび遂に存在を確認できたというワケだ。


「本来なら、海のマモノは海上自衛隊に任せているんだけどね。けれど、今回のマモノは未だに姿カタチが判明しておらず、謎が多い。訳も分からぬうちに攻撃されて、高価なイージス艦等が撃沈されたら目も当てられない。そこで、まずは自分たちが出撃し、軍用高速艇を用いて威力偵察、あわよくば討伐するという形になった」


「なるほど……。ところで、まさか全員で一艘いっそうずつ高速艇を運転するワケじゃねぇよな?」


「もちろん。自分が高速艇を運転し、皆は甲板で戦ってもらう予定だよ。皆にはすでに連絡し、自分が車で迎えに行きながら、港に向かう手筈になっている」


「了解だ。んじゃ、さっそく準備を……」


「いや、ここからが日影くんにとって本題なんだけれどね。今日は、君にはお留守番してもらおうかなと思ってる」


「……はぁ!?」


 思わず身体ごと向き直って、日影は狭山を問いただす。


「お前、そりゃどういうつもりだ!? オレは役立たずだってのか!?」


「そこまでは言わないよ。ただ、今回の戦いは、恐らく銃器などを用いての遠距離戦になる」


 敵は海に潜むマモノであり、きっと海から高速艇の甲板に上がってくるということも無いだろう。日影の『太陽の牙』は届かない。銃器を使おうにも、日影は射撃がひどく下手くそで、今回ばかりは戦力として期待できないと予想された。


 他の仲間たちを見ると、日向は銃器の扱いに長けるうえ、”紅炎奔流ヒートウェイブ”が使えるので遠距離攻撃の火力は申し分ない。戦力としては大いに期待できるだろう。本堂は”指電”などがあるし、北園は語るに及ばず。

 唯一、シャオランが遠距離攻撃の手段を持っていないが、仲間内でも随一のパワーを利用して重火器を担当してもらおうということになった。あとは、少しでも攻撃の手を稼ぐため、的井にも出てもらおうという話になっている。


「……君にこの話をしたら、間違いなく反発されると思ったんだけどね。とはいえ、何の話もせずにこっそり出発するワケにもいかないしね」


「シャオランまで連れて行くのに、オレは留守番かよ」


「まぁそこは、ある『危険性』を考慮してね」


「危険性、だ?」


「うん。……以前、日向くんが沼で溺れた時、自分たちが彼を引き上げるまで浮かんでこなかったのは覚えてるね?」


「まぁ……オレが沈めたしな」


「水の中で溺れたら、引き上げられるまで”再生の炎”が効かなくなる。君たちの再生能力の弱点の一つだ。もし君を今回の任務に連れて行って、しかし思うように活躍できず功を焦り、しびれを切らしてマモノを直接斬りつけるべく、海に向かって飛びこまれたりしたらと思うと、ね」


「ば、バカ言え! さすがのオレだってそこまではしねぇよ!」


「どうだろう。今の君の精神状態を見ると、やらないとは言い切れない。君もトレーニングの疲れとかあるだろうし、今回はゆっくり休んで……」


「……ちっ、じゃあ頼むよ狭山。オレも連れて行ってくれ」


 そう言って、日影が狭山に頭を下げた。

 普段の彼らしからぬ行動に、思わず狭山も口をつぐむ。


「実戦に勝る経験はぇ。ここでトレーニングを続けるより、どんな相手であれマモノと戦う方が有意義だ。お前、さっき言ってただろ。オレたちには時間が無いって。経験を積む貴重な機会を無駄にしたくねぇんだ」


「……参ったねぇ。そういうの、自分は弱いんだよねぇ……」


「じゃあ……」


「一つだけ約束してほしい。決して身の丈に余る無茶はしない、と」


「ああ、分かったぜ!」


 返事をすると、日影は準備のためにトレーニングルームを出ていった。

 その背中を、狭山は困り気味の笑顔で見送った。

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