第461話 絶対零度
「はぁ……ッ! はぁ……ッ! クソッ……んの野郎……!」
雪に包まれた空き地にて相対する日影とゼムリア。
空気中にはダイヤモンドダストが舞っている。
片膝をつきながら、日影が息を切らしている。
身体を包むオーバードライヴの炎が、少し弱まってきているか。
一方、日影の目の前の大狼ゼムリアは、息一つ切らさずに佇んでいる。
氷の装甲に包まれたその身体は、相変わらず傷一つ付いていない。
あれから日影は、全身を氷の鎧で包み込んだゼムリアと戦っていたが、全くダメージを与えることができない。何度かゼムリアに攻撃を当てることはできたものの、氷の鎧を破壊するだけに留まり、鎧の先のゼムリアの身体に刃が届かない。オマケに、破壊した氷はすぐさま修復されてしまう。
「どうしました? もう限界ですか?」
「うるせぇ……ナメんなって、言ってんだろが……ッ!!」
立ち上がり、日影がゼムリアに斬りかかる。
その勢いは、先ほどまで息を切らしていたとは思えないくらい速い。
振り下ろされた日影の剣は、ゼムリアの右目あたりの氷を打ち砕いた。追撃を仕掛けようとする日影だったが、ゼムリアが氷に包まれた頭部を振るって日影を叩き飛ばす。
「ガウッ!」
「ぐっ……!」
ゼムリアの頭部に弾かれて、日影は雪原を転がる。
すぐさま起き上がって見てみれば、先ほど砕いたゼムリアの氷は、やはり修復されていた。
「クソが……! これじゃキリがねぇ! しかもアイツ、こっちの攻撃をわざと食らって受け止めている様子さえあるぞ……! さっきの斬撃だって、アイツなら余裕で回避できたはずだ……!」
なぜゼムリアが、わざと日影の攻撃を受けるような真似をするのかは分からない。だが、それでもゼムリアにダメージを与えることはできていないのだから、日影の悔しさたるや筆舌に尽くしがたいものがある。
「グルル……」
ゼムリアが身構える。
今度は向こうから仕掛けてくる気だ。
「ガルッ!!」
ゼムリアが右前脚を振り上げる。
それなりに離れていた互いの距離をあっという間に縮めて、日影に前脚を叩きつけてきた。
「くっ!?」
勢いよくバックステップを繰り出して、日影は前脚を回避した。
ゼムリアは、叩きつけた前脚で踏み込んで、そこからタックルに繋げてきた。
「グオオッ!!」
「うおっ!?」
日影は弾かれた様に右へ跳ぶ。
しかし完全には回避できず、ゼムリアの氷の鎧に左半身を引っかけられた。オーバードライヴの炎を纏う左腕でガードを取る。
「ちぃ!?」
ガードの上から、身体を引っかけられただけにも関わらず、ゼムリアの攻撃は強烈だった。着地した日影の身体が後ろに流れる。
タックルから着地したゼムリアは、その場で回転。
大きな体躯がぐるりと回り、足元の雪も巻き込まれる。
巻き込まれた雪が白煙を上げ、ゼムリアの身体を包み込む。
その雪煙の先から、ゼムリアが突っ込んできた。
氷の鎧に包まれた身体を向けて、体当たりをぶちかましてきた。
しかも、この体当たりのスピードが尋常ではない。
「ワオンッ!!」
「ぐあ!?」
ゼムリアの体当たりは、日影に直撃した。
雪煙が煙幕となって、日影の反応が遅れたのだ。
日影の身体が、氷山のようなゼムリアの身体に弾き飛ばされる。
あれだけの巨体を、まるごと氷の鎧で包むゼムリアは、相当な負荷が身体にかかっているはずだ。にもかかわらず、ゼムリアのスピードは全く落ちる気配が無い。
「クソぉぉぉおああああッ!!」
叫びながら日影が立ち上がる。
彼の左拳には、溢れんばかりの炎が凝縮されている。
その炎に包まれた左拳を振りかぶりながら、日影がゼムリアに飛びかかる。
「再生の炎、”陽炎鉄槌”ッ!!」
「む……!」
ゼムリアの顔色が初めて変わった。
そしてゼムリアは、鮮やかなバク宙を繰り出して後退。
日影の陽炎鉄槌を回避してしまった。
地面に叩きつけられた日影の拳が大爆炎を巻き起こす。
「あの氷の鎧を纏いながら、あんな動きまでできるのかよ……!」
「それがソルスマッシャーですか。なるほど、それはちょっと食らいたくないですね」
「へっ、これは食らいたくないかよ。だったらもっと使ってやるぜ!」
再び日影の拳に炎が宿る。
そして、日影が再度ゼムリアに攻撃を仕掛ける。
「おるぁッ!! だるぁッ!!」
ソルスマッシャーを発動させた左拳で殴りかかり、あるいは右手の剣で斬りかかり、またあるいは炎を纏った足で蹴りを仕掛ける。ダイナミックな体術まで交えて、ゼムリアに攻撃を畳みかける。
しかし、やはりゼムリアには通用しない。
ソルスマッシャーは避けられ、剣は受け止められる。
蹴りに至っては、氷にヒビを入れるだけで、砕くことさえできない。
「はぁぁぁッ!!」
それでも日影は止まらない。
止まるワケにはいかない。
炎を凝縮させた左拳を振りかぶり、ゼムリアに殴りかかる。
「遅いっ!!」
「ぐはぁ……!?」
……しかし、ゼムリアには届かなかった。
日影が殴りつけるより早く、ゼムリアは氷の右前脚を横一文字に一閃。逆に日影を殴り飛ばしてしまった。
「ク……ソが……!」
日影は、まだ立ち上がる。
剣を杖にして、震える脚に喝を入れて。
……だがその時。
日影は、自分の身体に異変を感じた。
「はぁ……ッ! はぁ……ッ!? なんだこれ、寒い……?」
日影の身体が、冷えてきていた。
身体を包み込んでいたオーバードライヴの炎も、消えかかっている。
「オーバードライヴが……”再生の炎”が、枯渇してきているのか……? バカ言え……いつもなら、まだ保つはずだぞ……」
そして次の瞬間。
日影の両腕が、みるみるうちに凍り付いたのだ。
「……ッ!? な、なんだ、こりゃ……!?」
「やはり、あなたは気付いていなかったのですね」
「な、なんだと……!? ぐ、げほっ!?」
ゼムリアの言葉に反応して言葉を発した日影だったが、その瞬間、身体の中が凍り付きそうになった。呼吸によって肺に流れ込んでくる空気があまりに冷たすぎて、息ができない。
「が、がはっ……!? ごほっ、ごほっ!?」
「あなたの”再生の炎”とやらが、すぐに枯渇してしまった理由……それは、冷えたあなたの身体をずっと温め続けていたからですよ。そこへ、そのオーバードライヴとやらも併用してしまって、エネルギー切れはさらに早まった」
「冷えた身体を温めたから……だぁ……!? こんな寒さが、何だってんだ……! 大したエネルギー消費にはならねぇだろうが……!」
「本当にそう思っていますか? ならば、周りの木々を御覧なさい」
「木を……? 木がいったいどうしたって……」
ゼムリアに言われて、周囲の木々を見てみる日影。
ざっと見た感じだが、周囲の木々が明らかにおかしい。
少し前まで、周りの木は普通に雪が降り積もって、まさに雪化粧を施したような見た目だった。
それが、今はどうだ。
周囲の木々が、まるで水晶のようだ。
木々がまるごと凍り付いてしまっている。
日影の眼球内の水分まで凍り付いてきた。
「なんだこれ……? なにがどうなって……?」
「現在、ここら一帯の気温は摂氏マイナス273.15℃。
……全てが止まる静止世界。絶対零度の領域です」
「なっ……!? い、いつから……」
「私たちが戦闘を始めてからずっとですよ。身体を熱し続けていたあなたは、この辺りがそんな極限の環境にあることにも気づかなかったようですね。傍から見るぶんには、とても滑稽でしたよ」
その言葉を聞いて、日影は悟った。
最初、ゼムリアと戦う前にやり取りを交わしていた時、ゼムリアは一対一で日影と戦うと言った。その時、一対一の方が自分にとっても都合が良い、とも。
それは恐らく、この超低温の中では、彼女の仲間のユキオオカミたちもマトモに活動できなくなるからだ。下手をすると、能力に巻き込んで命を奪ってしまうかもしれない。
また、日影と戦っていた時は、この寒さの中で問題なく動ける日影に驚いていた様子だった。自分とこれだけ長く戦えた者はあなたが初めてだ、とも。
日影は、周りがこれほどの極低温下にあるとは思いもしなかった。この時のゼムリアが言っていた寒さも、せいぜい北国の冬くらいの気温だろうと認識していた。
絶対零度の支配。
それが白き大狼、ゼムリアの能力。
この能力の前には、あらゆる生命も、兵器も、等しく凍るしかない。
これはまさしく、『最強の星の牙』に相応しい、最凶の能力だ。
「ジャックさんとか言ったあの少年も、この能力で撃退させてもらいました」
「ジャックを凍らせたのは……冷気のブレスじゃ、なかったのか……ごほっ!?」
「この能力がある限り、あらゆる敵は、勝負になる前に凍り付いてしまうでしょう。ですので、私とここまで戦ったあなたには素直に驚いているのですよ、日影さん」
「は……かはっ……」
「ふふ……。もう舌の根まで凍り付いて、声すら出せないようですね」
不意に、一陣の風が吹いた。
吹き抜けた風は、雪原の雪を舞い上げる。
舞い上がった雪が、ゼムリアの巨体を覆い隠す。
そして、雪煙の中から、人間体のゼムリアが出てきた。
柔らかな微笑みを浮かべながら、凍って動けない日影に歩み寄る。
そして、冷たくなった日影の頬をそっと撫でる。
「く……う……」
「……私はね、日影さん。確かに、アナタが持つその剣の力は『強い』と評しました。しかし、あなたのことを『強い』と評したことは、一度も無かったのですよ。お気づきでしたか?」
「なん……だ……と」
「あなたは些か、その剣の力を過信し過ぎている。
……ハッキリ言って、あなたは弱かった」
「て……めぇ……!」
するとゼムリアは、右手に真っ白な冷気の塊を生み出す。
そして、それをゆっくりと日影に近づける。
「弱いあなたは、ここで氷像に成り果てるのがお似合いです。
……おやすみなさい、永遠に」
「く……ぐ……ッ……ゼムリアァァァァッ!!!」
凍った舌の根が砕けるほどの勢いで叫ぶ。
その絶叫を最後に、日影の意識は白に染まった。
◆ ◆ ◆
雪が降る道の中を、ゼムリアが歩く。
ザク、ザク、と雪を踏みしめる音が響き渡る。
ゼムリアは、氷漬けにした日影をそのままにして、あの場を去った。その気になれば日影を連れ去り、近くの湖にでも沈めて、湖を丸ごと凍らせて日影を封印する、ということもできたが、そうはしなかった。それはなぜか。
(……今回の私の真の目的は、あなたの力を計ること。あなたに全力を出させるために『あなたを始末するのが目的』などと言ってしまいましたが、あなたはここでは殺しませんよ。エヴァがあなたと戦いたがっているようですからね。あの子がいざあなたたちと戦うことになっても、あの子が無事に勝てるかどうか、それをこの目で確認しておきたかった)
結果は、問題無し。
自分に勝てないようならば、きっとエヴァにも勝てないだろう。
ゼムリアは、そう結論付けた。
(唯一の懸念点は、彼らが五人で力を合わせて挑みかかってきた時ですね……。人間というのは、群れることで単純な人数以上の力を発揮してみせる。人間は、弱いから群れる、などとは侮れない)
「……ゼムリアっ」
「……あら」
雪道の中に、ゼムリアにとって馴染みある顔が一つ。
深緑のフードを被った、小さな少女。
マモノ災害の元凶、エヴァ・アンダーソンだ。
そして、ゼムリアの養女でもある。
「ヘヴンから聞いた。あなたがここにいるって」
「そう。ヘヴンはちゃんと伝えてくれたのね。後でお礼を言わないと。
……ところで、そのヘヴンとは一緒じゃないの?」
「うん。ゼムリアの戦場は寒すぎるって」
「ふふ、違いないわね」
「ゼムリア……ここで、何をしてたの?」
「ちょっと、ね。やんちゃな若者に、稽古をつけてあげただけよ」
「ふぅん。じゃあ、もう帰る? やり残したことは無い?」
「ええ、大丈夫。帰りましょう、かの地へ」
そして二人は、エヴァが開いた次元の裂け目の中に消えていった。
◆ ◆ ◆
「…………ぅ」
ぼんやりと眼を開ける。
まず視界に映ったのは、ベージュ色の天井だった。
「どこだ、ここ……? オレは……どうなったんだっけ……」
「……あ! 狭山さん、日影くんが目を覚ました!」
「んあ……北園……?」
「日影くん、大丈夫!? ここに運ばれた時、全身カッチコチだったんだよ!? 少し前に”再生の炎”が再起動したみたいで、だんだん氷が溶けてきたんだけど……」
「…………そうか、オレは……」
日影は、自分の身に何があったのかを思い出した。
ここは、ジャックも入院していた、あの病院だ。
日影はベッドに寝かされていて、温かいシーツをかけられている。
ベッドの近くには、こちらの様子を心配そうに窺う北園と狭山の姿が。
北園から聞いた話では、日影はゼムリアに凍らされた後、同じ場所にて、後から駆けつけてきたARMOUREDの三人によって発見され、この病院に運ばれてきたらしい。三人曰く、ジャック以上の氷像に成り果てていたとか。
ちなみに、北園が「森にはゼムリアがいて危険」というテレパシーを日影に送ったらしいが、日影はそのようなメッセージを受けた覚えは無い。恐らくその頃には、日影はゼムリアによって凍らされてしまっていたのだろう。
今度は、狭山が日影に話しかけてきた。
「日影くん、大丈夫かい?」
「狭山……。ああ、大丈夫だ……」
「……君も、ゼムリアと戦ったんだろう? 手応えは、どうだった?」
「…………傷一つ、付けられなかった」
「……そっか」
狭山に語る日影の握りこぶしは、心底悔しそうに震えていた。
その次の日に日影は退院し、日本から来た三人は帰路につく。
だがその足取りは、来たときとは逆に、あまりにひどく重かった。