第452話 夢で終わらせたい
亜暮館を恐怖の洋館へと作り替えていた元凶、キリグモは滅びた。犠牲になってしまった人たちも、これで多少は浮かばれるだろう。
『私は現在進行形で浮いてますけどねー』
幽霊渡辺が気楽な調子でそう呟く。
とはいえ、ゾンビとなっていた渡辺の肉体も、キリグモが死んだことにより霧が抜けて、動かぬ死体へと戻った。もう彼女の肉体の中に、魂の帰還を阻むものは何もない。つまりこれで、渡辺も晴れて蘇ることができる、というワケだ。
しかし、ここで一つの小さな問題が発生。
北園が、ばつの悪そうな顔で幽霊渡辺に向き直る。
「えーと、渡辺さん。私の治癒能力は、対象の自然治癒力を高めることで傷を回復させる能力なんです。だから、死んでいて自然治癒力がすっからかんな渡辺さんの身体は、これくらいが限界でした……」
そう言って北園が指した渡辺の肉体は、まだかなりの外傷が残っており、とても痛々しい。この肉体に戻っても、なんとか一命を取り留めることはできるだろうが、かなり苦しい思いをすることは避けられないだろう。
『うわぁ……まだ結構ボロボロですね……。とはいえ、ここまで助けてくれたんです。これ以上のわがままは贅沢ですよね。なんとかこの身体に戻って、後は自力で耐えてみせますとも!』
「渡辺さんが身体に戻ったら、また多少は自然治癒力が復活すると思うんです。だからその時、急いで私が回復させますね!」
『なるほど! 恩に着ます!』
互いに波長が合うのか、北園と渡辺はすっかり仲良しさんである。その一方で、シャオランは幽霊渡辺を見て震えあがっていた。
「あわわわわわ……幽霊だよぉ……本物の幽霊だよぉ……!」
『うらめしやー』
「ぎゃあああああああ!? ああああああああ!?」
「シャオランくん、落ち着きなよー。こんな良い人の幽霊だったら、いくら出てきても大丈夫でしょ?」
「大丈夫なワケないでしょおお!? 幽霊は幽霊だよぉぉ!! キタゾノは、ゴキブリがイケメンになったらゴキブリに触れるの!? 違うでしょおおお!?」
「うーん、そのたとえはどうかと思うけどなぁ」
一方、日向と日影は、既に息絶えているキリグモに対して、なぜか執拗に攻撃を加えていた。その目的はただ一つ。
「このやろっ、このやろっ、よくも北園さんを酷い目に合わせやがって。思い知らせてやる、このやろっ」
「テメェのせいで寿命がどれだけ縮んだか分かりゃしねぇぞ! 地獄で反省しやがれ、このクソが!」
「……おーいお前たち、その辺にしておいてやれ」
二人の後ろから本堂が声をかけ、二人はようやく攻撃を止めた。ちなみに、”轟雷砲”によってダメージを受けた本堂の腕は、既に北園が治療している。打ち込まれたM-ポイズンも、持ってきた解毒薬で打ち消した。
「ぜー、ぜー、これで多少はスッキリしたぜ……」
「そうか。ところで日影、ここだけの話だが、やはりお前は怖いのが苦手なのか?」
「うぐ……。日向には黙っといてくれ、本堂……」
「さばぬか。」
「クソが……分かったよ、買ってやるよ」
「よっしゃ。しかしお前、自分が怪奇現象みたいな存在なのに、苦手なんだな、そういうのが」
「止めてくれ……自分で自分が怖くなってくる……」
「それは失敬」
そして、渡辺が元の肉体に戻る時がやって来た。
別にこれが今生の別れになるワケではないのだが、日向たちは揃って幽霊の渡辺のもとに集まる。
『それでは皆様、私は肉体に戻りますね。あの世に行かずに済んだのは、ひとえに皆様のおかげです。本当にありがとうございました』
「まぁ、なんというか、本物の幽霊を見られるなんて、こっちも貴重な経験でしたよ。無事に元に戻れるようで良かったです」
「渡辺さん! 元の身体に戻っても仲良くしましょうね!」
『……ふふ、そうですね。きっと、仲良くしましょう』
そう言う渡辺の表情は、どこか寂しそうにも見えたのだが、今さら何を寂しがることがあるのだろう、と日向は気にしないことにした。
『……それと梶尾さん』
「……あ、はい、なんすか……?」
『私のことは、どうか気にしないで過ごしてください。もう過ぎたことですから、私もきっと、すぐに忘れちゃいますよ』
「そ、そうはいかないっす! あの時、河合さんを止められなかったのは僕の責任っす! これからは、もっと頑張って生きるっす!」
『ふふ、意外と責任感が強い人なんですね。そう言ってもらえると、やっぱり私も嬉しいです』
「……一応、河合さんの名誉のために言っておくと、あの人も普段は、あんなことは言わない人だったっす。そりゃあ、ちょっと我が強い人だったすけど、なんだかんだで部下の面倒見は良い人で、僕もお世話になったっす。あの時はきっと、恐怖で混乱してしまって、それで渡辺さんに酷いことを言ってしまったと思うんす……」
『はい……ありがとうございます』
最後に幽霊の渡辺は、日向に向き直って、口を開く。
『それと……日下部さん』
「え、あ、はい、なんでしょう?」
『今、幽霊になっている私は、周囲に漂う魂の気配に、少し敏感なんです。この館に彷徨っている犠牲者たちの魂の存在も感じるし、彼らも皆様に感謝していますよ』
「そ、そうなんですか。教えてくれてありがとうございます。(つまりそれって、周りに幽霊がいるってことなんだろうか)」
『はい。……それで、ここからが本題なのですが、どうもこの館の外に、恐ろしい魂の気配を感じるんです……』
「……は? それって、ここの館の裏ボス的な?」
「うえええええ!? 裏ボスイヤだぁぁ!!」
「シャオラン静かに」
『私と同じ、霊魂だけの存在のハズなので、直接的な害は及ぼさないと思います。ですが、とにかくとんでもない量の負の感情を極限まで詰め込んだような……そんな感覚なんです。この亜暮館に最初から住み着いていた幽霊だったかも分かりませんが……伝えておいた方が良いかと思いまして』
「……分かりました。警戒しておきますね。教えてくれてありがとうございます、渡辺さん」
『いえいえ。……それでは、私は肉体に戻ります。北園さん、治療をお願いしますね』
「りょーかいです!」
『では皆様、さようなら……』
別れの言葉を告げると、幽霊の渡辺は、仰向けになって倒れている渡辺の肉体へと吸い込まれていった。
「……ぅ……ぁ……げほっ……」
「……渡辺さんの身体が、目を覚ました!」
日向が叫ぶ。
北園も急いで渡辺に駆け寄り、彼女を介抱する。
「渡辺さん、しっかり! 今、怪我を治しますからね!」
「……ぁ…………ここは……?」
「亜暮館ですよ! 渡辺さんが肉体に戻ってから、時間は全然経ってません!」
「あなたは……?」
「北園ですよ! さっき仲良くなったばかりの!」
「きたぞの……さん? えっと……誰……?」
「……え?」
「周りの人たちも……誰? そこのあなたは、カメラマンの……?」
「う、うっす……。あの、渡辺さん、もしかして……その……今までのことを覚えてないんすか……?」
「今までのこと……? 私……ずっと眠ってて……何も分からない……」
目を覚ました渡辺は、幽霊だった時の記憶を失っていた。
幽霊の渡辺が、最後の方で寂しそうな表情をしていた理由が、日向はようやくわかった。
「マジか……幽霊の渡辺さん……それならそうと言ってくれれば……」
「きっと、友好的になった俺たちを悲しませないように、と思ったのだろうな」
日向の呟きに、本堂が反応した。
そういえば、と日向は思い出す。
以前、国語の教科書で読んだ、とある物語。
昔、一人の侍が夜道を歩いていると、人魂を見つけた。侍はこれを退治しようと人魂を追いかけるが、人魂は逃亡。そして近くの民家に逃げ込み、そこで寝ていたお爺さんに吸い込まれてしまった。
人魂が入っていったお爺さんは、眠りから目を覚ます。そして、隣で寝ていたお婆さんにこう話す。
『お侍さんに追いかけられる夢を見ておった。ほんに怖かったのう……』
侍が追いかけた人魂は、お爺さんの魂だったのだ。
「……あの教科書の内容と、この状況、なんとなく似てる……」
「日向くんも、そう思ってた? 私も同じこと考えてたよ……」
「……思うに、渡辺さんが幽霊になって俺たちと冒険したのは、彼女にとっては一時の夢だったんだろうね」
「夢か……そうだね」
そう呟くと、北園は未だ焦点定まらぬ渡辺に近づき、声をかける。
「うーん……でも……そこの人たち……なんとなく見覚えが……?」
「……きっと、悪い夢を見てたんですよ、渡辺さん」
「夢……? そういえば、何か、夢を見てた気がする……。化け物に襲われて……身体中を貪られて……痛くて……辛い夢だった……」
呟きながら、渡辺は身体を震え上がらせる。幽霊の時の彼女は軽く流していたが、やはり彼女にとっても、自身の死はおぞましい思い出だったのだろう。
そんな彼女に、北園は精一杯に笑顔を作り、声をかける。
「悪い夢は終わりました。さ、帰りましょう、渡辺さん!」
「あ……はい……あれ? なんだろ……何か、頭で引っかかって……」
「渡辺さん? どうしたんですか?」
「呼ばれた……私は確かに、あなたにそう呼ばれたことが……うう……」
すると渡辺は、いきなり顔を覆って泣き出してしまった。
突然の事態に、北園は慌てふためく。
周りの仲間たちも動揺している。
「わわ、渡辺さん!? どうしちゃったんですか!?」
「ごめんなさい……私、きっと大切なことを忘れて……でも、どうしても思い出せなくて……それを思い出したら……辛い記憶まで蘇りそうで……ごめんなさい……!」
「……大丈夫ですよ。あなたが思い出せなくても、憶えている人はいます。落ち着いたらきっと、誰かが教えてくれますよ。だから今は、悪い夢と一緒に忘れちゃいましょう」
泣き崩れる渡辺を、北園は優しく抱きしめた。
◆ ◆ ◆
しばらくして、渡辺はようやく落ち着き、今は呆然としている。もう自分はついていなくても大丈夫と判断し、北園は彼女のもとを離れ、日向に歩み寄った。
「……今回もおつかれさま、日向くん!」
「北園さんも、お疲れ様。……まぁその、残念だったね……。せっかく渡辺さんと仲良くなってたのに……」
「だいじょうぶ! また仲良くなれば良いんだよ!」
「前向きだなぁ」
「もちろん! 私は前を向くしかないからね!
……あ、そういえば、日向くん」
「ん? どしたの?」
「さっき、渡辺さんと話していた時、『悪い夢』で思い出したんだけどさ、私も見てたんだ、夢を」
「夢って……まさか、予知夢?」
「うん。キリグモに捕まってた時、頭がぼんやりしてた時にね。それで、その内容なんだけれど、ちょっとよろしくなくて……」
「よろしくない夢……どんな夢だったの……?」
「えっとね……なんか、どこかの洋館が燃えてる夢……」
「どこかの洋館が……」
「映像も鮮明だったし、そう遠くない未来に実現する夢だと思うよ……」
「……ねぇちょっと待って。俺、今めっちゃくちゃ嫌な予感がするんだけど」
「ね、ねぇヒューガ、なんか……焦げ臭くない……?」
シャオランがそう声をかけてきたので、日向と北園は鼻に意識を集中させ、匂いを嗅ぐ。すると確かに、何かが燃えているような匂いが鼻についた。
「やっぱり、何か燃えてるよね? どこかな……?」
「……あ! あれだ!」
日向が指差したその先では、ダンスホールの天井付近が激しい炎で焼かれていた。部屋の上方には黒煙が充満し始めている。日向たちはもちろん、梶尾も、さっきまで呆然としていた渡辺も驚愕している。
「なんでだよ!? 火を点けたのは誰だー!?」
「わ、私じゃないよ!? 今日は一回も発火能力は使ってないもん!」
「俺でもないぞ。”指電”でも火が点かないよう、細心の注意を払っていた」
「ぼ、ボクでもないよぉ!? そりゃあ、ちょっと壁や床を壊しちゃったりはしたけど……」
「ぼ、僕でもないっすー!? タバコ吸わないから、ライターも持ってないっすー!」
「あ、あの、私も違うと思います……」
「それじゃあ、残ったのは……」
皆は、一斉に日影を見た。
日影は、皆から目線を大きく逸らしながら、口を開いた。
「…………そういえばよ、キリグモと戦ってた時、腕に糸が引っ付いた場面があったんだよな。それを振り払う時、ちょっと腕に火を点けたけどよ、その時に燃やした糸が導火線になって、壁の方まで燃え移ったってことも、有り得るかなって……」
「日影くん、よく正直に話したね! 偉い!」
「お、おう……」
「と、とにかく消火だー!! 水、水を持ってこーい!」
「み、水なんて、この館では全然見なかったよぉ!?」
「じ、じゃあ北園さん、あの炎に凍結能力をー!」
「や、やってみるけど、この距離と、あの炎の激しさじゃ、もう厳しいと思うよ……!」
「何が何でも火を止めないと! ここまで苦労して館を守ってきたのが水の泡だー!」
「うわぁぁぁん! これなら最初から館ごと焼いておけば良かったのにぃぃ!」
「それでは、行方不明者たちを助けられなかったのだが。ともかく俺は、狭山さんを呼んでくるぞ」
「ちっくしょう、これも悪い夢だったということで、無かったことにはできないかなぁー!?」
◆ ◆ ◆
そして、ここは亜暮館の外。館の屋根から黒煙が上がり、内部で尋常ではないことが起こっているのは、外の狭山と的井にも既に伝わっていた。
「……えっと、館が燃えてますね、狭山さん……」
「……うん、そうだね、的井さん……」
「……とりあえず私、消防呼んできますね……」
「お願いするよ……。まぁ……彼らだってまだ若手なんだ。これくらいの失敗もあるだろうさ。この失敗を次に活かしてくれれば、それで良いさ。さて……県にはどう言い訳しようかなぁ……」
やや悲しそうに微笑みながら、狭山はそう呟いた。
こうして、亜暮館の任務も無事終了。
……無事?
白崎と梶尾、そして渡辺は、街の病院にて一時療養した後、それぞれの生活へと戻っていった。渡辺も次第に、元の明るい性格へと戻っていったが、あの館で何が起こったかを思い出すのは、もう少し先になりそうだ。
余談だが、最後に幽霊の渡辺が言及していた『恐ろしい魂の気配』については、日向たちが狭山に報告し、のちに調査隊が派遣されたが、何か特別なものが見つかることは、結局なかった。