第449話 マモノのいけにえ
亜暮館の中心部、一階のダンスホールに突入した日向、本堂、日影、そして幽霊となってしまっている渡辺の四人。
かつては多くの紳士淑女で賑わったであろうこの広々とした空間も、今はすっかり寂れてしまっている。さらに、あちこちに白くねばつく糸のようなものが張り巡らされていて、退廃的な雰囲気がよりいっそう引き立てられている。
「この白い糸は……蜘蛛の巣……?」
「そのようだな。しかし、太さが異常だ。一本一本が凧揚げの糸くらいあるな」
「たしか蜘蛛の巣ってのは、自然界でも最強の繊維だって聞いたことがあるぜ」
「その通りだ。髪の毛以下の細さであろうと、餌となる昆虫たちを決して逃がさない。自然界はおろか、人類ですらこれ以上の繊維は未だ生み出せておらず、構造そのままに糸の太さを増せば、飛んでいる飛行機さえ止められるとまで言われている」
「自然ってやばいなぁ……」
『そ、そんな蜘蛛の巣がこの大きさって……人間だって捕まっちゃいますね……』
「その通りです。例えば……そこに転がっている蜘蛛の繭」
そう言って本堂は、床に転がっていた縦長の蜘蛛の繭に近づいていく。まるで人間か何かに糸を巻き付けたような、不気味な繭だ。
「蜘蛛の種類の中には、このように獲物を糸で包み、拘束・保管する者もいる」
「え……じゃあまさか、その繭って……」
「恐らくは、犠牲者だろうな」
そう言って本堂は、高周波ナイフで蜘蛛の繭を掻っ切った。
すると繭の中から出てきたのは、女性の服を着たミイラ状の死体だった。
「ひぇっ!?」
「うおぉぉぉっおぉ!?」
『きゃあああああああ!?』
「この死に方は……恐らく、繭で拘束されながら毒液を注入され、液状化した内臓を吸い上げられた……というところか。どこぞの蜘蛛が、同じような方法で獲物を捕食するらしいが……」
「よく冷静に分析できますね!? マッドサイエンティストに片足突っ込んでませんか!?」
「照れるな」
「半分褒めましたけど、そこは照れちゃダメでしょ人として!」
「ともかく、周りを見てみろ。この繭と同じものがそこかしこにある」
「え……あ、本当だ……」
本堂の言うとおり、先ほど女性の死体が入っていたのと同じ繭が、このダンスホールのあちこちに存在している。床の上に無造作に置かれていたり、壁の蜘蛛の巣に張り付けられていたり……。
「恐らくあの中のどれかに北園と、行方不明者の二人がいるに違いない。探すぞ」
「り、了解……! みんな無事でいますように……」
日向たちは、片っ端から繭を調べ始める。
行方不明者の数に対して繭の数がやたらと多いが、どうやらラージラットや森の動物などの死骸も混じっているようだ。
「うわぁ、見境無いなぁ……。凶悪なマモノが住み着いているらしい」
「日向、お前はあっちを探せ。俺はこの辺りを調べてみる」
「分かりました、本堂さん」
本堂に言われて、日向は壁の方の繭を見て回る。
ラージラットたちの死骸が拘束されている繭が複数あり、いくつかの繭の中身が無くなっている。
「もしかして……ここに拘束されていたラージラットの一部がゾンビになって、館内を徘徊していたのか……?」
そんな推察をしながら、引き続き繭を見て回る日向。
……と、その時、日向は気になる繭を見つけた。
壁にかかる蜘蛛の巣の中心に張りつけられた、一つの繭。
この繭、まるで誰かが中で呼吸しているように、真ん中がわずかに上下している。
「……まさか、あの中に誰かが……!? き、北園さんか? それともテレビ局の人か……?」
日向は繭に近づき、蜘蛛の巣から剥がして床に降ろそうとする。しかし、日向が繭に手をかけた途端、繭は身体を激しく揺らして暴れ出した。
「んーっ! んんーっ!」
「うわっとぉ!? ビックリした……」
恐らくは、日向をマモノか何かだと勘違いしたのかもしれない。顔まで繭に包まれたこの人物は、視界も塞がれて目の前が見えないのだろう。ちなみに、先ほどの悲鳴は繭の下部から聞こえた。頭が下に、足を上にされて張りつけられているのだろう。
先ほどのくぐもった悲鳴は、若い女性のものだった。それによく見ると、繭の大きさは北園の身長とちょうど同じくらいの大きさだ。
「……北園さん?」
日向が繭に呼びかけてみる。
「んっ……!? んん……」
日向の声が届いたのか、暴れていた繭が大人しくなった。
どうやらこの繭に拘束されているのは、北園で間違いないらしい。
「ほ、本堂さん! 皆、こっちに来てくれー! 北園さんがいたー!」
日向は皆を呼びながら、蜘蛛の巣から北園の繭を引っ張り下ろそうとする。しかし、蜘蛛の巣が頑丈で北園を降ろすことができない。
「な、なんだこれ、硬った……!? び、ビクともしない……!」
「任せろ日向。高周波ナイフで蜘蛛の巣を切断する」
駆けつけてきた本堂や日影の助けもあって、日向は北園を蜘蛛の巣から降ろすことに成功。さらに本堂が繭を切断し、中から北園を助け出した。
「ぷはっ……はぁ……はぁ……ありがとう、みんな……」
「北園さん、無事で良かったぁ……」
「なんか……最近の私、縛られてばっかり……」
「ヒロインの宿命かな……」
「北園、随分とぐったりしているが、大丈夫か」
「なんとか……でも、拘束されている間、ずっと息が苦しくて……逆さまにされてたから頭に血が上ってて……みんなにテレパシーしてる余裕も無くなっちゃいました……」
北園とやり取りを交わす日向と本堂。
その二人の後ろから日影も顔を覗かせた。
その表情は暗く、堅く、後ろめたさを感じさせる。
「北園……悪い。オレが不甲斐無いばかりに、大変な目に合わせちまった……」
「ううん……日影くんたちに声をかけなかった私にも責任はあるよ……気にしないで……」
「……ああ。サンキューな……」
『ともかく、この子がいれば私の肉体も修復してもらえるんですね!』
「あれぇ……おかしいなぁ……なんか、幽霊が見える……」
「ああいや、この人は間違いなく幽霊というか何というか……」
日向が北園に、渡辺の事情を説明しようとした、その時。
背後から一瞬、何かが這いずるような音が聞こえた。
「……まさか、ここの親玉のマモノ……!?」
瞬時に背後を振り返る日向たち。
しかし、その方向には誰もいない。
……と思ったが、よく見ると日向の足元に何かがいる。
やや小太りで、うつ伏せの姿勢でこちらを見つめる、肌に生気のない一人の男。日向の足にそっと手を伸ばそうとしている。
「……うおおおあああおおおおおおああああ!?」
「うわっわわわわっわわ!? ななな、なんだテメェ!?」
「む……新手のゾンビか……!?」
「わーっ!? ま、待つっす!? 僕は普通の人間っすー!?」
うつ伏せの男は、その姿勢のまま、日向たちに声をかけてきた。恐らく彼は、行方不明になっていたテレビ局の関係者の一人なのだろう。
「僕は梶尾……。カメラマンを担当してるっす。君たちはいったい……?」
「え、えっと、俺たちはマモノ討伐チームです。あの、梶尾さん、ここでいったい何してたんですか……?」
「化け物に見つからないよう、ずっとここで死んだフリをしていたっす……。二日前、ここで化け物に遭遇してから、ずっと……」
「二日間、ずっとここで死んだフリしてたんですか!?」
「化け物に喰われるくらいなら、ここでジッとして飢え死にを待つ方がマシだと思ったっす。もともとは、化け物にここへ追い詰められて、諦めて横になっていたら、運よく見つからずに済んで、そのまま惰性でずっとこうしてきたんすけど……」
『梶尾さん! 生きてたんですね! 良かったぁ!』
幽霊渡辺が梶尾の無事を喜んで、彼に明るく声をかける。
……しかし当の梶尾は、渡辺を見るや否や顔面蒼白だ。
「ひ、ひぃ!? 渡辺さん!? まさか化けて出るなんて!? ぼ、僕たちが悪かったっす! だから許してくれっすー!!」
「ちょ、ど、どうしたんですか梶尾さん?」
「ぼ、僕たちは彼女に、許されないことをしてしまったんす! だから彼女はそのことを恨んで、こうやって化けて出てしまったんすよ! 頼む、許してくれっすー!」
「渡辺さん、いったい何があったんですか……?」
『そうですね……ちょっと気まずいお話なので黙っていたんですけれど、お話しするしかないみたいですね……』
そう言って渡辺は、彼女と梶尾の間に何があったのかを話し始めた。その話は、彼女が生身の人間だった時、この館に来てすぐにマモノに襲われ、白崎アナウンサーとはぐれ、残ったカメラマンの梶尾と、プロデューサーの河合の二人と共に逃げていた時まで遡る。
◆ ◆ ◆
亜暮館に入ってすぐに、背後から正体不明の化け物たちの襲撃を受けた渡辺たち。外への逃げ道を塞がれ、館内に逃げるしか選択肢は無かった。
「み、皆様! こっちに逃げましょう!」
館内の構造に詳しい渡辺が先導。カメラマンの梶尾とプロデューサーの河合がついて行く。
「な、何なんだよあの化け物は!? き、聞いてないぞこんなの!」
「ちょ、プロデューサー! 白崎さんが一人で反対側に逃げちゃったっす!?」
「放っておけ! 俺たちだけでも逃げるぞ!」
西棟へと逃げ込んだ渡辺たち三人だったが、そこにも腐敗した大ネズミや動く鎧など、化け物の群れで溢れていた。オマケに、渡辺の記憶と亜暮館の構造が微妙に食い違っているのだ。
「おい! 次はどっちに逃げれば良いんだ!?」
「お、おかしいわ……。ここの通路、こんな風になってるはずは……」
「早く決めろ! 案内人だろうお前は!」
「う、後ろからネズミが来てるっすー!」
「こ、こっちです! そこの階段を昇りましょう!」
渡辺たちは階段を昇り、近くのドアを開いてその中へ。
そこは、渡辺と日向たちが出会った書斎だった。
「ち、近くの机や椅子でバリケードを作りましょう! しっかり固めれば、ネズミたちの侵入は防げるはずです!」
「く、くそぉ! なんでこんなことに……!」
急いでバリケードを作ろうとする渡辺たちだったが、その時、不吉な気配を感じた。不運なことに、この書斎内に既にラージラットゾンビたちが侵入していたのだ。
「ヂューッ!!」
「ひっ!? だ、駄目です! ネズミたちが既にこの部屋の中に!」
「ヂューッ!!」
「ひぇ!? 僕たちが逃げてきたネズミたちも追って来たっすー!!」
「に、逃げろ! 逃げろーっ!!」
書斎内にて、バラバラに逃げ出す渡辺たち三人。ラージラットゾンビは渡辺を集中的に狙い、その隙に梶尾と河合は書斎の出口まで到達することができた。だが、渡辺はラージラットゾンビに囲まれて動けないでいる。
「あ……ど、どうしよう、逃げられない……。お、お二人とも、助けてください!」
「ぷ、プロデューサー、どうするっすか!? このままじゃ渡辺さんが!」
「し……知ったことか! 逃げるぞ!」
「えぇ!? み、見殺しにするんすか!?」
「元はと言えば、あの女がいい加減な案内をするから、俺たちはここに追い込まれたんだ! もうあの女なんか知るか! 俺たちだけでも逃げるぞ! 来い、梶尾!」
「う……うっす。渡辺さん、ごめんっす……!」
「あ……そ、そんな!? 置いていかないで……」
「ヂューッ!!」
「きゃあああああああ!? お願い、待って……!
あっ、い、痛い痛い痛い痛いっ! 誰か助けてぇぇ!!」
◆ ◆ ◆
『……以上が、事の顛末です……』
「あの書斎で渡辺さんだけが死んでいたのは、そういうワケだったんですね……」
渡辺の話を聞き終えた日向たちは皆、何とも言えない暗い表情だった。とりわけ、当事者である梶尾の表情がひどく暗い。
「渡辺さん……本当に申し訳ないっす……。僕たちも錯乱していたとはいえ、僕たちが渡辺さんを殺したも同然っす……」
『梶尾さん……私は大丈夫ですよ。あんな状況じゃ、誰でもパニックになりますよ。結果として私は幽霊になって、まだ助かる可能性はありそうですし。それに、梶尾さんは私のことを助けようとはしてくれましたしね』
「本当に……本当に申し訳ないっす……」
「えーと、梶尾さん。一緒に逃げていた河合さんって人はどうなったか、知りませんか?」
「知ってるっすよ……。ほら、あそこに……」
そう言って梶尾が指差した先には、繭でくるまれた人間の遺体。どうやらあれが河合らしい。
「渡辺さんがいなくなって、結局僕たちは余計に迷ったっす。そして河合さんと二人でこの部屋に逃げ込んだ時、デカい化け物の襲撃を受けたっす……。河合さんは化け物に狙われて、生きたまま食われたっす……。僕はここで、他の死体の下になりながら隠れて、河合さんが食われる一部始終をずっと見てたっす……」
「そうですか……全員救助とはいかなかったか……。ところで、その『デカい化け物』とは、いったいどんなマモノでしたか?」
「いや待て日向。わざわざ聞く必要は無さそうだ。……お出ましだぞ」
そう言って、本堂が天井を指差す。
二階まで吹き抜けになっている暗い天井の中に、八つの眼が光る。
「天井に……何かいる……!」
そして、巨大な怪物が天井から飛び降りてきた。
日向たちの目の前に着地し、その正体を現す。
まず目につくのは、全身を包む白い甲殻。
次いで認識したのは、左右四本、合わせて八本の長大な脚。
言ってしまえば、そのシルエットはまさしく蜘蛛そのもの。
しかしサイズが凄まじく、脚まで目いっぱいに広げたその姿は、地上のどんな生物よりも幅広い。
顔の正面には、上下に規則正しく並んだ八つの複眼。
口に生える鋏角は、人間など容易く真っ二つにしてしまいそうだ。
「シュー……」
「うわぁ、キモい……! デカい蜘蛛のマモノかぁ……!」
「まぁ確かに、これだけ蜘蛛の巣を張り巡らせておいて、ここに来て別種のマモノが現れたら、それこそ最大級のドッキリだが」
「対策室のデータにも無いマモノだろ、アイツ。名前は何にするんだよ、日向」
「じゃあ……『キリグモ』で。間違いなくアイツが、この館のボスだ……!」
「シャアアアアア……!!」
キリグモと名付けられた『星の牙』が戦闘態勢を取った。
左右の長い前脚を振り上げ、威嚇のポーズを取る。
マモノはびこる恐怖の館、亜暮館での最後の戦いが始まった。