第447話 アフターライフ
引き続き、亜暮館にて。
日向と本堂の二人は、”濃霧”の星の牙の能力と思われる怪現象によって生きる屍と化した行方不明者、渡辺と対峙していた。
「ウアアアアアアッ!!」
渡辺が爪を振り回して二人に襲い掛かる。その攻撃は大振りで直線的ゆえ見切りやすいが、見るからに勢いがある。徐々に日向が追い詰められていく。
「あ、危ない……!」
「キヤアアアッ!!」
「痛っつぅ!?」
最終的に追い込まれ、やむなく日向は右腕で渡辺の腕振り回しをガードしたが、強烈な一撃だった。身体ごと薙ぎ倒されそうになったのをなんとか踏ん張る。
日向が狙われている隙に、本堂が渡辺の背後から接近。攻撃を仕掛けようとする。
「アアアアアッ!!」
だが、渡辺は本堂の接近をいち早く察知し、振り向きざまに右腕を振るった。
しかし本堂も上体を屈めてこれを回避。屈んだ動作の勢いで足払いを繰り出し、渡辺の体勢を崩した。
「はっ!」
「ウアァッ!?」
身体が宙に浮き、渡辺はそのまま床に倒れる。
その隙を逃さず本堂が渡辺を抑え込み、彼女に放電をお見舞いした。
「ギヤアアアアアアアアアアアアッ!?」
本堂が渡辺に電撃を流すこと、およそ八秒。
渡辺の身体から黒煙が吹き上がり、とうとう動かなくなった。
日向と本堂は、恐る恐る渡辺の様子を窺う。
「やったんですかね……いや、たぶんやってないかな……。ラージラットゾンビたちの耐久力から考えると……」
「だろうな。さてどうしたものか」
「エグイですけど……足を斬り落として動きを封じますか。それでひとまず追っては来られなくなるはずです」
『ち、ちょっと待ってください! それやられると、私が困るんです! 考え直してくれません!?』
「……だそうだぞ日向。他に案は無いか?」
「他にって言われてもなぁ……。
…………いや待て、誰だ今の」
今しがた日向の提案を止めたのは、本堂でもなければ、目の前の渡辺ゾンビでもない。ましてや日向本人でもない。この三人とは違う『第四の人物』が、今この場にいるらしい。
日向と本堂が振り向くと、そこに立っているのは若い女性。
リクルートスーツ姿で、黒髪を短いポニーテールにして束ねている、やや気弱ながらも真面目そうな女性だ。
日向と本堂は、彼女を見てキョトンとしている。突然、新しい行方不明者がやって来たから……というのもあるが、それ以上に驚いたのは、この女性の姿格好は、二人の背後で倒れている渡辺ゾンビと全く同じなのだ。
「……えっと、あの、どちら様でしょう」
日向が、物凄く引きつった表情で尋ねる。
薄々、彼女の正体を察しているという雰囲気だが、それでも尋ねてみた。
『あー……えーとですね……私の名前は渡辺 檜花といいます。何言ってるんだと思われるでしょうが……あなた方の後ろで倒れているゾンビが私です……』
「じ、じゃあ、その、つまり、やっぱりあなたは……」
『はい……私、今は幽霊なんです……』
「あばばばばばばばばばばば」
日向が、携帯のバイブレーションのように震え始める。
さすがの本堂さえも、驚きの表情を隠せないでいる。
ホラー要素満載の今回の任務において、とうとう本物の幽霊のご登場である。
「な……なんで? 幽霊なんで?」
「まぁ確かに、北園の超能力やシャオランの練気法など、非化学的な現象は今に始まったことではないが、まさか本物の幽霊とは……」
「もしかして、この人も”濃霧”の星の牙の幻覚の可能性もある……? でも、この人はどうにも、”濃霧”の幻覚とは違うような……」
『えっと……私がこうなっちゃった理由については、私にもよくわからないというか……』
「よくよく聞いてみると、声にエコーがかかっているような」
「足の部分なんか見てみろ、透けてるぞ。胸は真っ平だ」
『あ、あんまりジロジロ見られると恥ずかしいといいますか……って、お二人とも、後ろー!!』
「アアアアッ!!」
その時、渡辺ゾンビが再び身を起こし、日向たちに襲いかかった。
だが、即座に本堂が右足を突き出し、渡辺ゾンビを蹴り飛ばして不意打ちを阻止。
「くっ!」
「ウアアッ!?」
渡辺ゾンビが転倒。
その隙に日向が『太陽の牙』を振りかぶる。
「コイツを頭に食い込ませてやる!」
『わーっ! 待ってくださいー! あんまり私を傷付けないでー!』
「え、ええ……? なんで……?」
『えっと、詳しく説明するとですね……』
「グ……ウウ……!」
「いや二人とも、ゆっくり話している暇は無さそうだ。今はともかく、ここから離れるぞ。話は逃げながら聞かせてもらおう」
「り、了解……!」
日向と本堂、そして幽霊の渡辺は書斎を飛び出し、ゾンビの渡辺を振りきるために全速力で移動する。幽霊の渡辺は、どうやら空中を滑空するようについて来ているようだ。
「えっと、じゃあ、このまま私のことについて説明しますね!」
そう言って、幽霊渡辺が自分の事情について説明を始めた。
渡辺たち四人がこの亜暮館に来てすぐに、巨大なマモノと遭遇したのだという。四人はすぐに逃げ出したが、その際にアナウンサーの白崎がはぐれてしまった。渡辺は、残ったカメラマンの梶尾とプロデューサーの河合と共に逃げていた。
その後、三人揃ってあの書斎でラージラットゾンビの群れに追い詰められ、渡辺は食い殺されてしまったそうだ。
『おかげでもう、ネズミがすっかりトラウマですよ……』
「さ、災難でしたね……。それで、それがどうして幽霊なんかに……?」
『それが……正直なところ、私にも正確な理由は分からなくて……。でも私の家系って、先祖代々霊感が強いみたいでして、かく言う私もそれなりの霊感があるみたいでして。もしかしたらそこが関係してるんじゃないかなって』
「霊感が……」
『その霊感のおかげなのか、昔からホラーにも多少の耐性がありまして。そこを買われて今回の案内役に抜擢、役所から派遣されてしまったワケです。他の同僚は皆、『あんなお化け屋敷行きたくない!!』って言い張っちゃって……』
「なるほど……。ところであの書斎には、カメラマンとプロデューサーの二人と一緒に逃げ込んだんですよね? けど俺たちが発見できたのは渡辺さんだけでした。他の二人は逃げきれたんでしょうか」
『それは……はい……とりあえず、あの場から逃げきることはできたんだと思います』
(……一瞬、渡辺さんの表情が曇ったように見えた気が……)
ともかく、渡辺はラージラットゾンビに殺された後、気が付けば魂は幽霊として独立していたのだという。
幽霊の渡辺は、その気になれば元の身体に戻ることもできるようで、そうすれば渡辺の身体は生き返るらしい……が、あのボロボロの身体に戻ったところで、再び激痛に苛まれて命を落とすのは目に見えている。元の身体に戻るには、まず身体の怪我を最低限治療しなければならない。
だが、幽霊の渡辺に肉体を治療する手段などあるはずが無く、死体となった肉体は放っておいても怪我は治らず、腐りゆくばかり。あまり肉体から離れることができないのか、幽霊の渡辺はこの亜暮館の周辺から出ることもできなかった。
どうすることもできず、あの書斎で一人、途方に暮れていたところに、日向たちがやって来たというワケだ。
『……でも今、私の身体は何者かに操られているみたいで、それで皆様に襲い掛かってしまったみたいなんです……。肉体に何かが詰まっていて、それが邪魔で私も元の身体に戻れなくて……』
「さっき見た、渡辺さんの身体に入っていった霧が原因でしょうね」
『あまり肉体を破壊されたら、私は元の身体に戻れなくなって、今度こそ確実に死んじゃいます! ど、どうかお慈悲を! 私、まだ死にたくないんです! せめて、せめて死ぬ前にもう一度だけ、大好物のおはぎをお腹いっぱい食べたいんです! それさえできれば、もう悔いはありませんから!』
「いやいやいや、おはぎ食べた後も生き続けて良いですから。ともかく、事情は分かりました。なんとか渡辺さんの肉体は傷付けない方向で行こうと思います。本堂さんも、それで良いですよね?」
「無論だ。命を救える可能性が一パーセントでもあるならば、それに賭けずして何が医者か。生身の患者でも幽霊でも同じことだ」
『お二人とも……ありがとうございます……』
「北園さんの救出と、『星の牙』の撃破を急ぎましょう! 渡辺さんの肉体を解放するのはもちろんだし、肉体を治すには北園さんの治癒能力が不可欠だ!」
「二階はもう、ほとんど見て回ったな。あそこの階段から下に降りて、一階を調査するぞ」
本堂の提案に従い、日向たちは階段を降りて一階へ。
一階に降りるとすぐに廊下の奥から、こちらに向かって近づいてくる気配を感じた。
「日向、アレを見てみろ」
「あれは……日影だ!」
気配の主は、日向たちと別行動をとっていた日影だ。単独でラージラットゾンビや動く鎧の群れを相手している。
「ああクソっ、全然倒せねぇ! それにしつけぇ! いい加減にしやがれコイツら!」
「日影ー! 大丈夫かー!?」
「この声、日向か! それに本堂もいる! んで、後ろの女は……って、うおぉぉぉぉぉぉ!?」
日影は、渡辺の姿を見た瞬間、絶叫した。
彼女は身体がわずかに透けており、宙に浮いているため、尋常な存在ではないことは一目瞭然である。
『あー……驚かせてスミマセン。私、幽霊なんです』
「自己紹介の内容にまたビックリなんだが! 謝る気あんのかテメェ!?」
「お、落ち着け日影。確かにビックリするほか無いだろうけど、渡辺さんは良い幽霊だよ。警戒する必要は無いぞ」
(ふむ……日影のこの反応……。コイツもしかして幽霊苦手なのでは)
日向が日影をなだめる横で、本堂は察した。
一方、日影は未だに状況を飲み込めず、狼狽している。
「い、良い幽霊って何だよ……。ったく、あのゾンビネズミといい、訳の分からん動く鎧といい、今回の敵はやっぱりマモノとは別の何かなんじゃねぇのか!?」
「良い感じで錯乱してるなーコイツ……」
『はい……襲われて命を落とす前の私を見ているようです……』
「えぇとな、日影。アイツらには一応、それぞれタネがあって……」
「ヂューッ!!」
と、ここで日影が相手をしていたマモノたちが追いついてきた。ラージラットゾンビが三体に、動く鎧が四体。合わせて七体が日向たちの前に立ちはだかる。
「っと、説明している暇は無さそうだ……。今は手早くアイツらを片付けないと!」
「最後に日影。北園とシャオランはどうした? 一緒じゃないのか?」
「シャオランは、生存者を見つけて外に連れ出しているところだ! 北園は……すまねぇ、はぐれちまった……」
「そうか……。北園のテレパシーを受けて、こちらも事情は概ね察している。沈む気持ちは分かるが、それは後だ。今はここを突破することに集中するぞ」
「……ああ、分かったぜ!」
話がまとまったところで、三人はマモノの群れに向かって構える。最初はこのマモノたちの正体不明の能力に手を焼いたが、日向と本堂は既にこのマモノたちの正体を解き明かしている。もはや彼らの敵ではないだろう。
『わ、私は戦う能力は無いので、応援しておきますね! ふれーっ、ふれーっ!』
「……今更だけど、結構賑やかな人だよなぁ渡辺さん……。
……うん? 今、何か音が……?」
その時。
天井から、異音が聞こえた。
ブォンブォン、と何かの機械が激しく駆動する音。
木材がバキバキと切断されていく音。
そして日向たちの背後の天井が崩れ、何かが落ちてきた。
「な、なんだぁ!?」
「ウウウウウウ……ッ!!」
現れたのは、渡辺ゾンビだ。
白く濁った両目で、日向たちを睨みつけている。
両手で抱えているのは、けたたましい音をまき散らすチェーンソー。
「ど、どこから持ってきたんだそんな物ぉぉ!?」
「うおぉぉおいおいおいおい!? なんなんだアイツはぁぁ!?」
『わ、私の肉体がごめんなさいぃぃぃぃ!!』
「チェーンソー……これもまた『お約束』か……来るぞ!」
「ウアアアアアアアアアッ!!」
渡辺ゾンビが、チェーンソーを振り上げて襲い掛かってきた。
そして日向たちの前方には、マモノの群れ。
逃げ道は無い。
この恐怖の象徴に、臆せず立ち向かうほかに、道は無い。




