第436話 本物と偽物
「ああくそ、やっぱり見失った!」
逃がしてしまったジェリーマンを追いかけ、階段を上がってきた日向と北園だったが、ジェリーマンの姿は無かった。この階のどこかに潜んでいるのか、それとも上の階に上がったか、それすらも分からない。
「まだそんなに遠くには行ってないはずだよ! 手分けして探そう、日向くん!」
「北園さんが単独でジェリーマンと遭遇するのは心配だけど、仕方ないか……。じゃあ俺は三階を探す。北園さんはこの二階を頼んだ!」
「りょーかい!」
「あと念のため、日影と本堂さんにも精神感応で連絡を任せた!」
「任されました!」
やり取りを終えると、日向は階段に足をかけ、北園は廊下へと向かって行き、それぞれ二手に分かれた。
階段を上がりながら、日向はふと考える。
「……けど、一つだけ引っかかる点がある。ジェリーマンはどうして、上階に上がったんだ……? この学校に潜んでいたことがバレて、戦闘して、来客たちはみんな避難し始めて、もうこの学校に残るメリットはほとんど無いはずだ。避難する来客たちに紛れて逃げるのが最善手だったろうに、いったいどうして……?」
◆ ◆ ◆
文化祭の来客たちに避難を促す校内放送がこだまする。
『この学校にいる全校生徒、および来客の皆様にお知らせします。ただいま、この学校に不審者が侵入したとの報告がありました。安全のため、皆様はグラウンドへの避難をお願い致します。なお、不審者の服装は黒のジャケットに長めのジーパンで、二十代くらいの男性とのことです』
ちなみに、この校内放送では、ジェリーマンのことを『不審者』とぼかして伝え、マモノであることを隠しているが、これはジェリーマンが『人間に化けるマモノ』であるため、これをそのまま避難者たちに伝えたら、避難者同士で疑心暗鬼に陥る可能性があると考慮してのことである。
そして、この校内放送が響く中、ジェリーマンは、先ほど自分が女子生徒に化けて潜伏していた教室まで来ていた。
出し物のパン屋には、人っ子一人いない。生徒たちも、来客たちも、みんな避難してしまっていた。
「く……くそッ。やっぱりダメか……」
ひどく落胆した様子で呟く、二十代くらいの男性の姿を取っているジェリーマン。そんな彼の背後から、不意に声をかける者が。
「おいアンタ!」
「っ!?」
驚いた様子で振り返るジェリーマン。
そこにいたのは、日向のクラスメイトの田中であった。
「人の姿を見かけたから追いかけて来てみれば、やっぱり来客さんっすか。放送の通り、この学校に不審者が出たらしいっすよ。迷って外に出られないんすか? 自分が案内しますよ」
どうやら田中は、目の前のジェリーマンが化けた男性を、避難しそびれた来客だと思ってしまっているらしい。学校のいち生徒として、丁寧に声をかけている。
……と、そこへ、二人のいる教室に再び校内放送が流れ始める。
『繰り返します。ただいま、この学校に不審者が侵入したとの報告がありました。安全のため、皆様はグラウンドへの避難をお願い致します。なお、不審者の服装は黒のジャケットに長めのジーパンで、二十代くらいの男性とのことです』
放送を聞いた田中は、目の前のジェリーマンを怪訝な目で見つめ始める。
「黒のジャケットとジーパンに、二十代くらいの男性って……え、ま、まさか……」
「……ちぃッ! バレちまった!」
正体に感づかれてしまったジェリーマンは、右腕を液状化させ、チェーンソーのように勢いよく循環させる。その腕を振りかぶりながら、田中に向かってゆっくり迫ってくる。
「こ、コイツ、ただの人間じゃない!? まさかコイツが、日向たちが退治しに行ったマモノなのか……!?」
「もうここに用はない! この姿もバレてしまった以上、次はお前の血をいただいて、お前に化けてここから脱出させてもらう!」
「な、何かよく分からんけど、冗談じゃない! おさらば!」
「き、貴様ッ、待て!」
襲い掛かろうとしたジェリーマンに対して、田中は背を向けて一目散に逃げ出した。ジェリーマンも田中の後を追う。
そして、二人が勢いよく教室を飛び出す場面を、偶然ここを通りがかった日向が目撃した。
「今のは……ジェリーマンと、田中!? い、急いで追いかけないと!」
日向も二人の後を追って、走り出した。
しかしあの二人、日向と比べると相当に足が速い。
ぐんぐんと突き放されてしまう。
「た、田中ーっ! 待ってー! 俺が来たからー! 俺がソイツの相手するからー! ちょっとー! おーい! と……止まれってー! お前、実は聞こえてるんじゃないのかー!?」
田中に呼びかけながら、二人を見失わないように必死に走り続ける日向。廊下を抜け、階段を上がり、着いた先は屋上のドアの前。その先の屋上に、田中とジェリーマンは入っていったようだ。
「ぜぇ……ぜぇ……何度か見失いかけたけど、二人が来たのはここで合ってるんだよな……?」
疲労のあまり、たまらず息を整えている日向だったが、目の前の屋上へ続くドアの向こうから、田中の声が聞こえる。
『こ、コイツ、何しやがる!? ……痛ってぇ!?』
「た、田中!? くそ、ゆっくりしてる場合じゃない……!」
酸欠気味の身体に無理やり喝を入れて、日向は屋上へと侵入した。
十字高校の屋上は、普段は施錠して封鎖されているのだが、今回はどこぞのサークルの出し物で使われていたためか、普通に侵入することができた。秋空の下、吹き抜ける風がひんやりして心地良い。
そして、そんな屋上のど真ん中に、田中がいた。
しかも、二人。
「…………は?」
二人の田中を見て、日向は呆気にとられた表情を見せる。
目の前の二人の田中も、気まずそうな表情で日向を見ている。
「な、なんで田中が二人いるの……?
ま、まさか、分裂!? 田中はプラナリアだった!?」
「なるほど、単細胞生物だな俺は! ……じゃなくて、日向、コイツは偽物だ! 俺が本物の田中だよ! コイツ、ここで逃げ場を無くしたから、俺に化けて誤魔化すつもりなんだ!」
「はぁ!? なに勝手なこと言ってんだよ!? お前が偽物だろ!?」
「どの口が言うんだ偽物め!」
「このやろ、やんのかー!?」
どうやら、二人の田中のうち、どちらかはジェリーマンが化けた偽物らしい。先ほど田中が悲鳴を上げた時、彼の血を吸収して、姿をコピーしてしまったのだろう。喋り方まで本物と瓜二つだが、田中の記憶を読み取ると共に人格まで再現しているのだろう。
「正体を現せ、偽物ヤロウ!」
「そっちこそ正体を現せ、卑怯者!」
「へっ、強がっていられるのも今のうちだ! 姿までは真似できても、記憶までは真似できないだろ! 俺の家族構成を言ってみろ!」
「簡単だぜ! 俺、おふくろ、親父、兄ちゃん、姉ちゃん、以上だ!」
「な、なんで分かるんだよ!? プライバシーの侵害だぜ!?」
「そっちこそ偽物なら、俺のお気に入りのエロ本の隠し場所は分からないはずだぜ!」
「分かってるさ! ベッドの隙間に挟み込んで、万が一見つかっても大丈夫なように別の本のカバーでカモフラージュして……って、何言わせるんだコイツ!」
「だいたいお前、俺をコピーするならもっと上手くやれよ! 俺、そんな不細工な顔してねーぜ! このブス!」
「なんだと豚野郎!」
「ハゲ!」
「タコ!」
「……なんか、自分で自分を罵倒してるみたいで辛くなってきた」
「俺も……。じゃあ言葉を変えるか。この……イケメン!」
「美形!」
「ハンサム!」
「美男子!」
「あー! 二人ともちょっと静かにしてくれ! ただでさえ田中はうるさいのに、それが二人になるとか何の悪夢だ!」
「「悪夢とは失敬な! 良い夢の間違いだろ!」」
「俺が相手の時だけ息を合わせるの止めろ!」
なんとか二人の争いを静めた日向。
二人の田中を目の前に並べて、口を開く。
「えー、とりあえず、二人の区別をつけるために、こっちの田中を『田中A』、そっちの田中を『田中B』と呼称することにします」
「なんか、RPGのモンスターのグループ分けみたいになってんぞ」
田中Bが、やや呆れた風に呟く。
「ちなみに、『田中A』のAは『アホ』のAです」
「あ、アホぉ!?」
「じゃあ、俺のBは『バカ』のBか?」
「いいえ、『ボケ』のBです」
「ぼ、ボケだとぅ!? 俺にピッタリじゃないか!」
「……なんか、このふざけ具合といい、Bの方が本物な気がしてきた……」
「お、落ち着け日向! まだ判断するのは早いだろ!? とりあえず、どっちが本物か、お前の眼で見極めてくれよ!」
「残念ながら、それには及ばない」
そう言って、日向は冷静に、解説を始める。
「いいか? 二人の田中のうち、一人はあくまで『怪我をしてるように見せかけている』だけだ。本当に怪我をしているワケじゃない。そこで、今から俺が北園さんをスマホで呼ぶ。北園さんにヒーリングをかけてもらって、ちゃんと回復した方が本物の田中だ」
「あー……日向、ちょっとその作戦には問題がある……」
田中Aが、気まずそうに手を挙げる。
「なんだ、田中A?」
「いやな、俺の身体の中、なんか小さな生き物に喰われているような感覚がして、正直な話、メチャクチャ辛いのよ、こうやって話してるだけでも」
「それって……ジェリーマンの『破片』か!」
つまり、先ほど田中がジェリーマンに襲われた時、攻撃を受けたと共に、ジェリーマンの身体の一部を体内に送り込まれたのだろう。それが独自に活動して、田中の体内をゆっくりと食い荒らしているのだ。
田中Bも手を挙げて、日向に主張する。
「ま、待てよ! 俺だって同じだ! しかもこの痛み……どんどん身体の真ん中に向かって来ているんだよ! これ、たぶん、心臓を狙ってきてる!」
「し、心臓って……!」
もし心臓を食われたら、間違いなく田中は死ぬ。心臓とは繊細な臓器で、ボロボロになるまで食われずとも、ちょっとかじられるだけで機能に異常をきたし、田中は命を落とすだろう。だが、ジェリーマン本体を倒せば、独立した破片も活動を停止すると、保健室にて狭山は言っていた。
「つ、つまり、北園さんを悠長に待っている時間は無いってことか……」
「そうでなくとも、お前が電話をかけるなんて隙を見せた瞬間、偽物のコイツは暴れ出して逃げちまうぞ。お前にはしっかり偽物のAの方を見張ってもらわないと」
「こいつ、いけしゃあしゃあと。騙されるなよ日向、Bが偽物だぜ!」
「これは……思った以上に大変なことになってしまったぞ……」
突如として始まった、本物の田中当てゲーム。
友人の命を賭けたデスゲームに、日向の心は緊張で満たされた。
「頼りにしてるぜ、日向! 俺の命はお前にかかってる!」
「俺たち、友達だろ! お前なら当ててくれるって信じてる!」
「「俺たち二人の絆が、今、試される!!」」
「ええいお前ら、自分の命が危ないって時に! お前ら実は仲良いだろ!?」