第402話 駆け引き
「さぁ……来なよ、ズィーク……!」
「…………。」
ズィークフリドとの戦いの中で『水の練気法』を身に付けたシャオラン。攻撃の受け流しに適したこの技は、打撃を得意とするズィークフリドには抜群の効き目を発揮する。
現在もシャオランは『水の練気法』を使い、ズィークフリドに向かって構えているところだ。対するズィークフリドは特に構えを取らず、自然な体勢で立っている。
しかしズィークフリドの立ち方にはどこか力が入っているように感じる。その気になれば、そこからあらゆる攻撃が繰り出せるであろう、立派な構えのように見える。
「…………。」
ズィークフリドが動き出した。
シャオランに向かって、ゆっくりと歩いてくる。
ズィークフリドが下手に攻撃を仕掛ければ、シャオランに技を返される。得意の打撃のほとんどを封じられた中、ズィークフリドは何をするつもりなのだろうか。シャオランも構えたまま、ズィークフリドの様子を慎重に窺う。
ズィークフリドは、シャオランへの歩みを止めない。
どんどん、ガッツリと近づいて来る。
そしてとうとう、両者の距離は目と鼻の先にまで迫った。
「……あー、そうきたかぁ……」
シャオランが、まいったような声色で呟く。
これほどまでにズィークフリドに接近されておきながら、シャオランは一切の迎撃を行なわなかった。
……否。迎撃できないのだ。
合気道に代表される返し技は『相手が放ってきた攻撃の勢いを、そのまま相手に返す』ことでダメージを与える。
例えば、敵が返し技の使い手に思いっきり殴りかかった場合、そのパンチの力の流れをあらぬ方向に逃がし、敵を地面に叩きつける。この叩きつけの威力が、相手のパンチの威力に比例して大きくなる。
別の例を挙げる。敵が返し技の使い手に全力でタックルしてきた場合、タックルしてきた敵の足を払って、転ばせる。敵が転んだとき、タックルの速度が早いほど、派手にこける。当然、派手にこけた方がダメージは大きくなる。
つまるところ、返し技というのは、相手の攻撃に『威力と勢い』があることで初めて成立する技なのだ。
そして今回、ズィークフリドはゆっくりと歩いてシャオランに近づいた。何の攻撃も繰り出さずに、ただ、ゆっくりと。
つまり、これは攻撃ではない。威力も勢いも何もない。
これでは返し技で迎え撃つことができない。
加えて、『水の練気法』は『地』や『火』とは違い、シャオランの肉体には何の強化ももたらさない。あくまで『攻撃を受け流しやすくする』のと『自然回復力を上げる』の二つのみ。こんな状態でシャオランからズィークフリドに攻撃を仕掛けても、それこそ返り討ちにされてしまう。
ゆえにシャオランは、近づいてくるズィークフリドに対して、何もできなかったのだ。
「…………。」
シャオランの目前にまで接近したズィークフリドは、右手の人差し指を立てて、シャオランの喉元にゆっくりと近づけてくる。その指で、シャオランの喉を貫くつもりなのだろう。
この指拳もまた、非常にゆっくりだ。攻撃ではあるが、勢いが全くない。相手の攻撃の勢いを利用する返し技では、この『ゆっくりな指拳』を返しても、大したダメージは与えられない。……いやそもそも、返すことさえできないだろう。
(でも、ズィークのパワーなら、ボクの喉にそっと指を当てて、そのまま押し込めるだけでも、ボクの喉に穴を開けてしまうだろうなぁ……!)
そうなれば、シャオランは絶体絶命だ。
練気法は、呼吸を使ってコントロールする。
喉を潰されれば、呼吸がままならなくなる。
つまり、喉をやられたら、練気法が使えなくなるのだ。
(……けど、この超至近距離は、ボクの八極拳の間合いでもある。ここまできたら、もうシンプルに打ち合うのも選択肢の一つだ……!)
するとシャオランは、即座に『水の練気法』から『地の練気法』に切り替えた。彼の身体から青いオーラが消失し、すぐさま砂色のオーラが発生する。
「ッ!」
その瞬間、ズィークフリドはシャオランの喉に近づけていた指拳を一気に加速させた。太い針のような一刺しが、シャオランの喉元に迫る。
「甘いッ!」
「っ!?」
しかしシャオランは、その攻撃を読んでいた。
ズィークフリドの拳を正面から掴み、指拳を受け止めた。
立てた指そのものは、シャオラン自身の指と指の間を通させて止めた。
「取った! 悪いけど、指を折らせてもらうよッ!」
シャオランはズィークフリドの指を握り、彼に背中を向け、自身の肩を支点にしながらズィークフリドの指をへし曲げる。指を握るシャオランの手が力点。折られる指が作用点だ。ズィークフリドの指が、可動域とは逆の方向に強烈な圧をかけられる。
「……ッ!」
シャオランのパワーで指を曲げられるなど、並の人間ではまず耐えられない。即座に指をへし折られるのが必定だ。
……だが、ズィークフリドは耐えている。
シャオランの指折りに、人差し指一本で耐えている。
「ウソでしょおおお……!? なんで折れないんだよぉぉぉ……!?」
「ッ!!」
「うわぁ!?」
そしてズィークフリドは、あろうことか、人差し指一本でシャオランの身体を持ち上げ、そのまま背負い投げの要領で逆にシャオランを床に叩きつけてしまった。ズィークフリドに背を向けていたシャオランは、顔面から床に叩きつけられる。
「くぅ……!」
「……っ」
ズィークフリドの反撃に備えて、すぐさま立ち上がるシャオラン。しかしズィークフリドはシャオランに追撃を仕掛けず、彼から距離を取った。そして、右手の指の調子を確かめている。今の指一本の投げは、さすがのズィークフリドでも負担が大きかったのだろう。
「ここは攻める……! ここで攻めなきゃ、勢い負けしちゃう!」
シャオランは、距離を取ったズィークフリドに接近する。
纏う気質は”地の気質”。
接近戦の殴り合いを仕掛けるつもりだ。
「……!」
シンプルな殴り合いなら、ズィークフリドも本領が発揮できる。
素早く構えなおし、シャオランの攻撃に備える。
「はぁぁッ!」
シャオランが踏み込む。
それを迎え撃つべく、ズィークフリドが拳を突き出す。
その瞬間、シャオランが纏うオーラが青色に変化した。
「引っかかったね!」
「っ!?」
シャオランは”地の気質”を纏いながらズィークフリドに接近することでズィークフリドの攻撃を誘発させ、間合いに入った瞬間に”水の気質”に切り替えた。シャオランの狙いは殴り合いではなく、返し技だ。
シャオランは、突き出してきたズィークフリドの腕を取り、そのまま自分ごと背中から倒れ込むようにズィークフリドを引き倒す。ズィークフリドも拳の勢いに逆らえず、シャオランに引っ張られてしまう。
「せいやぁッ!」
そしてシャオランは、倒れ込んできたズィークフリドの腹に右足を当てて、そのまま後方へと蹴り投げた。柔道でいうところの『巴投げ』だ。このままいけば、ズィークフリドは背中から硬いコンクリートの床に叩きつけられる。
「ッ!!」
しかしズィークフリドは、投げられつつも素早く体勢を整える。空中で前回りするように、両足から床へと着地した。その際、着地したコンクリートの床にズシンと亀裂が入る。彼としても静かに着地する余裕が無かったのだろう。
そして振り返れば、再びシャオランが接近してきている。
纏う気質は”地の気質”。
だがこれは、殴り合いが目的なのか。
それとも、返し技目的のフェイントなのか。
判断する時間が無い。シャオランはもう目の前だ。
「っ!」
とにかくシャオランに反撃するため、左の拳を突き出すズィークフリド。だが、結局シャオランの狙いを絞れなかったせいか、その攻撃には勢いがない。中途半端な速度だ。
「ふッ!」
そしてその隙を、シャオランは逃さない。
素早くズィークフリドの左拳を払い除け、懐に潜り込む。
「せいやぁッ!」
「……っ!」
シャオランが振り上げた右肘が、ズィークフリドの胴体に打ち込まれた。その衝撃により、ズィークフリドが数歩ほど後ずさる。シャオランの攻撃は効いている。
「まだまだぁッ!」
ようやく掴んだ、攻撃のチャンス。
シャオランは一気にズィークフリドに畳みかける。
左の突きを打ち込み、右膝を突き刺し、右の掌底を叩き込む。
「ッ!!」
ズィークフリドもこの展開を打開すべく、シャオランに反撃を仕掛ける。シャオランの攻撃を耐えつつ、右の拳でストレートパンチを放つ。
「とりゃッ!!」
「っ!?」
しかしシャオランは、ズィークフリドの拳を掻い潜りながら、自分の右肩をズィークフリドの胸にぶつけた。シャオランの強固な肩と、ズィークフリドの攻撃の勢いが正面衝突。ズィークフリドはもんどりうって背中から床に倒れた。
今しがたのシャオランの攻撃は、ほとんど返し技に近いものだったが、彼が纏っていた気質は”地の気質”だった。”水の気質”ではなかった。
シャオランの技の冴えは本物である。その気になれば、『水の練気法』に頼らずとも返し技を仕掛けることだって可能だ。
「ボクだって少しはやるでしょ!」
「…………ッ!」
ズィークフリドの表情が、一瞬険しくなった。
そして、体勢を低くしながらシャオランに突撃する。
(ボクを捕まえる気か! させないぞ……『水の練気法』!)
シャオランが青いオーラを纏ってズィークフリドを迎え撃つ。
ズィークフリドは、猛スピードでシャオランに接近し……。
シャオランの目の前で、ピタリと止まった。
そして、そっとシャオランの腰に両腕を伸ばす。
(……し、しまった!? フェイントだ!)
ズィークフリドの接近の勢いがピタリと止まれば、シャオランは返し技を放つことができない。慌ててズィークフリドから距離を取ろうとするシャオランだったが、既にズィークフリドの両腕はシャオランを囲んでしまっていた。
「ッ!」
「うわっ!?」
そしてズィークフリドはシャオランを正面から抱え上げると、そのまま前方に向かってダッシュ。向かう先は、この地下格納庫のコンクリートの壁だ。そこにシャオランを叩きつけるつもりだ。
「や、やば……!?」
ズィークフリドと壁の板挟みにされたら、いくら『水の練気法』といえど攻撃を流すことはできない。衝撃と衝撃に挟み込まれることにより、ダメージの逃げ場が無くなるからだ。
そしてズィークフリドは、そのままシャオランごと壁面に激突した。コンクリートの壁が大きく砕けて、その中にシャオランがめり込む。
「……ぐ……くぅぅ……!」
しかしシャオランは健在だ。
既に『水の練気法』から『地の練気法』に切り替えていた。
ズィークフリドに掴まれつつも、防御を固めていたのだ。
「せやぁッ!!」
「っ!!」
ズィークフリドの押し潰しを耐えたシャオランは、壁を支えにしながら両足を突き出し、ズィークフリドの顔面を蹴り飛ばした。
シャオランに蹴られたズィークフリドは、身体が浮き上がって吹っ飛ばされる。地面に落下すると、後転して受け身を取った。超重量のズィークフリドを蹴飛ばすなど、やはりシャオランのパワーも尋常ではない。
先ほどまでは手も足も出なかったズィークフリドに、今は攻撃を当てることができている。それも、しっかり威力が乗った一撃だ。そしてそれらは、確実にズィークフリドにダメージを与えている。
これも、『水の練気法』を習得したことにより、返し技と打撃技の駆け引きをズィークフリドに押し付けることができるようになったからだろう。
「はぁ……はぁ……いける……! この調子なら、勝てる……!」
己の攻撃の手応えに、シャオランはそう確信した。