第401話 ”流水”の気質
シャオランが、この土壇場で『水の練気法』を会得した。
そしてズィークフリドの攻撃を捌き、床に叩きつけた。
コンクリートの床が粉砕するほどに、強烈に。
「や……やったかな……?」
倒れるズィークフリドの様子を窺うシャオラン。
「ッ!」
「うわっと!?」
しかしズィークフリドは素早く起き上がり、腕を振るってシャオランを追い払った。シャオランは即座に後退し、ズィークフリドの腕の薙ぎ払いを避ける。
「や、やっぱりそう簡単には倒れてくれないよね……!」
そう言って、シャオランは再び構える。
スムーズに動くその身体からは、やはり麻痺が消えている。
彼の身体の周りから、青いオーラがふつふつと湧き出てくる。
『水の練気法』を使い、”水の気質”を纏ったのだ。
「…………。」
ズィークフリドは、慎重にシャオランとの距離を詰める。
先ほどは下手に手を出したせいで、痛い目を見せられた。
”水の気質”を纏うシャオランは、あらゆる打撃を受け流す。
「…………ッ!」
至近距離までシャオランに接近したズィークフリドは、自然体の体勢のまま強烈な蹴り上げを繰り出した。このままいけば、シャオランの顎下を蹴り上げるだろう。
しかしシャオランは、下から来るズィークフリドの足を避けつつ、その踵あたりに手を添える。そしてそのまますくい上げ、さらに蹴り上げの勢いを加速させた。
「とりゃあッ!」
「っ!?」
ズィークフリドは、加速させられた己の蹴りをコントロールできず、再び身体がその場で浮き上がる。そのまま落下したら、後頭部から床に激突する。
「っ!」
ズィークフリドは、空中で上手く体勢を変えて、手の平を床につける。結果的に、その場でバク転を繰り出すような形でシャオランの反撃を凌いだ。
「……ッ!」
次にズィークフリドは、指拳でシャオランを突き刺しにかかる。
もう一度麻痺を食らわせて、動きを封じてしまおうというのだろう。
しかし、これは今のシャオランには通用しない。
シャオランは、腕を波打つようにしてズィークフリドの指拳をいなす。
「よッ! とぉッ!」
ズィークフリドの指拳が、シャオランの右腕から滑るように逸れていく。これではしっかりと経穴を突くことができない。
「ッ!」
指拳を捌くシャオランの両手を、ズィークフリドは拳を振るって弾いた。そしてガードが開いたところへ、シャオランの左肩めがけて貫手を繰り出す。
ズィークフリドの貫手は、シャオランの左肩に命中した。
したのだが……。
「効かないよ!」
「っ!?」
ズィークフリドの貫手の指先が命中すると、シャオランの左肩もぬるりと動き、その攻撃の勢いを肩だけで受け流してしまった。勢い余ったズィークフリドの身体を掴み、足を払って転ばせた。
「えいやッ!」
「っ!」
地震のような転倒音が地下格納庫内に響く。
身体を強かに打ちつけられ、ズィークフリドの内臓にも衝撃が走っただろう。
倒れたズィークフリドに向かって、追い打ちはせず油断なく構えるシャオラン。なぜ彼の麻痺は治り、身体が動かせるようになったのか。
シャオランの麻痺が治ったのは、『水の練気法』の能力によるものだ。かつてシャオランの師匠のミオンが言っていたが、『水の練気法』は使用者の体調を整えて、自然回復力を底上げする能力があるという。使い続けていれば怪我も治るし、毒や麻痺などの異常も治せるのだ。
『水の練気法』は”流水”の気質。
相手の攻撃を流し、返す、攻防一体の呼吸。
荒れ狂う流れを静水に戻すように、身体の不調も快復させる。
寄せては引く波のように、相手の攻撃を受け流し、押し返す。そして使っている間はどんどん自分の体力が回復していく。防御と回復を両立させる絶対防護圏。それが『水の練気法』だ。
「……けど、師匠の言うとおり、本当に強者との戦いで身に付いちゃったなぁ……。確かに普段から基礎練習はしてたけど……。やっぱり師匠には敵わないや……」
シャオランは再び構える。
纏う気質は、引き続き”水の気質”。
先ほど追撃を仕掛けなかったのは、体力回復に努めるためだ。
対するズィークフリドは、非常にやりにくそうだ。
生半可な攻撃では、シャオランに返されてしまう。
ズィークフリドは、特に打撃を得意としている。
ゆえにシャオランが『水の練気法』を使うと、主力技の大半を封じられてしまう。
手を出しあぐねているズィークフリドの様子を見て、シャオランは思わず笑みがこぼれる。
「いやぁ、良いじゃないか『水の練気法』! 攻撃は受け流せるし、体力は回復するし! なぁんで師匠はもっと早くこの技を教えてくれなかったんだろ! 安全第一のボクにとって、この技はピッタリじゃん! 一生この技使っていたいなぁ!」
柔よく剛を制す。
『柔らかい』というのは、下手に硬いよりよっぽど頑丈だ。
新たなる自己防衛手段を手に入れて、シャオランはすっかり有頂天だ。
一方のズィークフリドは、そんなシャオランを無表情で見つめている。そして、おもむろに自分の懐に右手を忍ばせて……。
サイレンサー付きの銃を取り出し、シャオランに向けた。
「……ひぇ!?」
それを見たシャオランは、咄嗟にその場でしゃがむ。
同時にズィークフリドが引き金を引いた。
サイレンサーが銃声を抑制し、静かな短い音が発せられる。
先ほどまでシャオランの右肩があった場所を、銃弾が通過した。
「危なぁぁぁ!? 当たったらどうするんだよぉぉぉ!?」
涙目になりながら、シャオランが抗議の声を上げる。いくら『水の練気法』といえど、銃弾のような極小かつ音速の攻撃を受け流すのは不可能だ。
そして、それを知ってか知らずか、ズィークフリドはシャオランに銃弾を連射した。肩や脚、脇腹などを狙って引き金を引きまくる。
「ち、『地の練気法』ぅぅぅ!?」
シャオランは急いで『地の練気法』を使い、身体を鋼のように固める。
同時に銃弾がシャオランの身体に着弾。
防弾道着の防御力もあり、飛んできた銃弾全てを防いだ。
「あ、危なかった……」
「ッ!!」
「はぐぅ!?」
銃弾を防ぎきって油断したシャオランに、ズィークフリドが”縮地法”で瞬時に近づき、彼の腹に強烈なボディーブローを叩き込んだ。シャオランは『地の練気法』で身体を強化していたとはいえ、物凄い衝撃が腹部に叩き込まれた。
「げほ……マズい、はやく『水の練気法』を……」
急いで『水の練気法』を再使用し、ズィークフリドの攻撃に備えようとするシャオラン。
「ッ!」
「うわぁ!?」
しかしズィークフリドは、シャオランが呼吸を整えるより早く、シャオランの襟首と内股を掴んで抱え投げを繰り出した。今度はシャオランが地面に叩きつけられた。
地面に仰向けに倒れたシャオラン。
そのシャオランの身体の上に、すかさずズィークフリドが乗る。
圧倒的なパワーと重量で、シャオランを逃がさない。
「ぐぇぇ……重いぃ……」
そしてシャオランを抑え込んだズィークフリドは、そのシャオランに向かって拳を叩きつけまくった。左右の拳で連打を浴びせる。
「ッ! ッ!!」
「痛っ!? ちょ、まって、あぐっ!?」
ズィークフリドの硬い拳が、雨あられのようにシャオランに降り注ぐ。ズィークフリドにのしかかられて動きを制限されているシャオランは、これでは『水の練気法』で攻撃を受け流すどころではない。両腕で必死にガードしている。
先ほどの銃撃といい、やはりズィークフリドは、シャオランの『水の練気法』をどう攻略したらいいか分かっているようだ。シャオランに受け流しを使用させない立ち回りに切り替えてきた。
そも、ズィークフリドは、ロシア流合気道とも言うべきシステマを会得している。受け流しに関するテクニックは、ズィークフリドも心得がある。ゆえに、シャオランの受け流しにもどう対処したらいいか察しがついているのだろう。
「……?」
と、その時だ。
ズィークフリドは、シャオランを殴りながら、あることに気付いた。
シャオランの身体から砂色のオーラが消失している。
シャオランは今、『地の練気法』を使っていない。
パウンドの嵐を浴びせられ、両腕でガードを固めているのに。
攻撃を受けることについてこれ以上無い能力を、使っていない。
「……ッ!?」
そしてすぐさま、ズィークフリドはシャオランから飛び退いた。
シャオランの右拳から赤いオーラが発生し、ズィークフリドの腹部に近づけられていたからだ。
「ああ……惜しい。攻撃に夢中になっていたところに、この”火の気質”の拳を叩き込むはずだったのに、これじゃ殴られ損じゃないか……」
シャオランは不満げな表情で立ち上がる。彼が『地の練気法』を使っていなかったのは、『火の練気法』でズィークフリドに反撃することを狙っていたからだったようだ。
もう少しズィークフリドがシャオランから離れるのが遅かったら、あの一撃必殺の拳を腹部に打ち込まれていたところだった。たとえマウントを取られている不安定な体勢からでも、彼の”火の気質”の拳の威力は侮れない。
「……ふぅぅぅ…………」
そして再び、シャオランが深く息を吐く。
彼の全身から、青色のオーラが発生した。
『水の練気法』だ。
「…………。」
ズィークフリドもシャオランに向き直る。
彼の、シャオランに対する警戒レベルは、最高値にまで達している。
防御と攻撃を両立させる『地の練気法』。
一撃必殺の『火の練気法』。
柔の絶対要塞『水の練気法』。
今のシャオランを倒すのは、ズィークフリドといえど一筋縄ではいかない。
この三つの練気法を、ズィークフリドはどう対処するのか。
そしてシャオランは、この三つの練気法を駆使して勝機を掴めるのか。
「さぁ……来なよ、ズィーク……!」
相対するズィークフリドに対して、シャオランは不敵に笑ってみせた。