第400話 真実を知って
「……私から伝えることができる話は、これで以上だ」
ホログラート基地の執務室にて。
グスタフは、オリガの過去を、そして自分やズィークフリドの過去を話し終えた。
その話を、オリガは黙って聞いていた。
いつの間にか、グスタフに向かって構えていた銃も下ろしていた。
……だが、グスタフの話が終わると、その銃を再びグスタフに向ける。
「……そう。最後に良い話が聞けてよかったわ」
オリガは、自分をロシア国家に売り渡した両親のことを恨んでいた。施設の職員からは、自分が両親に売られたのは『遊ぶ金欲しさのため』と虚偽の情報を吹き込まれていた。それが嘘だと知ってもなお、やはり自分を地獄に落としたきっかけを作ったのは、両親だ。
グスタフに銃口を向けるオリガを、日下部日向が制止する。
だが、彼も縄で拘束されているので、口だけで。
「ち、ちょっとオリガさん!? グスタフさんは何も悪くないじゃないですか! それどころか、あなたを助けるために必死に頑張ってきていた! それでもグスタフさんを撃つんですか!?」
「うるさいわよ日下部日向。これは、私の長年の夢の一つだった。今さら諦めるなんて……!」
「事実はどうあれ、私はお前を国に引き渡し、その際に多額の口止め料を受け取った。お前を売ったも同然だ。今のお前の気持ちを考えるなら、たとえ国を敵に回してでもお前を守ってやるべきだった」
「う……ぐ……!」
「私は父親失格だ。殺したいなら殺せ。それでお前の気が済むのならな。だがその代わり、ミサイルの発射は中止してほしい。ミサイルによって犠牲になる者たちのほぼ全員は、お前の復讐とは無関係の人間だ。私の命と引き換えに、頼む」
「く……」
オリガは、歯噛みしている。
引き金にかけている指が、わなわなと震えている。
彼女は迷っている。
怒りの衝動に身を任せ、父を射殺するのか。
それとも、長年抱いてきた復讐心を抑えるのか。
そして、オリガが出した結論は。
「……はぁ。しらけちゃったわ」
そう言ってオリガは、銃を仕舞った。
彼女は、父親を殺さなかった。
……しかし。
「あなたの命と引き換えにって言うのなら、お断りよ。私はあなたを助けてあげる代わりに、ミサイルは予定通り発射させてもらう」
「だ、駄目だオリガ! そんなことをしたら、いったいどれほどの人間が犠牲になるか……!」
「そ、そうですよオリガさん! せっかく本当の家族に会えたのに、また罪を重ねたら……!」
「『もう彼らと一緒に過ごすことはできない』なんて言いたいのかしら、日下部日向? 甘いわね。もう何もかもが遅いのよ。私は彼らと一緒に生きていく資格なんて無い。そんなこと、世間様が許すと思う?」
「で、でも……!」
「まったく、本当にうるさいわね。もうそろそろ仕事の仕上げに入るし、このままあなたと北園良乃も洗脳しちゃいましょうか」
「くっ……!」
途端に自分に敵意を向けられ、日向は縛られたまま身構える。
そんな日向に、オリガは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「……ああそうだ、良いこと思いついちゃったわ」
「良いこと……?」
「まずあなたを洗脳して、北園の純潔を汚させる……っていうのはどうかしら?」
「…………はぁぁ!?」
突然の、あまりにあんまりな考えに、日向は抗議の叫びを上げる。
北園が閉じ込められているスーツケースも、ガタンと一回動いた。
「なんでそんなこと思いつくんですか! そ、そんなことしたら、北園さんが可哀想でしょうが!」
「ここまでさんざん私に馴れ馴れしくしてきた罰よ。あなたの手で、彼女の心に一生消えない傷を作ってあげちゃいなさい」
「そ、それにほら、俺は別にその、北園さんのことは何とも思っていないですから、俺に北園さんを襲わせても、俺へのダメージは少ないですよ! 罰にはならないので、もっと他のこと考えましょう!」
「嘘ね。だってあなた、北園を見る目とその他を見る目が全然違うもの。あなた、北園良乃に気があるんでしょ?」
「そ……そんなこと……ないですよぉ……?」
そう言う日向だが、視線は完全に泳いでいる。
もはや、隠し通すことはできない。
「さぁ……私の眼を見なさいな、日下部日向……!」
オリガは、縛られている日向の目を見つめる。
だが日向も、瞼を閉じて抵抗する。
「絶対お断りですよーだ! おととい来やがってくださーい!」
「ふん。だったら力ずくでその瞼をこじ開けてあげる」
そう言ってオリガは、縛られている日向に手を伸ばす。
そして……。
「……今だぁっ!!」
「きゃっ……!?」
日向が、腕を縛っていた縄を引きちぎった。
そしてオリガの身体に抱き着くように、彼女を床に押し倒した。
腕までしっかり抑え込んで、オリガに身動きを取らせない。
オリガはパワーはあるが、身体が小さい。体格差を活かし、不意を突けば、日向でもオリガを組み伏せることができる。だがオリガも日向を引き剥がそうと、両腕を日向の腕から引き抜こうとしている。
しかしそれよりも、一つの疑問がある。
「な、なんで……!? どうやってあなた、腕の縄を振りほどいたの!? 確かに厳重に縛っておいたのに……あなた程度の縄抜け技術じゃ絶対に解除できないはず……それなのに……!」
「さーて? どうやったと思います?」
「ちっ……!」
日向のパワーに対抗しながら、オリガは日向を縛っていた麻縄をチラリと見やる。縄は、一部が黒く焦げていた。
「縄を焼いた……? 焼いて縄を脆くしたの……? けどあなたは、日影みたいに自力で身体から炎を発生させることはできない。最低でも、何らかの怪我を負う必要がある……」
「ええ。だから、怪我したんですよ」
「怪我を? ……そうか、無理やり縄を振りほどこうとして、手首を擦りむいた時ね……!」
「そういうことです。日影たちの戦いを観ていた間も、グスタフさんが話をしていた間も、何度も手首を傷付けて縄を炙っておいたんです。怪我は小さいから、”再生の炎”も弱火でした。だから派手な火事にもならなかった。あとは、熱さを顔に出さないようにするのが大変でしたね」
「な、生意気……っ!」
なんとかオリガに一矢報いることに成功した日向。
だが、ここから日向とオリガは膠着状態に陥る。
日向はオリガを押し倒したが、そこから何の攻撃もできない。
彼女を逃がさないように抑え込むだけで精一杯だ。
「離れなさいよこの変態!」
「くおお……なんつうパワー……!? けど、これだけ有利な体勢なら、なんとか耐えられる……! このまま時間稼ぎさせてもらいますよ……!」
「だったら、『星の牙』たちに命令して、配下のマモノたちをこの部屋に送ってもらうわ……! マモノの横やりが入れば、あなたも私を抑えることはできなくなるでしょ……!」
「くぅ……そう来たか……。この状態で、どこまでもつか……」
……と、その時だ。
日向の視界に、チラリとモニターの映像が入った。
地下の日影たち三人とズィークフリドの戦いを映していた映像だ。
「……あ、あれは……!」
その映像の中で、日向はハッキリと見たのだ。
三人の仲間のうちの一人が、再び立ち上がったところを。
◆ ◆ ◆
一方、こちらは地下格納庫のズィークフリド。
日影たち三人を無力化し、静かに佇んでいる。
三人は倒したが、まだ地上にはロシア軍が残っている。
彼らもまた、一人残らず排除する。
姉の理想……ロシアへの復讐を達成させるために。
何があっても、姉の味方をすると決めた。
たとえその理想で多大な犠牲が発生しようと、それは変わらない。
だがしかし。
唯一、姉に不満があるとするならば。
最初から、自分を洗脳などせずに、信じて声をかけてほしかった。
そうしたら自分は、喜んで手を貸したのに。
ズィークフリドは、地上に向けて歩き出す。
黒いロングコートを翻し、銀の長髪をなびかせて。
「……待って!」
「……!」
そのズィークフリドを、一つの声が後ろから呼び止めた。
ズィークフリドを呼び止めたのは、シャオランだった。
先ほどまで確かに麻痺していたはずなのに、今はしっかりと立ち上がっている。
「……!?」
ズィークフリドが、少しだけ目を見開いた。
シャオランの麻痺は、まだ当分の間は解けないはずだったのに。
いったい何が起こったのか。
そんな彼の心中も意に介さず、シャオランはズィークフリドに話しかける。
「今……キタゾノの精神感応で聞いたよ……。ズィーク……キミはオリガの弟なんだって……」
「…………。」
「キミがそこまで強くなったのは、全部お姉ちゃんのためだったんだね……。このテロに加担したのも、オリガのために……」
「…………。」
「……でも、やっぱりキミは間違ってるよ、ズィーク! 確かにオリガは今まで不当な扱いを受けてきて、その復讐の手伝いをしたいと思うのも分かるよ。けど、そのために大勢の無関係の人々を犠牲にするなんて許されない! どうしてその鍛えた力でお姉ちゃんを止めてあげなかったんだよ! キミならそれくらい、簡単にできただろ!?」
「…………。」
「ズィーク、キミは優しい人だ。ちょっと雰囲気が怖いけど、強くて優しい、武人の鑑のような人。だからこそ、ボクはキミが間違った道を歩むのが、とても悲しい……!」
シャオランとしても、戦う相手にこれほどの『哀』の感情を抱いたのは初めてだった。なんとしても彼を止めてあげたいという思いが胸の中で渦巻き、痛みさえ覚えていた。
その『哀』の感情が。
シャオランの練気法を次なるステップへと進ませた。
「ズィーク……! ボクは、他でもないキミのために、キミを止める……!」
そう言って、シャオランは深く息を吐いた。
次いで彼がその身に纏ったのは、青いオーラだ。
「…………?」
ズィークフリドは表情を変えずに、しかし首を傾げた。
あのような色のオーラ、シャオランが纏うのは初めてだ。
これは『水の練気法』。
地・火に続く、第三の練気法だ。
「…………。」
ズィークフリドは、再びデトロイトスタイルの構えを取る。
先ほどのフリッカージャブを、もう一度シャオランに浴びせるつもりだ。
「ッ!」
そしてズィークフリドは、シャオランに向けて左のフリッカーを放つ。
「はッ!」
だがシャオランは、それを左手でふわりといなす。
「ッ! ッ!」
「やッ! せいッ!」
ズィークフリドは、フリッカーのラッシュを仕掛けてきた。
しかしシャオランは、これも左腕一本で捌ききる。
その動きは、先ほどズィークフリドの攻撃を凌いでいた時より、さらに洗練されている。左腕は流れるような動作で、ズィークフリドの攻撃をシャオランに命中させない。
「…………!?」
明らかに変化した、シャオランのスタイルの質。
ズィークフリドも、警戒を強めている。
これが『水の練気法』の特徴だ。
相手の攻撃が、まるで水に流れるように逸れていく。
そこに攻撃の受け流しの技術を併せれば、難攻不落の柔の要塞の出来上がりだ。
「ッ!!」
ズィークフリドが、五本の指を獣の爪のように立てて、突きを繰り出す。
「ていッ!」
だがそれより早く、シャオランがズィークフリドの胸に手を当てる。
ズィークフリド自身の攻撃の勢いが、シャオランの手によってせき止められる。
これにより、ズィークフリドは文字通り勢い余って、両脚が前に浮きあがった。まるでバナナを踏んで滑った時のように、身体がその場で宙に浮く。
そしてシャオランは、ズィークフリドの胸を押さえながら、受け身も取らせずに床へと叩きつけた。
「せやぁぁッ!!」
「ッ!?」
ズィークフリド自身の重さもあり、コンクリートの床が陥没した。
投げ技の威力は、相手の重さに比例して上がっていく。体重165キロのズィークフリドが投げ技を喰らえば、そのダメージは計り知れないものになる。
ようやくだ。
ようやくシャオランは、ズィークフリドにまともなダメージを与えることに成功した。