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第397話 子供たち

 オリガがグラズエフ家を去って、はや四年。

 オリガは四歳になり、弟のズィークフリドは二歳になった。


 四年経って、グスタフはようやく、娘のオリガとの面会を許された。

 彼女がいるのは、ロシア対外情報庁の建物の地下深く。

 エレベーターに乗って、地下施設へと向かう。

 そして、職員から一つの部屋に案内された。


 その部屋は、一言で言い表すなら『牢屋』だった。

 無機質な白い壁、白い床、白い天井。

 部屋の真ん中には透明のガラスが張られており、手前と奥を隔てている。

 純白の見た目により清潔感こそあるが、この部屋が持つ機能は牢屋そのものだ。


 そして、部屋を分かつガラスの向こう。

 そこに、金のふわふわロングの少女がいた。

 部屋の隅っこで、ジッと座り込んでいる。


 一目見て、グスタフは分かった。

 彼女こそが、自分の娘だと。

 まだ幼いが、確かに妻の面影がある。


 ガラスに近づき、娘の様子を見るグスタフ。

 ガラスの向こうのオリガもまた、グスタフの存在に気付く。


 だがオリガは、目の前の男が自分の実の父親だと気付いていない。

 そしてグスタフも、自分が父親だと彼女に伝えることを禁じられていた。


 四歳のオリガは、怯えたような表情でグスタフに近づく。


「オリガ……」


「あの……えっと……おじさんは……だれ……?」


「あ、ああ。私はグスタフ。兵隊さんだよ。グスタフ大尉と呼んでくれ」


「ぐすたふ……たいい……?」


「うん。今日は……君に会いに来たんだ、オリガ……」


 グスタフは、出来るだけ優しくオリガに声をかける。

 そんなグスタフの優しさを感じ取ったのか、オリガは……。


「たいい……おねがい、たすけて!」


「お……オリガ……?」


 突如として、グスタフに助けを求め始めた。

 だが、何から助けたらよいのか分からず、グスタフは首を傾げる。


「おねがい、たいい! ここからだして!」


「お、落ち着きなさい、オリガ。いったい、どうしたんだ……?」


「わたし、もうくんれんはいやだ! きついのもいやだ! いたいのもいやだ! いいこにするから! だからおねがい! たすけて、たいい!」


「オリガ……」


 幼いオリガの言葉を受けて、グスタフは呆然とする。

 しかし、その表情をすぐに笑顔で隠し、オリガに声をかける。


「分かった、分かったよ。君は訓練を受けないといけないけど、その訓練をもっと優しくするように、職員さんたちにお願いしてくるから」


「くんれん……やさしくなるの……ほんとに……?」


「ああ。おと……私に任せておきなさい」


「……うん! おねがい、たいい!」


 グスタフの言葉を受けて、幼いオリガが笑顔を浮かべる。

 ……だが、その笑顔はどこか、引きつっている。


 グスタフは、直感で分かった。

 オリガは、自分に気を遣っているのだ。


 本当は、訓練そのものを無くしてほしいだろうに。

 訓練が優しくなるならと、それで妥協したのだ。

 まだ四歳の少女が、気遣いを覚えさせられている。

 本当は、もっとわがままを言いたい年頃だろうに。


「それじゃあ、今日は帰るよ。またね、オリガ……」


「うん……! たいい、やさしいからだいすき! またきてね!」


「ああ……また……」


 グスタフは、ガラスの向こうのオリガに手を振りながら部屋を出ていった。その表情はやるせなさに満ちていたが、幼いオリガには、その表情が意味するところが分からなかった。



◆     ◆     ◆



「あの子に何をしたっ!!」

「ぐっ……!?」


 オリガの元を去るや否や、グスタフはオリガの育成プロジェクト……『無敵兵士計画』の責任者に詰め寄った。彼の胸倉を掴み上げ、服を引きちぎらんばかりの勢いだ。


「私の娘に、非人道的な訓練を強いているのか……!? あんな幼子を相手に、貴様らそれでも人の子かっ!!」


「く……お、落ち着いてください、大尉……!」


「娘の訓練を、もっと無理のないものに見直せ! 今すぐにだ!」


「し、しかしですね大尉。国から提示された能力を身に付けるには、この年頃からでも現在くらいの訓練量が不可欠でして……」


「いいから変えろ! さもないと……」


「……さもないと、どうするんです?」


 突然、先ほどまで押されていた責任者が、冷たい表情に切り替わった。


「さもないと、私を殺しますか? そうなればあなたは国家反逆罪だ。娘さんだって処分されてしまうでしょうね」


「貴様、オリガを人質に取るか……!」


「割り切ってくださいよ、大尉。お気持ちはお察ししますがね。私だって、こんなことはやりたくないんですよ。けどね、ただの大尉階級のあなたより、国の命令に従うのは当たり前でしょ? 長い物には巻かれろ、ですよ」


「う……ぐ、く……くそ……!」


「今日の娘さん、精神状態が過去最高に高揚しているみたいです。あなたとお話できたからでしょうかね。機会があれば、また会いに来てやってくださいよ」


「く……」


 グスタフは、力無くうなだれながら、責任者の元を後にした。

 責任者は、グスタフに掴まれた襟首を直しながら、彼の背を見送る。


「…………ふん、モンスターペアレントめ」


 オリガの訓練が優しくなることは、決してなかった。



 その後、地上に戻るために再びエレベーターに乗るグスタフ。

 そこで、グスタフは誓った。


「私に力が無いから……私が一兵卒に過ぎないから、オリガのために何を意見しても、聞く耳を持ってもらえない……。ならば私は、あの子のために力を付けよう。いずれはあの子のために……この機関に働きかけることができるくらいに、軍人としてのし上がってやる……!」


 その日から、グスタフはよりいっそう、職務に打ち込んだ。軍の中で高い地位を手に入れて、オリガを地獄から解放してあげるために。


 だが、グスタフがどれだけ努力しても、その出世は緩やかなものだった。現在の彼の地位は大佐だが、地位以上の実績とキャリアを築いてきた。本来なら准将や少将、上手くいけば中将の地位にまで上り詰めていてもおかしくないほどだ。


 これは、国の圧力によるものだ。グスタフが高い地位を手に入れて、オリガと必要以上に接触しないように、国がグスタフを妨害していたのだ。


 グスタフとしても、なんとなくそんな気はしていた。

 だがそれでも、愚直に努力するしかなかったのだ。



◆     ◆     ◆



 オリガに初めて会いに行った、その日の夜。

 グスタフは、自宅に帰ってきた。

 今は寝間着を着て、くつろいでいる。

 だがその表情は、オリガを想って、暗いままだ。


「……おとうさん」


 そんなグスタフに、幼い少年が声をかけてきた。

 二歳になった息子、オリガの弟のズィークフリドだ。

 彼は、自分に姉がいることを知らされていない。


「む……おぉ、ズィークか。どうしたんだ?」


「おとうさん。ききたいことがあるの」


「ふむ? 何かな? 言ってごらん」


「ぼくには……おねえちゃんがいるよね?」


「…………!?」


 グスタフは、驚きの表情を隠せなかった。

 なぜ、目の前の息子は、その可能性に思い至ったのか。


 ズィークフリドの前で、オリガの話をしたことは一度も無かった。オリガの思い出が詰まったおもちゃも写真も服も、すべて処分した。

 例の、ロケットに隠したあの写真も、ズィークフリドには見せていない。グスタフが肌身離さず持っているため、こっそり見られたということも有り得ない。


 たとえ二歳の息子が相手でも、オリガの存在を明かすことは、国によって禁じられている。グスタフは驚愕の表情をすぐに消して、ズィークフリドの質問を否定した。


「おかしなことを言うなぁ、ズィークは。お前は一人っ子だよ。お姉ちゃんが欲しかったのかい?」


「ぼく……きいたんだ。おとうさんとおかあさんが、おねえちゃんのことをはなしているのを……」


「馬鹿な……! いったい、どこで聞いたというんだい、そんなこと!」


「えっと、おなかのなかで……」


「なっ……!?」


 信じられない話かもしれないが、『お腹の中にいた頃の記憶がある』という子供は実在する。それも、結構な数が。自分がお腹にいる間に、親が食べた物を覚えているという子供もいるのだ。


 そしてグスタフは、妻のマーガレットがズィークフリドを身ごもっている間に、彼女と共にオリガのことを話していた記憶が確かにあった。


(まさか……あの会話を聞かれていたのか……!)


 想定外の事態に、グスタフは衝撃を隠せない。

 一方、息子のズィークフリドは、二歳とは思えないくらいに落ち着き払って、父親に話を続ける。


「べつに、おなかのなかでおはなしをきかなくても、なんとなくわかってたよ。ぼくには、おねえちゃんがいるって」


「ズィーク……」


「だから、おしえて、おとうさん。ぼくには、おねえちゃんがいるよね?」


「く……」


 もはや、誤魔化すことはできない。

 それに、やはり息子というのは可愛いものだ。

 よってグスタフは、ズィークフリドに打ち明けてしまった。

 彼には、確かに姉が存在するということを。


「やっぱり……! おねえちゃんのなまえ、なんていうの……!?」


「それは……教えられない……」


「えぇー。じゃあ、おねえちゃんはいま、どこにいるの?」


「お姉ちゃんは……仕事をしているんだ。この国のために、大事な仕事をね……」


「どうやったら、おねえちゃんにあえるの?」


「ズィーク……無理だ……お前はお姉ちゃんには会えない……」


 姉は、国の暗部に連れ去られてしまった。表の世界で生きるズィークフリドが会うことなど、まず不可能だ。そう思い、グスタフは息子を諭そうとする。


「いやだ! ぼくはあきらめない! おしえてよ、おとうさん! おねえちゃんにあうには、どうしたらいいの!?」


 しかしグスタフは、息子の必死な表情に、逆にほだされてしまった。

 そしてつい、こんなことを答えてしまう。


「そ、そうだな……ズィークがすごく強くなったら、お姉ちゃんの仕事の手伝いができるかもしれないなぁ。そうすれば、お姉ちゃんに会えるかも……」


「ほんと!? ほんとだね、おとうさん!?」


「……ああ。本当だとも……」


「じゃあ、ぼくがんばる! つよいおとこになって、おねえちゃんのおしごとのおてつだいをする!」


「ああ……頑張りなさい、ズィーク……」


 息子のその言葉を、グスタフは真実だとは思わなかった。

 幼いころに見る、一時の夢だと思った。

 例えば『大きくなったらゴレンジャーになりたい』とか。

 あるいは『ボク、お母さんと結婚する!』みたいな。

 そんな、成長と共に忘れる夢だと思っていた。



 だが、ズィークフリド少年は本気だった。

 まだ二歳になったばかりの男の子は、こうして将来の夢を決定した。

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