第383話 敵か味方か
「おらっ、入れ!」
「おうふ」
日向はオリガに敗北し、再び拘束されてしまった。現在はテロリストのメンバーに引き渡されて、このホログラート基地の執務室へと運ばれてきた。ここまで持ってきた武器は没収され、手足は再び縄で縛られている。
テロリストに執務室の中へと突き飛ばされると、日向はバランスを崩して部屋の真ん中でこけた。
日向は、自分を縛っている縄の状態を確認する。
檻に入れられていた時より、さらに厳重に縛られている。
これは、日向の縄抜けのスキルで外すことは難しいだろう。
「うーん、厄介なことになったぞ……」
「む、君は……?」
「え?」
執務室の片隅で声がした。日向の他に誰かがいるようだ。
見てみると、軍服姿の壮年の男性が、日向と同じように縛られて転がされていた。
「随分と若いな……それに、日本人か? 君は何者だ?」
「えっと、俺は日下部日向っていいます……」
「日下部日向……そうか、君が……」
「あれ? 俺のこと知ってるんですか?」
「うむ。狭山からよく君のことを聞かされているよ」
「狭山さんから……。じゃあ、あなたはマモノ対策室の関係者?」
「ああ。私はグスタフ・ミハイルヴィチ・グラズエフ。ロシアのマモノ対策室エージェント部門を統括している者だ」
「グラズエフって、たしか……」
「私はズィークフリドの父親だ。息子とは君も何度か会っていると思うが……」
「ズィークさんの……!」
と、その時だ。
再び、執務室の扉が勢いよく開いた。
そして中に入ってきたのは、三人の人物。
一人目は、このテロ組織『赤い稲妻』のリーダーの男だ。
日向もノルウェーの難破船で、彼と少し会ったことがあるので覚えている。
二人目は、オリガだ。
北園が閉じ込められていると思われる、銀色の大きなスーツケースを引きながら、部屋に入ってきた。
そして三人目は、黒いコートに身を包んだ、銀の長髪の偉丈夫。
今しがた話に出てきた、ズィークフリドだ。
「現『赤い稲妻』の幹部揃い踏み……って感じだな」
日向が呟く。
部屋にやって来た三人は、縛られている日向たちを見下ろしている。
「……どうやら、せっかく捕まえていた人質を解放したみたいね、日下部日向。よくもやってくれた……とも思うけど、それより先に感心するわ。意外とやるじゃない。やっぱりあなたは、放っておくのは危険だったみたいね」
「……そりゃどうも」
オリガは妖艶な笑みを日向に向け、日向はオリガを真っ直ぐ睨み返す。そしてその横から、『赤い稲妻』のリーダーの男がいきり立ちながら怒鳴った。
「このクソガキがっ! よくも俺たちの計画を邪魔しやがって! 今すぐぶっ殺すぞコイツら!」
「落ち着きなさいな、リーダーさん。この子たちには利用価値がある」
そう言うとオリガは、引っ張っていた北園入りのスーツケースを、片手で前方の床の上に投げ落とした。スーツケースの中から一瞬、北園のくぐもった悲鳴が聞こえた。
「あ、こら! 北園さんを乱暴に扱うな!」
「日下部日向。私は言ったわよね? 大人しくしておけば、あなたも北園も無事に帰してあげるって。でもあなたは、その取引を蹴った。覚悟はしているのでしょうね?」
「いえ全然」
「……ふん。再生能力を鼻にかけて、強気でいられるのも今のうちよ。北園を洗脳して私の意のままに動く手駒にしたら、少しは考えも変わるでしょう」
「まぁ落ち着きましょう。話せば分かる」
「話すことなんか何も無いわよ、反逆者さん?」
実際のところ、日向はかなり焦っている。
手足は縛られているし、敵の数は多い。
そして今、目の前では北園が洗脳されるかもしれない状況だ。
(この窮地……どうやって脱出しようか……)
オリガを睨み返しながら、日向はその裏で頭脳をフル回転させる。
そして、一つの考えを思いついた。
(……ズィークフリドさんを説得するしかない。あの人は、オリガさんの洗脳を跳ね返している可能性がある。もしそうなら、何の目的で正気のままオリガさんに近づいているかが分からないけど、それでもどうにかして俺たちを助けてもらうしかない……!)
そして日向が、部屋の片隅に立っているズィークフリドに声をかけようとした、その時である。執務室の扉が、またしても勢いよく開かれた。
「り、リーダーっ! 大変だぁ!」
入ってきたのは、テロリストの下っ端だ。
リーダーはイラつきを露わにした目で、下っ端を見やる。
「うるせぇ! 何の用だ!」
「ろ、ロシア軍の連中が、攻めてきやがった!」
「な、なんだとっ!?」
それは、テロリストたちが恐れていた事態であり、日向にとっては待ちわびていた援軍であった。きっとそこには、日影たち三人もいるのだろう。
(これで勝負は分からなくなった……! 後はこの混乱に乗じて、どこまで抵抗できるか……)
その一方で、オリガやリーダーはテロリストたちに指示を出している。
「この基地で鹵獲した兵器を使え! 連中は皆殺しにしろ!」
「り、了解!」
「……今、マモノたちに指令を与えたわ。そちらのメンバーと共にロシア軍を迎え撃つ様に伝えておいた。……けれど、現在負傷しているコールドサイスやジェネラルウルフには下がるように言っている。『星の牙』が倒れたら、あの子たちが統率しているマモノたちがこちらの言うことを聞かなくなる」
「了解だ。それじゃあ俺たちも、表でマモノたちと一緒に暴れるぞ」
「ええ、分かったわ……うぐ、げほっ! ごほっ!?」
と、テロリストのリーダーに返事をしている途中で、オリガは激しく咳き込んだ。顔色も悪くなっているように見える。
日向と共に縛られているグスタフが、オリガを心配するような視線を向けている。敵であるはずの彼女に向かって。
「お、オリガ!? 大丈夫か!?」
「ごほっ、ごほっ! ひ、他人の心配をしている場合かしら、大佐……?」
「……ああそういえばお前、身体にガタが来ているんだっけか。仕方ねぇ、お前が倒れてもマモノの洗脳が解除されて、俺たちは総崩れになっちまう。お前はここで大人しくしとけ」
「く……そうね、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「よし。あとついでに、ガキどもの始末はお前に任せるぞ」
「分かったわ」
テロリストのリーダーは、下っ端たちと共に部屋を出ていった。この執務室に残っているのは、日向と、グスタフと、オリガと、ズィークフリドと、スーツケースに閉じ込められている北園の五人だけである。
「……さて、ズィーク?」
オリガがズィークフリドに声をかける。
ズィークフリドは、ゆっくりとオリガの方を向く。
「あなたにも働いてもらうわよ。ロシア軍を……特に、日影たちを排除してちょうだい。アイツらは間違いなく、向こうにとっての切り札よ。連中を止められるのは、あなたしかいないわ」
「…………。」
「……待ってください、ズィークさん!」
オリガの言葉を聞いているズィークフリドに、日向が声をかけた。
ズィークフリドは、今度は日向の方にゆっくりと振り向く。
「ズィークさん、あなた、実は操られていないんでしょう? だからオリガさんの『俺たちを皆殺しにしろ』という命令を無視して、あのホログラート山岳地帯の雪原で俺たちを生け捕りにして、倉間さんを見逃した!」
「く、日下部日向、何を言ってるの……?」
「ズィークさん、もしあなたが、オリガさんを倒すために、操られているフリをしてオリガさんに近づいているのなら、今がオリガさんを制圧するチャンスです! オリガさんを止めて、この戦いを終わらせてください!」
「ズィークは……私の息子は、やはり操られていなかったのか? 確かに私も、お前が操られているという割には、普段とあまり様子が変わらないように感じてはいたが……」
「…………。」
「デタラメ言わないで、日下部日向! ズィークが操られていないなんて、そんなことあるワケないじゃない! さっき洗脳したばかりなのよ!?」
「ズィークさん! このままじゃミサイルが発射されて、大勢の人間が死んでしまいます! あなたのパートナーのオリガさんは、最悪のテロリストとして歴史に名を残すことになる! それでも良いんですか!? あなたは優しい人だ、そんなこと望んではいないでしょ!?」
「…………。」
ズィークフリドはジッと日向を見つめている。
その瞳には、ハッキリとした意志の光が宿っているのを感じる。
「…………。」
「…………え?」
……だがズィークフリドは、日向に向かって、首を横に振った。
日向の要請を、拒否したのだ。
「ず、ズィークさん……!? なんで、どうして!」
「ズィーク……お前は、自分の意思でオリガに協力するつもりか……?」
「…………。」
日向とグスタフの問いに、ズィークフリドは答えない。
二人から目線を外し、押し黙っている。
一方で、オリガはまだ、困惑の表情を浮かべていた。
「こ、この反応……確かにズィークは洗脳されていない……。私の精神支配が効いているなら、彼は二人の問いに首を振ることさえしないはずなのに……。意思の無い操り人形みたいになっているはずなのに……」
オリガは、おぼつかない足取りでズィークフリドへ近づいていく。
傍目からでも分かるほど、今の彼女は動揺している。
「ず、ズィーク……どうして私の洗脳を解除したの? 洗脳されていないのに、どうして私の側にいたの? あなたは私の敵なの……? 味方なの……?」
「…………。」
「……ねぇ答えて! 答えてよズィーク!」
「…………。」
「ズィーク、私の眼を見なさい! あなたが本当に私の味方なら、私の支配を拒む理由は無いはずよ!」
オリガはズィークフリドの身体に、抱き着くように掴みかかる。
そして顔を上げて、背の高いズィークフリドと目を合わせようとする。
今のオリガは、無敵だと思っていた自分の能力を解除されたことで焦っている。さらに、ズィークフリドという強大な戦力が自分の敵に回るのではないかと思い、狼狽えている。
そしてなにより、自分が愛しているズィークフリドが、実は味方のフリをした敵だったのかもしれないと思い、不信感から混乱している。一流エージェントが聞いて呆れるくらいに、オリガは取り乱していた。
「…………。」
「あっ……」
ズィークフリドと目を合わせようとするオリガの顔を押し退けて、ズィークフリドは執務室から出ていってしまった。オリガとは、目を合わせようともせずに。
「……くっ!」
オリガは、弾かれたように執務室の机へ。そこに設置されているパソコンで、基地内の監視カメラの映像を操作し、ズィークフリドを探す。
オリガは、ズィークフリドが今から何をするのか監視するつもりなのだ。このままズィークフリドを追って彼をもう一度洗脳しようとしたら、本格的な戦闘になりかねない。そうなれば自分は絶対に勝てないと分かっているから、せめてカメラの映像でズィークフリドを追うことにした。
「お願い、私の味方でいてよ、ズィーク……! あなたが敵に回ってしまったら、もう私たちに勝ち目は無くなる……!」
オリガは、縛られて床に転がっている日向やグスタフのことなど忘れてしまったかのように、祈るような面持ちでパソコンのキーボードを操作し続けた。
日向への協力を拒み、オリガの支配も拒絶したズィークフリド。
果たして彼は、誰にとっての敵で、誰にとっての味方なのか。
◆ ◆ ◆
一方こちらは、ホログラート基地の付近。
大勢のロシア正規軍が、横並びに隊列を作っている。
その中には、戦車やミサイル車両も多数並んでいる。
「……さて、いよいよだね」
そんな大隊を従えながら、日本のマモノ対策室室長の狭山が呟いた。
その隣には、日影や本堂、シャオランの姿もある。
「日向くんや北園さんは、本当に良い仕事をしてくれた。情報の提供だけでなく、捕虜まで既に解放したとはね」
「ったく、意外とやるじゃねぇか、日向の野郎も」
「ズィークフリドさんは、実は操られていないとのことでしたが、彼は味方なのでしょうか? それとも敵なのでしょうか?」
「味方だといいなぁ……絶対戦いたくないもん、怖いから」
「まだ断言はできないが……敵の可能性が高いと思うね、自分は。倉間さんをあんなに痛めつけたワケだし」
「なぁに、アイツと戦うことも想定して、オレたちも作戦を立ててきたんだ。戦うのであれば、むしろその作戦が無駄にならなくてラッキーだぜ」
「日向たちは頑張ってくれた。後は俺たちが決める番だ」
「……よし、それじゃあ作戦開始だ。健闘を祈る!」
「おっしゃ、行くぜぇ!!」
狭山の合図と共に、日影たちとロシア軍は一気にホログラート基地へと攻め入った。
ロシア軍とテロリストの、全面対決が始まった。