第382話 加虐女王
「捕まえたわよ、日下部日向」
「ぐ……かは……!」
床に倒れる日向の背中の下から、オリガが日向の首を絞め上げている。彼女が飛びかかってきたことで、日向は目の前のコールドサイスへのトドメを刺し損ねてしまった。
「コールドサイスは殺させないわ。彼女が死んだら、アイスリッパーたちの統制が取れなくなっちゃうもの。死ぬならあなたが死になさい」
「が……ぐ……!?」
オリガは小学三、四年生くらいの見た目ではあるが、そのパワーは成人男性のそれをはるかに超えている。そんな彼女の腕力に絞め上げられている日向の首は悲鳴を上げるどころか、断末魔の叫びを上げる一歩手前だ。
(こ、このままじゃ、本当に絞め殺される……!)
日向は身体を大きく動かしてもがくが、オリガを振りほどくことはできない。左手でオリガの腕を押し退けようとするが、笑えるくらいにビクともしない。
(こ、こうなったら、最後の手段だ……!)
すると日向は、右手に持っていたイグニッション状態の『太陽の牙』を持ち上げ、その灼熱の刃を、自分に向けてゆっくりと下ろす。正確には、自分の首に巻き付いているオリガの腕を狙って。
「ちぃ……!」
日向の意図を察したオリガは、素早く腕を戻して日向の下から脱出する。あのまま日向の首を絞め続けていたら、あの業火の刃に腕を焼き切られていた。
オリガから解放された日向は、床から立ち上がって息を整えている。
「げほっ、ごほっ! く、首を潰されるかと思った……」
「ああまったく、惜しかったわね。今のは決まったと思ったんだけれど。それより、やっぱり脱走したわね、日下部日向。あなたは私のお気に入りだから、縄の拘束だけで済ませてあげたのに。その温情が分からないなんて、教育の必要があるわね」
「あなたには道徳の教育が必要みたいですけどね!」
「ふん。羨ましいわね、そんなものが習える環境が」
言いながら、オリガは構える。コマンドサンボの構えだ。
拳は握らない。打撃や投げ、関節技をスムーズに繰り出すために。
日向も、『太陽の牙』を構える。オリガに向けて刀身を真っ直ぐと。
いわゆる正眼の構えだ。ここからあらゆる攻撃を繰り出せる。
シャッターに挟まれて暴れるコールドサイスを中間に、日向とオリガが相対する。先に動き出したのは……。
「…………はぁぁ!!」
日向だ。
イグニッション状態の剣を振りかぶり、斬りかかる。
……しかし、攻撃対象はオリガではなく、その間のコールドサイスだ。
(オリガさんに勝てるかは未知数。けれど今のコールドサイスなら十分にトドメを刺せる! ここは先にコールドサイスを排除して、テロリスト陣営を一気に崩してやる!)
「甘いのよっ!」
「うっ!?」
……だが、オリガが驚異的な瞬発力で日向とコールドサイスの間に割り込み、縦斬りを繰り出そうとした日向の腕に向かって、突き上げるようなハイキックを繰り出した。
これによって日向の腕は止められ、その衝撃で『太陽の牙』も背後に吹っ飛ばされてしまった。日向の手から離れたためか、イグニッション状態も解除される。
「く、くそっ!」
武器を失った日向は、仕方なく素手でオリガに攻撃を仕掛ける。
右腕を大きく振りかぶり、渾身の右ストレートを繰り出した。
「遅いわよ!」
「ぶっ!?」
だが、高度な格闘訓練を受けてきたオリガに、素人の技は通用しない。突き出された日向の拳を右手で払い除けながら、その右手で裏拳を繰り出し、日向の顔面を殴りつけた。
しかも、この裏拳がとんでもない威力だ。
日向は、鼻がへし折れたかと思うほどの衝撃を受けた。
たまらず顔を押さえながら、後ずさる。
「いいザマね!」
オリガはニヤリと笑いながら、日向に接近する。
拳を振りかぶり、更なる追撃を加えるつもりだ。
「……おりゃああっ!!」
「くっ!?」
だが、日向も負けていない。
ダメージに悶えている状態から、いきなりタックルを繰り出した。
そのままオリガの二撃目を強行突破しながら、彼女に体当たり。
体格で負けているオリガは、日向に押し倒された。
「喰らえっ!」
日向は拳を振りかぶり、倒れているオリガに向かって振り下ろす。
しかし、オリガは冷静だ。
倒れている状態のまま、しっかりと日向の拳を捉えている。
「単純ね!」
オリガは左に大きく身体を傾け、日向の拳を回避。
日向の拳はなおも止まらず、その先の床を殴りつけた。
「あいたっ!?」
拳を床に叩きつけてしまい、逆にダメージを受ける日向。
一方でオリガは、自分を狙ってきた日向の拳に身体ごと巻き付いた。そしてそのまま裏十字固めの体勢に入る。
「あ痛だだだだだだだだ!?」
「ふふ。いくら後で再生するとはいえ、骨が軋む痛みというのは耐え難いものがあるでしょう? 大人しく投降したら、止めてあげてもいいわよ?」
「だ、誰が……!」
「あっそ。じゃあ追加コースね」
「ぎゃあああああ痛でででででで!?」
オリガは腕と股で日向の腕を挟みこみ、身体全体を使って日向の腕をあらぬ方向へとひん曲げる。日向は右腕を引っ張ってオリガから腕を引き抜こうとするが、上手くいかない。左腕でオリガを殴りつけても、オリガは微動だにしない。このままでは、本当に腕をへし折られる。
「だったらもう、これを使うしかない……!」
すると日向は、そっとオリガに左手を伸ばして……。
「こちょこちょこちょ……」
「ひゃあんっ!?」
オリガの脇をくすぐった。
オリガは悲鳴を上げて、日向の腕から転げ落ちる。
「な、何すんのよっ!?」
「くすぐりました」
「知ってるのよそんなこと!」
「可愛い悲鳴でしたね」
「うるさいわね! もう許さないわよ……!」
するとオリガは、懐からナイフを抜き放った。
日影との戦いでも使っていた、大振りの刃を持つコンバットナイフだ。
「あ、ちょっと、素人相手にナイフはずるい……」
「私を怒らせた罰よ。血祭りにあげてやるわ」
そしてオリガは、ナイフで日向に斬りかかった。
突きを繰り出し、縦横斜めに振り回す。
その攻撃のどれもが非常に速く、そして鋭い。
日向は刃に当たらないように、後ろに下がり続けるしかない。
「うわっと!? あ、危ないっ!?」
後ろに下がっていた日向は、やがて壁際に追い詰められた。
オリガも日向を仕留めるべく、更なる攻撃を仕掛ける。
「はぁぁ!」
「くぅ!?」
オリガはナイフを素早く振るって、日向を牽制。動きを止めたところで、時計回りに回転しながら日向との距離を詰める。回転と共にふわふわロングの金髪がなびく様は、見惚れてしまいそうなほどに可憐だ。
だが相対している日向としては、見惚れている場合ではない。このオリガの回転は、遠心力を利用したナイフの一撃を繰り出すための予備動作なのだ。しかも連続で回転することで、いつ攻撃を繰り出すかを予測させないフェイントにもなる。
「はぁッ!」
「ぐっ!?」
そしてオリガの回転突きが放たれた。日向はオリガの腕を止めるようにガードを試みるが、攻撃の勢いはあまりに強い。オリガのナイフは日向のガードを突破し、切っ先が日向の脇腹に食い込んだ。
「もらった!」
「ぐぁ!?」
脇腹を刺されて怯んだ隙を突いて、オリガはさらに日向の右脚をナイフで突き刺す。たまらず体勢を崩した日向の左足首を取って、その左足首を抱えるように引っ張って日向の体勢を崩した。日向はオリガに足首を掴まれたまま、背中から床に倒れる。
そしてオリガは、日向の右足首を取ったまま、自らも背中から床へと倒れ、日向の足首を反り上げた。
「ふんっ!」
「痛ったぁ!?」
俗に言うアキレスホールド。
激痛により、日向は身を起こしてオリガを追い払うことすらできない。
「どう? これならさっきみたいにくすぐろうとしても、手が届かないでしょ」
「痛い痛い痛い痛い!」
「いい悲鳴ね。関節技というのは、極めた側は力の加減がしやすいから、相手に余計な怪我をさせずに無力化することに適している。けれどそれはつまり、極めさえすれば、相手を生かすも殺すも私次第ということ。私にピッタリの技だと思わない?」
「ええホント、毒蛾みたいな性格のあなたに相応しいエグイ技で……」
「あら、まだ負荷が足りないのかしら? 欲しがりさんね」
「痛ったぁぁぁぁ!? ぎ、ギブー! ギブーっ!」
「ギブ? つまりもっと欲しいのね」
「ぎゃああああああああ! ギブアップって言ってるんですよぉ! 『give』の命令形じゃないんですよぉぉぉ!!」
結局、日向はオリガに制圧され、再び拘束される羽目になった。