第353話 立ちはだかる我が子
「ズィーク……なぜお前が……!?」
「…………。」
ロシアのホログラートミサイル基地が、マモノに襲撃されている。
そのさなか、グスタフたちの前に立ちはだかったのは、なんと彼の実の息子であるズィークフリドだった。
なぜ彼が、マモノと共にグスタフたちに敵対するのか。
彼は雰囲気こそ近寄りがたいものがあるが、その心根は暖かく、誰にでも親しく接する人格者だったはずだ。そんな彼が、何故。
「…………。」
だがズィークフリドは、間違いなくグスタフたちを敵視している。その眼には、揺るぎない敵対の念が込められている。そしてゆっくりと、グスタフたちに近づいてくる。
「大佐、下がってな。俺様が相手をしてやる」
そう言ってグスタフを守るように彼の前に立ったのは、残った四人の兵士の中で一番の腕力と格闘能力を持つ男、シチェクだ。彼の身長は196センチで、ズィークフリドより10センチ以上も背丈が大きい。
「お前がズィークフリド・グラズエフか。ロシア対外情報庁には超人的なエージェントがいると聞いていたが、どうやらお前のことらしいな」
「…………。」
「なぁ大佐。向こうはバリバリにやる気みてぇだ。こっちも全力で戦わねぇと。息子さんには二か月くらいは入院してもらうことになるが、構わねぇよな?」
「……うむ。奴を止めてくれ」
「了解だ!」
返事と共に、シチェクがズィークフリドに殴りかかる。
190を超える巨体でありながら、シチェクの瞬発力は相当なものだ。ものの一瞬でズィークフリドとの距離を詰め、彼にラッシュを仕掛ける。
「おらおらおらーっ!!」
「……!」
ズィークフリドは上体を素早く動かし、後退しながらシチェクの拳を避ける。
しかし、ズィークフリドのすぐ後ろは壁だ。
あっという間に追い詰められてしまった。
「どりゃあ!!」
「っ!」
シチェクが渾身の右ストレートを放ってきた。
ズィークフリドはそれを左に避ける。
空ぶったシチェクの拳は、コンクリートの壁にめり込んだ。凄まじい威力である。
「どうだ俺様の拳は! なかなかの威力だろう? ビビってないで、そっちから打ってきたらどうだ、凄腕エージェント?」
「…………。」
シチェクの挑発を受けてか、今度はズィークフリドが攻撃を仕掛ける。右手の五本の指に力を入れて、鉤爪のようにして真っ直ぐ突き出す。
「甘いわっ!」
「っ!」
だがシチェクはズィークフリドの拳を見切り、逆に彼の腕を取る。さらにズィークフリドに飛びつき、両脚でズィークフリドの腕と首に巻き付き、締め上げる。腕ひしぎ十字固めの体勢だ。
「まんまと引っかかったな! このまま腕をへし折ってくれるわ!」
「……ッ!」
シチェクの体重が、そして腕力が、ズィークフリドの右腕一本に集中する。彼の腕を折るために。この巨漢に組み付かれれば、振りほどくことなどもはや不可能。
勝負は決したと、この場にいる誰もがそう信じて疑わなかった。
だが……。
「…………!!」
「う、お、おおお……!?」
なんとズィークフリドは、シチェクに右腕を取られながらも踏ん張り、それどころか、その右腕一本で逆にシチェクを持ち上げてしまった。肘もくの字に曲がり、これでは腕を折るどころではない。
後ろで二人の戦いを見ていたグスタフや他の兵士たちも、驚きで目を丸くする。
「う、嘘だろ!? シチェクの背筋力は350キロを超えてるんだぞ!?」
「シチェク自身の体重も100キロ以上あるから、今のヤツの右腕にかかっている負荷は間違いなく400キロ以上! 下手をすれば500キロに到達している! それを、たったの右腕一本で……!?」
「大佐……あなたの息子さん、どういう身体能力をしてるんですか……!?」
「ず……ズィーク……」
そしてズィークフリドは、シチェクの十字固めを耐えながら、自身の腕に巻き付いているシチェクの脚に、左の貫手を突き刺した。
「ッ!!」
「ぐ、がぁぁぁ!?」
シチェクの脚に深々と突き刺さる、ズィークフリドの左指四本。激痛によって、シチェクはたまらずズィークフリドの腕から転がり落ちる。
「は……ぐぅぅぅ……! こ、コイツ、丈夫な軍服のズボンごと俺の太ももを貫いただと……!? 突き指している様子も無し、指関節の強度、いったいどうなっているのだ……!」
脚の痛みに耐えながら、シチェクはなんとか身体を起こす。
そんな彼を見下ろすように、ズィークフリドが静かに彼の前に立っていた。
「お、おのれぇぇ!!」
シチェクがズィークフリドにタックルを仕掛ける。
その体格差で、彼を組み伏せて押し潰してしまおうというのだろう。
ズィークフリドは避けもせず、正面からシチェクのタックルを受け止めた。
「ぬおりゃああああ!!」
「…………!」
二メートル近い身長を誇り、レスリングのベテランでもあるシチェクのタックルなど、自動車の正面衝突にも等しい威力がある。常人がマトモに食らえば、即刻病院行きだ。
だがシチェクのタックルは、止められた。
ズィークフリドが軽く踏ん張るだけで、いとも容易く止められてしまった。
「馬鹿な……!? ……いや、まだだ! 俺様は無敵だぁぁぁ!!」
「…………。」
シチェクはなおもタックルを続行し、ズィークフリドを突破しようとする。ズィークフリドの腰を掴み、彼を押し込んで、壁に叩きつけようとする。力みによって、先ほど貫かれた脚から血が噴き出してきてもお構いなしに。
それに対してズィークフリドは、右腕を振り上げ、シチェクの背中に強烈な肘鉄を落とした。
「ッ!!」
「ぐがあああああ……!?」
シチェクが悲鳴を上げる。
脊髄の端から端まで、嫌な感覚が迸った。骨にヒビが入るような感覚が。
額から、脂汗が止まらない。
口からは唾に混じって、少量の血も滴り落ちた。
筋肉ダルマと形容するしかないシチェクの屈強な背中を、ズィークフリドは肘鉄一発で易々と貫通してきた。もう一度、今のと同じ肘鉄を喰らえば、脊髄が粉砕されかねない。
「お……俺様は……無敵……!」
「…………。」
それでもシチェクは、ズィークフリドに組み付き続ける。
だがその身体には、先ほどのようなパワーは宿っていない。
ズィークフリドは、シチェクの後頭部に右手を添えると。
そのまま押し潰すように、シチェクを顔面から床へ叩きつけた。
「ッ!!」
「がふっ……」
鼻も歯もまとめてへし折れた。
うつ伏せになったシチェクの顔から、血だまりが広がる。
シチェクは、もう起き上がってこなかった。
これで残るはグスタフと、三人の兵士。
皆、今しがた倒れたシチェクとは、体格も身体能力も比べるまでもなく低い。
「そ、それでも、やるしかない! 大佐を守れぇ!」
「うおおおおっ!!」
二人の兵士が、ホルスターからハンドガンを抜こうとする。
だがそれより早く、ズィークフリドがゆらりと動く。
そして、一瞬で二人との距離を詰めた。
接近の軌道が全く分からないほどの速度だった。
「は……速すぎる……!?」
「何だ今の……瞬間移動……!?」
この二人だってもちろん、日頃から訓練を受けている軍人である。ホルスターから素早く銃を抜く動作など、常日頃からトレーニングしている。
そんな慣れた動作より早く、ズィークフリドは距離を詰めてきたのだ。異常としか言いようがないスピードだ。
ズィークフリドは、兵士の一人の顎先を拳で打ち抜き、もう一人の首筋に手刀を叩きつけた。
「ぐぇ……」
「あぐっ!?」
ズィークフリドの強烈な打撃を叩きつけられ、二人は昏倒してしまった。
そのズィークフリドの背後から、残った一人の兵士が鉄パイプで殴りかかる。
「喰らえぇぇ!!」
「…………。」
迫る鉄パイプを、ズィークフリドは己の右腕でガードする。
金属音と共にへし曲がったのは、鉄パイプの方だった。
「あ……れ?」
「…………。」
目の前の現実を飲み込めず、立ち尽くす兵士。
そんな彼に向かって、ズィークフリドは右の蹴りを放ち、兵士を吹っ飛ばした。兵士は壁に激突すると、そのまま気絶してしまった。
護衛の兵士たちを片付けると、ズィークフリドはグスタフへと……実の父親へと迫る。その眼には、相変わらずの敵意が込められている。
「ズィーク……なぜこんなことを……!」
「…………。」
「動くな……! これ以上近づいたら、いくらお前と言えど……!」
そう言って、グスタフはハンドガンを構える。
しかしそれより速く、ズィークフリドはグスタフの喉に右の親指を突き刺した。
「が……ふ……!?」
ズィークフリドの指は、グスタフの喉を貫通してはいない。
しかし、グスタフの呼吸は完全に止められてしまった。
グスタフの意識が、暗いところへ深く沈んでいく。
「ず……ズィーク……」
「…………。」
ぼやけていく視界の中。
我が子は無表情で、倒れ行く父親を眺めていた。
「く……ここは……」
グスタフが意識を取り戻した場所は、このミサイル基地の執務室のようだった。
艶のある茶色の執務机に本棚があり、赤い絨毯が床に敷かれている。そしてグスタフは、どうやら麻縄で身体を縛られているようだ。
グスタフの正面では、執務机を椅子のようにして、一人の少女が座っている。
……いや、見てくれこそ間違いなく十歳前後の少女だが、その少女の実年齢は25歳。金のゆるふわロングヘアーに、グスタフと同じ金の瞳を両目に湛えている。そして彼女の隣には、先ほど自分を気絶させたズィークフリドが、まるで従者のように佇んでいる。
「あら、お目覚めかしら大佐?」
「お……オリガ……!?」
少女が、小悪魔的な微笑みを浮かべる。
彼女とは知った顔だが、この状況から見て、彼女が味方だとは思えなかった。
彼女はロシアのマモノ対策室に所属するエージェントにして、ズィークフリドの相棒。そして行方不明になっていたはずのオリガ・ルキーニシュナ・カルロヴァであった。