第334話 紫煙の竜
「さぁ~、いっくぞぉぉぉ!!」
ニューヨーク・セントラルスクエア・ホールの屋上にて。
掛け声と共に、ドラゴンと化したフラップルが大きく息を吸い、毒ガスのブレスを吐き出した。
吐き出された紫色の煙は、今までのものよりさらに濃い。見るからに強力そうな毒ガスである。
「わっとと……避けないと……!」
「左右に逃げろ! 後ろに逃げてもブレスに追いつかれるぞ!」
「なるほど、りょーかいです!」
マードックの指示を受け、北園は弾かれたように左に走り出す。
シャオランやジャック、そしてマードックも同じく左右に散って回避する。
毒ガスが吐きつけられた足場から、グジュグジュと紫色の泡が発生している。煙まで噴いているようだ。
「な、何これ……。床が溶けてるの……!?」
「ふっふっふ~! 僕ちゃんの毒は、エモノをドロドロに溶かす腐食毒! 身体をパワーアップさせたことで、さらに凝縮することができるようになったよ! さっき、そこのおチビさんに打ち込んだ毒とはワケが違う、体内に送り込まずとも触れるだけで敵を殺せる最強の猛毒さ~!」
「チビって言うなぁ!!」
「しかし、あれほどの威力のM-ポイズンを見るのは初めてだな。私に毒は効かないが、アレではこの鋼の身体まで溶かされかねん」
「とにかく、アレは絶対に食らうなよオマエら! あんなん、解毒以前の問題だからな!」
「いいや! 是非とも喰らってよぉ! そして感想を聞かせてほしいなぁ!」
フラップルが再び猛毒のブレスを吐いた。
狙いは、一か所に固まっていたジャックとマードックのようだ。
二人は即座にその場から離れ、毒ガスを回避する。
「えい! 発火能力!」
その隙に、北園がフラップルの側面から大きな火球を放った。
火球は真っ直ぐと、フラップルの側頭部目掛けて飛んでいく。
「へへへ!」
フラップルは、右の腕でそれをガード。
北園の全力の炎を、腕一本で防いでしまった。
火球を受けたフラップルの腕には、焦げ跡一つついていない。
「ウソ……私の炎が効いてない!?」
「あれれぇ? どうしてか分からない? ドラゴンは君たちもよく知ってる生き物だと思ってたんだけど、違うの? 竜となったこの僕ちゃんのウロコに、炎なんか効くワケないじゃないか~!」
フラップルが、ズシンズシンと足音を立てながら北園に接近する。
フラップルとしては早歩き程度の感覚かもしれないが、人間の北園とは歩幅が違い過ぎる。北園が今から全力疾走しても、到底逃げ切れないだろう。
「ば、バリアーっ!」
北園が両手をかざし、念動力のバリアーを張った。
彼女とフラップルの間に、青色の障壁が生まれた。
「あー、またそれだー。それズルくない? 手をかざすだけで頑丈な壁を張っちゃってさぁ。そういうのはナシにしてさぁ、もっとこう、ガツンと来なよぉ! ガツンと!」
フラップルは北園の目の前で急に足を止めて、何故か彼女に話しかけてきた。
こうやって流暢に言葉を話すマモノと戦闘をするのは、北園にとって初めての経験だった。
いつもならバリアーで相手の攻撃を受け止めていたところを、今回は唐突に言葉を投げかけられた。今までにないパターンに、北園も戸惑っている。
「いや、えーと、ズルいって言われてもなー……」
『北園さん! 後ろ!』
「後ろ……!?」
北園の通信機から、狭山の切羽詰まった声が聞こえた。
それが尋常でない事態だと気付いた北園は、咄嗟に右へと跳んだ。猫が混じっている今の北園は、瞬発力も上がっているようだ。
そして次の瞬間、さっきまで北園がいた場所の後ろからフラップルの尻尾が飛び出し、北園を刺し貫こうと襲い掛かってきた。
今のフラップルの尻尾の先端には鋭いトゲが生えている。北園が右に避けていなかったら、あの尻尾で串刺しにされていただろう。
「い、今のは、シャオランくんにも使ってきた技……! 言葉で私の気を引いて、バリアーの後ろから攻撃しようとしたのね! そっちも十分ズルいじゃない!」
「よく言うよ、四対一で僕ちゃんを集団リンチにしようとしてるクセにー。いじめ良くない!」
「そんじゃあ素行を改めるこった、このボケ!」
フラップルの右からジャックがスライドしてきて、素早くデザートイーグルで射撃を繰り出す。狙いはフラップルの顔面だ。
しかしフラップルは、右腕を硬質化してジャックの弾丸をガードしてしまった。
「ちょっとぉ! 顔は止めてよぉ! 危ないじゃないかー!」
「そりゃつまり、やっぱり顔が弱点ってことで良いんだな?」
「あ、しまった、バレちゃった。……まぁどうせ君たち気づいてたみたいだし、いっか!」
今のやり取りの間に、北園はフラップルから距離を取って体勢を立て直した。
それを見たフラップルは、今度はジャックにターゲットを変更する。
「そりゃあ!」
「ちぃっ!」
フラップルが右腕の爪を振るってきた。
ジャックは素早く後ろに跳んでこれを回避。
鋭い爪とカッターが生えたフラップルの手は、さっきまでジャックが立っていた足場に、恐ろしく深い切れ込みを入れた。
「野郎……まるでチーズでも掻きむしるみてーに……」
「ほらほらぁ! 休ませないよぉ!」
再びフラップルが爪を振るう。
今度は左の爪も使って、右とのコンビネーションでジャックを追い詰めていく。
「くっ!」
ジャックが右に身をよじる。
フラップルの右腕が、ジャックの頬のすぐ側を突き抜けていった。
その瞬間、ジャックは、フラップルの爪に猛毒の液が滴っていたのをハッキリと確認した。
「爪にもバッチリ仕込んでるってワケか!」
「そういうこと~! かすり傷一つでも命取りだよぉ~!」
フラップルが再び両爪を振るってくる。
ジャックも負けじとこれを回避し続け、合間に射撃を挟んで、フラップルと距離を取りながら攻撃を仕掛け続けている。
だがフラップルは、硬質化した両腕で弾丸をガードしながら、さらにジャックを追い立ててくる。
「へへへ! どんどん仲間たちから離れていくねぇ~!」
「野郎……!」
フラップルの言うとおり、ジャックがあまりに後ろに下がり過ぎて、他のメンバーたちとの距離が開いていってしまっている。
オマケに、フラップルは爪を振るいながら、爪に付着している毒液をジャックに向かって飛ばしてくる。
毒液の飛沫はジャックの頬や肩、脚に付着すると、ジュウジュウと音を立てて彼の皮膚を溶かし、彼を内側から蝕んでいく。
「ええいくそ……! 眼の焦点がブレてきやがった……!」
「いい表情だねぇ! そろそろ疲れてきたんじゃないの~!?」
「抜かせ! だいたいテメーの竜化、それも『身体全体の改造』の一種なんじゃねーのか! だからさっきから、腕の一部しか硬質化できねーんだろ! これでも食らっとけ!」
ジャックがフラップルの顔面目掛けてデザートイーグルの引き金を引いた。
弾丸は見事にフラップルの額ど真ん中に命中。
……だが、弾丸は金属音と共に弾き返されてしまった。
「ああ!? どうなってんだ!?」
「ふっふっふ! この竜形態は特別でねぇ……。基本は『骨格の一部の変化』に過ぎないから、『身体全体の改造』と併用できるんだよぉ~ん! だからこそ、僕ちゃんにとってこの姿は最強なのさ~!」
「なんじゃそりゃ! 早く言え!」
「ゴメンねぇ~! 冥途の土産にでも取っといてよぉッ!!」
フラップルが右の爪を思いっきり振り抜いた。
これをマトモに食らえば、身体が無惨に引き裂かれて最悪、即死しかねない。
ジャックは力の限り後ろに跳躍し、これを避ける。
だがその時、フラップルが腕を思いっきり振ったことで、右爪に付着していた毒液が大量の弾幕となってジャックに襲い掛かった。
さすがのジャックも、跳躍中にその軌道を変えるような真似はできない。飛来する毒液をマトモにかぶってしまった。
「ぐ……!? マズい、脱力感が脚に来はじめやがった……!」
「足を止めたねぇ! もーらっぴー!」
フラップルが一気にジャックとの距離を詰めにかかる。
その後ろから、マードックとシャオランが追いついた。
「そうはさせんぞ! 我々を忘れてくれるなよ!」
「どうせなら声なんかかけずに、黙って後ろからやっちゃえば良かったのにぃ!」
「そうもいかん。ヤツの気を引いてジャックを援護するのが目的なのだからな」
「ちぇっ、うるさいなーもぉー!」
するとフラップルは、その長い尻尾の先端にスパイク状の針を生やした。
そして、走り寄ってきた二人に振り向くことさえせずに、尻尾を振るって迎え撃つ。
「ひゃあああ!?」
シャオランが慌てて足を止める。
そのシャオランの鼻先を、針で覆われた尻尾が通過した。
「くっ!?」
マードックが、縦に振り下ろされた針の尻尾を受け止めた。
針は硬く、鋭く、これもまた毒の液が滴っている。
マードックの装甲も、少しではあるが溶解させているようだ。
「もはや、あらゆる攻撃に毒を仕込んできているな! 分かり切っていたことではあるが、やはりこのマモノ、相当に強い……!」
「僕ちゃんは、巫女ちゃん直属の親衛隊の一員だからねぇ! そんじょそこらのマモノたちとは、実力も異能力も段違いってワケさぁ!」
すると、マードックが受け止めていた尻尾の針が、さらに勢いよく伸びた。
マードックの頭部、唯一生身である脳を貫くつもりだ。
「ぬおっ!?」
マードックは咄嗟に尻尾から手を離し、両腕でガードの姿勢を取りながら仰け反った。
ガギン、と針が装甲をかすめた音がした。
ガードを固めた甲斐あって、頭部をトゲで貫かれずに済んだ。伸びてきたトゲを、腕の装甲が弾いてくれた。
今度は北園がフラップルに追いついて、再び攻撃を仕掛ける。
「炎がダメなら、これはどう!?」
北園が凍結能力でフラップルを攻撃する。
空気が凍るほどの、猛烈な吹雪がフラップルを襲う。
「うひゃあああああ寒いいいいいいい。でも大丈夫!!」
北園の冷気を受けて、全身が凍えて固まっていたフラップルであったが、みるみるうちに身体の氷が溶けていく。まるでフラップルが、高熱を発する物質にでも変化したかのように。
「そんな……。氷も効かないの……!?」
「体温調節中枢を刺激することによる体温上昇。僕ちゃん自身の身体も高い発熱に耐え切れる身体に作り替えることで、最大70℃まで体温を上げることができるのさぁ! 氷なんか効かないもんね~」
「……へぇ。身体を作り替えるって言ったな。ならそれも、『身体全体の改造』に当たるワケだ」
ズドン、と重い銃声が聞こえた。
次いでフラップルの額から、血飛沫が舞い上がった。
ジャックのデザートイーグルの弾丸が、フラップルを撃ち抜いたのだ。
「うぎゃあああああ~!? 痛いいいいいい!?」
フラップルが悲鳴を上げる。
そんなのお構いなしに、ジャックは引き金を引き続ける。
「その体温上昇もまた、『身体全体の改造』の一種だったとはな。パッと見ただけじゃ分からなかったぜ。つまりテメーは今、体温上昇か、硬質化か、どちらかしか使えないってことだ。ホラ選べよ。俺に撃ち殺されるか、北園に凍らされるか、好きな方の死因を選びやがれ!」
ジャックの連射は止まらない。
毒の脱力感によって、膝をつきながらの射撃ではあるが、その狙いは相変わらずの正確無比。
弾倉が空になると、腰のクイックリローダーから素早く次の弾倉を装填する。
再び雨あられのように撃ちこまれる弾丸を、フラップルは硬質化できない両腕で必死にガードする。
北園もフラップルに吹雪を当て続け、フラップルの動きを封じ込める。
「痛たたたたた!? どうしよ、ガードが解けないよぉ……!」
「急におしゃべりになったのが命取りになったな、マヌケ!」
「このままいけば、勝てるかも……!」
「おう! 一気に終わらせてやるぜ! マードック! シャオラン! この隙にオマエらもフラップルをぶん殴ってやれ!」
「任せろ!」
「わ、分かった!」
四人の意識は、完全に攻めに集中していた。
……それゆえに、あることを見落としていた。
『……ちょっと待った! 体温調節もまた『身体全体の改造』の一部だとしたら、最初にフラップルと戦った時のアレは何だったんだ!?』
「……ギュルォォン。なぁんだ、もう気づいちゃったんだねぇ」
ジャックの弾丸がフラップルに命中する。
だがフラップルの皮膚は、大きくへこんでジャックの弾丸を受け止めると、そのままジャックに弾丸を跳ね返した。
「ぐっ!?」
跳ね返された弾丸がジャックの肩をかすめ、削った。
それと同時にシャオランがフラップルの懐に潜り込み、拳を突き出した。
「せやぁぁぁぁッ!!」
身に纏う気質は”火の気質”。
一撃必殺の正拳がフラップルの胸に叩きつけられた。
……しかし、拳を受けたフラップルの身体が有り得ないほどにへこみ、シャオランの一撃を受け止めた。
「こ、この感触……! まさか、ゴム!?」
「せいかーい!!」
フラップルのへこんだ身体が元に戻る。
その反動で、シャオランは大きく弾き飛ばされた。
「うわぁぁぁ!?」
シャオランが、床と平行に飛んでいく。
そして、後ろから追ってきていたマードックと激突した。
「ぬおっ!?」
「痛ったぁ!?」
外見によらず筋肉の塊のようなシャオランが激突してきたマードック。
文字通り鋼の巨体のマードックに激突したシャオラン。
お互いが受けた衝撃は相当なもので、揃って床に倒れてしまった。
二人を同時に退けたフラップルは、今度は北園を狙う。
フラップルの身体はゴム化したままであるのに、北園の吹雪もお構いなしに突っ切ってくる。
「フラップルの身体が、ゴムになってる……!? でも私の凍結能力は効かないまま……。高体温を保ちながら身体をゴム化したの!?」
「そーいうことっ!」
フラップルが北園に向かって大きく右腕を振るう。
ゴムと化しているフラップルの右腕は、鞭のようにしなりながら北園に迫る。
たっぷり乗った遠心力の影響で、腕そのものも長くなっている。
「あうっ!?」
そんなフラップルのしなる腕を、北園は胴体にマトモに叩きつけられた。
吹っ飛ばされた北園は床に倒れ込み、内臓のダメージによって大きくせき込む。
「は……ごほっ! ごほっ! はぁ……はぁ……どうして……? フラップルは、一度に一種類しか『身体全体の改造』を使えないんじゃ……」
『それは誤りだったんだ、北園さん! 最初にフラップルと戦った時のことを思い出してくれ! フラップルは、透明化しながら体温調節を行っていただろう!』
「あ……そういえば……!」
「あっはっは~! 早とちりしちゃったねキミたちぃ! 僕ちゃんの『身体全体の改造』は、一度に二種類まで使えるんだよぉ~ん!!」