第313話 地獄への片道切符
引き続き、ニューヨーク地下鉄の先頭車両。
死んだと思っていたマグロッグは生きていた。灼熱の唾液が滴る長い舌を伸ばし、レイカの足首を捕まえてしまった。そしてそのまま、自身の元へと引き寄せようとしてくる。
マグロッグの舌が足首に巻き付くなど、本来であれば大火傷は免れないが、レイカの両脚は義足となっている。とりあえず、火傷の心配はない。現状の問題は、どうやって自身を捕まえるマグロッグから逃れるかだ。
マグロッグの周囲は激しく燃え盛っている。あの中に引きずり込まれるだけでも極めて危険だ。ましてやマグロッグに呑み込まれようものなら間違いなく即死だ。マグロッグの体内には、溶けた鉄のような灼熱の体液が溜まっている。
マグロッグは猛烈な勢いでレイカを引き寄せる。日影が手を差し伸べる暇も、オリガがマグロッグの舌を狙い撃ちする暇さえも無いほどに。
レイカとマグロッグの距離、およそ15メートル。
「グェコ! グェコ!」
「く……うう……!」
必死に床に手をついて抵抗しようとするレイカ。
しかしいかんせん、マグロッグの引き寄せる力が凄まじく強い。
オマケに地下鉄の床はよりにもよって綺麗に磨かれており、摩擦が少ない。床に手をついてもずるずると引きずられてしまうのだ。
「ゆ、優秀な清掃員というのも考え物ですね……! これはもう、私のパワーじゃどうにもできない……! というワケでアカネ、ここはお願いします!」
レイカがそう呟くと、瞬時に彼女の髪と瞳が赤色に変わった。
超能力、二重人格の発動だ。
レイカ・サラシナはアカネ・サラシナに切り替わった。
アカネとマグロッグの距離、あと10メートル。
「ちょっと!? いきなり叩き起こされたと思ったら何だいこの状況は! 大ピンチじゃないか!」
内側に潜ったレイカに文句を言いつつも、アカネはレイカに代わってマグロッグの引き寄せに抵抗する。
彼女はレイカと同一の肉体を使っていながらも、パワーはレイカより強い。レイカがアカネに切り替わった瞬間、身体の筋肉量が増加するのだ。
「グェコ! グェコ!」
……だがそれでも、マグロッグのパワーの方が強い。
アカネの筋力をもってしても、引き寄せは止められない。
せいぜい、引きずられるのを少しだけ遅らせる程度だ。
アカネとマグロッグの距離、あと5メートル。
「ああくそ、そもそも床を這って逃れようってのが間違いなんだよ! 何か、掴まることができそうなものは……!?」
マグロッグの引き寄せに抵抗しつつ、アカネは周囲を見回す。
すると、すぐ近くに座席の端の手すりを見つけた。
あれに掴まれば、マグロッグを振りきれるかもしれない。
「ちぃっ……届け!!」
力を振り絞り、身体を伸ばして手すりを掴もうとするアカネ。
果たして彼女の指は、手すりに届かなかった。
「あ……くそ……!?」
あと数センチ。
もうあと数センチのところで、届かなかった。
マグロッグは一気にアカネを引き寄せ、呑み込みにかかった。
放り込んだものを瞬時に焼き尽くす、マグマだまりのごとき胃袋に収めるために。
だがその瞬間。
オリガがアカネの手首を掴み、マグロッグから助けた。
「……させないわよ!」
「っと!?」
オリガは、右手でアカネが届かなかった手すりを掴んで、左手でアカネを引っ張る。
マグロッグのパワーは依然として凄まじいが、オリガの腕力も相当なものだ。アカネの手首をしっかりと掴んで放さない。
もしも、レイカがレイカのままでマグロッグの引き寄せに抵抗していたら、オリガは救援に間に合わなかったかもしれない。
レイカがアカネに切り替わったことで、マグロッグの引き寄せを少しだけ遅らせることができた。その「少しだけの差」のおかげで、オリガはアカネの救援に間に合ったのだ。
「ちぇっ、借りができたね」
「世界最強のマモノ討伐チームに貸しを作れるなんて、お返しは良いものが期待できそうね。……さ、日影。今のうちにヤツを仕留めなさい!」
「よっしゃ、言われずとも!」
手すりに摑まるオリガと、そのオリガに掴まれるアカネ。
その両者の脇を、日影が走り抜ける。
彼の全身は激しい炎を上げている。オーバドライヴ状態だ。
日影の右手には、厚みのある幅広の両手剣『太陽の牙』が握られている。
そして彼の左手には、スマートな日本刀が握られている。
レイカ/アカネの高周波ブレード、『鏡花』だ。
「二刀流ってヤツだぜ! いくぜカエル野郎ッ!!」
「あ、コラ、なに勝手に使ってんだアンタ!」
アカネの罵声を聞き流し、日影は両手に握る得物を振るう。
マグロッグに駆け寄りながら、アカネを捕まえるために伸ばしている舌を切り刻んでいく。
「おらおらおらぁッ!!」
「グェェェーッ!?」
弱点である舌を攻撃され、マグロッグは絶叫した。
痛みのあまり、アカネを捕まえていた舌を放した。
その隙に日影はマグロッグの懐に潜り込む。オーバドライヴ状態の彼なら、マグロッグの周りで燃え盛る炎も気にならない。彼自身がまさに今燃えているのだから。
「おぉぉぉぉッ!!」
日影はまず、右手の『太陽の牙』で斬りつける。
右から左に振り抜いた剣を、今度は左から右へ逆方向に振り抜く。
その勢いを利用して、左手に持っている『鏡花』でさらに斬りつける。
今度は振り抜いた『鏡花』を戻すように、右から左へ。
その勢いを利用して、再び『太陽の牙』を右から左へ。
斬撃の遠心力を利用して、途切れることない剣閃の嵐を巻き起こす。
両の剣を左に振り抜くと、それらを一気に下から上へと斬り上げる。
そしてトドメに、振り上げた両の剣を勢いよく振り下ろした。
「グェェエェェェ…………」
日影の猛攻を受けたマグロッグは、血の海に沈んだ。
床に倒れたまま、ピクリとも動かなくなった。
「……ふぅ。今度こそやったか」
マグロッグの沈黙を確認した日影は、息をついた。
マグロッグの周りの火の海から脱出し、オーバドライヴ状態を解除する。
その日影の後ろからアカネがやってきて、日影の左手から『鏡花』をひったくった。
「ったく、乱暴に扱ってくれちゃって。折れたらどうしてくれるのさ。使用料は高くつくからね?」
「助けてやったんだから、それでチャラにしてくれよ」
「はいはい喧嘩しないの不良コンビ。さっさと前の車両に戻って、消火器を取りに行くわよ。このままじゃ目的の駅に着く前に電車ごと丸焦げよ私たち」
オリガに促され、二人もまた前の車両に向かう。
アカネは「疲れた」と言って、肉体の主導権をレイカに返した。
「グ……ェコ……グェ……コ」
「ッ!?」
三人の背後から野太い鳴き声が聞こえた。
振り返って見てみれば、マグロッグが再び起き上がっている。
「しぶとい野郎だな! まだ斬られ足りねぇのか!」
「つ、次はあんな不覚を取ったりしませんよ? 舌を伸ばしてきた瞬間、斬り飛ばして差し上げますからね!」
三人はマグロッグの出方を窺う。
するとマグロッグは、大きく息を吸い込んだ。
吸い込み、吸い込み、まだまだ吸い込む。
マグロッグの腹が大きく膨れてきた。
それでもなお、マグロッグは息を吸い込む。
もうマグロッグの身体は、元の二倍近くまで膨れ上がっている。
頭が天井まで達し、突き破ってしまいそうだ。
その腹は赤く発光しており、爆発寸前の爆弾を思わせる。
そしてその状態のまま、三人に迫ってくる。
「……まさかコイツ、自爆する気じゃねぇのか……!?」
「そ、そういえば確か、『マグロッグは瀕死になると自爆して、敵を道連れにしようとする』と対策室のデータにあったような気がします……」
「はよ言えそんな重要事項!」
「わ、私もチラリと見ただけだったので忘れてたんですよぅ!」
「さっきあのカエルから転ばされた時は刀を落とすし、さては意外とドジだなお前!?」
「わー言わないで! せっかくここまで築いてきた才色兼備大和撫子のイメージがぁ!」
「いいから早く前の車両に逃げるわよ! あの図体なら、連結部分を通り抜けることはできないでしょ!」
「あ、でも、マグロッグの自爆の爆破範囲は、ざっと半径50メートルくらいはあるそうで……」
「広いわね!? 電車の車両ってせいぜい20メートルよ!?」
「そこは私に少し考えがあります! とにかく前の車両まで逃げてください!」
レイカの言葉を受けて、三人は前の車両へと逃げ込んだ。
マグロッグも諦めず三人を追ってきている。
するとレイカは、車両の連結部分で自身の刀を鞘から抜いた。
「せやぁっ!!」
凛とした掛け声と共に、自身を中心にして刀を円状に一閃。
車両の連結部分が綺麗に切断された。
「グェコ……グェコ……!!」
マグロッグを乗せた先頭車両は、そのまま運転席の自動運転に従って線路を進んでいく。
一方、三人を乗せた後方車両は、運転席がある先頭車両から切り離され、スピードが落ちていき、やがて止まった。
「なーるほど。これでマグロッグとの距離が開いて、自爆に巻き込まれずに済むってワケだ」
「そういうことです」
先頭車両のマグロッグは、悔しそうに三人を睨む。
しかし、もはや彼にも自爆は止められないのだろう。
そのままマグロッグは誰一人巻き込めず、独りで大爆発した。
先頭車両が大破し、爆発の熱波が三人の頬を撫でていった。
「なにせ私たち、終着駅行きの切符は買っていないもので!」
◆ ◆ ◆
停止した地下鉄から脱出する三人。
レイカが切断した連結部分から、そのまま線路へと降り立った。
後方の車両は、マグロッグの攻撃により炎上している。
「さて、ここから先は歩きだな」
「結局歩く羽目になるのね。面倒だわ」
「とはいえ、目的地は近いです。気張っていきましょう」
三人は、地下鉄のレールの上を歩いて進む。
そして目的の駅のホーム、その目の前まで到着したのだが……。
「……おい。これ、ホームの出入り口が天井の崩落で塞がってんじゃねぇか」
「……そうみたいね」
「地上でユグドマルクトの根っこが動いた影響でしょうか……?」
「……その可能性が高いわね」
「これ、私たちが途中で地下鉄から下車していなかったら、地下鉄ごとこの瓦礫の山に突っ込んでいたのでは……?」
「……そうかもね」
「もう一度聞くぞ。誰だこの地下ルート提案したキツネは」
「……ああもう、屈辱だわ!」
「と、とにかく、この瓦礫の山を撤去しましょう。お二人のパワーと私の高周波ブレードの切れ味があれば、瓦礫の破壊も不可能ではないはずです」
「仕方ねぇな……。そんじゃ、いっちょトンネル掘りとしゃれこむか」
予想外の障害に道を阻まれた三人。
ユグドマルクトの元に到着するのは、まだまだ時間がかかりそうだ。