第296話 バカンス再開のお知らせ
クラーケンは無事に討伐され、ハワイの平穏は守られた。
とはいえ、沖合から残党のマモノがやってくる可能性も否定はできない。
よって、ビーチの封鎖解除は明日に見送られることとなった。
そして翌日。
「海だーっ!」
「海でーす!」
「海ですよー」
満を持して解放されたワイキキビーチ。
田中剛志と本堂舞が我先にと海に飛び込んで、その後をカナリアが追って行った。
「うひょー! これがハワイの海! 日本の海とは、何かが違う気がするぜー!」
「田中先輩、ざっくりしすぎ……。けれど実際、こんなに蒼くて綺麗な海に入るのは初めて! 日本の海とは間違いなく何かが違う! 語彙力が足りなくて表現できない! 悔しい!」
「けれど結局、どんなに蒼くて綺麗だろうと海は塩水なのです。自慢の薄金サラサラロングヘアーがベトベトなのです。現実は非情なのです」
十字市ハワイツアー御一行は、ようやくバカンスにありつけた。
ある者はさっそく海に泳ぎに行き、またある者はテントやパラソルなどを設営して日陰を確保する。
また、このバカンスには、昨日クラーケンとの戦いで共闘した『ARMOURED』のメンバーと、アメリカのマモノ対策室のメカニック、ハイネも合流した。
隊長のマードックとしては早く次の任務に向かいたいところだったのだが、ジャックやハイネに口説き落とされてしまったらしい。
ハイネに至っては、自分が思う存分遊ぶために、昨日のうちにエクスキャリバーの整備を一通り終えてしまったほどである。あとは彼女抜きでも、他の整備員で事足りるというワケだ。
「というワケで大将! 行ってくるよー!」
「全く……こんなことをしている場合ではないのだが……」
元気良く手を振って海に向かうハイネを、マードックは複雑そうな表情をしながらもヒラヒラと手を振って見送る。
そこへジャックがやってきて、マードックに話しかける。
「たまには休暇も取らねーと、働きづめじゃ仕事の能率も落ちるってモンだぜ?」
「よく言う。先日もそう言ってトレーニングをサボっていただろう、馬鹿者め」
「オンオフの切り替えが大事なんだぜ、マードック」
「知った口を。少尉、お前からも何か言ってやれ」
「何をダ?」
マードックから声をかけられたコーネリアスは、上は裸、下は白のサーフ型の水着、頭には海中ゴーグルをかけて、脇にはイルカ型の浮き輪を担いでいる。控えめに言って、泳ぐ気しかない。
「少尉お前、ノリノリか」
「オンオフの切リ替エが大事ダゾ、大尉」
「その言葉はお前発信かっ!」
「だいたいよー、せっかく海に来たんだし、アンタも泳いで行ったらどーなんだ?」
「無茶を言うな。こちとら全身義体だぞ。確かにこの義体は海水程度で故障するほどヤワではないが、それでも関節部分などがベタついて錆びるかもしれんし、何より目立つ。お前たちみたいに腕だけが義体の連中と違ってな。……というかジャック、お前、私が海に入るワケにはいかないと分かってて、そんな質問をしたな?」
「ハハハ、海に行きたくなかった理由だって『自分が楽しめないから』だって正直に言えば良いのによー! 石頭ハゲゴリラめ」
「…………。」
それを聞いたマードックは、ジャックの顔面をむんずと掴み、そのまま彼を身体ごと持ち上げる。
「お、おいマードック、何を……」
「そんなに海に行きたければ、さっさと入って来ーいっ!!」
「おわぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
マードックは、ハワイの青い海に向かってジャックをぶん投げてしまった。
ジャックは面白いくらいに遠くまで飛んでいき、海岸から二十メートル離れたあたりでドボンと落ちた。
「全く、ジャックの奴め……」
「またすごい高さから海に落下しましたけど、アレ死んだんじゃないですか?」
「死なん死なん。あの程度で死ぬようでは、奴は『ARMOURED』として一年以上も生き残っておらんさ。……ところでレイカ、お前は泳がないのか?」
「私はほら、義足じゃ水着も映えないですし。それに……その……ほら……何というか……胸小さいですし私……」
「すまん。聞いた私が悪かった」
『ARMOURED』の面々が騒ぐその一方で、一人の少年が砂浜に立つ。
「さーて、とうとうこの日がやって来てしまったか……」
そう呟くのは、日下部日向だ。
彼はサーフ型のゆったりとした紺色の水着を着用している。
現在の日向の身体は、二の腕は盛り上がりに欠け、腹筋は割れていないものの、全体的に引き締まっている。狭山からの訓練を受けた後も、彼はトレーニングを欠かさなかった。
「鏡で自分の姿を確認できないから、全体像は分からないけど……まぁ、人に見せられるくらいにはなっただろうか……」
自信無さげに呟く日向。
そんな日向の背後から、狭山がやって来た。
彼は相変わらずの白黒コート姿である。
この8月のハワイのビーチのど真ん中で。
「あ……暑い……死ぬ……死んでしまう……」
「当たり前でしょこの真夏日にそんな長いコートを着込んで……」
「毎年毎年思うけど、この星の夏は暑すぎる……!」
「脱げばいいじゃないですかそのコート」
「ふふふ、悪いけど丁重にお断りさせてもらうよ。お気に入りの一張羅だからね。それに、自分とて何も対策をしていないワケじゃないよ。今回着ているこのコートは、通気性に優れた夏バージョンなのさ!」
「そのコート脱ぐと死ぬのかこの人は……?」
普段から自身の白黒コート愛を公言して憚らない狭山だが、もうここまで来ると日向も呆れるしかない。
死ぬほど熱い気温にも耐えつつ、わざわざ夏用のコートを準備してくるあたりは、努力の方向性を完全に間違っているようにしか見えない。
そして、そんな日向の冷ややかな視線を軽く流して、狭山は話を続ける。
「しかしまぁ、自分の言った通りになったろう、日向くん?」
「狭山さんの言ったとおり……とは?」
「ほら、自分が君を鍛えている時、『夏にはバカンスに行く予感がする』と、そんな感じのことを言っていただろう?」
「ああ……そういえばそんなことを言っていたような……完全に忘れてた……」
「ざっと見た感じ、君の身体はバッチリ引き締まってるね。あれから筋トレも怠っていないと見える。ナイス細マッチョ。それなら他の男性陣にだって引けは取らないはず……」
「いや流石に無理ですよ。俺以外の男性陣と言えば、筋トレバカの日影に、バスケガチ勢の本堂さん、中国の人型決戦兵器ことシャオランに『ARMOURED』のジャックとコーネリアスさん。唯一の一般人枠の田中だって十字高校剣道部の次期キャプテンですよ。卑屈抜きにしても勝てませんって」
「んー、確かに、ちょっと男性陣のレベルが高いね……」
「そういえば、狭山さんは泳がないんですか? コートの下に水着を着ているような感じも無いし……」
「うん。もうそんな歳でもないからね。自分はパラソルの下で皆の喧騒を聞きながら、いつものように仕事に励むとするよ」
「こんな時でも仕事ですか……お疲れ様です」
日向とてまだ若者だ。勉強や仕事よりも遊ぶことを優先したくなる年頃だ。だからこそ、プライベートの時間すら投げ打って仕事に励む狭山の姿には、一種の尊敬すら覚えてしまう。自分も大人になったらああなるのだろうか、なることができるのだろうか、と。
「……ところで日向くん。北園さんには会ったかい?」
「いえ、まだですけど……」
「向こうの方にいたから会ってくるといいよ。彼女も君を探していた」
「わ、分かりました」
狭山に別れを告げて、日向は北園を探しに行く。
北園は水着を着るのに手こずっていたらしく、なかなか更衣室から出てこなかったようだが、ようやく準備完了したようである。
「北園さんの水着か……」
その一言を呟いただけで、日向は自身の胸の鼓動が早まったのを感じた。
勝手に早まる鼓動を黙らせるように、日向は自分の胸を一回叩く。
「……あ、日向くん!」
他の旅行客が行き交う砂浜の真ん中に、彼女の姿はあった。
群衆を掻き分けながら、日向の方にとてとてと歩み寄ってくる。
華奢な身体には花柄意匠のピンクのビキニ。
頭には大きな麦わら帽子。
北園良乃は、日向の前まで来ると自身の身体ごと水着を披露してみせた。
「えへへー。こういう水着って本当に久しぶりに着るから、着替えるのに手間取っちゃった。どう? 似合ってる?」
「う……うん……」
(ぎゃあああああどちゃくそかわいい。普段、上の方はばっちり着込んでいる北園さんの身体が常夏の楽園の日差しの下に晒されている! ほどよい胸! 艶やかなお腹! おへそ! 神秘のベールに包まれていた部分が今まさに俺の目の前で解放されている! そこに麦わら帽子のアクセントがこれまたポイントが高い。小柄な北園さんに大きな麦わら帽子。かわいい。というか水着の北園さんセクシーすぎない? お肌ツヤツヤ。露出多め。水着と下着って何の違いがあるの? デザインと布面積で言えばぶっちゃけどっちも同じでしょ? うーむ、真理に至ってしまったか……後でスマホ持ってこよう)
と、聞くに堪えない色欲全開の感想を心の中でぶちまけつつ、日向は北園の水着姿に視線が釘付けになってしまう。彼だって思春期の男子なんです。
あんまり日向がジッと見つめるので、北園も少々恥ずかしそうにしている。
「あ、あのー、日向くん。あんまりジロジロ見られちゃうと、さすがにちょっと恥ずかしいかなーって」
「あ、いや、ご、ゴメン北園さん! ええとその、あまりにも似合ってて綺麗だったから、つい……」
「そ、そんなに褒められると、それはそれで照れちゃうなー!」
両のほっぺに手の平を当てて、ブンブンと顔を左右に振る北園。
その表情は気恥ずかしそうではあるが、同時にとても嬉しそうだった。
「それじゃ日向くん、私たちも行こう!」
「うん。クラーケンを倒して、やっとこさ手に入れたバカンスだ。存分に楽しまないとね」
「ねー!」
日向と北園は、並んで海へと向かって行く。
彼らの夏の思い出作りが今、やっと始まった。