第281話 船の最下層を目指す
別行動をとるオリガと別れ、日向たちはズィークフリドを連れて廃貨物船の最下層、車両の駐車スペースへと向かう。そこに討伐目標の『星の牙』、ラドチャックが潜んでいるはずだ。
ズィークフリドを先頭において船内の通路を進む日向たち。ズィークフリドは戦闘技能もさることながら、反射神経も本堂やシャオランを凌駕している。敵の気配にも敏感で、およそ彼にはあらゆる不意打ちが効かないのではないかとさえ感じさせられる。
通路の排水溝のフタが突然破壊されて、そこからラドチャックの触手が伸びてきた。先頭のズィークフリド目掛けて襲い掛かる。
しかしズィークフリドは、襲い来る触手を回避し、左手で掴み、右手の手刀で触手を切断してしまった。千切れた触手が床をビチビチと跳ねまわり、動かなくなった。
指拳の貫通力ばかりが注目されるズィークフリドだが、拳それ自体も異常なまでに鍛えられている。その凶器のような指を握りしめて凝縮した握りこぶしは、叩きつければハンマーさながらの破壊力を生み出すし、恐ろしい速度で繰り出される手刀は空気を切り裂き斬撃を伴うほどである。
「……と、理屈では分かるんだけど、やっぱりデタラメだよこの人……」
「何が凄いって、練気法も無しの純粋な身体能力でそんな芸当ができることだよね……」
「…………。」
日向とシャオランが畏敬の念を込めた眼差しでズィークフリドを見つめる。一方のズィークフリドはうんともすんとも言わない。ただ、先ほど触手が伸びてきた排水溝を黙って指差しているだけである。
「っと、そうでした。北園さん、凍結能力を」
「りょーかい!」
日向の指示を受けて、北園が排水溝の口を氷で固めて塞ぐ。こうすることで触手の侵入を防ぐのだ。
しかし当然、ラドチャックの触手は氷程度では止められないほどのパワーを持っている。とはいえ、最低限ながらも時間稼ぎはできる。やらないよりはマシだ。
「それじゃあ、次の触手が来ないうちに、急いで先に行きましょう!」
日向の声に仲間たちも頷いて、ラドチャックが待ち構える駐車スペースへと目指す。
引き続き、ズィークフリドを先頭において船内の通路を走り抜ける。
氷の足止めが効いているのか、ラドチャックの触手の出現率はグンと減った。心に余裕ができたのか、北園は雑談までし始めた。
「なんかこの状況って、おとといの映画に似てるよね」
「映画? 北園さん、ホテルで映画観たの?」
「あ、き、キタゾノ、その話は……」
「……あ、やっちゃった……」
「え? 何? 何の話?」
日向に映画の話を聞かれたことに対して、北園とシャオランが焦ったような様子を見せる。何かを日向に隠しているのはもはや明らか。北園は、観念したように日向に語り始める。
「えっとね、おととい、日向くんが先にホテルで寝ちゃってた時、私たちは私の部屋に集まって映画を観てたの。豪華客船の中に触手を持った巨大な怪物が侵入して、乗客たちが逃げ回るパニックホラー映画をね」
「え、それを全員で集まって観てたの? 楽しそう」
「ホテルのテレビでそれが放送されてたのを見て、一人じゃちょっと怖かったから、たまたま部屋の近くを通りがかったシャオランくんを誘ったの」
「ボクとしては悪意しか感じなかったけどね! なんでよりによってホラー映画にボクを誘うかな!?」
「それでシャオランくんが『ホンドーとヒカゲも入れた四人がかりなら観るよ……』って言ってくれたから、本堂さんと日影くんも誘ったの」
「日影はともかく、本堂さんは勉強とか大丈夫なんですか……」
「ああいうパニックホラーものの映画やアクション系の映画は割と好物でな。息抜きも兼ねて楽しませてもらった」
「そういえば以前、シャオランにもエジプトを題材にした某アクションホラー映画を勧めてましたね……」
「あの時はよくもやってくれたなホンドー! 何がラブロマンスだ! 普通に怖かったじゃないか!」
「逆に聞くが、開始二十秒あたりでもう事実に気付きそうなハズなのに、律儀に最後まで観たのか」
「リンファが『せっかくだから最後まで観るわよ!』って言って逃がしてくれなかったんだよぉぉぉ!! リンファもああいう映画大好きだからぁ!」
「……しかし、話を聞けば聞くほど楽しそう。俺も一緒に観たかったなぁ」
「日向くんも誘おうかと思ったけど、チャイム鳴らしても部屋から出てこなかったから……。でも日向くんは絶対に羨ましがると思ったから、この話は日向くんには内緒にしておこうってことになったんだよ。黙っていてゴメンね」
「そうだったのかぁ……。ちょっと残酷な気もするけど、それも北園さんの優しさか……」
「あ、ちなみに、この提案をしたのは日影くんだよ」
「……ホント性格悪いなお前!」
「テメェ、オレが発案者と知った途端にその切り替わりの早さはなんだ」
雑談に花を咲かせていた日向たちだったが、前方から触手が現れた。
しかし日向たちも随分と戦闘に慣れてきた。
触手を見た瞬間、全員の目つきが変わった。
戦闘者の目つきだ。
ズィークフリドと日影が切り込み、本堂が”指電”で後方から援護。日向と北園とシャオランは後衛について、背後からの奇襲に備える。しかし結局、背後からの奇襲は無く、前衛たちはあっという間に触手を蹴散らしてしまった。
「この触手、電気に弱いように感じるな。少し浴びせてやっただけでもあっという間に逃げていく」
「ぶら下げられた俺を通して電撃を食らわせた時も、すぐに逃げていきましたもんね」
「そうだな。……む? 日向、お前、俺がお前を伝えて触手に電撃を食らわせたこと、覚えているのか? あの時のお前は既に息絶えて、俺が電撃を流したのも知らないとばかり思っていたが」
「今だから言いますけどね? あの時の俺、ギリギリ生きてたんですよ? それで本堂さんの電撃でトドメを刺されました」
「……ふ、冗談はよせ。おおかた、他の誰かからその時の状況を聞いて、俺を驚かせようとしているのだろう?」
「確か、『よし日向、あれだ、十万ボルトだ』とか言ってましたよね」
「言ってない」
「呼吸をするように嘘をつくなー!」
「雑談している場合じゃねぇぞ! 次が来た!」
日影の呼び声の通り、前方の壁や床が盛り上がりながらこちらに迫ってきている。あの下を触手が走っているのだ。
北園は相変わらず、通気口などを氷で塞いでいるが、最下層に近づくにつれて触手の出現率が上がってきているように感じる。ラドチャックとしても、本体に日向たちを近づけるワケにはいかないのだろう。
「しゃらくせぇ!!」
「…………!!」
再び日影とズィークフリドが切り込み、触手を迎え撃つ。
その一方で、今度は背後からも触手が迫って来た。
しかし、背後は日向とシャオランがバッチリ警戒している。
近づかれる前に触手の接近を察知した。
「この距離ならいける! 北園さん、電撃能力だ!」
「りょーかいだよ!」
日向の指示を受け、北園が両の手の平から電撃を放出する。
拡散するように放たれた電気は、迫りくる触手たちを食い止め、引っ込ませた。
「よし、触手はいなくなった! このまま最下層まで急ぐぞ!」
日向の声と共に、六人は一気に走り出す。
壁にかかった案内板も、この先が自動車積載エリアだと示している。
ラドチャックはもう、目と鼻の先だ。
「……ふと思ったんだけど、先ほど本堂さんにトドメを刺されたことで、俺ってもう皆から最低一回は殺されてるんだよね……。信頼する仲間たち全員に一回は殺されてる司令塔って、こんな奴いる?」
「オレってお前を殺したことあったか?」
「俺を踏み台にして沼に沈めたこと、忘れたとは言わせないぞ」
「あー、あれもカウントしてるのか」
◆ ◆ ◆
自動車積載エリアとはいうものの、車はほとんど存在しない。ただ、そのスペースの一角にテロリストたちのものと思われる車が数台、まとめて停められているだけである。そしてその中央、潰れたトラックの荷台の上に、そのマモノの姿はあった。
海底の岩を思わせるような、ゴツゴツとしたピンク色の胴体。その上部には、もはや見慣れた赤紫色の触手が何本も生え揃っている。今まで何度も切り裂き、千切り捨ててきたのに、一本も損傷を受けた触手が見当たらない。やはりあの触手には再生機能が備わっているのだろう。
円状に並んだ触手の中心部には、牙を持つ丸い口が備わっている。きっとあの牙で、捕えてきた生存者たちを食い殺してきたのだろう。
「ヴオォォォォォォォォッ!!」
醜悪な姿のマモノが咆哮をあげる。
このマモノこそが赤紫色の触手の持ち主、ラドチャックだ。
そしてこのマモノとの戦いが、存外長くなってしまったノルウェー旅行の最後の戦闘になるだろう。
◆ ◆ ◆
一方その頃、自動車積載エリアとは反対側の最下層にて。
そこにはテロリストのリーダーと、生き残った二人のメンバー、ニット帽をかぶった男と顎の骨のイラストが描かれたバンダナを口周りに巻いた男の姿があった。
日向たちがいる場所が、浜に乗り上げた船の前方部分としたら、ここは海に沈んでいる船の後方部分に当たる。船体の一部に穴が空き、浸水しているようだ。
そして、その浸水している場所に、高速ボートが停泊していた。
これもまたテロリストたちの持ち物だ。これでこの廃貨物船を脱出するつもりなのだ。
「外にはノルウェー軍がいるが、この霧に上手く紛れれば、逃げることは不可能じゃないハズ……!」
「あら、カッコイイ船じゃない。それで逃げるつもりなの?」
「ッ!?」
「あの子たちは上手く触手を引きつけてくれていたみたいね。おかげで、ここまで襲撃がほとんど無くて楽だったわ」
慌てて声のした方向へと振り向く、テロリストの生き残り三名。そこには、銃を構えたオリガが立っていた。
「クソ、最後まで俺たちの邪魔ばかり……!」
「まぁちょっと待ちなさいな。少し、私の話を聞いてちょうだい?」
「話……だと?」
「ええ。あなたたちにとっても、悪い話じゃないと思うの」
そう言ってオリガは、妖しく微笑んで見せた。