第273話 真打ち現る
日向と北園の救援に来たのは、ロシアのマモノ対策室のエージェント、ズィークフリドだった。長い銀の髪、黒いロングコートが風になびいている。
「ズィークさん、なんでここに!?」
「…………。」
日向が声をかけるが、ズィークは日向に手の平を向けてそれを制止する。「今は目の前のマモノが優先だ」ということなのだろう。幼い頃、声帯を失っているらしい彼は、言葉を発することができない。
「……分かりました。それじゃあ、前衛をお願いします!」
「…………。」
日向の言葉に頷き、ズィークフリドはゾルフィレオスに向かって身構える。
ズィークフリドに蹴飛ばされ、やっとのことで身を起こしたゾルフィレオスは、自身を攻撃したズィークフリドに向かって、その身をも呑み込まんとするおぞましい怒りと殺気を向ける。
「グアァァァァーッ!!」
「…………。」
ゾルフィレオスの咆哮がこだまする。
だがズィークフリドは、微動だにしない。
叩きつけられるゾルフィレオスの殺気も、それ以上の殺気で上書きしてしまう。
「ズィークさん! そのゾルフィレオスはおそらく、身体をいっぺんに氷結させることはできないと思うんです! 氷の重みが風のオーラの浮力を超えて、空中に浮くことができなくなるから! だから、ヤツの生身の部分を遠慮なく攻撃してください!」
「…………。」
日向の言葉に頷くズィークフリド。
一方で、ゾルフィレオスも動き出した。
ズィークフリドに向かって、氷の尾ひれを振り回す。
「グアアァッ!!」
「…………。」
しかしズィークフリドは、尾ひれの攻撃を易々と避けきって、ゾルフィレオスの懐に潜り込む。そして、その白い腹に右手の指を五本、突き立てた。
「ッ!」
「グアアァッ!?」
ゾルフィレオスの腹にズィークフリドの指が突き刺さる。
極限まで鍛えられた彼の指は、もはや一種の凶器と化している。
これを利用した我流の暗殺術『鋼指拳』こそがズィークフリドの最大の武器である。
「…………!!」
「グギャアアアッ!?」
腹を突き刺したズィークフリドは、そのままさらに連撃を加えていく。ゾルフィレオスの横腹を殴りつけ、顎を蹴り上げ、脳天に肘を落とす。超人的な筋力から放たれる彼の拳は、下手な銃弾よりよほど殺傷力がある。
「グオァァァッ!!」
「っ!」
ゾルフィレオスは、その巨体で無理やりズィークフリドの攻撃を突破する。そして身を翻し、ズィークフリドに斧状の氷の尾ひれを叩きつけてきた。ズィークフリドは後ろに跳んでこれを避ける。
「それーっ!!」
「グオァァァッ!?」
叩きつけられた氷の尾ひれに、北園の火炎放射が吹きつけられた。
氷の尾ひれはみるみるうちに溶けていき、消滅した。
これを受けたゾルフィレオスは、すぐさま三人から距離を取る。
再度身体に氷を纏わせ、武装する。
そして生み出したのはノコギリ状の氷の角と、胸びれの翼。
空中を滑空し、恐るべきスピードで真正面のズィークフリドに迫る。
「グオォォォォーッ!!」
「ズィークさん、突進が来てます!?」
「…………。」
ゾルフィレオスの、氷の角の穂先が迫る。
しかしズィークフリドは、その場から動かない。
日向が心配して、思わず彼に声をかけた。
ズィークフリドは不意に動き出すと、氷のノコギリを掻い潜り、正面からゾルフィレオスの体当たりを受け止めた。
「う、うわ!? 本気かあの人!?」
「…………ッ!!」
「グオォォォォッ!!」
押し込まれつつも、両脚を踏ん張り、突進に耐えるズィークフリド。
そのズィークフリドを突破しようと、体をくねらせるゾルフィレオス。
両者、身体をぶつけ合ったまま、激突地点から大きく動いている。
「グ…………!?」
「…………。」
やがてこの競り合いに勝ったのは、ズィークフリドだった。
自身の二倍以上の体格を誇るサメの突進を、真正面から止めてしまった。
「ッ!!」
そして、目の前のゾルフィレオスの虚ろな瞳に向かって、右手の指を二本、真っ直ぐに突き刺した。そしてそのまま突き刺した指を横に動かし、ピッと瞼を切り裂いてしまった。
「グギャアアアッ!?」
目を潰されたことで、ゾルフィレオスが激痛に悶える。
そんなゾルフィレオスの悲鳴も意に介さず、ズィークフリドは血まみれになった右手の指を五本真っ直ぐ揃えて、ゾルフィレオスの脳天に突き刺した。
「ッ!!」
「グギャッ……!?」
脳に指を刺されたゾルフィレオスの身体が、ビクンと跳ねる。
ゾルフィレオスの頭部は氷の装甲に覆われていたのだが、そんなのお構いなしに貫通してしまった。恐るべき破壊力だ。
ズィークフリドはそのまま、指に力を込めてさらに食い込ませ、ゾルフィレオスの脳味噌を破壊していく。
「……っ!!」
そして、ズィークフリドはゾルフィレオスの脳天に指を突き立てたまま、片腕でゾルフィレオスの身体を大きくぶん回し、投げ飛ばしてしまった。ズシンと音を立ててゾルフィレオスの身体が叩きつけられたのは、日向の足元だ。
「ひえっ!?」
ゾルフィレオスの巨体が目の前まで投げ飛ばされ、日向は思わず短い悲鳴を上げた。
そしてズィークフリドを見てみれば、右手の親指を立てたまま、それを下に向けている。サムズダウンだ。「トドメを刺せ」と言っているのだろう。
「り、了解……!」
日向は、ズィークフリドに向かって短く一回頷くと、足元のゾルフィレオスの脳天めがけて『太陽の牙』を突き立てた。
「グギャアアアアアア……」
断末魔の悲鳴を上げて、ようやくゾルフィレオスは息絶えた。
「ズィークさん!」
戦闘の終了を感じた日向は、ズィークフリドの元へと駆け寄っていく。
……だがズィークフリドは、素早く懐からサイレンサー付きの銃を取り出し、その銃口を日向に向けた。
「え、ちょ――――」
日向が制止する間もなく、ズィークフリドは引き金を引いた。
パシュ、パシュ、とサイレンサーが射撃音を抑制する。
放たれた弾丸は日向の顔の横を通り過ぎ、その先のシーバイトを撃ち抜いた。
「えいっ!」
銃弾を撃ち込まれ、動きが止まったシーバイトの隙を突いて、横から北園が火球をぶつけて焼き払った。ズィークフリドは、日向の後ろから迫ってくるシーバイトを狙ったのだ。
「あ……あんなモンスター映画のワンシーンみたいなのを、自分で体験する羽目になるとは……」
「…………。」
ズィークフリドは、黙って頭を下げた。日向を驚かせてしまったことを謝罪しているのだろう。
だが、言葉を発することができない彼は、シーバイトの存在を日向に素早く知らせることはできなかった。こうするしかなかったのだ。日向もそれを承知で、ズィークフリドに返事をする。
「き、気にしないでください、ズィークさん。むしろ助かりました。いくら俺が再生するとはいえ、痛いのはゴメンですから」
「…………。」
ズィークフリドも日向の返事を聞いて、頭を上げた。
この青年は、威圧感は満点だが、その心根はとても暖かである。
……と、ここで日向のスマホが着信を知らせた。
画面を見てみれば、どうやら狭山からの連絡のようだ。
日向は画面をタップして狭山からの電話に出る。
「もしもし、日向です」
『もしもし日向くん、そっちは大丈夫かい!?』
「ええ、なんとか。それより聞いてください。ロシアのエージェントのズィークフリドさんに会ったんです」
『ああ、無事に合流できたみたいだね、よかった。彼の存在についてはこちらも把握している。自分が彼に、君たちの救援に行ってもらうよう頼んだんだ』
「そうだったんですか……。でも、どうしてズィークさんがこの町に?」
『詳しく説明してあげたいところだけど、もう少し我慢してほしい。先ほど衛星カメラで、この町の北側の海に巨大な反応をキャッチしたんだ。今までのマモノとは比較にならない強さの反応だ』
「まだ、『星の牙』が残ってるってことですか……」
『そういうことになるね。すまないが、今から町の北側の波止場に急行してほしい。敵の正体を確かめなくては』
「分かりました!」
そして狭山との通信を切ると、日向は北園とズィークフリドに、先ほどの電話の内容を伝え、目的の波止場に向けて走り出した。
……だがその途中で、住人たち魚のマモノの群れに襲われている場面を見つけた。
「大変だよ日向くん! 町の人が襲われてる!」
「けど、俺たちは俺たちで海岸に向かわないと……。仕方ない、ズィークさん、町の人たちをお願いできますか!?」
「…………。」(コクリと頷く)
日向の頼みを受け、ズィークフリドは住人たちを助けるべく、二人と別れた。大きな戦力を手放してしまったが、住人を見殺しにするワケにもいかない。
ゾルフィレオスは倒したが、マモノたちの襲撃は依然として続いている。
先ほど倒したゾルフィレオスも、日影たちが倒したスペクターも、オリガが操っているモーシーサーペントも、魚のマモノたちを空中に押し上げている『風の能力者』ではなかった。狭山が言っていた『新たな反応』こそ、この襲撃を企てた首謀者かもしれない。
やがて、息を切らせながらも、日向と北園の両名は、町の北端の波止場へと辿り着いた。
目の前の海は荒れている。空の向こうからは黒雲が立ち込め、風が強く吹いている。嵐の兆候だ。
「この風は……やっぱり”嵐”の星の牙が……?」
「あ、日向くん! あそこ見て!」
そう言って、北園が目の前の海を指差す。
その海の中から、何かがこちらに接近してきている。
そして海面から現れたのは、蒼銀の巨体。
日向たちが見たマモノの中では、間違いなく過去最大。
いや、今まで見てきたすべての生き物の中でも最大だろう。
丸みを帯びた頭部。
縦に長い身体。
巨体に見合わない小さな青い瞳は、鋭く二人を見据えている。
この巨大なマモノは、海面から飛び出すと、浮き上がった。
これまでの魚のマモノたちと同じく、薄緑のオーラを身体に纏って。
そして、その大口を開いて、大音量の鳴き声を撒き散らした。
「ウオォォォォォォォォン……!!!」
「うひゃあ!? す、すごい鳴き声……!」
「とうとう、お出ましって感じだな……!」
二人の前に姿を現したのは、蒼きクジラのマモノだった。