第271話 スペクター
日影、本堂、シャオランの三人が対峙するのは、見上げるほど高い場所に浮かんでいる巨大なクラゲ、スペクター。”雷”の星の牙である。
『電気クラゲ』の異名をとるクラゲが存在するように、クラゲと電気はよく関連付けられているが、実は電気を放つクラゲは自然界には存在しない。先述の電気クラゲも、毒針に刺された際の痛みが電撃にたとえられているだけである。よって、スペクターが”雷”の異能力者であることに疑いは無い。
スペクターは、そのあまりにも長い触手を三人の前に垂れ下げて、本体は安全な上空にフワフワと浮かんでいる。『スペクター』という言葉は『幽霊』を意味しているが、こうして見るとなるほど、確かに宙に浮かぶ幽霊のように見える。本来は海に潜むマモノなのだが。
「上からこっそり忍び寄って電撃とは、やってくれるじゃねぇか……!」
「も……もう電撃やだぁ……。立ちたくないぃ……」
「しっかりしろシャオラン。向こうはお前がどう言おうとお構いなしだぞ」
垂れ下がっているスペクターの触手が、ゆらゆらと三人に向かって伸びてくる。その先端はイカの触手のようにやや肉厚で、物を掴むのに適しているように見える。そして、その触手の先端からはバチバチと電気が迸っている。つまるところ、あの電気の触手で三人を殴るか掴むかしてくるつもりなのだろう。
「い、イヤぁぁぁぁ!? わ、分かったよぉ戦いますよぉぉぉぉ!!」
「よし、よく言ってくれた。……ちなみに、俺はまさかここで戦いになるとは思っていなかったから、高周波ナイフを持ってきていない。さらに奴は電気を操る能力者である以上、俺の電撃も効き目は薄い。よって、俺はあまり戦力にならないと思う」
「ボ、ボクには戦えって言っておいたクセにぃぃぃ!!」
「だがそれなら、シャオランだってまともな戦力にはならねぇな。素手であの電気クラゲを殴るワケにもいかねぇだろ」
「そ、そっか……。じゃあボクは、周囲のマモノを倒してヒカゲに近づけさせないようにしたらいいのかな?」
「そういうことになるな。んでもって、正面きってあのクラゲと戦えるのはオレだけってワケだ……!」
そう言うと、日影は迫ってくるスペクターの触手に向かって走り出す。
ちょうど三人の背後から数体のシーバイトがやって来たので、シャオランがその迎撃を担当することになった。さっそく先頭の一体目に肘を叩き込んでいる。
剣を片手に走る日影。
その正面から、スペクターの触手が迫る。
「おるぁッ! せいりゃッ!」
日影は素早く剣を振るい、スペクターの触手を斬り落とす。
しかしスペクターはお構いなしに、残りの触手で日影を攻撃する。
触手に電気を纏わせて殴りかかり、掴みかかろうとする。
「遅ぇんだよ!」
しかし日影の言うとおり、スペクターの攻撃はスローモーションだ。余裕をもって回避し、反撃することができる。
だが、先ほどから日影が攻撃しているのはスペクターの触手ばかり。いくら『星の牙』に特効を持つ『太陽の牙』といえど、末端の触手ばかり攻撃していては大してダメージを与えられないのだろう。スペクターは苦しんでいる様子を全く見せない。
「ああクソ、手っ取り早くあの本体を攻撃してやりてぇのに、これじゃ攻撃が届かねぇぞ!」
「オーバードライヴで身体を強化してから剣を投げるのはどうだ」
「ま、それしかねぇか!」
本堂の提案を受けた日影は、さっそく身体に炎を纏う。
腕が、肩が、脚が、背中が、緋色の炎に包まれる。
「喰らいやがれぇぇぇッ!!」
そして日影はスペクターに向かって、渾身の力を込めて『太陽の牙』を投げつけた。鋭い切っ先の両手剣が、炎に包まれながら一直線に飛んでいく。このまま飛んでいけば、スペクターの傘上の頭部に直撃する。
しかしスペクターは、顔の前の左右二本の腕のような短い触手を動かして、日影の『太陽の牙』をはたき落としてしまった。
さらにスペクターは、先ほどの左右二本の短い触手を動かし、その間に雷球を作り始める。そしてその雷球から、強烈な稲妻を発射した。地上にいる日影を狙い撃ちにするつもりだ。
「うおっ!? 危ねぇ!?」
スペクターの稲妻攻撃はなおも止まらない。地上にいる日影と本堂に向かって稲妻を連射する。落雷が地面に直撃するたびに、石畳が爆ぜて破壊される。
「あのヤロ、安全圏から一方的に攻撃してきやがる!」
「正直、打つ手が無いな。ここは一つ、狭山さんから知恵を借りるとするか。日影、お前はスペクターを引きつけておいてくれ」
「あの稲妻の嵐に突っ込んで来いっつーのか!? 電撃に耐性があるお前が行けばいいじゃねぇか……って、うおわっ!?」
スペクターは既に日影をターゲットに据えており、彼に向かって稲妻を発射し続けている。これでは本堂に代わるどころではない。日影は諦めて再度スペクターに立ち向かう。
スペクターは日影が、シーバイトはシャオランが抑えてくれている。その間に本堂は自身のスマホを取り出し、狭山に電話をかけた。一度目のコール音が途切れるよりも早く、狭山は電話に出てくれた。
『はい狭山です! 本堂くん、そっちは三人とも無事かな!?』
「ええ、今のところは。しかし、『星の牙』スペクターと交戦中です」
『スペクター……! あの水中電撃オバケが地上に侵攻してきたか! やはりそのスペクターも宙に浮いているのかい!?』
「そうです。遥か上空を浮遊し、一方的に攻撃を仕掛けてきています。こちらは俺と日影とシャオランの三人。強力な遠距離攻撃ができる日向と北園がいない以上、手の出しようがありません。俺の”轟雷砲”を使っても、奴には効かないでしょう」
『なるほど、それで自分の知恵を借りるため、電話をくれたということか』
「その通りです。何か策はありますか?」
『策……というより、強力な助っ人を手配しよう! 彼女と協力して、スペクターを撃破してくれ!』
「助っ人ですか。分かりました」
『ちなみに自分は今、ホテルに戻っている。ここで地元警察と、滞在していたノルウェー軍の指揮を執って、周辺の雑魚の掃討と住人の避難を行おう!』
「お願いします。それでは」
狭山との電話を終えると、本堂は戦況を確認する。
日影は引き続き『太陽の牙』をスペクターに向かって投げつけ、スペクターはそれを稲妻攻撃で撃ち落としている。その稲妻の流れ弾が、本堂に直撃した。
「む……!」
本堂は咄嗟に左腕で防御。稲妻を受け止めた。
そして、何事も無かったかのように電撃を吸収してしまった。
「やれやれ、今この瞬間ほど、超帯電体質で良かったと思ったことはないな」
「それより本堂! 狭山はなんて言ってた!?」
「『強力な助っ人を送る』だそうだ」
「助っ人だぁ? 戦車でも持ってきてヤツを撃ち落とすつもりか?」
「さてな。詳しいことは教えてくれなかったが……」
「ふ、二人とも! あれ見て!」
と、ここでシーバイトの相手をしていたシャオランが、二人に向かって声をかけた。ちなみに、相手をしていたシーバイトたちは既に片付けてしまっている。
シャオランが指差す方向を見てみると、上空にて長い体躯を持った何かが、地を這う蛇のようにうねりながら飛んできている。その影からして間違いなくマモノなのだが、どうやらそのマモノは三人が相手をしていたスペクターに向かっているようだ。
やって来たマモノは、一言で表すならば「岩ウツボ」。
名を『モーシーサーペント』という。
苔むした海中の岩盤を身に纏うウミヘビ。
”地震”の星の牙だ。
「シャーッ!!」
飛来してきたモーシーサーペントは、日影たちには目もくれず、なんとスペクターに噛みついてしまった。そのまま苔に覆われた岩の身体をスペクターに巻き付け、動きを封じる。柔らかい身体のスペクターは、あっという間に動けなくなってしまった。
スペクターも全身から放電を行ってモーシーサーペントに反撃するが、全身を岩盤で固めているモーシーサーペントに、電気は効果が薄いようだ。スペクターは成す術無くモーシーサーペントに締め付けられる。
「な、なんだあのマモノ!? スペクターを攻撃してやがる!? 同士討ちだ!」
「まさかあのマモノが『強力な助っ人』なのか? 狭山さんは『彼女』と言っていたから、てっきり巨乳の女性が来るかと思っていたのだが」
「こんな時でも欲望丸出しかテメェは!!」
モーシーサーペントは尾でスペクターを絡めとると、そのまま地面に向かって叩きつけてしまった。スペクターの液状の巨体が、べちゃりと地面に、そして家の側面に張り付いた。
「と、とにかく今だヒカゲ! スペクターが地に落ちたよ!」
「ああ分かってる! ”再生の炎 陽炎鉄槌”ッ!!」
日影は剣を左手に持ち替えると、スペクターに向かって右腕で渾身の炎の拳を叩きつけた。スペクターは張り付いた家の外壁ごと粉砕され、数度ビクビクと触手を動かした後、動かなくなった。
と、ここで先ほどスペクターを叩き落したモーシーサーペントが、三人の元へとやって来た。しかし、モーシーサーペントは相変わらず三人に対して大人しい。心なしか、目がやや虚ろに見える。
「襲ってこねぇな……どうなってるんだ?」
「あら、聞いてないの? その子は私が『支配』してるのよ」
突然、背後から女性の声がしたので、三人は振り返る。
そこに立っていたのは、シャオランよりもさらに身長が低い、小柄な少女だ。しかしその少女の実年齢は25歳であり、れっきとした大人なのだ。髪はゆるふわな金のロング。瞳と同じ金色の瞳もまた印象的である。そして、その瞳と目を合わせた者は精神を支配されるという。
「久しぶりね、日本の坊やたち。元気にしてた?」
「あー……『強力な助っ人』って、コイツかよ……」
現れたのはロシアのマモノ対策室エージェント、オリガ・L・カルロヴァ。日影とは浅からぬ因縁を持つ女性である。
「……むう。巨乳を期待していたのだが、ぺたん娘だったか」
「撃ち殺すわよ?」