第257話 引っかかってはいけない
引き続き、マモノ対策室十字市支部の庭にて。
日向の目と鼻の先の位置で、ボールを構えたままピタリと止まる狭山。彼が出す最後の問題を解きながら、いつボールを投げてくるかにも最大限注意しなければならない。何しろ、この最後のボールに当たったら、一気に百発分当たったことにするなどとのたまってきたのだ。
(……けど、ここまでの問題は全部正解してるはず。一問間違えたところで合格率に影響はしないと思う。最後の問題を間違えても百問分間違えたことにするとは言われてないし。だから、ここは最後の問題への集中力を捨ててボールに注意を払うという選択肢もある、けれど……)
けれど、せっかくここまで正解してきたのだ。どうせならしっかり全問正解してこの最終試験を突破したい。そんな思いが日向の中で渦巻いていた。
(もしこれが実戦なら、さっきの考えは、仲間や人々を見捨ててマモノを倒すことを優先するようなものだ。それは嫌だ。どうせなら両方一気に選び取る。その方法を考えるのが俺の仕事だ……!)
日向は、腹を括った。
ボールは避ける。問題も解く。
この両方を達成して、最終試験を終わらせる。
そして、狭山が十問目の問題を出してきた。
「ある日、世界中の人々が集まって、世界中の料理を食べる食事会が開かれました。その中で、ある人物が寿司を食べると『これは美味い!』と大絶賛しましたが、さて、この寿司を絶賛した人物はどこの国の人でしょうか?」
問題を聞いた日向は、考え込む。
狭山が構えるボールを注視しながら。
(寿司を『美味い』と言った人……? 『寿司』がどこかの国とかかっているのだろうか……? イギリス……イタリア……ドイツ……ロシア……うーん駄目だ、当てはまりそうにない。『スシスキー』みたいなド直球な名前の国があればいいんだけど……そもそも俺が知らない国が問題の答えだったら、もうお手上げだ)
やはり最後の問題というだけあって、これまでの問題よりも難易度が一段高くなっているような気配がある。オマケに、狭山が構えるボールが気になって問題に集中できない。狭山は時おりボールを握った手首をピクピクと動かしてフェイントを仕掛け、露骨に集中力を乱してくる。
「ほらフェイント! はいフェイント! 投げる……と見せかけてフェイント!」
(ぐああウザい! だいたい、問題を捨ててボールに集中したところで、こんな至近距離で投げられたボールを避けるとか無理でしょ常識的に考えて! いくら俺が鍛えられてきたからって、反射神経にも限度ってものが……いや、待てよ?)
その時、日向は考え方を変えた。
一見すると、回避など不可能に感じる至近距離のボール回避。
これを避けられなければ、百発分被弾したなどと無茶なことを言ってくる。
しかし、狭山誠という人物像から逆算すると、狭山は何の考えも無しにこんな無理難題は言わない男だ。つまり、この至近距離のボール回避を絶対に成功させる方法がある、という可能性がある。
それを考えるのが、今の日向に与えられている命題なのだとしたら。『馬鹿正直に避ける』以外の方法を求められているのだとしたら。
(……分かったぞ、あのボールを避ける……いや、当たらないようにする方法が。くそ、なんつー引っかけ問題だ…………あれ、ちょっと待って? 引っかけ問題っていうと、もしかして……)
狭山が構えるボールに注意しながら、日向は一瞬だけ、意識を思考へと深く落とす。ボールの回避方法が分かったと同時に、最後の問題の解き方も分かったかもしれない。
(そもそも『寿司』だとか『料理』っていうのが盛大な引っかけだとしたら……うん、可能性はある。それにさっきの、狭山さんの人物像からの逆算で考えると、狭山さんが俺の知らない国の名前を答えに設定している可能性は限りなく低い。つまり、俺でも知っているような国を答えに設定してるはず。であれば、この答えならいけるはずだ……)
そして日向は、狭山に向かって解答を発表しようとする。
だがその瞬間、狭山の腕が動いた。ボールを投げつける気だ。
不意を突かれ、日向は足を動かすことができなかった。
……だが日向も、初めから足を動かす気は無かった。
代わりに、自分の腕を伸ばして、狭山がボールを投げようとした腕を止めた。そしてそのまま、解答を続け始めた。
「答えは……『日本人』。世界中の人々が集まる場なのに、『デリシャス』とかじゃなくて『これは美味い』という日本語が出てきたら、それを発言したのは日本人です」
「うん、それは正解なんだけど、どうして自分の腕を押さえているんだい日向くん? これじゃあボールを投げられないよ」
「だって狭山さん、今まで『ボールを直接受け止めてはいけない』って言ってましたけど、『ボールを投げるのを妨害してはいけない』とは言ってないでしょ? だからこれが、この至近距離のボールに当たらないようにする方法です」
日向の解答を聞いた狭山は、数回まばたきをして、キョトンとした。
「ふ……ふふ……ふっふふふ……」
そして、今度はいきなり笑い始めた。
自身の中で笑いが溢れてきて抑えられない、といった様子だ。
「さ、狭山さん? どうしたんです? もしかして、間違えてました?」
日向もまた、狭山の予想外の反応を受けて、困惑している。自分が答えたボールの回避方法が間違っていると思ってしまい、先ほどまでは自信満々だったのに今ではすっかり自信を無くしてしまっている。
「そ、そりゃそうですよね……。さすがにおかしいですよね……。いくら何でも、こんなトンチキな答えが正解なワケが……」
「いやいや、違うよ。君の成長の著しさが嬉しくて嬉しくて、つい笑いがこぼれてしまった」
「え……? それってつまり……」
「うん。大正解だ!」
そう言って、狭山は持っていたボールを自身の真後ろへと放り投げた。
屋根より高く飛んだソレは、日向の合格を祝う打ち上げ花火のようだった。
◆ ◆ ◆
「はぁぁぁ焦ったぁぁぁぁ……。あれだけ自信を持って答えたのに、間違いとか言われていたら一週間は寝込んでましたよ……」
「はは、申し訳ない。思わず感情が高ぶってしまった。やはり人間が努力の果てに何かを掴むのは、良いものだね」
「ホント、人間の努力が大好きですね……」
マモノ対策室十字市支部の庭にて、あちこちに散乱したボールを拾い集めながら、日向と狭山は語り合っていた。狭山はいつもめったやたらにボールを投げるので、ボールは毎回おもしろおかしいところに落ちている。
「ああ、見てごらん日向くん。ボールがあんなところに落ちてるよ」
「どれどれ……おお、屋根の上にボールが一つ……って、なんであんなところにあるんですか。目の前の俺に当てるだけなのに、どんな投げ方したら屋根の上に乗るんですか」
「ほら、アレだよアレ。時間差爆撃の時だよ。コントロールをミスして、一つだけ暴投しちゃったんだよね」
「ああ、あの時の……」
「あれは後で回収するとして、それより日向くん、見事に最終試験を合格したね。さっそく次の戦闘から君を復帰させようと思うけど、大丈夫かな?」
「ええ、問題ありませんよ」
「今の君ならこれからの戦いにおいても、身体能力の低さがペナルティとなることはないだろう。そして鍛えに鍛えた思考力で相手の性質や弱点を思う存分暴き立て、敵をつぶさに観察することでその動きを読み切ってしまいなさい」
「よしゃー、やってやりますよ」
「いいぞ、その意気だ」
「……ところで狭山さん、一つ、いいですか?」
と、ここで日向が、少し真面目な表情で質問してきた。
狭山もそれに応え、真っ直ぐに日向を見つめる。
「構わないよ。どうしたんだい?」
「今までずっと問題を解き続けてきたからか、なんというか、常に何か思考していないと落ち着かないような、そんな感じの頭になってきたんですよ」
「なるほど、脳が思考力に特化してきた証かな」
「それで、ここからが本題なんですけど、その『何か思考する』ものの中には当然、このマモノ災害に関係する考察も多いワケです」
「ふむふむ」
「それで、ふと思ったんです。俺と日影が持つ『太陽の牙』ですけど、俺たちは最近になって新しい能力を身に着けました。俺は”太陽の牙、点火”を、日影は”再生の炎、力を此処に”を」
「そうだね。これらの新しい能力は、きっと大きな戦力になる」
「そこは間違いないでしょうね。……けど問題は、どうやって俺たち二人は、この新しい能力を身に着けたのか、なんです」
「……ふむ」
思い返せば、日向も日影もそれぞれ、新しい能力を身に着けた際に、特別なことをした覚えは一切無い。そもそも二人とも、新しい能力を身に着けたシチュエーションからして異なっている。共通点といえば、星の巫女……エヴァ・アンダーソンの側近だったマモノ、キキと戦っていたことくらいか。
「『強敵と戦った』って可能性も否定はできませんけど、もっと何か他に要因があると思うんです。俺たちが認識していない、トリガーとなった何かが……」
「なるほどね……」
「狭山さんは、何か心当たりはありませんか? 俺はどれだけ考えても分からなかったんですけど、狭山さんなら……」
狭山は顎に手を当て、思考するそぶりを見せる。
しばらく唸った後、日向の方を見ずに、口を開いた。
「うーん……残念だけど、現状、自分から言えることは何もないかな……」
「そうですか……」
どうやら、狭山でも分からないらしい。この謎が解明できれば、あるいは『太陽の牙』の更なるパワーアップが計れたかもしれないだけに、日向の落胆は大きい。
「まぁ、これからの戦いで分かってくることもあるだろう。焦らずに行こう、日向くん」
「そうですね。焦っても良いことないですしね」
「それじゃあ、ぼちぼちボールも拾い終わったところで、休憩にしようか。的井さんが最終試験突破祝いのホットケーキを作ってくれるってさ」
「ホットケーキ……! 食事制限をしてからこっち、甘いものはほとんど食べてなかったから、楽しみ……!」
「自分は屋根の上のボールを拾ってくるから、先に家の中に入ってなさい」
「分かりました! ホットケーキよしゃー!」
歓声を上げながら、日向はリビングへと向かって行った。
その日向の背中を、後ろから見つめる狭山。
「……ふむ。『日向くんや日影くんが新しい能力を身に着けた理由』かぁ……。実際のところ、心当たりが無いワケではないけれど……」
狭山は独り、ポツリと呟くと。
「今はまだ、話す時ではないかな」
いつもの、人当たりの良い微笑みを浮かべながら、そう呟いた。