第247話 挑発訓練
7月の二週目。水曜日の午後。
日向は今日もマモノ対策室十字市支部にトレーニングに来ていたが、今日は少し趣向を変えた特訓をするのだと狭山は言った。
「さて日向くん。君は中国の孫子をご存じかな?」
「えーっと、兵法を書いた人ですよね? 兵は詭道なり、とか……」
「お、よく知ってるね。……ちなみに『孫子』は、その兵法書を書いた人、というイメージがあるけれど、実際は兵法書の名前なんだ。人じゃないんだよ」
「え!? そ、そうなんですか!?」
「うん。……まぁ、今回はそこは重要じゃないので割愛。さて、その孫子の中に『怒らせてこれを乱し、卑しくしてこれを騙らず』という言葉がある。つまり、相手を怒らせて冷静な判断を出来なくさせたり、相手にへりくだって天狗にし、隙を作れ、ということだね」
説明しながら、狭山は日向をリビングへと連れて行く。
そこでは北園、本堂、シャオラン、日影の四人が、思い思いにくつろいでいた。
「マモノとの戦いにおいても、怒らせて相手を乱す行為……つまり挑発は有効だと思われる。彼らには人語を解する知能があるようだし、実際、十字市中心街を襲ったキキは、君と言葉を交わしたそうじゃないか」
「ああ、ありましたね。あの時は俺が挑発し返してやったんですけどね」
「挑発が上手く決まれば、相手の攻撃を単調化させ、逆に避けやすくなることが期待できる。再生能力を持つ君にターゲットを集中できれば、そのぶん他の仲間たちに危害が及ばなくなる。分かるね?」
「ええ、まぁ。そこまでは分かるんです」
「よし、じゃあ今から、このリビングでくつろいでいる仲間たち四人を挑発して、怒らせてみよう!」
「そこからが分からない」
呆れた様子で言葉を返す日向。何が悲しくて信頼する仲間たちを言葉のナイフで突き刺さなければならないのか。始めにこのスケジュールを聞いた時、日向は我が耳を疑ったものである。
「日向くんは類稀なる洞察力とひらめき力を持っている。これらを活用して、相手の弱みを見出し、そこを的確に抉る言葉を考え、相手の心をへし折ることができる、と自分は考えている」
「誉めてるんですよね? 遠回しに危険人物扱いしてないですよね?」
「やはりこういう技能は実践あるのみだ。まさか通りすがりの赤の他人を口汚く罵れ、とは言えないし、事情を知る仲間たちなら何の気兼ねも無く練習できるだろう?」
「いやめっちゃ気兼ねが有るんですけど。シャオランとかはともかく、日影とか怒らせたら絶対に殴りかかってきますって」
なおも訓練を拒否しようとする日向だが、そんな彼に仲間たちが声をかける。
「大丈夫だよヒューガ。ボクたち、サヤマから事情は聞いてるから。挑発すると事前に分かっているなら、怒りだってそんなに湧かないって!」
「要は何言われても聞き流しておけばいいのだろう? 好きに言うといい」
「日向くんは、別にそんなこと本気で思ってない、私たちを傷つけたいワケじゃないってこと、ちゃんと分かってるからね」
「ま、お前のショボい挑発じゃ、たとえ本気だろうとオレたちを怒らせるには至らねーと思うがな!」
「約一名、逆に挑発してきているヤツがいるんですが……」
ともあれ、仲間たちは既に準備万端のようだ。日向のために、こんな馬鹿げた特訓に付き合ってくれている。どんな言葉を投げかけられようと、聞き流してくれる用意をしてくれている。
故に日向も、腹を決めた。
せっかくの機会、こうなったらとことんまで付き合ってもらおうと。
「じゃあ、まずは……」
呟きながら、日向は誰に挑発を実行するかを選ぶ。
そして、決めたのが……。
「……うん? 俺か?」
本堂だった。
日向は、テーブルに座って勉強する本堂の側までやってきた。
「お、いきなり大物を選んだな」
その日向の後ろで、日影がニヤニヤしながら様子を窺う。
確かに日影の言うとおり、この挑発訓練において、本堂は相当な大物だろう。なにせ、四六時中無表情で、感情の起伏に乏しい。それはつまり、極めて冷静な性格であるとも言える。
そんな本堂を、日向は最初の相手に選んだ。
本堂は、自身の勉強を続けながら日向に声をかける。
「一応、聞いてみてもいいか? なぜ俺が最初なのか」
「ええと、まぁ、簡単に言えば威力確認というか。本堂さんなら、本当に何を言っても聞き流してくれそうなので」
「そうか。何を言ってきてもいいぞ。俺は気にしない。たとえさばぬかを馬鹿にされようと、今日は流してみせよう」
「普段なら流さないんですか……」
「それと、『本堂さんなら本当に―――』というのは、高度なダジャレか?」
「だから逆に挑発してくるの止めてくれませんか」
ともあれ、準備は整った。
他の仲間たちも、狭山も、あの本堂を相手に日向が何を言うか、注目している。
「じゃあ、いきますね、本堂さん」
「うむ。来い」
「では…………
三回も受験に失敗して、妹さんに申し訳ないと思わないんですか? アホ」
「ふんっ!」
「痛いっ!?」
日向の言葉を聞き終えた瞬間、本堂は日向を殴った。
……繰り返す。本堂は日向を殴った。
挑発に負けて、手を出してしまった。
それだけ、日向の挑発が効いたのだ。
「……あ。すまん。大丈夫か日向?」
自分が殴ってしまった日向に声をかける本堂。
まるで自分という機械が誤作動を起こしてしまったことに衝撃を受けているかのような、そんな様子である。
「だ、大丈夫じゃないですよ!? よくも殴りましたね!? 聞き流すって言ってたのに!」
「すまん。ついカッとなってしまった。反省している」
「ホントに反省してるんですか!? 反省できないから三回も受験に落ちて――――」
「ふんっ!」
「痛いっ!?」
……また本堂が日向を殴った。
本堂は、無表情のままキョトンとしている。
自分が何をやったのか、理解できないといった様子だ。
「ま、また殴ったぁ……。”再生の炎”でほっぺが熱い……」
「す、すまん。だが、こちらも抑え切れず…………くっ、怒りが静まらん」
「ちょ、ちょっ!? もう殴らないで!? ひえええ許して!」
「殴らんよ。殴らんが……このままでは収まらん。ちょっと別室に移らせてもらう。勉強に集中してくる」
そう言うと本堂は、テーブルの上の勉強道具を持って、リビングから退出してしまった。残された日影、北園、シャオランの三人は、揃って顔を見合わせる。
(ちょっとぉ!? どういうことぉ!? あの本堂に手を出させたよ!?)
(マズいな。日向の挑発、思った以上に切れ味がエグいぞ。相手のNGワードを的確にぶち抜いてきやがる)
(こ、これは、私たちも覚悟を決めた方がいいかもね……)
(や、やっぱりこんな訓練に付き合うんじゃなかったぁぁぁ!! 何言われるか分かったモンじゃないよぉぉぉぉ!?)
日向の挑発の威力を見て、戦々恐々とする三人。
一方の日向は、狭山と話をしていた。
「やるじゃないか日向くん。本堂くんを相手にあれほどの威力を叩き出すとは、これは成果が期待できそうだ」
「狭山さん……まだ続けるんですか、これ……? もう本堂さんをあれだけ怒らせたんだし、威力は十分に証明されたと思うんですけど……」
「いや、まだだ。相手を容赦なく傷つける冷淡さも、挑発には欠かせない要素だ。友が相手でも揺らがぬ心を、この機会に身に着けてみよう」
「こ、この特訓、誰も幸せにならない……」
(……まぁここだけの話、もっと言うと、日向くんが残る三人を相手にどのような言葉を口にするか、ちょっと聞いてみたい、という自分の要望もあるんだけどね)
かくして、挑発訓練の続行が決定された。
日向は果たして、残った三人に言の刃を向けることができるのか。
続く。




