第243話 秘密主義な二人
「やぁやぁ、来ましたよ」
「あ、狭山さん」
「やあ日向くん。まさか今日、こうして会うことになるとは思わなかった」
気の抜けた声と共に、狭山がシャオランたちの家にやって来た。
ミオンの姿を見つけると、歩み寄って声をかける。
「お久しぶりですミオンさん。よくもこの忙しいときに呼び出してくれましたね」
「久しぶり~! えーと、狭山さん! また会えて嬉しいわ~!」
「ええ。自分もまた会えて嬉しいですよ。仕事の邪魔をされたのは別として、ね」
狭山とミオンは互いに言葉を交わすと、丁寧に会釈をした。
その様子はどこかよそよそしいというか、互いに気を遣っているように感じられる。
また、ミオンは狭山の名前を呼ぶとき、妙にたどたどしい。
まるで狭山の名前を呼ぶのに慣れていない、という感じだ。
「……思ったんですけど、狭山さんとミオンさんって、どんな関係なんですか?」
日向が質問した。
以前にも述べた通り、狭山の経歴は謎に包まれている。そんな狭山に古い知り合いがいるとなれば、その間柄は当然気になるし、あわよくばミオンから狭山の過去について聞き出せるかもしれない。
「自分とミオンさんの関係かー。まぁ何というか、とてもお世話になったというか」
「そうそう。よく面倒を見てあげたのよ~」
「だから自分は、彼女に頭が上がらない。仕事を後回しにしてここに来たのも、そういうワケさ」
狭山にしては多少答えてくれたものの、やはり肝心な部分、詳しい関係などははぐらかされてしまう。しかもこの様子を見るに、ミオンも一緒になってはぐらかしているように感じる。あるいは彼女も、狭山の過去については話さないように口止めされているのかもしれない。
「二人は同年代に見えるけど、元恋人……って感じには見えないな」
「アタシは単純に、ビジネスパートナーとかそのあたりだと思うけどなぁ。狭山さんが何かの仕事をしている時にたまたま出会って、それ以来親交が続いているとか」
「というか、リンファやシャオランはミオンさんの過去とか知らないの?」
「アタシも詳しくは知らないのよねー。ミオンさんも大概、秘密主義だから。シャオシャオは何か知らないの? 直弟子でしょ?」
「ボクも何回か聞いたことはあるよ。『昔は何してたの?』とか、『どうしてそんなに強くなったの?』とかね。でも、いっつもはぐらかされちゃう。あとシャオシャオはやめてね」
どうやらシャオランとリンファの二人も、ミオンの過去についてはよく知らないらしい。あるいはミオンの過去から、狭山の過去に繋がるヒントを得られるかもと日向は考えていたのだが、その狙いは外れたようだ。狙いが外れた、というより、弾かれた、と言うべきだろうか。
「じゃあシャオランく~ん、そろそろ組手しましょ~?」
「うぇぇ……本当にやるんですかぁ……? この和気あいあいとした話の流れで忘れてくれればなーって思ってたのにぃ……」
「忘れるワケないじゃないの~。それを楽しみにしてここまで来たのに~」
「ボクをボコるのがそんなに楽しいですか! そうですか!」
「いやいや、そんなことはないのよ~? ……あ、良いこと考えたわ~。シャオランくんのやる気をアップさせるための名案よ~」
ミオンが、ウキウキしながらそう告げた。
しかし、シャオランは微妙そうな表情を浮かべている。
これからミオンが言うことに全く期待を持てない、と言いたげな顔だ。
「師匠の『良いこと考えた』は、たいていの場合ロクでもないからなぁ……。その余計な閃きから生まれた滅茶苦茶な特訓のせいで、ボクが今までどれだけ命の危機に晒されてきたか……」
「ミオンさん、思いついたらその場で実行するクセがあるからね……」
「まぁまぁ二人とも、とりあえず話を聞いてみよう。それでミオンさん、良いこととは?」
「うふふ~、今からシャオランくんがわたしと組手をして、わたしに勝ったら、わたしの過去を教えちゃいましょ~」
「ほら見たことか! 絶対にボクが勝てないと分かっててそういうことを言うんだ!」
「もちろん、シャオランくんの実力に合わせて、ある程度手加減するわよ~。それでもわたしに勝てたら、約束通り教えるわよ~」
「……師匠が手加減しても、ボクが勝ったらオーケー……ってこと?」
続くミオンの言葉を聞いて、シャオランは思わず顔を上げた。
ミオンはシャオランの実力に合わせて手加減してくれるという。
その状態でもシャオランが勝てば、ミオンが過去を教えてくれる。
冷静に考えれば、これは破格の条件だと言えるだろう。
「シャオラン、これはチャンスだぞ。何としても勝利して、ミオンさんの過去を聞き出してやれ。そこのつながりを辿って、狭山さんのことも何かわかるかも……」
「う、うん。自信は無いけど、頑張るよ。……それにしてもヒューガ、意外とすごく知りたがるよね、サヤマの過去とか。秘密は暴きたい性格なの?」
「いや、普段なら秘密はそっとしておく主義なハズなんだけど、狭山さんは特別気になるというか……。どうやったらあんな超人が誕生するのか、気にならない?」
「まぁ、気持ちは分かるよ」
「俺なんか、最近は本当に気になり過ぎて、ご飯三杯しか喉を通らない」
「健康そのものじゃん」
ともかくシャオランは、なけなしのやる気を振り絞って、ミオンに向かって拳を構えた。対するミオンは、相変わらず余裕たっぷりの笑みを浮かべ、穏やかに佇んでいる。
「まずは、シャオランくんの今の実力を知りたいわ~。わたしが『地の練気法』で身を固めるから、シャオランくんはわたしのお腹を思いっきり殴っちゃって~」
「い、いいんだね師匠!? 自分で言うのもなんだけど、ボクも結構強くなったんだよ!?」
「遠慮は無用よ~。さ、早く~」
「じ、じゃあ……」
ミオンに促され、シャオランは大きく息を吸って、そして吐いた。同時に、シャオランの身体が砂色のオーラを纏う。『地の練気法』だ。肉体を硬質化し、筋力も爆発的に高める、攻防一体の練気法。これで攻撃力を底上げするつもりなのだろう。
……しかし、それを見たミオンは、怪訝な表情を浮かべている。
「あら? わたしは『遠慮は無用』って言ったわよね~?」
「え? い、言ってたけど、それがどうしたの? 言われた通り『地の練気法』で攻撃力を高めようと……あ、もしかして、練気法はやりすぎだった?」
「うふふ、まさかぁ~、その逆よ~。
『地の練気法』じゃ威力不足だから、『火の練気法』を使いなさい?」
「えええぇぇぇ!?」
思わず聞き返すシャオラン。
『火の練気法』は、赤色の気を一点に集中させ、攻撃と共に相手にぶつける練気法だ。その威力は絶大無比で、『星の牙』さえ仕留めてきた。間違いなく現在のシャオラン最大の必殺技である。それを生身の人間に叩き込むなど、正気の沙汰ではない。
「い、いやでもさすがにそれは……」
「ほら、早く~」
「も、もうどうなっても知らないからね!? ……はぁぁぁぁぁ!!」
ミオンにせかされ、シャオランは全身に力を込め、さらに大きく息を吐いた。同時に彼の身体から燃え上がるようなオーラが沸き立ち、そのオーラが右腕に集中していく。『火の練気法』だ。
「あら~、良い気質! これはわたしも、気合を入れて受けないとね~!」
そう言うとミオンもまた、大きく息を吸って、そして吐いた。同時に彼女の身体が、先ほどのシャオランと同じく砂色のオーラを纏う。『地の練気法』だ。
……しかし、そのオーラはシャオランのものよりずっと濃く、力強い印象を受ける。そのぶん、彼女の『地の練気法』がシャオランのものより強力なのだろう。
「じゃあ行くよ、師匠! ……せやぁぁぁぁぁッ!!!」
震脚を踏み、シャオランはミオンの腹部に、容赦なく正拳を叩き込んだ。爆発したかのような欧打音と共に”火の気質”の赤いオーラが、ミオンの身体を突き抜ける。
……しかし、ミオンは多少後ずさったものの、真正面からシャオランの拳を受けきってみせた。『星の牙』にさえ致命傷を与える”火の気質”の一撃を、生身で耐えたのだ。
「うふふ……」
「う、ウソでしょ……!?」
「す、すげぇ……中国人やべぇ……」
「ミオンさん、すごい……」
「いやぁ、相変わらず、さすがだよあの人は」
「うふふふふ……う~ん…………」
……だが直後、ミオンは腹部を押さえてうずくまった。
よく見れば、少々脂汗をかいているようにも見える。
「う、うーん……やっぱりちょっと痛かったわ~……。これ以上シャオランくんの気質が強くなれば、もうわたしでも真正面から受けるのは厳しいわね~……」
「い、いや、今のを受けきるだけでもすごいよ……。やっぱり師匠は化け物だよ……」
「うふふ、誉め言葉として受け取るわね~。さて、今のシャオランくんの一撃から計算すると、わたしは三割くらいの力で相手をしてあげれば、ちょうど良いかしら~」
「……え? 今ので三割……?」
正直、シャオランとしてはもっと高い力で相手をしてくるものだと思っていた。それだけ、ここまでの戦いで実力を付けてきたと思っていた。だが、ミオンは半分以下の力で相手をするのだという。
「や、やっぱり師匠は、底が見えない……」
「さ、そろそろ始めるわよ~。構えて、シャオランくん?」
「う、うん……!」
ミオンの言葉を受け、シャオランは”地の気質”を纏い、八極拳の構えを取る。それを見たミオンは頷き、彼女もまた、改めて”地の気質”を纏い直す。
ミオンの構えは、八極拳とはまた違うようだ。
開いた指先を相手に向け、右腕は曲げ、軽く左腕を伸ばす。
両脚は自然なままに、力を抜いて立っている。
ミオンは真正面からシャオランを見据え、その目はすでに慈愛溢れる師のものから、油断無き武人のそれに切り替わっている。
シャオランが得意とする八極拳に対し、師であるミオンの流派は、詠春拳だ。