第237話 知の怪物
6月も終わり、7月に入った。
今日の学校も終わり、日向はマモノ対策室十字市支部に直行した。今は狭山とボール避けの特訓を行っている。先日言った通り、狭山が出した問題を解きながら、日向はボールを避け続けていた。
「引くと体調が悪くなるが、吹くと心地よいものといえば何かな!?」
「えーと……風!(風邪)」
「正解!」
日向が問題を解いている間にも、狭山は容赦なくテニスボールを投げつけてくる。今回は、日向の足元を執拗に狙い続けていた。日向も円から出ないように、狭山の周囲を走り回って必死にボールを避ける。
「足したら増える、割ったら減る、しかし引いてもかけても数が変わらないものといえば、何かな!?」
「は……? え、は……?」
「ほら、足が止まってるよ!」
「うわっとぉ!?」
狭山が出す問題は、いわゆる『なぞなぞ』がほとんどだ。頭を捻らなければ正解を導き出すことができない。これは純粋に日向の思考能力を鍛え、『星の牙』との戦闘の際によりいっそう機転が利くようにするためである。
「分からないかい? ではヒントをあげよう! この問題では、ある家具のことを指している!」
「家具……? 足したり割ったりする家具……引いたりかけたりする家具…………あ、椅子!」
「正解だ!」
ヒントをあげつつも、狭山はボールを投げるのを止めない。
足を止めて熟考したいところだが、そんな暇を与えてくれない。
実戦において、策を練る時に足を止めるような余裕など無い。
戦いつつ、頭を回転させなければならない。
「では次! 全くお客さんが来ないお店とかけまして、ハゲと解きます! その心は!?」
「えーと……どちらも儲けが無い!(もう、毛が無い)」
「大正解!」
言いながら、狭山は一段速いストレートボールを投げた。
しかし、日向はこれも避けてみせる。
純粋に反射神経のみで避けたワケではない。
そろそろ狭山が、速めのボールを投げてくると読んでいた。
問題の答えを考えつつ、狭山が投げるボールをも予測する。
これは、敵の次の攻撃を予測しながら、敵を倒すための策を考える訓練である。
◆ ◆ ◆
その後、ボール避けは無事に終わり、日向は次の筋力トレーニングに向けて小休止に努める。
「うん、最初に比べると、随分とボールを避けるようになってきたね、日向くん。問題の正答率も高い。着実に力を付けているようだ。そろそろ『太陽の牙』を持ちながらボールを避ける、より実戦に近い形式をやってみてもいいかもしれない」
日向を褒める狭山。
しかしその隣で、日向は死にかけの芋虫みたいになっていた。
「ぜー……ぜー……足ガクガク……頭がぼうっとする……」
「はは、なにせ短い時間の間に何度も素早く動き、さらに脳をフル稼働させていたんだからね。頭が疲れ果ててしまったんだろう。ここにリンゴが一つある。これを食べて気力を回復するといい」
そう言うと狭山は、さらにナイフを取り出し、取り出したリンゴの皮を剥き始める。その精度、スピードは驚くべきもので、どんどんリンゴの赤い皮が取り除かれ、真っ白になっていく。
「……狭山さんって、本当に何でもできますね……」
そんな狭山の様子を見て、日向は感心半分、呆れ半分といった様子で呟いた。
「いやいや、別にリンゴの皮むきくらい、できる人間は多いだろう?」
「まぁ、百歩譲ってリンゴの皮むきはいいとして、それ以外の知識、技能だって凄いじゃないですか。ヘリや飛行機まで操縦できるし、ハイテクな機械を開発するし、人にモノを教えるのも上手いし、次から次へとなぞなぞ出してくるし、ボールのピッチングもプロ並みですもん。それと、スイゲツと戦った時に見ましたけど、銃の腕も相当なレベルでしたよね?」
「ははは、まぁね。……はい、リンゴどうぞ」
狭山誠、という男の素性については、謎に包まれている。
マモノ対策室が属する防衛相情報部は、それを承知の上で、純粋に狭山の技量と人となりを買って、彼をこの地位につけている。
あるいはそれは、あえて重要なポストに置くことで彼を束縛、監視しているのかもしれない。もっとも、自分から本部を離れて高校生とボール遊びに興じる自由極まりないこの男に、そんな束縛が効いているとは思えないが。
一つ確かなことは、彼は個人が持つにはあまりに膨大な量の技術と知識を持ち合わせているということだ。
医療についても精通しているし、二十種類近くの外国語もマスターしているという。変わったところでは、楽器も一通り演奏できるのだとか。それも弦楽器や管楽器、古今東西分け隔てなく、だ。
「……狭山さん」
「何だい?」
「28万4555×9万7243+655×94÷2は?」
これほどの能力を持つ狭山なら、あるいはこんなメチャクチャな計算問題も暗算で答えられるんじゃないか、と日向は冗談半分で言ってみた。
そう、あくまで冗談半分だった……のだが……。
「276億7101万2650かな」
この男、即答である。
「………………もう一回、同じ答え言えます?」
「276億7101万2650かな」
「じ、自分で言っておいて正解かどうか分からない……」
これが狭山誠という男。
人間の尺度では測れぬ知の怪物である。
「ははは。そんなことだろうと思った。もっとも、いきなり計算問題を出されるとは思わなかったから、ちょっと計算に手間取っちゃったけどね」
「手間取ってこれですか!? 火星人みたいな計算能力してますね……」
「火星人と来たかぁ。火星人というと、20世紀に活躍した大天才、ジョン・フォン・ノイマンもその名で呼ばれたことがあるね。しかしどうしてこの星の人間はいつも、並外れた頭脳の持ち主を惑星外生命体扱いしたがるのだろうか?」
「さ、さぁ、俺に聞かれても……」
急に質問を振られ、しかも返答に困る質問であったため、日向は貰ったリンゴを一気にシャクシャクとかじり出す。そしてリンゴを食べ終わると、仕切り直しとばかりに次の質問を投げかける。
「それより、一体どうやったらそんな化け物じみた能力を身に着けることができたんですか?」
「特別なことはしていないよ。自分は人よりちょっと学習能力が高かったのと、自分は君たちより大人で、長生きだ。そのぶん、生涯の中で多くを学んできたのさ」
「……それにしたって、いったいどうして、そこまでの能力を身に着ける必要が?」
「そうだねぇ……生きるために必要だった、と言っておこうかな」
「生きるため……?」
「……いや、これはちょっと大げさだったかな。生活のため、と言い直させてもらおう」
「生活のためって……いったいどんな生活をしたら、そうなったんですか?」
「そこについては、トップシークレットということで」
「ぐああまたすぐそうやってはぐらかす」
「いやぁすまないね。嘘を教えても良いんだが、自分は嘘はつかないようにしているんだ。因果応報。人を騙すと、巡り巡って自分に返ってくるものだからね」
狭山は、頑なに自分の素性や過去を話したがらない。おかげで日向や本堂の間では『狭山の素性を当てるゲーム』がちょっとしたブームとなりつつある。現在の有力候補は『国が生み出した、超人的頭脳を持つデザインベビー説』だが、これは狭山本人から否定されている。
ともすれば怪しさ満点、怪しさの塊のような男であるが、不思議と必要以上に疑う気にもなれない性格なのだ。狭山の温かい人柄がそうさせるのだろうか。
そろそろ休憩時間も終わるというところで、日向がもう一度狭山に声をかけた。
「……狭山さん。最後に一つだけ質問良いですか?」
「どうぞ。答えられる内容ならいいんだけど」
「じゃあ……狭山さんって、家族とかいるんですか?」
「ふむ……それくらいなら、教えてもバチは当たらないかな。以前もチラリと言ったけど、自分は結婚していないので妻や子供はいない。よって自分の家族は、両親と妹の三人だ」
「妹? 妹さんがいたんですか? なんか意外だなぁ……てっきり一人っ子だと」
「ははは。それ、なぜかよく言われるよ。……しかし、皆はもういない。昔、家族そろって事故に逢ってしまってね。両親はその事故で死んでしまい、妹は行方不明だ」
「あ……それは、すみません……聞くんじゃなかった……」
「いいよいいよ、君が自分の家族を殺したわけでもないし、気にしないで。……というワケで、今の自分は孤独の身だ。……ああ、けど、もう一人、家族と呼べるかもしれない人がいるかな」
「それは、いったい……?」
「それは……おっと。ここから先は黙秘権を行使させていただくよ」
「ああ、くそう! 今回は色々と聞き出せそうだったのに! 本当に秘密主義ですよね狭山さんって!」
「ははは。これは知り合いからの受け売りだけど、大人というのは秘密の一つや二つ抱えておいた方がカッコイイのさ」
そう言って狭山は片目を閉じ、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。