第224話 心機一転
「……いいんだね、日影くん」
「ああ、やってくれ」
「分かったよ。では、今から君を真っ黒にする」
◆ ◆ ◆
「おはよ、母さん」
「あら日向。早いのね」
十字市中心街がマモノに襲撃された、その翌日。日曜日。
日向は、いつもより早めに起きた。
「うん。今日は、マモノ対策室に行くから」
「そうだったわね。じゃあ、朝ご飯用意するわね」
「ありがとう」
息子の『マモノ対策室に行く』という言葉を、日向の母は自然に受け入れた。
もう彼女は、息子がマモノと戦っているのを知っているのだ。
日向は昨日の晩、母に話した。
自分がマモノと戦っていたことを。
去年の12月、空から落ちてきた謎の剣を拾い、紆余曲折あってマモノとの戦いに身を投じていることを。
そして、剣を拾ったことにより、影が無くなり、鏡に映らなくなったこと、不死身の身体になったことも話した。
日向の母はそれを聞き、その全てを受け止めた。
そして、自分なりに息子を全力で応援することにした。
とうとう日向も、これからは母公認でマモノと戦うことになる。
「それにしても、私が知らないところでそんなことになっていたなんて。どうして黙ってたの?」
「だって母さん、絶対反対したでしょ。危ないから、って」
「まぁ、そうね。何も知らない私なら、きっと反対したでしょうね。子供が危ないことをしてるのに、止めない親はいないわよ」
「だろうなぁ。……けど俺は、戦わないと」
「そうね。今のあなたには、マモノと戦える力があるのよね。だったらそれを、世のため人のために活用しなさいな」
「うん、わかった。マモノとの戦いの関係で、母さんにはこれから色々と苦労をかけるかもしれないけど……」
「任せときなさい。私だって、気持ちはあの時のお父さんと同じよ。あなたがどんな道を選んでも、あなたなら真面目に頑張ってくれるって信じてる。だったら私は、親としてそれを応援するだけよ」
「母さん……ありがとう」
「どういたしまして。……それにしても、あの気弱だった日向が、こうやって誰かのために戦う道を選ぶなんて……血は争えない、ってことかしら?」
「どうだろう? ここまで戦いを続けてきたけど、父さんとかのことを意識したことは、あまりなかったかな」
やがて日向の母が朝食を完成させ、二人は食卓につく。
日向の前に置かれた料理は、朝食とは思えないほどの凄まじい量だ。
ふと、日向の母が戸棚のガラス戸を見てみると、そこに映っているはずの息子が映っていない。『太陽の牙』の効果だ。
「……やっぱり、本当に映らなくなっちゃってるのね、あなた」
「え? あー、鏡のことか。そうみたい」
「今までどうやって隠してたの? 全然気づかなかったんだけど」
「別に特別なことはしてないよ。見つからないようにコソコソしてただけ」
「そうなの? 意外と分からないものねぇ……」
そして日向は、朝食と呼ぶにはあまりに多すぎる量の料理をペロリと平らげ、席を立つ。
「じゃあ、さっそく行ってくるよ」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「まぁ、今日はマモノと戦うワケじゃないから、危ないことは無いと思うよ」
見送りに来てくれた母に返事をし、日向は玄関のドアを開いた。
今日の日向は、狭山の予告通り、マモノ対策室でトレーニングを行う予定だ。
……だが、日向はまだ、母親に全てを話したワケではない。
もう少し、隠していることが残っている。
それは、日影の存在と、自分の余命についてだ。
これらのことを知ってしまうと、母はいよいよ衝撃で倒れてしまうかもしれない。そう考え、日向はこれらのことを黙っておくことにした。最後まで。
◆ ◆ ◆
「よし、着いた」
日向は今、マモノ対策室の玄関の前に立っている。
ドアの傍に備え付けられているインターフォンを鳴らし、自分がやって来たことを伝える。
「狭山さんはいつも『別にインターフォンなんて鳴らさなくてもいいよ。自分の家と思っていつでも入ってきてね』なんて言ってたけど、まぁ一応ね」
そして、日向がインターフォンを鳴らしてすぐに、ドアが開いた。
中から出てきたのは、黒い髪をした十代半ばの少年。
日向とはちょうど同い年に見える。
「……あれ? どちら様?」
日向はキョトンとしてしまう。
このような黒髪の少年、マモノ対策室十字市支部にはいないはずだ。
すると、その黒髪の少年が口を開いた。
「ったく、テメェは髪色で誰が誰かを区別してんのか? 顔見りゃ分かるだろ。そんなに記憶力がカスだったのか?」
「この口の悪さ……お前、日影か!?」
日向を出迎えたのは、日向の独立した影である日影だった。
しかし、今までの日影の髪色は赤がかった茶色で、日向と全く同じだったのに、今日は深みのある真っ黒だ。
「と、とうとうグレたか……!」
「グレるために髪を黒に染めるヤツがあるか馬鹿」
「じゃあ白髪染めか。俺たちの白髪、抜いても抜いても”再生の炎”が復活させてくるもんな。俺も諦めて狭山さんに染めてもらったよ」
「いや白髪染めでもねぇよ。というか、オレはまだ白髪が生えたことがねぇ」
「まぁ、ストレスなさそうな生き方してるもんな。それじゃあ結局、黒に染まった理由は何なんだ?」
「まぁ……アレだ。お前よ、自分がマモノと戦ってること、母親にバレてたんだろ? 昨日直接見られた、それよりも前から」
「あぁー、そうらしい。ギロチン・ジョーと戦った時あたりに、テレビに映ったお前を見たらしい。母さんは、あの時のお前を俺だと思ってるみたいだけど」
「そういうワケだ。ましろの時といい、これ以上お前と同じ姿でいたら、お前に迷惑がかかるかもしれねぇからな。仕方ねぇから、髪色を変えてやった。『オレはお前とは違う』って公言したばっかりだしな」
ちなみに日向たちの髪は、切っても”再生の炎”が復活させてくる。だから、髪形を変えることはできなかった。染めるくらいなら許してくれるようだが。”再生の炎”は融通が利かない。
「なるほどなぁ。そういうワケだったか」
「しかしお前、ホントにオレの顔が分からなかったのか? 自分と同じ顔を忘れるなんざ前代未聞だろ」
「お前なぁ……こちとら自分が鏡に映らないから、もう半年くらい自分の顔を見ていないんだぞ。そろそろ自分がどんな顔してたか忘れてきたぞ」
「そりゃ災難だな。無事に元に戻るといいなぁ?」
「よく言うよ。今に見てろ、今日から反撃の時だ」
日向と日影がやり取りをしていると、その日影の後ろ、家の奥から長身の男性がやって来る。
「やあ、日向くん。予定通り来てくれたね」
マモノ対策室室長、狭山だ。
彼は今日、日向のトレーニングに付き合う予定だ。
「昨日の今日で疲れているだろうに、すまないね。無理を言ってしまって」
「大丈夫ですよ。なにせ俺の余命は、あと半年くらいしか無いんですから。俺はもうここから、一日だって無駄にはできません。いずれ日影を倒すため、しっかり鍛えないと」
「うんうん。良い意気込みだ。それじゃあ、どうぞ上がってくれ。新施設のお披露目といこうか」
そう言って狭山は、日向を家の中へと案内する。
二階への階段を上がり、廊下を抜け、真っ白なドアを開けた先には……。
「おお……!」
日向は、感嘆の声を上げる。
そこは、遂に完成と相成ったトレーニングルームだ。
室内は、相当な広さがある。
ダンベルは1キロから50キロまで完備。
バーベルとベンチのセットがそれぞれ二つ。
レッグプレスやアブドミナル、ラットプルダウンといったマシンも多く取り揃えている。さらにはマットやサンドバッグまであり、身体だけでなく戦闘技能も鍛えることができる。変わったところでは、パンチングマシーンのような機械まで置いてある。
「なにせ、施工は全部日影くんに任せちゃったからね。置いてある機材も、日影くんの好み全部乗せだよ。これほど充実したトレーニング施設、中心街に行ってもなかなか無いだろう? ……それじゃ、さっそく始めようか。打倒日影くんの第一歩だ」