第223話 父の言葉
これは、日向が中学二年生ごろの出来事。
日向が己の罪を自覚して、しばらくして。
今日は久しぶりに、日向の父の日下部陽介が自宅に帰ってきていた。妻の手料理をたらふく食べて、弱いのに酒なんか飲んでみて。
すっかり陽気でいるところへ、息子の日向が声をかけた。
「ね、ねぇ、父さん」
「おぉ? 日向じゃんか。父ちゃんに何の用だー? ゲームか?」
「いや、そうじゃなくて、その……えーと……」
何やら息子が口ごもっている。
大事な話かもしれない。陽介は、聞く姿勢を正した。
「その、アレのこと。俺が小学生のとき、同級生を撃ったことについて……」
「あぁ、アレかぁ」
納得がいったように、陽介は頷いた。
日向は気まずそうな表情のまま、話を続ける。
「お、俺さ、最近になって母さんから聞いたんだ。あの事件の後、父さんが世間から『子供に銃を持たせた、軍人失格の父親』だって周りから噂されてたのを……」
「そっか、母さんはお前に話したんだな」
「それだけじゃない。一部で『小学生のエアガン乱射事件』なんて取り上げられて、海上自衛隊の中でも大騒ぎになって、出世の話もキャンセルになったって……」
「あぁ、あったあった。まだ数年しか経ってないのに、懐かしいなぁ」
言いながら、陽介は陽気な表情で昔を懐かしむ。
……そして日向は、父親に向かって真っ直ぐ頭を下げた。
「父さん、ごめん……! 俺があんなことしたせいで、父さんにも母さんにも迷惑かけた……!」
その日向の言葉受けた父は。
嬉しそうに微笑みながら、瞳を閉じた。
「……成長したなぁ日向。もう昔のことなのに、ちゃんと謝ってきてくれて、父ちゃんは嬉しいぞ」
「成長というか、昔の俺が馬鹿すぎたんだよ」
「それでもさ。……それに、父ちゃんはお前に迷惑かけられたなんて、ちっとも思ってねぇから」
「そ、そうなの?」
「おう。なにせ、出世とか大して興味無い性格だしな俺。だいたい、子供にエアガン持たせたっていうのは事実だしな! いやー、やっぱりああいう危険物は、子供の手の届かないところに保管するべきだったな。失敗失敗」
「お、俺との温度差で風邪ひきそうなくらいノリが軽い……」
陽気すぎる父のノリに、日向は思わず苦笑い。
しかし父は、急に穏やかな、しかしどこか真面目そうな雰囲気を帯びた微笑みを浮かべて、改めて日向に話をする。
「……それに、エアガンだけのことじゃない。正しい正義の形についてちゃんと教えてこなかった父ちゃんにも責任はある」
「正しい正義の形について……?」
「お前が小さい頃、通り魔に襲われそうになって、それを俺が助けた。あの時はやむを得なかったとはいえ、俺は通り魔を暴力でねじ伏せた。そんな俺の背中を見てお前は育ってしまった。『悪者は暴力で叩きのめしていい』って思いこませちまった。それに気づけなかったのは、俺の失態だ」
「父さんの、失態……」
「ああ。だから、自分が何もかも間違えたなんて一人で抱え込むな日向。あれは、皆が間違えたんだ。俺も、お前も、きっと周りの人間も、皆が気づかないうちに悪い方向へ間違えてしまったから、最終的にあんなことになった」
「父さん……」
「だから、元気出せ。なっ? 間違いは直せるんだから、ゆっくり直していけばいいのさ。お前も、俺も、一緒にな」
「ん……」
短く返事をした日向。
それから父はリビングを出て、自分の部屋へと戻っていった。
父の言葉は、たしかに日向の胸を打った。
だが、少し強く打ち過ぎたのかもしれない。
この時の日向が心に抱いていたのは、父への感謝や、これからの明るい未来のことなどではなく、父への申し訳なさばかりだった。
「違う……。父さんは何も悪くないんだ……。悪いのは俺。父さんの背中を見て勝手に間違えた俺だけなんだ。だから父さんは、俺と一緒に間違いを直していく必要なんかない。罪を償うのは、俺一人で十分なんだ」
この日から日向は、ずっと心のどこかで渇望していた。
己の罪を清算するための刑罰を。
マモノ討伐の話は、まさに渡りに船だった。
命を懸けて、世界を救う。
おまけに『太陽の牙』の能力により、死んでも復活できるときた。
自分は死んで当然の人間だが、こんな自分でも死んだら悲しんでくれる人間もいる。
だから勝手にこの命を捨てることはできない。
たとえ、いつ死んでもおかしくない戦いにその身を放り込んだとしても。
実に好都合な話だった。
この身がどれだけ傷つこうとも完遂させよう、と日向は決めた。
しかしこの刑罰は、日向の想像以上に、日向の精神をすり減らした。
苦痛の記憶は身体に刻み込まれて、忘れられない。
特別な能力を持った仲間たちと比べると、改めて己の無能を痛感する。
もとより精神的にも弱い自覚があった。
そしてとうとう耐えられなくなり、気が付けば不満を爆発させていた。
その結果、周囲の皆に大きな迷惑をかけてしまった。
罪を償う。
間違いを直す。
その心は正しかったかもしれない。
しかし、方法が致命的に間違っていた。
日向はまた、父の背中を見て、道を間違えてしまった。
今度こそ、もう何も間違えないようにしたい。
自分のためにも、皆のためにも、そして何より父のためにも。
日向は心の中で、そう固く決意した。