第215話 日影の意地
十字市中心街でもひと際高いオフィスビル。
その一画が、今は無残に崩れ落ちている。フレスベルグの突進を受けたせいだ。
日影は、まだ傷が治っていないボロボロの身体を引きずるようにして、落下地点から移動を開始していた。
「クソ……まだだ……」
腹部を押さえながら、日影はビルの廊下を歩く。
彼が押さえている箇所は、フレスベルグの嘴をモロに受けた部分だ。
ひどく抉られたその部分は、まだ傷が完全には塞がっていない。
激しく動けば、そこから内臓がこぼれ落ちてしまいそうな危うさを感じる。
「ちぃ、何だこりゃ……身体が重い……」
日影は今、ひどい気だるさと、睡魔を伴う悪寒に襲われていた。少しでも気を抜いたら、その場で倒れて動けなくなってしまいそうだ。例えるなら、体の中に灯っている火が今にも消えてしまいそうな感覚だ。
「確か、日向から聞いたことがある。”再生の炎”は、あまり使い過ぎると限界を迎えてしまう、だったか」
それは、かつて日向が、クイーン・アントリアによって洗脳されたシャオランと戦った時のことだ。
シャオランに相当な回数殺された日向は、最後には傷の治りが悪くなり、意識が朦朧としてきたという。日影が今感じている気だるさも、それと同じようなものだ。
だが日影は、その時の日向ほど、再生能力を使っていない。
だというのに、再生能力の打ち止めが近づいてきている。
「考えられる可能性としては……オーバードライヴか」
日影が呟く。
おそらくオーバードライヴは、再生能力に使う分の炎を、攻撃に回す機能なのだ。だからオーバードライヴを使えば、それだけ再生に使うエネルギーが減る。道中の雑魚マモノにまでオーバードライヴを使っていたのは、完全に失敗だった。
先ほど、フレスベルグに”陽炎鉄槌”を放ったのも一因だろう。あの技は、自身の拳に”再生の炎”を極限まで集中させる技だ。つまり、炎の消費が大きい。
再生能力の打ち止めは、時間を待てば解除される。
再び己が内に炎が宿り、再生能力もオーバードライヴも使えるようになるだろう。
だが、日影は歩みを止めない。炎の充填を待たずして、もう一度フレスベルグに挑むため、襲い来る脱力感に抗い、ビルの屋上を目指して歩き続ける。
そして、右側が一面窓ガラスな、見晴らしの良い廊下に差し掛かった。
ふと、その窓ガラスに映った自分を、日影は見やった。
彼は日向と違って、鏡などに映ることができる。
「……へっ。情けねぇ。ボッロボロじゃねぇか、オレ」
自嘲気味に笑う日影。
まるで、今ごろ自分の容態に気付いたかのようだ。
血に濡れた手で、窓に映る自分に触れる。
「それでも、この身体はまだ動く」
……だがその時だ。
鏡に映る自分、そのさらに向こう。
窓の外に、蒼き大鷲の姿が見えた。
「ケェェェェェンッ!!!」
フレスベルグだ。日影を追って来たのだ。
日影に斬りつけられた傷は、その部分を凍らせることで止血している。
「けっ、向こうから来てくれたってワケか!」
窓の外のフレスベルグが、大きく羽ばたく。
叩きつけるような冷気の奔流が、窓ガラスを破壊し、廊下内を氷漬けにした。
廊下にいた日影も冷気を受けてしまい、足の脛の辺りが凍り、床に縫い付けられてしまった。
「クソッ、動けねぇ……!」
氷から逃れようと、足に力を入れる日影。
だが、分厚い氷は日影を捕らえて離さない。
”再生の炎”も、相変わらず弱いままだ。氷を溶かすには至らない。
「クルァァァッ!!」
そして日影の動きを封じたフレスベルグは、先ほどのように冷気を身に纏ってきりもみ回転し、そのまま日影に突撃してきた。全身をドリルのようにして、日影を抉り抜くつもりだ。
フレスベルグの嘴が迫る。
日影はその場から動くことができない。
もはや絶体絶命。避けることも、防ぐこともできない。
「舐めんじゃねぇッ!!」
日影は『太陽の牙』を思いっきり振りかぶり、目前まで迫ったフレスベルグの嘴に振り下ろした。その一撃は見事にフレスベルグの嘴を捉え、深々と刀身が食い込んだ。
「ギャアアアアアアッ!?」
思わぬ反撃を受け、絶叫を上げながら後退するフレスベルグ。
一方の日影は、してやったりと言った顔でほくそ笑む。
「避ける必要もねぇ。防ぐ必要もねぇ。返り討ちにすりゃいいだけだぜ」
そう呟きながら、足の氷を『太陽の牙』で突いて破壊する。
フレスベルグはというと、ダメージから復帰して再び浮上してきた。その瞳には、貫くような怒りの念が込められている。
再び相対する両雄。
フレスベルグは空を飛ぶマモノだ。
一方、日影の足場は限られている。
オマケに、傷もまだ回復しきっていない。
地の利はフレスベルグにある。
日影の立場で考えるなら、ここは一旦逃げを打って、回復に徹するべきだ。
(……いいや、逃げるのはナシだ)
だが、日影は攻めることを選んだ。
傷だらけの身体に鞭打って、窓の外を飛んでいるフレスベルグを睨む。
(オレは逃げねぇ。オレは負けねぇ。そのためにこの身を鍛え抜いてきたんだ。オレは、日向とは違う。誰にも、絶対に負けるモンかよ……!)
日影の表情がニヤリと歪む。
それはまさに、獲物を狙う肉食獣の貌だ。
前かがみになり、今にも窓の外のフレスベルグに飛びかからんとしているようだ。
(ちょうど良いぜ。確かにオレも、最近はオーバードライヴに頼り過ぎかもって思っていたところだ。もともと、オレにそんな能力は無かったんだ。オーバードライヴ無しでもテメェなんか目じゃねぇってことを思い知らせてやるぜッ!)
心の中でそう叫ぶと、日影は窓の外のフレスベルグに、本当に飛びかかった。地上二十階ほどの高低差を跳び越して、フレスベルグに肉薄する。
まさか日影から打ってくるとは思わず、フレスベルグは反応が遅れてしまう。
「おるぁッ!!」
「ギャアアアッ!?」
飛びかかってきた日影の斬撃を、フレスベルグはマトモに受けてしまった。
日影はそのままフレスベルグの胸に左腕で掴まり、右手に持った『太陽の牙』でさらに攻撃を加えていく。
「おらぁッ!!」
『太陽の牙』の刀身を叩きつけるように、フレスベルグを斬りつける。
日影の攻撃は効いている。
フレスベルグは悲鳴を上げ、上下左右に飛び回って日影を振り落そうと暴れまわる。
しかし、日影もしっかりとフレスベルグにしがみつく。
たとえオーバードライヴの身体強化が無かろうと、彼のパワーは仲間内でも随一のものだ。
(よし、このままいけば、倒しきれるか……!?)
淡い期待を胸に、日影は攻撃を続ける。
だがその時、フレスベルグの身体を掴む左手に、吸い付くような痛みが走った。
「ぐっ……これは……左手が凍り付いてやがる……!?」
日影の左手が、フレスベルグの身体の氷に張り付くように凍っている。フレスベルグが”吹雪”の異能を使って、自分ごと日影の手を凍らせたのだ。
日影の左手を覆う氷が、どんどん日影の身体へと上ってくる。
左腕の肘が凍り、続いて上腕二頭筋のあたりも凍り付いてきた。
痛烈な冷たさに、腕の感覚が消失していく。
「く、マズイ……!」
フレスベルグに張り付くように凍り付いている日影の左手が、自重によって接着部分が割れていく。
左腕の感覚は、もはや完全に死に絶えている。フレスベルグの身体を掴み直すことはできない。
「くぉぉぉぉッ!!」
なんとか落ちまいとする日影は、右手に握る『太陽の牙』を、フレスベルグに突き刺そうと振りかぶった。
だが、日影が振りかぶった『太陽の牙』を突き刺すより早く、フレスベルグは身体を振るい、日影を振り落してしまった。
「しまった……!?」
フレスベルグから振り落とされ、日影が落ちる。
その日影が落下するより早く、フレスベルグは日影に追いつき、蹴爪で彼をキャッチして、その先のデパートの外壁に叩きつけた。
「がはぁっ……!?」
デパートの外壁に、日影がめり込む。
フレスベルグの蹴爪がデパートの外壁に接触すると同時に、分厚い氷が生み出され、外壁にめり込んだ日影を磔にしてしまう。
日影の身体を覆う氷が、残った彼の体温を奪い去ってしまう。
叩きつけられた衝撃で、日影の腹部の傷が開いてしまった。
服の上から、血がジワリと広がっていき、日影の顔色がさらに悪くなる。
(ヤベェ……マジで気が飛びそうだ……)
再生能力の打ち止めによる、あの気だるさと悪寒は今も続いている。それが、今のダメージでさらに進行してきてしまった。その証拠に、日影の眼の焦点が合わなくなってきた。額には脂汗をかいており、見るからに辛そうだ。
「ケェェェェェンッ!!」
そして、そんな日影を見たフレスベルグは、彼にトドメを刺しにかかる。空中で大きく宙返りした後、グルグルとスクリュー回転しながら日影に突撃する。
彼を瀕死に追い込んだ、必殺のきりもみ回転タックルだ。輝く冷気が尾を引きながら、フレスベルグが日影に迫る。
氷で動きを封じられ、”再生の炎”はいまだに機能しない。
もはや日影に打つ手無し。
あれを食らえば、数時間は意識を失う確信がある。
その数時間で、どれほどの人々を助けられたか。
どれだけ仲間たちを援護できたか。
そして、この怪物を数時間も放置することが、どれほど恐ろしいことかは論を待たない。
(オレの、負けか…………)
心の中で、日影は無念そうに呟いた。
……だが、フレスベルグの突進が日影に届くことは、なかった。
「クェッ!?」
突如、フレスベルグの頭部に何かが撃ち込まれた。
その拍子に、フレスベルグの突進も止まる。
「クァ……」
そして、フレスベルグが空中でよろめいた。
その両の眼は、心なしかひどく眠そうだ。
「いや、アレは……!」
フレスベルグに撃ち込まれたのは、ダーツ状の弾丸だ。
その形状に、日影は見覚えがある。
マモノ対策室の討伐チームが使用する麻酔弾だ。
フレスベルグは今、間違いなく眠気に苛まれている。
「誰かが援護してくれているってワケか……!」
日影は眼下や周囲を見渡すも、件の援護の主は見当たらない。
フレスベルグに命中した麻酔弾は、狙撃銃から射出するタイプのものだ。
回転しながら突進するフレスベルグの頭部を、麻酔銃で撃ち抜く。それはもはや絶技と呼ぶほかない偉業だ。
なにせ、麻酔弾の飛距離なんて、数十メートルも離れればブレまくる。だから、フレスベルグの身体に当てるだけでも至難の業なのだ。
だが、援護主は明らかに100メートル以上離れた地点から狙撃を遂行し、あろうことかフレスベルグの頭部に命中させたのだ。
恐らくは、相当腕が良いスナイパーが来ているのだろう。
思わぬ援軍の到来に、日影は歓喜の笑みがこぼれる。
……と、その時だ。
日影の内に、熱い何かが灯った感覚があった。
これは、”再生の炎”が再装填された合図だ。
今ならば、オーバードライヴを再び使用できる。
「よっしゃ、再生の炎……”力を此処に”ッ!!」
日影は、すぐさまオーバードライヴを再使用する。
身体のあちこちに受けていた傷が、みるみるうちに焼き払われていく。日影の身体を覆っていた氷も、どんどん溶けていく。
……だが、日影が磔にされていたこの場所は、地上20メートルほどの高さがあるデパートの外壁だ。このまま氷を溶かしきれば、日影は地上に垂直落下してしまう。
「うおおおおおッ!!」
「クェェッ!?」
だが日影は、氷が溶けきるその瞬間、壁を蹴ってフレスベルグに飛びかかる。
フレスベルグに飛び蹴りを食らわせ、その反動でもう一度デパートの外壁へ飛び移る。
「おるぁぁぁぁぁッ!!」
そしてデパートの外壁に接触する瞬間、外壁に”陽炎鉄槌”を叩き込む。
爆音と共にデパートの外壁に大穴が空き、その向こうに日影は着地した。
「ケェェェェェンッ!!」
日影を逃すまいと、追撃を仕掛けようとするフレスベルグ。
だがそのフレスベルグの頭部に、もう一発の麻酔弾が撃ち込まれた。
「カ……」
二度も頭部に麻酔弾を受け、眠気がピークに達するフレスベルグ。
フラフラとデパートの外壁の大穴に着地し、うつらうつらと眠気に抗う。
そんなフレスベルグの目の前には、オーバードライヴ状態の日影。
よりにもよって、フレスベルグは日影の前で多大な隙を晒す羽目になった。
「今だッ!」
今こそ勝機と見た日影は、右拳に炎を集中させて、フレスベルグに向かって走る。そして……。
「食らいやがれ、再生の炎……”陽炎鉄槌”ッ!!!」
「ギャアアアアアアアア…………ッ」
燃え盛る炎を凝縮した、渾身の右ストレートを、フレスベルグの身体に叩き込んだ。
大爆炎と共にフレスベルグの巨体が吹っ飛ばされる。
黒煙が尾を引きながら落下していき、その下の道路に乗り捨てられていたトラックの上に、グシャリと叩きつけられた。
そして、フレスベルグが再びその翼を広げることは、二度となかった。
デパートの外壁に空いた穴の中から、日影は落下したフレスベルグを見下ろす。
「フレスベルグ。お前には結局、しっかりとは勝てなかったな。途中で味方に助けられたし、最後はやっぱりオーバードライヴに頼っちまった。オレもまだまだ、ってワケか。試合に勝ったのはオレたちだが、勝負はお前の勝ちだよ」
そう呟くと、日影は『太陽の牙』を担ぎ直し、デパートを降りるために立ち去った。
◆ ◆ ◆
デパートを降りて外に出た日影は、特殊装備で武装した男たちから歓待を受けた。
彼らは別動隊のマモノ討伐チームだ。
そして、その中から隊長らしき男が代表して、日影の前に歩み出る。
狙撃銃を持った、若々しい男だ。
「どうやら、無事に勝利したようだな、日影くん」
「なんとなく、援護してくれたのはアンタだと思ってたぜ、雨宮。……無事に立ち直ったんだな」
「ああ。心配かけてすまない。もう大丈夫だ」
日影の前に出てきたのは、元松葉班の雨宮隊員……今は隊長だ。
フレスベルグに麻酔弾を撃ち込み、日影を援護したのも彼である。
「松葉隊長も言っていたな。『連携の強さがチームの強さだ』と。まさしく、我々の連携の完全勝利だな」
「あん? いつの間に連携してたんだオレたち?」
「君があの鳥を引き付けておいてくれたから、とても狙いやすかったよ」
「オレは囮かよ……」
「ははは。これで、あの山で殴られた借りは返せたかな」
「……へっ。過払い金まで出てくるレベルだぜ」
「それはなにより。……さて、『星の牙』は一体仕留めたが、まだまだ中心街はマモノで溢れている。手を貸してくれ、日影くん」
「ああ。他の仲間たちとも合流しねぇとな!」
話を終えると、日影と雨宮班は、ともに行動を再開した。