第198話 衝突
次元移動装置の完成が、日向のタイムリミットまでに間に合わない。
偶然にもそのことを知ってしまった日向は、フラフラとした足取りでリビングへと戻った。
リビングには、仲間の四人が紅茶を飲んでくつろいでいる。
的井はどうやら、外にいる作業員たちに紅茶を配りに行ったらしい。
「な、なぁ、日影……」
リビングに戻った日向は、震える声で日影に話しかけた。
「あん? どうした日向? ……なんか顔色悪いが、大丈夫か?」
普段、日向に厳しく当たる日影が、日向を心配する言葉をかけてきた。
それだけ、今の日向はひどい顔をしていたのだろう。
「ああ、なんとか……。それより、ちょっと話が……」
「良いぜ。何の用だ?」
「お前は、本当に強くなった。身体だけじゃなくて、頭脳もだ。お前は『いずれ日向と決着をつける』ってよく言ってるけど、もうお前には絶対に敵わないっていうのは、俺でも分かる」
「…………。」
「お前が『本体と成り代わりたい』って思ってるのは、普段の様子から良く分かってるよ。だからもう、それを止めはしない。……だからさ、俺と成り代わった後は、新しい日下部日向として生きてくれないかな……。ほら、俺がいきなり消えたら、父さんとか母さんとか心配するかもだし……」
「…………。」
日向の言葉を聞いた日影は。
持っていた紅茶をテーブルの上に置くと。
おもむろに拳を引き絞り。
日向の頬にグーパンチを叩きつけた。
「痛ったぁ!? え、なんで殴られたの俺!?」
「テメェが腑抜けたこと言うからだ」
「なんで殴られた俺が怒られてるの!?」
戸惑う日向に、日影は言葉を続ける。
「いいか? 確かにオレはお前から……『日下部日向』から分かたれた影だ。だがそれでも、オレはオレであり、お前はお前だ。オレとお前は違うんだ。だから、お前の代わりに生きるつもりなんて毛頭無いね」
「なっ!? それってつまり……」
「オレはお前と成り代わった後、『日下部日向』として生きるつもりはない。あくまで『日影』という、新しい人間として生きさせてもらう。だから、お前の父親や母親なんて知ったことか。オレには無関係の人間だ」
「ま、待てよ!? もう俺が負けるのは構わない。けど、母さんは悲しませたくないんだよ……!」
「知らねぇ。それならお前がオレを倒して、今まで通り生きてやればいいんだ」
「それが出来ないからこうして頼んでるんだろ!」
「挑戦する前から出来ないって決めつけてんじゃねぇよ! テメェのそういうところが嫌いなんだよ!」
「あ、そうか分かったぞ! 俺がオーバードライヴを使えないのって、お前がちゃんと教えてないからじゃないのか!? そりゃそうだよな、俺が強くなったらお前が後々困るもんな!」
「そんなセコい真似しねぇっつうの!! ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
日向と日影の言い合いが熱を帯びてきた。
事態が大きくなってきたのを察した他の仲間たちは、慌てて二人の仲裁に入る。
「ひ、日向くん、落ち着いて! ほら、大丈夫、大丈夫だから!」
「そ、そうだよヒューガ! 仲間割れは良くない!」
「ぐ……分かってる。分かってるけど……!」
北園とシャオランが日向を諫める一方で、本堂が日影を止める。
「言い過ぎだ日影。日向の気持ちも分かってやれ」
「……けっ!」
仲間たちにたしなめられて、日向はテーブルの椅子にガックリと腰を下ろし、日影は険しい表情のまま、窓の外を眺め始めた。
椅子に座った日向は、完全に消沈している。
それを見かねてか、北園が日向に声をかける。
「だ、大丈夫だよ日向くん。日向くんだって頑張ってるし……」
「でも、日影はもっと頑張ってる」
「確かに日影くんは強いし頭も良いけれど、日向くんにだって負けていないところはたくさんあるよ! ゲームとか上手いし! 意外と色々なことを知ってるし!」
「ゲームが上手いところで、マモノ退治の役には立たない。それに、俺が知ってる知識は日影だって知ってる」
「あとはほら、日向くんって優しいし!」
「そんなの、普通の人間だったら誰だって当てはまる」
「そ、それにほら! まだ一年くらいあるんだよ! それまでに何かが変わるかもしれないし、予知夢のことだって……!」
「……駄目なんだ、北園さん。その予知夢は……『世界を救う予知夢』は、きっともう、実現しない」
「……え?」
「さっき、知ってしまったんだ。星の巫女がいる『幻の大地』。そこに行くための次元移動装置が完成するのに、今から最低でも二年かかるって。もう間に合わない。俺が生きている意味も無い」
「そ……それでも、まだあと一年あるんだよ! その間に何かが起こって、次元なんとかが完成するかもしれないよ! 私の予知夢を信じて!」
「北園さんの予知夢は、別に絶対実現するってワケでもないんでしょ。そんなの、信じられないよ……」
「日向くん……」
北園が声をかけても、日向の心は曇ったままだ。
……いや、それどころか、さらに沈んでいっているようにさえ見える。
「初めから疑問だったんだ。俺がこの戦いの中で、一体何の役に立つのか」
「『何の役に』って……?」
「例えば北園さんには、強力な超能力がある。数で攻めてくるマモノや、特定の属性を弱点とするマモノが相手なら、北園さんは最高の戦力だ。それに北園さんの予知夢は、このマモノ災害の謎を紐解くための道しるべになる。北園さんの予知夢があったからこそ、俺たち五人は集まって、一緒に戦ってきたんだから」
「あ、ありがと……」
「……けど俺は、北園さんみたいに多数の敵を一度に殲滅できる火力は無い。『太陽の牙』があってもなお、一匹のマモノを倒すのにひいこら言ってる雑魚なんだよ」
「そ、そんなことは……」
日向の、嫉妬と羨望が入り混じった愚痴は止まらない。
今度は他の仲間たちに向けて、口を開く。
「本堂さんは、超帯電体質にばかり目が行きがちですけど、本質はそこじゃない。高い運動神経に、トップクラスの反射神経。ナイフや”指電”で近距離戦も遠距離戦もこなせる。医大生志望としての幅広い知識もある。そして、どんな局面でも崩れない冷静な性格。本堂さんは、こと総合力においては俺たちの中でも最高のものがあります。俺なんか足元にも及ばないくらいに」
「日向……」
「シャオランは、怖がりだけど、とにかく強い。それに、何だかんだ言いつつも、最後はちゃんと戦ってくれるあたり、シャオランも自分の力はちゃんと信じてるんだろ?」
「ま、まぁそれは……」
「それは、俺とは逆なんだ。俺は『自分なんか何の役にも立てない』って最初から諦めてる。諦めてるけど、その結果、なぜか今まで勝ててきた。最初から諦めてる奴と、最後は自分の力を信じる奴。どっちが立派かなんて言うまでもないだろ?」
「それは……そうかもだけどさぁ……」
「日影は……言うまでもないよな。お前は俺の完全上位互換。お前がいたら、俺はいる意味がない」
「……ちっ、ガキみてぇにいじけやがって」
「俺は……いったいどうすれば良いんだよ。いったい他に何ができれば、皆の役に立てるんだよ。どうせ俺じゃあ、何をやったって上手くいかないけどさぁ……!」
「日向くん……」
絶望の感情を吐き出すように呟く日向。
そんな彼に、北園は、かける言葉が見つからなかった。
……と、ここで突然、日向が立ち上がり、黙って北園を睨み始める。その眼には、いつもの北園への優しさが全く無い。
「ひ、日向くん……? どうしたの……?」
「……元はと言えば、北園さんが『世界を救う予知夢』なんて見てしまったから、俺がこんなことになってしまったんじゃないかなって。北園さんが俺のことを夢で見たりなんかしなければ、あるいは」
「そ、それは……」
「どうしてくれるんだよ北園さん。おかげで俺、もうあと一年も生きられない」
「その……えっと……」
泣きそうな声を発しながら、北園もうつむいてしまう。
その瞬間。
離れたところで立っていた日影が突然、日向に駆け寄る。
そして、思いっきり彼を殴り飛ばしてしまった。
先ほどのツッコミ混じりのテレフォンパンチとは訳が違う、全力の一撃だ。
殴られた日向は、身体ごと吹っ飛ばされ、床に倒れる。
「痛ってぇ……何するんだよ……」
「テメェ、そこで北園に原因を求めるのは、ちょっと筋違いなんじゃねぇのか?」
「……っ!!」
日影の言うことは、正論だ。
それが、今の日向にとっては、たまらなく悔しかった。
できることなら、今すぐにでも日影を殴り返してやりたかった。
だが、どうせ自分では日影に敵わない。
「日向くん……ごめん……ごめんなさい……」
北園を見れば、今にも泣きそうな顔で日向に謝っている。
そんな北園を見て、日向は胸が締め付けられるような思いだった。
頭では分かっている。北園は悪くない。
しかし、熱くなってしまった弾みで、つい心にも無いことを言ってしまった。
憎むべき相手である日影に叱られ。
北園を傷つけてしまって。
あまりにもいたたまれない思いが、日向を包む。
そして日向は、逃げるようにリビングを飛び出してしまった。
ッガ、という音がした。
リビングを飛び出そうとした日向が、出入り口の角に右足の小指をぶつけた音だ。
「はぐっあっいっ痛ったあぁぁぁぁぁああああんあんあんあん」
痛みのあまり床に転がり、のたうち回る日向。
さらに、”再生の炎”が否応なしに日向の右脚の小指を熱する。
「熱っつうううううううあああああああああああおおおおおおおお」
日向、のたうち回る速度が二倍速になる。
先ほどまで怒り心頭だった日影も。
泣きそうな表情だった北園も。
ハラハラして見ていたシャオランも。
床の上で悶絶する日向を見て、そろって呆気に取られていた。
本堂は終始無表情だが、現在はなぜかプルプルと小刻みに震えている。無表情で。
「えっと……だ、大丈夫、ヒューガ?」
「な、なんとか……。くそ、こんな場面さえ、まともに締めることができないのか、俺は……」
結局、日向はシャオランに支えられながら、そのままリビングから退出した。ひっどい醜態を晒したが、やはりここから逃げ帰る意思は変わらないらしい。
部屋には日影と、北園と、本堂が取り残される。
「……アイツ、この場面で笑かしに来るかよ普通……」
「ものすっっっごく痛そうだったね……」
「ああ……。なにせ、全力で部屋から出ようとした勢いで小指ガツン、だからな。……ところで本堂は、さっきからなんでプルプル震えてんだ?」
「笑いを堪えている」
「気持ちは分かるが、耐えろ。オレも耐えてる」
「ああ。それに、ああいう面も含めて、日向は自分自身のことを気にしているのだろう。さすがにこの場面で笑うほど鬼にもなれん。……かなり危なかったが」
「そうだな……。さっきのはさすがに不意打ちだった……」
三人が会話を交わしていると、そこへ狭山がやって来た。
「やぁやぁ。やっと仕事が一つ終わったよ。……おや、この状況はいったい? 日向くんとシャオランくんの姿が見えないけど……」
「あー、今ごろ来やがった。もう少し早く来てくれりゃ、アンタが日向を止めてくれたかもしれなかったのによ」
「うーん? 話の全容が見えないな。詳しく聞かせてくれるかな?」
こうして狭山は、今ここで何が起こったかを日影たちから聞き始めた。