第183話 嵐の予感
とある曇り空の日。
山の中にポツンと建てられた、木造の大きめの一軒家。
庭には農作物を育てる小さな畑などもある。
その家の戸を、スーツ姿の男が乱暴気味にノックする。
男は、後ろに部下と思われる男を二人ほど連れている。
「九重さーん! 九重さーん!」
男が呼ぶと、家の中から現れたのは、一人の男性の老人だ。
歳は、おそらく70は過ぎているだろうか。
「はいはい。何の用でございましょうか?」
「九重さん。そろそろ首を縦に振ってはいただけませんかねぇ? この山にゴルフ場を作るため、あなたに立ち退いてほしいんですよ。上にある神社も取り壊す予定です」
「はぁ。またその話ですか。我々の故郷を水に沈めるだけでは飽き足らず、神聖な神社までも取り壊そうとするとは……。お狐様の罰が当たりますよ」
「はは、お稲荷様の罰など、迷信でしょう。……立ち退き料はたっぷりお支払いします。こちらも業務が滞っていて大変なのですよ。まだごねるというようでしたら、こちらももはや手段を選んではいられませんが……」
「……少し前の儂ならば、首を縦に振ったでしょう。時代は移ろい、もはや致し方ないものとして。……しかし今は、それを許さない仔たちがいましてねぇ……」
「ほう? それは一体?」
「彼らですよ」
九重と呼ばれた老人がそう答えた瞬間、男たちの背後で爆音が鳴り響いた。
大慌てで三人の男たちが振り向くと、自分たちが乗って来た自動車が爆破炎上しているところだった。
「なっ!? 九重さんアンタ、一体何をした!?」
「儂は何もしとらんですよ。やったのは、あの仔らです」
そう言って九重が視線を向けた先には、巨大な四つ足の獣の姿があった。
その獣の身体は、黄金色のフサフサとした毛に包まれている。
そしてその瞳には、強い殺意が宿っていた。
「な……何だあれは……!? おい、九重さん、アレはアンタが操ってるのか!? と、止めてくれ!」
「そうしたいのはやまやまなんですが、儂にもあれは止められんのですよ」
「馬鹿な! 我々を殺す気か!?」
男が九重に喰ってかかると、獣の殺意がさらに強くなり、男を射抜いた。
「コオォォォーン!!」
「あ、うわあぁぁぁぁ!? 逃げろぉぉぉぉ!!」
三人の男たちは大慌てで獣から逃げ出すが、獣の足は恐ろしく速い。あれはもはや、逃げられないだろう。
「……お前たち、どうしてこんなことになってしまったんじゃろうなぁ……」
九重は、悲しそうな目をしながら、そう呟いた。
◆ ◆ ◆
――その日、夢を見た。
視界が白に染まるほどの豪雨の中。
本堂の右腕が、無残に焼け焦げていた。
――それは、彼の選択なのだ。
「はっ!?」
声と共に、北園がベッドから飛び起きる。
今回の夢は、かなり短かった。
しかし映像はハッキリと見えた。
夢の場面が来る日は、恐らくかなり近い。
一日後か、あるいは二日後か……。
「……あの夢の中の人、本堂さんだよね……。怪我……してたな……」
北園が気まずそうに呟く。
北園の予知夢は、いわば道しるべのようなものである。
「そうなるように」と思って行動したら、その通りに実現する。
逆に、「そうなるべきではない」と判断したら、無視することもできる。そうしたら予知夢は実現しない。
「……もう。私ってば、またこういう夢を見る……」
北園の表情は、変わらず曇ったままだった。
◆ ◆ ◆
6月上旬の金曜日。
今日の学校も終わり、日向がリビングでくつろいでいる。
テーブルに座り、テレビを見ているようだ。
『今話題のマモノ討伐チーム、その中に四人の少年少女のメンバーがいると話題になっており、一部では新たな都市伝説のように知られております。今回、我々はその真相を探るべく、過去のマモノ関連のニュースを紐解きながら調査していきたいと思います!』
テレビでは、なにやらマモノ討伐チームを取り扱ったバラエティー番組が放送されている。この放送の『四人の少年少女のメンバー』とは、まず間違いなく日向たちなのだろう。
(……四人じゃなくて、五人なんだけどなぁ)
暗い表情で、日向はぼんやりとその番組を視聴する。
日向は鏡や写真、映像に写らない。
自身の影である日影が分離しているせいだ。
世間のニュースを発信、享受する過程において、テレビやSNSはもちろん、新聞だってカメラを使う。ゆえに、カメラに写らない日向は、そもそも存在を認識されていない。だから先ほどの番組も、日向たち『予知夢の五人』のメンバー数を四人だと思っているのだ。
今のところ日向たちがマモノ討伐チームとしての写真、映像を撮られたのは、民衆にもみくちゃにされている時だけだ。その中から人ひとりが消えても、カメラマンはそう簡単には気づくまい。彼らが覗くレンズの中だけが、その時の彼らの世界なのだから。
ニュースなどを編集する段階で、メンバーの数に違和感があることに気付く者もいるだろう。しかし、写真の中から人がいきなり消えるなど、普通に考えれば有り得ない。だから結局、日向たちのメンバー数は四人だと思うのだろう。
『こちらの映像は、5月に福岡市内で放映されたニュース映像です。4月の下旬、福岡市内ではマモノが原因で水道がストップするという事件が発生していましたが、そのマモノも討伐され、事件は無事に解決しました。その時、マモノを討伐したとされているのが、こちらの映像に映っている四人の少年少女です』
テレビには、日向を除く四人の仲間たちが映し出されている。
日影が民衆に手を振るが、すぐにその手を下げた。
見る人が見れば、何かに手を押さえられているようにも見える。
(……俺が日影を押さえてるな、あれは……)
日向は、基本的に目立つことを嫌う。だからニュースに映らず、皆から存在を認識されないこと自体は構わない。しかし、今の彼にとって、自分一人だけ映像に残らないのは、言い知れぬ疎外感を与えた。
(日影の目的は、俺との成り代わり。俺の存在を奪って、新しい『日下部日向』として生きること。……世間にとって、あのニュースに映っている日影が『日下部日向』なんだろうな。まったく、良くできてるよ)
これ以上、この番組を見ているのも辛くなってきた。
心なしか、痛みの幻覚まで湧いてきたように感じる。
身体のあちこち、とりわけ胸の中がズキンと痛んだ。
日向はリモコンを手に取り、適当にチャンネルを変える。
そして映し出されたのは、普通の天気予報だ。
『明日の十字市は、一日中晴れとなるでしょう。絶好のお出かけ日和です』
(へー、明日は晴れなのか)
暗い表情は変わらず、日向はぼんやりと天気予報を眺める。
……と、台所から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。
「日向ー。ご飯できたわよー。並べるの手伝ってよー」
「ん、分かったー。今日のメニューは何だっけ?」
「あなたの大好きなハンバーグよー」
「よしゃー、ご飯三杯はいけるな」
「……もしかして、食欲無いの? いつもなら六杯くらい食べるでしょ?」
「冷静に考えて、三杯で『食欲無い?』って聞かれるのも結構異常だよなぁ」
献立が好物ということもあり、日向の気持ちが少し和らいだ。
こうして、日下部家の夜は過ぎていった。
◆ ◆ ◆
そして次の日。土曜日。
朝、ベッドから起き上がった日向は、カーテンを開けて外の景色を見る。
外は雨が降っている。
風も強く、雷まで鳴っている。嵐だ。
「嘘やん」
日向は呟いた。
日向が嘘、と言っているのは、もちろん昨日の天気予報のことだ。
今日は一日中晴れだという話だったはずだが……。
……と、その時、日向のスマホが着信を告げる。
スマホを手に取り画面を見ると、そこには「狭山さん」の文字が表示されている。
「……そうか、マモノ案件か……」
そうつぶやいて、日向は狭山からの電話に出た。
『やぁ日向くん、おはよう』
「おはようございます、狭山さん。……で、この嵐はマモノ案件ですか?」
『はは……。残念ながらご名答。なんと昨日の夜、九州地方の真上にいきなり台風が発生したよ』
「もう間違いなく『星の牙』でしょうね」
『だろうね。……ただ、今回の任務には少し問題がある』
「問題?」
『先ほども言った通り、この台風が発生しているのは九州地方の真ん中より少し上。福岡県と熊本県と大分県、三つの県の境目あたりだ。十字市はまだ台風の勢いは弱い方で、内陸の方はかなり激しい嵐となっている』
「ふむふむ。それが問題なんですか?」
『いや、問題はここからだ。今まで”嵐”と目されてきた『星の牙』は、天候を変えると言っても、せいぜいが市内程度の範囲だった。しかし今回の”嵐”は、県一つ包み込むほどの規模を誇っている。これほどの威力の嵐を発生させる『星の牙』は、ほとんど前例がない。つまり、今回の相手はそれだけ強力だと予想できる』
「なるほど……」
日向は、今のところ唯一戦ったことのある”嵐”の『星の牙』、ライジュウを思い浮かべる。
たしかあの時のニュースでは、雨が降り続いていたのは十字市だけだったという。あの時は「変な天気だ」と思っていたが、マモノの存在を知った今では納得がいく。
『本来、これほどの相手は松葉班に任せていたのだけれどね。残念ながら、彼らは雨宮君を残して、もういなくなってしまった』
「それで、俺たちの出番ってわけですね」
いかにもやる気満々といった口調で尋ねる日向……だったが。
『んー……いや、今回は、君には報告だけでね。君以外の四人を連れて行こうと思っているんだ』
「え!? な、なんでです!? 俺が役立たずだから!?」
『そんなことないよ。君にはいつも助けられている。ただ……日向くん。きみ、『痛みの記憶』に悩まされているだろう?』
「あ……えーと……」
時おり、日向を苛んできた痛みの幻覚。あるいは痛みの記憶。
ずっと周囲には隠していたつもりだったが、急に狭山にピシャリと言い当てられて、日向は返事に困った。
『その反応から察するに、その通りなんだね? この間の松葉班救出作戦が終わったあとの君の様子を見て、もしかしたらと思ったんだ。それでさっき、少しカマをかけてみたのだけれど』
「か、カマをかけたって、ハッキリと分かってはいなかったってことですか? くそう、してやられた……」
『まぁそれはそれとして。日向くん、君の『痛みの記憶』は恐らく、過度なストレスを感じた時にひきおこされるんじゃないかい?』
「ストレス……言われてみればそうかもです」
『やっぱりか。いわゆる慢性疼痛に近い症状かもしれない。度重なる戦闘での負傷が、君の心に大きなダメージを与えてきたんだろう。無意識のうちに身体が痛みを思い出して、君を戦いから遠ざけようとしているんだ。だから今回、君には心のケアをしてもらうべく、休んでもらおうかと思ったんだよ』
「なるほど……」
日向にとっても、それはありがたい申し出だった。
ありがたい、と感じているあたり、やはり日向の『痛みの記憶』の原因は、戦闘中の負傷によるストレスが大きいのだろう。日向は無意識ながらも、戦闘から逃げたがっているのだ。
……しかし日向は、電話の向こうの狭山に向かって、首を横に振った。
「狭山さん。その提案は嬉しいのですけれど、やっぱり俺は行きますよ」
『え? いや、しかし……』
「心配しないでください。俺は大丈夫ですから。それに、いくら日影が強くても、『太陽の牙』はもう一本あった方が、やっぱりなにかと便利でしょう?」
『それは否定できないけど……はぁ、分かった。君がそこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えるよ』
「ありがとうございます」
『厳しいと感じたら、悪いけどすぐに下げさせるからね。君という命を戦場に立たせている身として、自分は君を最大限守る義務がある』
「ええ。それも、ありがとうございます」
そう言って、日向は通話を終えた。
さっそくリビングに降りて、出かけることを母に伝えに行く。
日向の母は、ちょうど朝食の用意をしていたところだ。
「母さん、今日出かけることになったから」
「え!? この雨の中を!? どこに行くの!?」
「ちょっと、友達の家に」
「……友達って、どこの子のお家?」
「へ? えーと……田中……じゃなくて、ほら、うちのクラスに中国からの留学生が来たでしょ? 彼らと最近、仲が良くて、そこの家に行くんだよ」
「そう……」
母親が行き先を尋ねてくるなど珍しかったので、日向は一瞬、言葉に詰まってしまった。
架空の行き先を田中の家から中国の留学生……シャオランたちの家に変更したのは、日向の母は田中の家の電話番号を知っているからだ。
田中とは小学生からの付き合いだ。もし家に電話をかけられたら一発で嘘がバレる。母が知らない友人の家を設定する必要があった。
日向の母は、やや納得がいかないような表情だが、頷いた。
そして、もう一度息子に向かって口を開く。
「……ねぇ、日向」
「ん? 何?」
「危ないことは、しないでね」
「……ああ、分かったよ」
なぜか心配そうな表情を浮かべる母に、日向は軽く微笑んで見せた。
(ゴメン、母さん。今からマモノと殺し合いをしてきます)