第180話 無理は通せず
日向たちが危機との戦いを終えた数日後。
真夜中、マモノ対策室十字市支部の一室にて。
「…………ふー。疲れた」
マモノ対策室室長である狭山が、デスクの上のパソコンに向かって作業をしていた。部屋はパソコンのモニターの明かりのみで薄暗い。電気を付けることも忘れて作業に没頭していたことが見て取れる。
松葉班壊滅の一報は、マモノ対策室全体に大きな衝撃を与えた。
彼らの対マモノ戦闘の実力は日本最強とされ、世界でも屈指と言われてきた。
その松葉班がやられてしまったのだ。対策室は体制の立て直しを余儀なくされている。
当然それに合わせて、マモノ対策室室長である狭山も、更なる激務に追われている。松葉たちの葬儀に参列し、遺族に事情説明、それからマモノ討伐チームの再編成に装備や戦略の見直しなど、やるべきことを挙げていけばキリが無い。
特に重要なのは、松葉班に代わるマモノ討伐チームのエースを決めることだ。強力な『星の牙』が出現した際、彼らならば、と真っ先に送り出せるチームを決めなければならない。
「とにかく、既存のチームから適性のある人間をリストアップし、新しいチームとして編成し直そう。空いた人員は、自衛隊から補填する。新入隊員の力量を見定める場も設けなくては。……雨宮くんが復帰してくれれば、エースチームの枠が早速一つ埋まるんだけどね……」
以上に加えて、日向たちに勉強を教えてあげなければならない。彼らは民間の協力者だ。自分たちの都合で振り回し、成績を落してしまうなど、あってはならない。大人として、責任者として、彼らの面倒を見なければ。
……この分だと、6月半ばに完成を予定していたトレーニングルームの施工も、だいぶ後回しになってしまうだろう。日影にも悪いことをしてしまう。
「……けれど、何とかできるのは自分しかいないからね」
そう言って、狭山は再びデスクに向かおうとする。
その表情は穏やかであるが、明らかに疲れがたまっている顔だ。
……と、その時、コンコンコンとドアのノック音が聞こえた。
「……狭山さん。入りますよ」
そう言って部屋に入ってきたのは、的井だ。
部屋の電気をつけて、狭山の元へとやって来た。
手に持つプラスチックのトレイの上に何かのお茶を乗せている。
「カモミールティーを持ってきましたよ。どうぞ飲んでください」
「お、気が利くね。……けど今は遠慮しておくよ。カモミールティーには優れたリラックス効果がある。今飲んでしまうと、一気に眠りこけてしまいそうだ」
「眠ってほしいから持ってきたのですけど」
「悪いけど、気持ちだけ受け取っておくよ。今はまだ眠るわけにはいかない。一刻も早くこの仕事を終わらせなければ。先ほど自分特性の『狭山スペシャル』を飲んだことで、気力も充填しているよ」
そう言って狭山は、再びデスクの上のパソコンへと向き直る。
一方、カモミールティーを受け取ってもらえなかった的井は、持っていたトレイを、側にある机の上に乗せて……。
「狭山さん。スタンダップ」
「え? あ、はい」
突然、狭山を立ち上がらせた。
「はい、立ったよ。それで、これは一体何の目的が?」
「システマパンチ!!」
「ぐはぁ!?」
的井は、拳をぶっきらぼうにぶつけるかのようにして、狭山のみぞおちを殴打した。狭山は大きく後ずさり、背後の壁に激突。そのまま床へとずり落ちた。
「い、いきなり殴るなんてひどいじゃないか……」
「私のカモミールティーが、あの汚泥に負けたことに腹が立ちました」
「汚泥じゃないよ健康飲料だよ」
「人が白目剥いて倒れる健康飲料がありますか……。それに、もうあなたを寝かしつけるには、無理やり叩きのめすしかないと思いまして」
「大丈夫だよ的井さん。自分は三日くらいの徹夜なら耐えられる体だから」
「今日がその三日目だから心配しているのです!」
的井は、いつになく真剣な様子で声を上げた。
それを受けて、狭山も思わず押し黙ってしまう。
「狭山さん。あなたはこういう時、一人で抱え込み過ぎなんですよ。確かにあなたには超人的な知力、処理能力があります。マモノ対策室が今までこうやって上手くまわっていたのは、あなたの力によるものがほとんどでしょう。……けれど、だからこそ、あなたが倒れてしまったらいよいよ後が無くなります。もっと周りを頼ってください! もっとご自愛なさってください!」
「うーん……しかし少しでも仕事をしていないと落ち着かなくてね。『自分を大切にしろ』と言うのであれば、まさにこうやって仕事をしている時の方がリラックスできるんだよね、自分って」
「狭山さん……!」
なおも必死に狭山に食い下がる的井。
そんな的井を見て、狭山は一つ息を吐いて……。
「……けどまぁ、世間一般に見たら、正しいことを言っているのは間違いなく的井さんだよね」
「だったら……!」
「うん。分かった。今日はもう休む。仕事は明日に回すよ。……人を頼ることについても、頑張ってみよう」
そう言うと、狭山は椅子から立ち上がり、的井が持ってきたカモミールティーを一気にあおった。
「……うん。美味しい。ありがとう的井さん」
「……ええ。どういたしまして。それではおやすみなさい、狭山さん」
「ああ。おやすみ」
挨拶を交わすと、的井は部屋から出ていった。
狭山もパソコンの電源を落とし、部屋の電気を消すと……。
「……このままこっそり仕事を再開しても良いんだけど、休むといった手前、嘘は良くないよね。因果応報、人を騙すと巡り巡って自分に返ってくるからね」
そう言って、そのまま大人しくベッドに横になり、瞳を閉じた。
◆ ◆ ◆
次の日の夕方。
学校が終わり、マモノ対策室十字市支部にやって来た日向と北園、そしてシャオラン。
対策室のリビングには本堂と日影もいる。
そして、狭山と的井もいる。
ここには今、十字市支部のフルメンバーが揃っている。
皆が集まると、狭山は早速、日影を除く四人に思いっきり頭を下げた。
「……というワケで、すまない! 君たちの勉強、自分はしばらく手伝えそうにない!」
頭を下げながら、狭山は四人に謝罪の言葉を述べた。
松葉班の壊滅を受けて、狭山は普段以上の激務に追われている。そのため、日向たちの勉強の面倒を見るまで手が回らなくなってしまった。
それでも狭山は、なんとか日向たちの面倒を見ようと頑張ったが、的井にドクターストップをかけられてしまった。「これ以上業務を増やしたら、いよいよ身体が保ちませんよ」と。
「……オマケに先日、十字市の郊外で新たな『星の牙』の出現が確認された。一刻も早く退治したいのだが、今のところ、動員できる人間が君たちくらいしかいない」
いつもならば、日向たちの日常生活にまで影響を及ぼさないよう、十字市周辺には別のマモノ討伐チームを待機させていた。日向たちが学校などで忙しいときは彼らの出番だった。しかし彼らは松葉班の穴を埋めるため、別の場所へと飛ばし、そこでまた別の『星の牙』の討伐準備を始めていた。
テスト期間中に『星の牙』の出現。日向たちを向かわせるならば、放課後の夕方にすぐ出発し、夜中に戦闘を終えて帰ってくるというスケジュールになる。彼らのテスト勉強にもダイレクトに影響してくるだろう。そうまでしてもらっても、彼らの勉強を手伝うことができない。
それが、狭山は非常に心苦しかった。
しかし的井からは「もっと他人を頼れ」とも言われてしまった。
「君たちは、君たちの貴重な時間を使って、自分たちに協力してくれている立場だ。だからこそ、自分たちも君たちの生活をカバーする義務がある。なのにこんな無責任な決断をすることになってしまった。本当に申し訳ない」
「いえそんな、顔を上げてください。ここまでしてもらってるだけ、俺たちは特別なんですから」
「そ、そうですよ狭山さん! だいたい、中間テストの成績が悪かったとしても死ぬわけじゃないんですし、大げさですよぉ! それに、狭山さんがいなくても勉強くらいちゃんと出来ますし! 私たちは今度のテスト、自力で乗り越えますよ!」
「そう言ってくれると助かる。ありがとう、日向くん。北園さん。……本堂くんとシャオランくんも、大丈夫かな?」
「ええ。こちらはまだまだ猶予はありますし、一人で勉強なんてずっと前からやってきたことです。今さら問題はありません」
「ボクはもともとリンファに教えてもらってるし、あまり影響はないかも」
「はは、そうだったね。……自分も、一刻も早く仕事を終わらせよう。その後、また全力で君たちのサポートをする。約束しよう」
ではさっそく次の『星の牙』について話そうか。
そう狭山が切り出そうとした、その時。
「……考えがある。オレ一人で『星の牙』を相手するってのはどうだ? 戦闘に行くのがオレだけなら、その分コイツらは勉強に時間を回せるだろ?」
そう提案してきたのは、日影だ。
狭山は、目つきは穏やかに、しかし頬は気持ち引き締めて、日影に口を開いた。
「……確かに今の日影くんは強い。『再生の炎 ”力を此処に”』という新しい力を身に付けた君なら、並の『星の牙』が相手でも後れを取ることはないだろうが……」
それでも、完全ではない。”再生の炎”でも脱することのできない窮地だって存在する。一人で『星の牙』と戦うということは、日影が再生不能な状況に追い込まれた時、助けてくれる者がいないということだ。
「心配すんな、絶対負けねぇよ。……それにオレも、次にまたキキと戦う時、今度は逃がさずに仕留めなくちゃならねぇ。そのためにも、少しでも実戦で鍛えて、この新しい力をモノにしねぇとな。なんなら一人で丁度いいくらいだ」
「ふむ……どうだろうみんな? 日影くんの提案は悪くないものだと思うが……」
「こっちとしては願ったり叶ったりですね。まぁ万が一、日影が負けるようなことがあれば、俺たちが後から助けに行けばいいだけです」
日向の言葉に、残り三人も頷く。
こうして次の方針が決まったところで、今回の集まりはお開きとなった。
……が、その中でも、日向にはもう一つ、ここに来た理由がある。
「……じゃあ日影。俺にも教えてくれ。その”オーバードライヴ”ってヤツを」
「おう。ここじゃ部屋が燃えちまうから、庭に移動するぜ」
◆ ◆ ◆
日向は、日影が新たに会得した『再生の炎 ”力を此処に”』の使い方をレクチャーしてもらうつもりだ。
日向も日影も、使っているのは同じ剣。その身に宿すのは同じ能力。ならば、日影に使えて日向に使えない道理は無いはずだ。
庭に降りた二人は、真っ直ぐ向き合う。
リビングの窓から、他の仲間たちもその様子を眺めている。
「要領としては、”再生の炎”の高速回復と同じだ。あれと同じように”再生の炎”を活性化させるんだ。活性化させるだけなら、別に怪我してなくてもできるだろ?」
「え? いやあの、そこからまずできないと思うんだけど……」
「あぁ? マジか?」
「マジで」
「あー……じ、じゃあ、とりあえずなんか怪我しろ。そんで高速回復を使え。要領としてはマジで高速回復と同じだから、練習すればできるようになるかも……」
「『なんか怪我しろ』って言っても、無茶言うなよ……。好き好んで怪我なんかしたくないっつーの」
「じゃあオレが『太陽の牙』でお前の腹をぶっ刺すか?」
「やめーや。普通に致命傷だろうが。もっと軽めに……」
「”指電”」
日向と日影が話している間に、本堂が窓から日向に向かって”指電”をぶっ放してきた。電撃は見事に日向に直撃する。
「あ”あ”あ”あ”あ”!?」
「よし、こんなもので良いだろう? あとはよろしく」
「ナイスだ本堂。さぁ日向、高速回復だ」
「ほ、本堂さんは後で殴る……。じゃあ、再生の炎、高速回復……」
そう言うと、日向は瞳を閉じ、意識を集中させる。
身体に宿る炎が、自分を包み込むイメージを頭の中に思い描く。
……瞬間、日向の身体が炎上した。
「うわぁっちっちっちっ熱!? 熱っつああああ!?」
……しかし日向の身体は炎上したものの、熱さのあまり動くどころではなかった。芝生の上をのたうち回る。そんな日向に、日影は消火用のバケツで水を浴びせた。
「ぶわっぷ!? なんだこれ!? 水!?」
「落ち着け。火事になりそうだったから消火したんだよ」
「あ、ああ。悪い。おかげで今度はびしょ濡れだけど……」
「……お前、相当熱がってたみたいだが、そんなに熱かったか? 確かにあの炎を纏うのは熱いが、耐えられないほどじゃないだろ?」
「いや、メチャクチャ熱かったけど。あの状態で戦うのは無理だって」
「やっぱり無理か……どうなってんだ?」
日影から見て、今の日向は、確かに自分と同じオーバードライヴ状態になっていた。しかし、あれではとても実戦で使うことはできない。 一体、これはどういうことか。
「……ひとつ、前から少し気になってたことがあるんだ」
と、日向が口を開いた。
「覚えてるか? お前が俺に、初めて『”再生の炎”の高速回復』について教えた時。あの時お前は『多少熱いが』って言ったけど、実際に俺が使ったら多少どころじゃなかったんだ。死ぬほど熱かった」
「……それほどか? 歯を食いしばっていれば耐えられそうなモンだが……」
「そこだ。その認識のズレが気になるんだ。思うに、俺とお前では”再生の炎”の熱さの感じ方が違うんじゃないか……?」
それは日影の特性なのか。
それとも、二人の”再生の炎”に何か違いがあるのか。
その答えは分からない。
しかし、現状において分かることはただ一つ。
「……俺では、オーバードライヴを使えないってことか……」
夕日に照らされる庭の中心で、日向は力無くそう呟いた。
選択の時が来る。
運命から逃げるか、それとも従うか。
たとえ逃げを選ぼうと、そもそも君は巻き込まれたのだ。
戦う準備も、覚悟も、初めから君には無かったのだ。
だから、君が逃げを選ぼうと、君は糾弾されるいわれなど無い。
だが、もしも。
君が運命に従い、戦う道を選ぶなら。
もう一度、『剣』を手に取るといい。