第176話 火葬
キキを逃がしてしまった日向は、日影たちの元へと戻る。
日影と雨宮は、倒れている鳥羽に寄り添ったまま、動かない。
そんな二人に、日向は歩み寄って声をかけた。
「戻った。鳥羽さんは、どうなった……?」
「…………。」
「そうか……」
日影が、弱々しく首を横に振った。
それを見て、日向も彼の言わんとしていることを察してしまった。
日向が鳥羽の顔を覗き込む。
ズタボロにされたというのに、とても安らかな顔で死んでいる。
恐らくは、戦場という、いつ死んでもおかしくない環境にて、仲間たちに看取られながら死ねたということが、彼の最期の喜びになったのだろう。
「そっちは……キキはどうなった……?」
日影が、日向の方を見ずに尋ねてきた。
日向もまた、気まずそうに日影に返答する。
「悪い、逃がしちまった……」
「そうか……」
「『逃がすな』って言われたのに、本当に悪い」
「気にすんな。むしろ安心した」
「安心……?」
「ああ。おかげで、オレが直々にアイツを処刑できそうだ」
「なるほどな……。ところで、キキは逃がしてしまったけど、収穫はあったぞ」
日向は、日影と雨宮に、キキが動物の死肉を喰らってダメージを回復していたこと、キキは”濃霧”と”生命”、二つの能力を使えることを話した。
「”濃霧”と”生命”の『二重牙』だと? 有り得るのか、そんなことが?」
「それしか考えられない。ヤツの回復能力に霧が無関係であることは、もう間違いない。あの回復方法から考えれば”生命”の分野だと思う」
「つまりキキの能力をまとめると、『通信機器を遮断』し、『相手を霧の中に閉じ込める』、そして『肉を喰らうことで傷を回復する』の三つというワケだ」
「いや、まだもう一つあるぞ」
そう言って日影の話に割って入ったのは、雨宮だ。
「奴は、俺が狙撃した時、俺が引き金を引く直前にこちらを振り向いた。まるで、もともと俺がその場所にいるのが分かっていたみたいに」
雨宮が、話を続ける。
もともと、今は亡き鳥羽が食料を探して山を歩き回っていた時、鳥羽は何度かキキと遭遇し、戦闘を交えていたという。
この山を包んでいる霧の範囲は、かなり広大だ。
にもかかわらず、キキは毎回、正確にこちらの位置を把握し、追跡してくる。
そして今回の、雨宮の狙撃の察知。
そこから導き出される答えは……。
「……つまりキキは、この霧の中にいる人間の位置や気配を察知できる能力があるんじゃないかな」
雨宮の言葉を受けた日向は、深く頷いた。
「十分有り得る話だと思います。この霧が奴にとって結界のようなものであるならば、そういう機能があっても不思議じゃない」
「今まで俺たちの寝床を攻められなかったのは運が良かったのか、それとも遊ばれていたのか……。どちらにせよ、本当に趣味の悪いエテ公だ……!」
ここまでに判明したキキの能力は、全部で四つ。
さすがにこれ以上、他の能力を持っているとは思えない。
……いや、思いたくなかったと言うべきか。
まだ他に能力を隠し持っているようでは、いよいよ自分たちの手に負えない。そう日向は考えていた。
「とにかく、今は行動しよう。こうしている間にも、キキはダメージを回復させているかもしれない。……それに、まだ松葉さんが残ってる。あの人だってまだ生きているかもしれない。一刻も早く合流しないと」
「それは同感だな。……だが、具体的にオレたちはどうすればいい?」
その日影の問いに、日向は一瞬押し黙り、そして再び口を開いた。
「……この山に散乱している死体に、火を放つ。死体はキキにとっての回復ポイントだ。これがある限り、俺たちがキキにいくらダメージを与えても、またすぐに回復してしまう。だから死体を燃やして肉を食えないようにする」
「待て日向。その『死体』ってのは、ここまでに見てきた動物の死骸だけか? それとも……鳥羽たちの亡骸も含まれるのか?」
その日影の問いに、雨宮もハッとして日向を見る。
日向は『死体』とだけ言ったが、『動物の死体』とは言っていないのだ。
日向は一瞬、悲痛な表情を浮かべ……。
「……そうだ」
そう言い放った。
そして、持っている『太陽の牙』に火を灯した。
そんな日向に、雨宮が食い下がる。
「だ、駄目だ! 鳥羽さんたちは連れて帰る! ここで燃やすなんて、あんまりだ!」
「けどっ! 放っておけばキキに食い荒らされて、せっかくダメージを与えても回復されてしまうかもしれない! 彼らの死体を運びながらキキを追う体力だって、こちらには無い!」
「だからって……だからって……そんな……!」
「こうしている間にも、キキが回復してしまうかもしれないですよ……!」
「く……うう…………」
雨宮は、崩れるように両膝をついた。
(……自分は軍人として、大人として、合理的な判断を下さなければならない。……しかし、実際はどうだ。自分と十歳も年が離れた少年の方が、よっぽど残酷な決断力がある)
雨宮は、己の身体と心、両方の弱さが許せなかった。
そして、この気弱そうな少年にこのようなことを言わせる自分の不甲斐無さが、情けなかった。
「……最後に、鳥羽さんに別れを言わせてくれ。すぐ済ませるから……」
「……分かりました。どうか、ごゆっくり……」
雨宮は、消沈した表情で日向に声をかける。
日向もまた、彼に同情するような面持ちで返事をした。
雨宮は、鳥羽の亡骸の前に座り、いくらか言葉をかけると、立ち上がった。
「ありがとう、待ってもらって」
「もう、大丈夫ですか?」
「ああ。……やってくれ」
「……はい」
日向は燃え盛る『太陽の牙』の切っ先を、そっと鳥羽の胸に当てる。
やがて剣の炎が鳥羽の身体へと燃え移り、鳥羽の身体が炎に包まれた。
雨宮の瞳から涙がこぼれ落ちる。
それを右の袖で拭い去ると、日向と日影の方に向き直り、口を開いた。
「……よし、すぐにでも行動を開始しよう。急がなければキキが回復してしまうし、松葉隊長も危険だ。それに、奴には『霧による気配感知』の能力があるから、夜になったら奴に地の利がある。俺たちの危険性が知られた以上、奴は容赦なくこちらの寝首を搔きに来るだろう」
「分かりました。三人で手分けして……と言いたいところですけど、キキには『霧による気配感知』があるから、一人になったところを狙われるのは危険ですからね。三人で固まって行動しましょう」
話がまとまり、日向と雨宮が歩き出す。
……しかし、日影だけがその場から動かなかった。
「……日影? 何してるんだ?」
「日向。オレは一人で山を探索する。オレとお前たち、二手に分かれて回復ポイントを潰すぞ」
「おま、今の話を聞いてなかったのか? 一人は危ないって……」
「聞いてたぜ。けど、この広い山の中、モタモタしていたらあっという間に日が暮れるぜ。効率の面から考えて、ここは多少危険でも二手に分かれるべきだ」
日影の言葉にも一理ある。このままキキに満足な痛手も与えられず夜を迎えるのは、間違いなく危険だ。だから、なるべく手早く回復ポイントを潰し、余った時間でキキを追い、ダメージを与えたいところだ。
「……分かった。だったら、俺の信号弾を渡しておく。こっちには雨宮さんの分があるからな。お前なら大丈夫だと思うけど、ヤバい時は遠慮なく使って、俺たちや自衛隊を呼べよ。銃が使えれば、俺もまだ一応役に立てるみたいだからな」
「おう。頼りにさせてもらうぜ」
日影が日向から信号弾を受け取った。
そして三人は、回復ポイントである死体を探しに、その場を後にした。
◆ ◆ ◆
「……これで八体目」
そう言って日影が小鹿の死体に『太陽の牙』で火を点ける。
小鹿の死体はあっという間に燃え上がり、とても食べられるような状態ではなくなった。
「しかしこの山、マジで死体が多いぜ。キキの奴、いったいどれだけ殺しやがった……?」
日影は、山の奥の探索を担当している。
ちなみに日向たちは山の入り口部分を探索しており、そこに隊員三人の死体がある。恐らく雨宮は、残った三人の火葬も見届けることになるだろう。
「ったく、マジで胸糞悪い。……ん、あれは……?」
ぼやきながら日影が山道を歩いていると、前方に石造りの建物を見つけた。
人工的な建造物のようで、かなり大きい。建物の壁は苔むしており、相当な年月が経過していることが見て取れる。入り口にはドアのようなものは無く、柵などで封鎖されてもいない。自由に出入りできる。
これは、かつて第二次大戦時に建造された陸軍の基地である。
木々の生い茂る山中に基地を建造することで、アメリカの爆撃機の目から逃れていたのだ。
もっとも、そんなことは日影にとって与り知らぬ話だ。
それよりも、日影にはもっと気になることがある。
その建物の中から、凄まじい異臭がするのだ。
それは恐らく、生き物が死んだ匂い。
しかし、いったいどれほどの数が死ねば、これほど濃密な死臭を放つのか。
日影は『太陽の牙』を構えながら、建物の中へと侵入する。
薄暗い通路を、『太陽の牙』の炎で照らしながら、ヒタヒタと歩いていく。
やがて辿り着いたのは、ひと際広い空間だった。
真四角に形作られた大部屋で、机や椅子といった類のものは一切ない。
その代わり、部屋の奥の片隅に、巨大な何かがあった。
「コイツは……!」
日影は、驚愕で目を見開いた。
そこにあったのは、大量の動物の死体。
それが山積みとなっている。
日影の身長さえ超えて、高く積み上げられている。
そして、その山の頂上にあったのは……。
「…………松葉」
死体の山の頂上にあったのは、血まみれになった松葉の死体だった。
それはまるで、最高の獲物を仕留めたことを誇示するかのように、死体の山の頂に供えられていた。
日影の頭の中で、松葉との思い出が再生される。
日影は日向たちと違って学校には行っておらず、その分スケジュールの自由度が高い。だからよく松葉たちの任務にも同行していた。彼らと共に戦った回数は、『予知夢の五人』と一緒に戦った回数にも引けを取らない。
「…………クソ」
いつかの約束通り、松葉は、日影と松葉班による連携も考えてくれた。
なかなか使いどころが難しく、ついぞ使う機会は無かったのだが。
そして、使いたいと思っても、もう二度と使える日は来ない。
「クソ………!」
自分が強くなるたびに、松葉は称賛してくれた。
生まれが生まれだけに、親という存在がいない日影にとって、松葉は自分の成長を応援してくれる親のような存在だったと言っても過言ではなかった。
「クソッタレがぁぁぁぁあああああああああああああ!!!」
怒りと嘆きが混ざり合った絶叫が、寂れた大部屋の中に響き渡った。
◆ ◆ ◆
一方、キキは森の中を駆け抜けていた。
あらかじめ仕留めておいた小鳥や小動物の死骸を喰らい、傷はある程度回復した。
――しかし、まだだ。まだ足りない。
キキは、より大きな『非常食』を喰らうべく、走っていた。
しかし、そのことごとくが、何者かによって黒焦げにされていた。
これでは駄目だ。焦げ肉を食っても傷は塞がらない。生の肉でなければ。
これはきっと、あの人間たちの仕業なのだろう。
――調子に乗りやがって!
調子に乗りやがって!!
調子に乗りやがって!!!
邪悪な感情が、キキの中で渦を巻く。
先ほどは、使えない銃を握らされ、コケにされた。
そして今度は自分の餌場を好き放題に荒らしている。
あの人間たちには、とびきり惨い死を与えてやらねば気が済まない。
――まだだ。
まだあの、とびきりの『非常食』が残ってる。
あの建物の中に隠しておいた。大量の『非常食』。
あれを喰って、ダメージを回復して、奴らに反撃を開始する!
だがその時、キキは嫌な気配を感じ取った。
霧に神経を集中させて敵の気配を探ると、例の『とびきりの非常食』の近くに、何者かの気配があるのだ。恐らく、何者かが『非常食』を狙っている。
――ふざけんなッ!!
玩具風情の下等生物どもめッ!!
誰の許可を得て俺様の餌場を荒らすつもりだぁ!!
「ムッキャアアアアアアア!!」
叫び声を上げながら、キキは森の中を走り抜ける。
行き先は、石造りの建造物。かつての陸軍の基地跡だ。
入り口をくぐり抜け、通路を走り、奥の大広間へと駆け込んだ。
そこには……。
「よぉ……」
「キッ!?」
日影が立っていた。
彼の背後には、炎に包まれた死体の大山。
大広間は、死体の山が放つ炎に照らされ、緋色に染まっていた。
「お前の食糧で勝手にバーベキューしてたらよ、火加減を間違えてこの通り、炭にしちまった。悪いな」
キキを挑発するように、ニヤニヤと笑みを浮かべる日影。
一方のキキは、これが挑発と知ってか知らずか、日影への敵意を剥き出しにし、隠そうともしない。
「ギギギギギ……!」
「悔しいか? 悔しいよなぁ?
『お前は絶対に許さない』ってか? はははっ!
…………こっちの台詞だぜ」
瞬間、日影の顔から笑みが消えた。
代わりにその表情に込められたのは、これ以上ないほどの殺意、それだけだ。
「テメェは絶対に許さねぇ……。楽に死ねると思うなよ、キキ!!」
「ムッキャアアアアアアアアアアアアッ!!!」
両雄が正面から激突する。
日影とキキの最後の勝負が幕を開けた――――!