第174話 飛来する死
灰色の霧が立ち込める森の中。
日向が、アサルトライフルを構えながら、ゆっくりと歩いている。
そして、その頭上の木の枝から、日向の様子を眺める獣が一匹。身体に松葉班の隊員たちから奪ったバックパックを巻き付けた、漆黒の猿。キキだ。
キキの身体からは、先ほど日向に撃たれた傷が無くなっている。
やはり鳥羽の報告通り、キキは傷を回復する何らかの能力を持っている。
「……キキッ」
キキは一声、笑うように鳴くと、木の上から日向に飛びかかった。
「っ!!」
素早く反応する日向。
振り向きざまにキキに銃口を向ける。
しかしキキは素早く地面に飛び降りて、向けられた銃口から逃れた。
「コイツっ!!」
地面に降り立ったキキに向かって、再度銃口を向ける日向。
しかしそれより早くキキは日向に飛びかかり、彼が構えているアサルトライフルの上に乗ってしまった。
「あっ!?」
これでは弾丸が当たらない。
オマケにキキとは、目と鼻の先の至近距離だ。
キキは右の拳をゆっくりと振りかぶり……。
「キーッ!!」
「ぐあ!?」
日向を思いっきり殴り飛ばした。
キキは、その小柄な見た目に反して凄まじいパワーを持っている。
もともとチンパンジーは、その小さな体の全てが筋肉と評されるほどの筋肉の塊であり、握力は優に100キロを超えるとされているが、キキは間違いなくそれ以上の力がある。
殴り飛ばされた拍子に、日向がアサルトライフルを取り落してしまった。それをキキが素早く拾い上げる。
「しまった……!?」
「……キキッ」
咄嗟に手を伸ばす日向だったが、もう遅い。
キキは邪悪な笑みを浮かべ、日向に向かって引き金を引いた。
「……キ?」
……のだが、引き金が引けない。
さっきまではあんなに軽く引けた引き金が、今は何かが引っかかったかのように重い。
そして、銃口を向けられている日向が、ニヤリと笑った。
「……へっへっへ。銃なぞ使ってんじゃねぇ!」
日向がそう言った瞬間、キキに向かってどこからともなく弾丸が飛んできた。
「キッ!?」
咄嗟に身構えるキキ。
しかし弾丸はキキの周囲を通り過ぎ、キキに直撃することはなかった。
再び発砲音と共に弾丸が飛んでくる。
これもキキの側を通り過ぎ、地面に着弾した。
キキは身構え続けるものの、一向に弾丸は当たらない。
そしてキキは悟った。
この射撃は、自分の動きを封じ込めるためのものだと。
つまりここから、本命の攻撃が来る。
「おるぁぁッ!!」
キキの背後から日影が飛びかかった。
『太陽の牙』を握りしめ、キキ目掛けて思いっきり振り下ろす。
さらにキキの退路を遮るように、再び銃弾が飛んでくる。
キキが退けば弾丸によってハチの巣にされ、このまま立ち止まれば日影によって真っ二つにされるだろう。
「キキーッ!!」
「うおっ!?」
しかしキキは、手にしたアサルトライフルを思いっきり振り回し、日影の攻撃を弾き返した。日影も普段から相当に鍛えこんでいるはずなのだが、キキのパワーは彼の遥か上を行く。
攻撃を防がれ、体勢を崩してしまう日影。
……しかし、その表情はどこか余裕があるように見える。
(……今だぜ、雨宮! ぶち込んでやれ!)
日影は、雨宮が潜んでいる遠くの木をチラリと見やった。
◆ ◆ ◆
話は少し遡り、鳥羽と雨宮の潜伏場所にて。
日向はキキを出し抜くため、一つの提案をした。
「キキはきっと、俺たちが取り返した銃を再び狙ってくると思うんです。そこで、アサルトライフルの安全装置を引き上げておいて、わざとキキに銃を奪わせる。アイツに安全装置についての知識が無いのであれば、きっとおったまげること請け合いですよ。それにこの作戦なら、常に木の上にいるキキを地上に引きずり下ろせる。まぁ要は、銃でアイツを釣るわけです」
もちろん、銃を奪われずにキキに攻撃できるのであればそれに越したことはないのだが、キキはすばしっこく、パワーも強い。それほどの相手の不意打ちを躱し、銃を奪われずに済むか、少なくとも日向は自信が無かった。
「……それでこの作戦の何が『賭け』なのかというと、キキが安全装置のことを知っていれば、作戦が一気に破綻するところです……」
「間違いないな。……だが、面白そうだ。良い作戦か悪い作戦かはともかく、ただ単純に面白そう」
日向の補足説明を受けてもなお、鳥羽は日向の作戦に乗り気であった。その理由は単純明快。キキが、引き金を引けずマヌケ面を晒すところを見てみたい。この一点に尽きる。
「安全装置の知識は……恐らく無いと見ていい。最初はリロードすら知らなかったエテ公だ。俺たちもヤツの前で安全装置を操作したことはない。きっと成功するぞ」
鳥羽のフォローも入り、次に日向たちは、キキから銃を奪われた後の行動を考える。
また木の上に逃げられるのも厄介だし、アサルトライフルを持ち逃げされるなどもってのほかだ。確実に仕留めるためのプランを練り上げる。
「銃を奪われる役は俺がやります。俺には一応”再生の炎”がありますから、奪われる際に何らかの攻撃を受けても回復できますし」
「じゃあ俺はキキがびっくらこいている間に、威嚇射撃で足止めしよう。その隙に誰かがトドメを刺してくれ」
「よっしゃ。じゃあオレがトドメ役をやるぜ。『太陽の牙』でぶった切ってやる」
日影が意気込むが、それを日向が制止する。
日向には、まだ考えがある。
「いや日影、それでも良いんだけど、念のため雨宮さんにもトドメ役をお願いしよう」
「雨宮に?」
「ああ。雨宮さんの持ってるそのライフル、麻酔弾を発射できる奴ですよね? 聞いた話だと確か、ゾウをも昏睡させる威力があるとか」
「ああ。あのキキだろうと、当たれば無事では済まないと思う」
「日影がトドメを刺し損ねた時、雨宮さんに後詰めをお願いしたいのですが……その怪我した腕で、狙撃は出来そうですか?」
雨宮の左腕と左肩は、キキに撃たれて負傷している。利き腕ではないものの、ライフルは基本的に両腕で構える銃だ。狙撃に何らかの支障が出るのは間違いない。
「……いや、それでもやってみせるよ。せっかく俺も立ち直ったんだ。できることがあれば挑戦したい。俺だって軍人だ、こんな怪我どうってことはない。任せてくれ」
「……分かりました。では、お願いしますね」
こうして今回の作戦が決まったのだ。
日向が囮となり、鳥羽が足止めし、日影と雨宮がトドメを刺す。
確実に仕留めるための、トドメの二段構え。
四人は共に顔を合わせ、頷くと、戦いの決意を固めて横穴を後にした。
◆ ◆ ◆
そして場面は戻る。
木陰に潜んでいた雨宮隊員が、ライフルのスコープを覗く。
前方50メートル先にキキの姿がある。
ここは木の生い茂る山の中だが、雨宮の前方には、彼の射線を遮る木が一本も立っていない。まるで雨宮の射線を避けるように、その両脇に木が並び立っている。
この絶好の狙撃地点を見つけたのは、鳥羽の功績だ。彼はこの数日間で食料を探す間、同時に狙撃に使えそうなポイントも探し、記録しておいた。いずれキキに反撃するために。このあたりは、さすが精鋭軍人といったところだろう。
「……捉えた!」
雨宮が呟き、ライフルの引き金を引いた。
ダーツ状の麻酔弾が、キキに向かって放たれた。
ライフル弾より弾速が遅い麻酔弾であるが、それでも凄まじい速度で飛んでいく。
キキは日影の攻撃を弾き、動きが止まっている。さらに今は後ろを向いている。このままいけば、キキの首筋に麻酔弾が命中する。
雨宮は、狙撃の成功を確信した。
この軌道、このタイミング。麻酔弾は間違いなく命中する。
あとはキキがあらかじめこちらの位置を知っていない限り、避けることは不可能だ。
その時、狙撃スコープに映るキキが、不意に雨宮の方を向いた。
そして、右手に持つアサルトライフルを一振りし、麻酔弾を叩き落してしまった。
「……何だと!?」
そしてキキは、雨宮にアサルトライフルの銃口を向ける。
……しかし、やはり引き金を引くことはできない。
グリップを握りしめるキキの右手が、だんだんと震え始める。そして……。
「……ムッキャアアアアアアアッ!!!」
怒りが爆発したかのように、叫んだ。
そして50メートル先にいる雨宮に向かって、アサルトライフルを投げつけてきた。
「うわっ!?」
雨宮は急いで木陰に隠れ、アサルトライフルを避ける。
アサルトライフルは雨宮が隠れた木に激突し、壊れてしまった。
そして雨宮が再び木陰から顔を出すと、キキが凄まじいスピードで接近してきているのが見えた。
「こっちを狙いに来たか……!」
雨宮は、背負っていた自身のアサルトライフルを取り出し、キキに向かって引き金を引いた。
しかしキキは、地面から木へ、木の幹から木の幹へ、幹から枝へ、枝から地面へ、縦横無尽に跳び回り、あっという間に雨宮との距離を詰めた。
「ムキャアアアアア!!」
「ぐっ!?」
キキが雨宮に飛びかかり、彼の顔面を殴りつけた。
雨宮は、腐葉土の上を滑るように吹っ飛ばされてしまう。
キキの拳のあまりの威力に、彼の視界がグニャグニャにぶれる。
キキは身体に巻き付けたバックパックから、手榴弾を二つ取り出す。両手に一つずつ持ち、雨宮に叩きつけるつもりだ。そして……。
「もらった!!」
「キッ!?」
鳥羽の声と共に、銃声が響いた。
キキが反応するも、もう遅い。
鳥羽が放った銃弾は、キキの背中のバックパックに命中し……。
「ギャアアアアアアアッ!?」
……大爆発が引き起こされた。
バックパックに入っていた手りゅう弾が誘爆したのだ。
「良し! ざまぁみろエテ公!」
鳥羽が喜びの声を上げる。
しかし油断せず、銃を構えたまま下ろさない。
なにせ相手は『星の牙』。
しかも星の巫女の側近、敵の幹部クラスなのだ。
その生命力は侮れない。
黒い煙が晴れていく。
そして……。
「…………ムッキャアアアアアアア!!!」
ボロボロになったキキが、鳥羽に向かって怒りの咆哮を上げた。両手には、先ほど取り出した手榴弾がまだ残っている。
そして垂直に跳び上がり、右手に持つ手りゅう弾を鳥羽に向かって投げつけた。狙いは鳥羽の足元だ。
「ちっ……!」
キキの怪力から投げ放たれた手りゅう弾は、ミサイルのような速度で鳥羽に襲い掛かる。これが足元に着弾したら、鳥羽は恐らく回避が間に合わない。爆発に巻き込まれてしまうだろう。
そう判断した鳥羽は、手榴弾にアサルトライフルを向け、引き金を引く。
弾丸は飛来してくる手りゅう弾を捉え、見事撃ち落とした。
空中で手榴弾が誘爆する。
「くっ……」
爆風に身体をあおられる鳥羽。思わず身体が硬直してしまう。
その瞬間、もう一つの手榴弾が鳥羽に向かって飛んできた。
「あ……」
黒い煙が晴れぬ内に、その中から手榴弾が飛んできた。
恐るべきスピードで、まっすぐ鳥羽の胸に向かって。
煙幕となった手榴弾の爆風が、鳥羽の反応を遅らせた。
そして、鳥羽は手榴弾を回避できず、吹っ飛ばされてしまった。