第161話 またの名を『マナ』
日向と星の巫女は、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ内の二つあるドーム型植物園のうちの一つ、フラワードームの前へとやってきた。どうやら星の巫女のお目当てはここのようだ。
「大きな建物ですね。さっそく中へ入りましょう」
「それは構わないんだけど、ここ有料施設だぞ。金持ってるのかお前?」
「…………。」
星の巫女は、気まずそうな表情で黙り込む。
おこづかいを一銭も持っていない子供の顔だ。
「……まぁ、幻の大地なんてワケの分からないところに住んでたら、そりゃそうだよな。俺が入場料払ってやろうか?」
「お気遣いは無用です。”次元移動”で侵入しますから」
「いや無銭入場だろーがそれは。許さんぞ」
「まずは”気配感知”を使い、施設内で人の気配の無い場所を探して……」
「おいコラ」
「私も、周囲から変に注目を集めるのはごめんですからね」
日向の静止を聞かず、星の巫女はズルして侵入する気満々である。
しかし、どうも彼女の表情が優れない。何やら悩んでいるような様子だ。
やがて星の巫女は”気配感知”を中断し、口を開いた。
「……ダメです。どこもかしこも人だらけです。人がいない場所なんて全くありません。どうなっているのですかこの施設は。人多すぎでしょう」
「そりゃあまぁ、シンガポール屈指のアミューズメント施設だからね。世界中から旅行客がやって来るから」
「……く、日下部日向。恥を忍んでお願いが……」
「はいはい、出しますよ入場料。貸しだからな」
「恩に着ます」
彼女はマモノ災害の元凶たる人物。自分たちの敵。
そんな相手に一体何やっているんだろう、と日向は思う。
……が、その考えは新しく頭の中に湧いてきた別の考えにより、すぐに吹き飛んでしまった。
(この子は、地球の動植物のためを思ってマモノ災害を引き起こしたのもあるし、根本的には悪い人間じゃないんだよな。このまま上手く慣れ合うことができれば、災害の平和的収束も夢ではない……か?)
いずれは、彼女とも戦う運命にある。
しかし、戦わずに済むならそれが良い。
日向はもう少し積極的に、彼女に取り入ることにした。
それこそ、ここで災害の終結を実現させるくらいの勢いで。
◆ ◆ ◆
フラワードーム内。
無事に入場することができた星の巫女は、日向を後ろに連れて施設内を歩き回っている。
「見事な景観ですね。育ちが育ちなだけに、私は人工物より自然を好みますが、それはそれとして、これは素晴らしいものです」
「そのあたりはしっかり評価するんだな。人間の環境破壊とかを目の敵にしているから、この施設にも何かしらの言いがかりをつけてくるんじゃないかと思ってたけど」
「地球の全動物の中で最高の知能を誇る人類は、その知能で様々な人工物を生み出します。それは人間の特性であり、生態です。そこに文句を言うつもりはありません。……しかし、人類は繁栄しすぎているのです。彼らの生態が他の生き物たちの生態をも踏みにじり、ほとんどの人間は見て見ぬフリをしている。私はそれが許せない」
「そこを突かれると痛いよなぁ……。人間が開発を進め過ぎて、昔と比べると地球の気候も環境も変わってきてるっていうのは、俺でも知ってる話だ。70億を超える人間たちに、一斉に『地球の環境を守ろう!』って言って、全員言うことを聞くとは思えないし……」
「はい。だからマモノたちは立ち上がったのです。『この星の未来を、自然を、そして自分たちの生活圏を守るには、これしかない』と」
「…………。」
その星の巫女の言葉で、日向はすっかり口を閉ざしてしまう。
星の巫女の言い分も、決して間違ってはいないと思ってしまったからだ。
マモノ陣営の意見もまた、この星の未来を想う答えの一つ。
両陣営の話はどこまで行っても平行線。話し合いでの解決は、やはり相当に難しそうだ。
「……さて、込み入った話ばかりで、少々気が沈んでしまいましたね。話題を変えましょう」
「軽いな……。仮にもラスボスだろうに」
「その『ラスボス』というのが何なのか、私には分からないのですが」
「あー、そうだった。俗世から隔離された大自然お姫様だもんな……」
「小馬鹿にされた気がしますが、流します。……では、入場料の御礼も兼ねて、良いものをお見せしましょう」
星の巫女は、おもむろに自身の右手を差し出し、手のひらを上に向けて日向に見せる。小さくて、柔らかそうな手のひらだ。
と、その手のひらの中から蒼い炎のようなエネルギーが発生した。
「うおっ!? 何だそれ……?」
「これが『星の力』です。これを動植物に分け与えると、彼らの身体に進化を促し、マモノとなります」
「それが……?」
「ええ。見ててください」
そう言うと星の巫女は、左手で目の前の花を指差した。
よく見るとその花には、青い羽根を持つ蝶々が留まっている。
そして巫女は『星の力』を発生させている右手を蝶々に向けた。
青いエネルギーが一直線に蝶々へと向かい、その身体を包んだ。
『星の力』に包まれた蝶々の身体が、みるみるうちに大きくなっていく。
青かった羽根は、やがてだんだん鮮やかな紫色に変化していく。
目に見えて分かる。この蝶々は今、マモノへと進化している。
やがて蝶々の身体は、一抱えもあるほどの大きさになった。
「おわぁ!? お、おま、こんなところで堂々とマモノを誕生させるんじゃない!」
「ご心配なく。この子は人間に敵意を持たないマモノです。あなたたちが言うところの『自由派』のマモノとして、自然へと帰っていくでしょう」
星の巫女の言う通り、紫色になった巨大蝶々は、周囲の人間に危害を加えることも無く、パタパタとどこかへ飛んで行ってしまった。
「『星の力』は、不可能を可能にする力です。自然の法則をも捻じ曲げる、この星が蓄えてきたエネルギー。人間の歴史の表舞台においては、あるいは『マナ』とも呼称されます」
「『マナ』……!」
ゲームで遊ぶ日向にとっては、馴染みの深い単語だ。
それはあらゆるフィクション作品において、超常現象たる『魔法』の媒体となる架空の元素。ならば『星の牙』とは、『魔法』を操るマモノと言えるのかもしれない。
「前からおかしいとは思ってたんだ。『星の力』は自然のエネルギーであるはずなのに、なんであんな不自然な異能力として発現するのか、って。その『異能力』がマナを用いた『魔法』と考えられるなら、納得がいく。……それなら、お前が一匹のマモノにありったけの『星の力』を注ぎ込めば、とんでもない大魔法使いが生まれるんじゃ……」
「そこはご心配なく。公平性を期すため、マモノに分け与える『星の力』は、常に一定です。ですので、どれほど強いマモノになるかは、完全にそのマモノの素質次第となります」
「なるほど。……けど、地球上のあらゆる動物たちに一々星の力を分けていたら、そのうち枯渇するんじゃないか?」
「人間に倒されたマモノに宿る『星の力』は、再びこの星へと吸収され、大地を通して私の元へと戻ってきます。私が直接回収する場合もありますね。それに、『星の力』の総量は極めて膨大です。マモノたちに分け与える『星の力』が、私一人が両腕で抱えるくらいだとしたら、『星の力』の総量は、それこそこの地球一つ分くらいの規模があります」
「その、地球一つ分に相当する『星の力』を、お前が一人で持っているワケか。こりゃチートだな……」
「よく言いますよ。私からしてみれば、あなたが持っている『剣』の方がよっぽど反則です」
ともあれ、思わぬ貴重な話が聞けた。
入場料15ドル(子供料金)を肩代わりした甲斐があったというものだ。
日向と星の巫女が並んで歩く。何だかんだで、日向と星の巫女は、傍から見ればそれなりに打ち解けているように見える。
このまま行けば、マモノ災害を止めるよう説得できるかもしれない。日向は続けて、話題を探す。
「……そういえば、この植物園には用事があって来た、って言ってたな。フラワードームに立ち寄ることが目的だったのか?」
「はい。この園内の植物たちを見て回ることもありますが、一番の目的は『この子たち』です」
「この子たち?」
不意に星の巫女が足を止める。
目の前には、見上げるほど巨大なバオバブの木が立っている。
バオバブとは、アフリカ大陸などサバンナ地帯に多く分布する樹木で、『地面から引っこ抜いた木を、逆さまに地面に突き刺した』と例えられるような外観が特徴である。まるで岩肌のような色をした幹は、乾燥に対して非常に強い。
目の前のバオバブの木は、何やら右腕が肥大化した人間のような見た目をしており、どこか不気味だ。
「これが、お前の言う『この子たち』なのか?」
「はい。それと、その周りの植物たちですね。『星の力』は昨日の夜、ここが閉館している時に忍び込んで譲渡しました。それから今まで動きを見せていないようなので、お加減はどうか確かめたかったのです」
「……ちょっと待て、何の話だ」
星の巫女の言葉に嫌なものを感じ、日向は語気を強めて彼女に尋ねる。
……だが、彼女が返答するよりも早く、日向の目の前から巨大な棘が突き出てきた。
「うおわ!? なんだこれ、根っこ!?」
少し色が落ちたような焦げ茶色の、太く鋭い棘。
それは見た感じ、巨大な植物の根のようだ。
日向がもう少し前に立っていたら、床ごと胴体をぶち抜かれていたところだ。
地鳴りと共に、目の前のバオバブが揺らめき、動く。
地面から幾本もの巨大な根っこが生えてくる。
それらはやがて足のように、バオバブの身体を持ち上げた。
バオバブの幹の中心が縦に開き、その中から一つの巨大な眼球が露になる。これはもはや、自然に存在していい植物ではない。
「こ、こいつ、マモノか!? 星の巫女、お前! 変なマネはしないって……!」
「『手荒な』マネはしない、と言ったのです。私はあなたに何も危害は加えていないでしょう? 『この子たち』がどうするかは知りませんが」
「お前、謀ったな!?」
日向が周りを見れば、他の植物たちも独りでに動き出しているようだ。花弁に牙を持ち、自力でフロアを闊歩している、人型の花のマモノが目に入る。
「どうやら、この子たちもいよいよ動き出す時のようですね。良いでしょう。ならあなたたちのやり方で、この都市を自然に還しなさい」
「グモオオオオオオオオ!!」
バオバブのマモノが巨大な咆哮を上げる。
その身体に口は無い。まるで体内で反響した音がそのまま外へと漏れ出たかのような、歪な音がガラスのドーム内に響き渡る。
「……では、用事も済みましたので、私はこれで」
そう言うと星の巫女は、自身の背後に次元の裂け目を生み出した。
「あ、待て! 逃げる気か!」
日向が星の巫女を呼び止める。
しかし星の巫女は、目線だけこちらに向けて、言い放った。
「逃げる、とは語弊がありますね。帰ってあげるのです。私が戦えば、この街そのものが一瞬で崩壊する。『星の力』、その全てを持つ私には、それだけの力があります」
「…………!」
それが本当なら、勝てる道理など無い。
彼女が戦いに加われば、もはや勝ち目は無い。
「分かっていただけましたか。では、私はいつも通り見極めさせてもらいます。繁栄を勝ち取るのはあなたたちか、それともこの子たちか……」
そう言うと星の巫女は、次元の裂け目へと消えていった。
日向は黙って見送るしかない。
そして後に残ったのは、自立歩行する巨大なバオバブのマモノと、それを取り巻く牙持つ花のマモノたち。
「グモオオオオオオオオ!!」
「ああくそ、修学旅行に来てまで、なんでマモノの相手なんかしないといけないんだ!」
日向は不満をこぼしながらも、『太陽の牙』を手元に呼び出した。