第159話 こんなところで
シンガポール修学旅行、三日目。
実質的な最終日である。
今日はシンガポール屈指の植物園『ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ』と、あの屋上に船がのっかったような外観の有名ホテル『マリーナベイサンズ』を巡り、それからお土産を探しつつ街を歩いて時間つぶし。夕方には学校から指定された集合場所へ行き、夕食を取った後に空港へ。そして帰国する予定である。
(……で、シャオラン。リンファさんにはいつ声をかけるの)
(もうちょっと待ってぇ!! まだ心の準備が……!)
(その言葉、もう十回くらい聞いたんだけど……)
(いざ当日になると、緊張してきて言葉が出てこないんだよぉ!!)
(気持ちは分かるけど、昨日言ってたじゃん。自分を変えるための第一歩、勇気を出して踏み出すんだろ?)
(忘れてー!!)
(ダメだこりゃ)
シンガポールの街を歩きながら、日向とシャオランは目線で会話を交わす。
シャオランは昨日、リンファに想いを伝える決意をしたが、さっそく揺らぎまくっているようだ。
件のリンファも、気難しい顔をして押し黙っていた。
(話をするとは言ったけど、いざ当日になると緊張するわね……アタシらしくない。まぁ昨日の今日だし、無理もないのかしら。少なくとも、声をかけるタイミングはここじゃない。もう少し、様子を見ないと……)
そう考えながら、リンファはジッとシャオランの様子をうかがう。
(ねぇ見てよヒューガぁ!! リンファがめっちゃこっち睨んでるぅ!! アレ絶対昨日のことをまだ怒ってるんだよぉー!! 声かけた瞬間ぶん殴られる目つきだよあれはー!!)
(落ち着けシャオラン。殴られて痛いのが嫌ならば、『地の練気法』を使いながら話しかければいいじゃない)
(む、ムードが台無しだ……!)
(話しかけることもしないのにムードを気にする奴があるか)
その傍ら、こちらは田中と小柳。
二人は『日向が写真に写らない』という異常に気付いてしまった。更には……。
「カナリア。今朝気付いたんだが、日向のヤツ、影が無い」
「え? ……あ、ホントです。日下部くんの足元から影が伸びてないです」
「意外と気づかないモンだな……。いや、アイツが気づかせないように立ち回っていたんだろうか?」
日向の影が無いことにまで気づいてしまった。
もはや二人にとって、今の日向は普通の人間ではない。
彼の正体は何なのか。
最大限の警戒心を抱いて、日向の様子を観察していた。
「アイツの身に何があったのかは分からないが、放っておくわけにもいかない。今日、機を見てアイツに直接聞いてみようと思う。そこでカナリアには頼みがあるんだ」
「わたしに頼みです? なんでしょうか?」
「アレが本物の日向とも限らない。下手をすると、すり替わった偽物かも。そこを俺が突いたら、アイツが逆上して襲い掛かってくる可能性も無きにしも非ずだ。だからカナリアは俺のことを陰で見守って、日向が暴れるようなら警察に連絡してくれ」
「と、とんでもない話になってきたのです……」
「まだそうなるって決まったワケじゃない。俺はアイツのことを信じてる。今のアイツはちょっと写真に映らなかったり、影が無かったりするけど、間違いなく日向本人だ。この修学旅行を通して確信してる」
「わ、分かったのです。わたしも腹を括りますです。……頑張りましょう、田中くん!」
「お、おう!(ああ……いきなり真剣口調になられるの、ビックリするけど、良いなぁ……)」
こうしてこの二人も固く決意した。
日向の正体を暴くために。
そんなことを日向は露とも知らず、シャオランと内緒話を続けていた。
◆ ◆ ◆
「うひゃー! 見てよ日向くん! 緑がいっぱいだよー!」
「うん。これはすごいや」
「いつ来てもここは圧巻ね。ちなみにあっちにあるのはフラワードーム。地中海あたりの樹木が多く育っている施設よ。有料だから注意してね。その隣がクラウドフォレストで……」
六人はガーデンズ・バイ・ザ・ベイの中を歩き回る。巨大な人工ツリー「スーパーツリーグローブ」や、そのツリーから吊り下げられたスカイウェイが、園内をシンガポールらしい近未来的な空気で満たしている。
正面に臨むマリーナベイサンズの威容は、まさしく荘厳の一言に尽きる。日本ではまずお目にかかれない園内の雰囲気に、六人は興奮を隠せないでいた。
(シャオラン。ここならリンファさんと二人きりになれるタイミングもあるんじゃないかな。なんとかここで決着を付けよう?)
(い、イヤだ……! 心の準備が……!)
(『覚悟が決まらないときはタイムリミットを設定しろ』ってウチの父さんが言ってた。このまま引き伸ばし続けたら泥仕合だぞ。植物園で想いを伝えるなんてムードも満点だろうし、ここしかないと俺は思うけどなぁ)
(うぐ……)
日向がシャオランに訴えかけていた、その瞬間。
視界の端で、何やら風変わりな格好の人物を見つけた。
それは深緑のローブで身を包み、同じ色のフードで顔を隠した、緑と青のオッドアイを持つ、ウィンドボブのふわりとした銀髪の、13歳くらいの小さな少女だ。
その少女もまた、日向に気付いたようだ。
少女は日向の元へゆったりと歩きながら、口を開く。
「あら、あなたは日下部日向。こんなところで、奇遇ですね」
その少女に、日向は見覚えがあった。
まだ出会ったのは一度だけ。
しかし忘れるはずもない。
中国の峨眉山にて突如日向たちの前に現れ、そして去っていったこの少女は……。
「…………はぁぁ!? 星の巫女ぉ!? なんでここに!?」
「うわぁぁぁぁぁ出たぁぁぁぁぁぁ!!」
その少女は『星の巫女』。名をエヴァ・アンダーソン。
日向たちが巻き込まれた『マモノ災害』の元凶たる人物である。
つまり、日向からしてみれば、旅行中にいきなりラスボスと遭遇したに等しい。
「久しぶりですね、日下部日向。ここで会うとは思っていませんでした」
「こ、こっちのセリフだ! 何しに来たんだ!?」
「ただの用事です。お気になさらず」
「ま、街ごと消し飛ばされるぅぅぅぅぅぅ!!」
「そこの子、五月蠅いですね」
「『そこの子』って、ボクのこと年下扱いしてない!?」
突然のエンカウントに、日向とシャオランは動揺を隠せない。
対する星の巫女は、友人と接するかの如く落ち着き払っている。
日向とシャオランの後ろにいる四人もまた、それぞれの反応を見せている。
「日向くん……その子って……」
(三人の驚きようを見るに、きっとマモノ災害がらみの子ね……)
「ん? 日向、その子は何だ? その変わった格好は、何かのコスプレか?」
「おお、可愛い女の子です。SNSに上げればバズるタイプの」
「い、いや、この子は、えーと……迷子! そう、迷子なんだよ! 親とはぐれたみたいでさ!」
まさか田中たちに星の巫女の正体を知らせるワケにもいかないだろう。ここで「こいつマモノ災害のラスボスなんだ」などと言えば、間違いなく混乱が起こる。
そして、もはや言い訳をゆっくり考えている時間も無い。
日向はこの状況をどう丸く収めるか、考えながら説明する。
「あ、そうだ! 今から自由時間にしよう! みんな、園内の好きな場所を自由に見て回るってことで! その間に、俺はこの子を迷子センターに届けてくるよ! 一時間後にここへ再集合な! じゃあ、行ってくる!」
「あ、おい!? 日向!?」
なにせ彼女はマモノたちの首魁たる人物なのだ。
ここで騒ぎを起こさないとも限らない。
そうなる前に彼女をこの植物園から追い出さなければならないと判断した。
そして、事情を知らない田中たちから説明を求められるのも困る。ここで別行動を取ることで、日向は田中や小柳から自然に距離を取りつつ、星の巫女を園外へと連れ出すことができる。
一方、後にポツンと残された五人。
一番最初に動いたのは、田中だ。
「……じゃあ、俺たちもそろそろ行くぜ。カナリア、お前も来てくれ」
「え? わたしと田中くんの二人だけで? なんでです?」
「いいから! ……あ、北園さん! 何か困ったことがあったら電話してくださいね! すっ飛んで駆け付けますから!」
「あ、うん。ありがと……」
田中も小柳を連れて、行ってしまった。
北園は若干引き気味な笑顔で、田中たちに手を振り見送った。
北園とシャオラン、そしてリンファの三人が残った。
「……じゃあ、私もどこか行くね。お二人でごゆっくり~」
「え、ちょっと、キタゾノ!?」
シャオランの静止も虚しく、北園もフラフラとどこかに行ってしまった。
そしてとうとう、シャオランとリンファの二人が残った。
「……えっと、リンファ……」
「……と、とりあえずここじゃ何だから、アタシたちも行きましょ……?」
「あ、う、うん。分かった」
シャオランとリンファの二人も、その場から去った。
◆ ◆ ◆
「田中くん、どこに行くです?」
田中に連れられながら、小柳が尋ねてくる。
二人の足取りは、星の巫女を連れて行った日向を追っている。
「日向を追いかけるんだよ! 一瞬だけど、あの二人、さも知り合いのように話し合っているのが聞こえたぜ! ゲーマーの直感が、『あの二人にはきっと何かある!』って告げてるぜ! もしかしたら、アイツが変になっていることと関係があるかも……!」
「なるほど。それで緊急連絡役たるわたしも呼ばれたわけですね」
「そういうこと! 付き合わせて悪いなカナリア!」
「構いませんです。こういう経験、滅多にできるものではないです。無事に日本に帰ったら、動画にしてアップしたいくらいです」
「ははは、流石だな。その動画、完成したら俺にも教えてくれよ!」
「もちろんなのです。さて、そろそろ日下部くんに何が起こっているか、ハッキリさせましょう!」
「おうよ!」
実際、田中もこの非日常的な経験を楽しんでいる節があった。
この胸の高鳴りは緊張か、恐怖か、それとも高揚か、あるいは恋心か。
様々な想いが交錯したこの修学旅行も、クライマックスを迎えようとしていた